JR各線を巡る旅の記録

2 越後線・弥彦線


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●日程

1990年8月15日
 【新潟】13:40発−(普通)→【吉田】14:34着、14:37発−(普通)→【弥彦】14:45着、15:09発−(普通)→【吉田】15:17着、15:34発−(普通)→【柏崎】16:41着、16:47発−(普通)→【直江津】17:28着、17:31発−(普通)→【富山】19:31着、20:00発−(普通)→【金沢】20:59着

●経緯

 父親の友人宅(新潟)へ行く、ということになり、どういう訳か家族で行くことになった。そういうわけで行きは早朝、車で北陸自動車道を。よく考えると新潟への北陸自動車道を通るのも初めてであった。

 その後、だいたいちょうどよい時間に、新潟駅で釈放してもらい、前回の旅で余った1枚の青春18きっぷで帰ることにした。午後からの利用だが、普通に乗車券を購入するよりも安いようである。少し「乗りつぶし」を意識しはじめた頃で、そのため越後線を通ったり、余った時間で吉田から弥彦まで行ったりしている。これにより越後線と北陸本線の2線が完乗となる。

●越後線(新潟−吉田)

 今もそうなのだが、新潟駅では方向感覚がおかしくなる。日本海縦貫線経由だとスイッチバックになってしまうということと、信越本線と上越新幹線の進行方向が逆だったり、そのために上越新幹線と越後線が同じ方向に走っていったり、ということが原因らしい。その時は初めての新潟駅だったのだが、当然のことながらどちらへ向かって進むのかよく分からなかった。

 とにかく、非冷房の窓の開いた列車が出発する。出発したので進行方向が分かった。それに応じて座り直す。

 新潟を出てしばらくすると信濃川を渡る。窓が全開のため気持ちのよい風が入ってくる。ただし、台風が近づいていたようで川の水が濁っている。そういうこともあり「気持ちのよい風」というよりも過剰な風が入ってきているようである。信濃川を渡り、白山・関屋と市街地の中を走る。本当の新潟市中心部へはこちらの方が近いようである。

 信濃川分水路を、また過剰な風が入りながら通過して、砂丘地を走る。海が近く、砂地であるが段差がある。石川県にもよく似たような景色がある。そういうところを走りいくつかの駅を過ぎ内野。ここを終点にしてしまう列車も多いようである。新潟市内輸送のケリを着ける駅でもあるようである。

 その後は、水田の中を走っていく。海沿いを走っていることになっているが、海と越後線の間に山があり、それがずっと続いている。そのため、ここから柏崎まで、全く海が見えないことになる。原発で揺れた巻を過ぎて、しばらくして吉田に到着する。この列車は吉田止まりである。この後、柏崎方面へ行く列車まで時間がある。せっかくなので、今度の乗りつぶしを考えて、行き止まりになっている弥彦まで行くことにする。

●弥彦線(吉田−弥彦)

 当時の新潟色の越後線列車を降りて、また変わった色の弥彦線の列車に乗り換える今では珍しくないワンマンであるが、2両連結の、113系か115系か分からないがそういう列車を改造したワンマンというのは当時は珍しかった。

 こちらも非冷房で、風を受けながら水田の中を走っていく。乗りつぶしのことを考えてその時乗ったのだが、実はその後、1997年3月にも乗っている。その時は3月といっても2月に近い3月だったので冬である。やはりその時とは印象が違うが、大鳥居があるのは同じようであった。

 弥彦村の役場がある矢作を過ぎて、前にある山が近づいてきて弥彦に到着する。弥彦神社を意識したきれいな駅である。思わず硬券の記念入場券を購入した。その時は弥彦神社へ行った、という記憶があるのだが、1997年3月に行ったときは、弥彦神社は歩くとある程度距離があるということが分かり、弥彦神社へ行っていないということが分かった。駅前を少しうろうろして、戻る列車に合わせて同じ列車に乗り込む。さっき見た景色を再び見てさっきの吉田駅に戻る。

●越後線(吉田−柏崎)

 越後線は新潟から見て、内野、そして吉田、と進むにつれて乗客・運転本数が減少する。吉田より向こうはさらに運転本数が減少する。そのうえ、乗客も少なく、車内が混んでいない。ゆったりと外を見ることができた。ここからは、駅ごとに沿って車窓を書いていく、ということは10年も経っているので出来ない。印象だけを書いていく。

 やはり新潟県、ということで水田が広がっている。その広がっているところを余り急がずに進む。長閑な景色である。乗りつぶしを初めて間もないこともあったが、ものすごく気に入った。特急でさっと走るのではない、ゆっくりと車窓を見るという旅の良さが、ここではっきりしたのである。空いていて、非冷房のためちょうどよい風が入ってきたということも良かったことである。

 良く外を見て気づいたことは、雪の多いところで、細い路地にまで融雪装置(暖地の方のために。、雪を溶かす(流す)ために道路に設置された、穴の空いたパイプから地下水が出てくるものです。)が張り巡らされているところである。そのあたりが中途半端にしか雪が降らない石川県との違いだと感じた。

 それと、分水と寺泊の間で、信濃川から流れる大河津分水路を渡ったのだが、また過剰な風が入ってきた。そういうことで、長閑な景色を見ながら柏崎に着く。

●信越本線(柏崎−直江津)

 柏崎の駅では、女声の自動放送で、「かしわーざきー」と言っていたのが印象的であった。これは、1999年9月でも同じ音声を聞くことができた。

 柏崎からは海沿いを進む。海水浴客が多い。座ることもできない。この区間については別の旅の記録で車窓を詳しく書いているので余り詳しく書かないが、外に見える海には海水浴客が多い。犀潟駅付近では「北越北線」の工事が行われていた。中止になったという話を聞いたがどうやら続いていたらしい。これが今の「北越急行ほくほく線」で、まさか、「はくたか」という名前が復活して、越後湯沢の乗り換えで東京へ行く、ということがメインルートになるとはその時は知る由もなかった。

●北陸本線(直江津−金沢)

 直江津駅では乗り換え時間が少なく、走ることになる。特に金沢方面へ戻るときにこの駅で走るということが良くあるのだが、このときが最初であった。

 この区間についても「いつも乗る区間」として詳しく書いているので省略する。その時の印象としては、普通列車で追い抜かれる駅から海がよく見えたということ、やはり普通列車は良いという印象であった。北陸自動車道にかなりじゃまをされた親不知のあたりの海であるが、それでもまだ景色としては良いと思った。

 富山で少し時間があった。その後、日没後の北陸本線を金沢へ向かった。石動あたりで花火を見ることができた。


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