JR各線を巡る旅の記録

4 七尾線・越美北線


【「JR各線を巡る旅の記録」トップへ】 【このWebサイトのトップへ】

1日目 1990年12月29日
【金沢】5:25発−(普通)→【穴水】8:03着、8:12発−(普通)→【輪島】8:46着、9:07発−(普通)→【和倉温泉】10:44着、11:03発−(普通)→【金沢】12:57着、13:08発−(普通)→【福井】14:47着(臨時列車運転のため、14:49着)、14:54発−(普通)→【九頭竜湖】16:22着、16:27発−(普通)→【福井】17:44着、17:46発−(普通)→【芦原温泉】18:04着、18:52発−(普通)→【金沢】20:03着

 着々と、地元の乗りつぶしをこなしているこのシリーズ。今回は七尾線と越美北線。七尾線は、穴水までは以前、よく乗っていたが、このシリーズとしては初めて。越美北線は近くにあったが、乗車するのは初めてであった。

 なお、この回に関しては、その当時書いた旅行記らしきものがあります。ただ、これはそのまま掲載するような内容でもないので、それを参考に書いていますが、11年以上も経ったとは思えないような詳しさであるのはそういう理由だからです。


●金沢−輪島−金沢(北陸本線・七尾線・北陸本線)

 七尾線の始発列車は、北陸本線と比べて早い。5時25分。もっと遅くてもよいような気もするが、この後越美北線に乗ることを考えると、これぐらい早くしなければならない。それと七尾線。この半年後には電化開業。その時に、和倉温泉以北はのと鉄道として運営されることが決まっていた。そういうことで、「青春18きっぷ」で輪島まで行くことができるのも、あと少しの期間だったのであった。

 親に送ってもらい金沢駅へ。そうして、18きっぷに日付を入れてもらい、気動車に乗る。以前、珠洲に住んでいたときに地元を走っていたであろう列車。何となく懐かしい。

 早朝の列車。どういう訳か結構よい乗車率。ほとんどのボックスに最低一人は座っている。4両連結。うち2両は七尾まで。それと中津幡・能瀬は通過。そういう案内を車掌は3〜4回言っていた。

 まだ暗い。高架を降りて地上へ。金沢運転所(現在の金沢総合車両所)に停車中の列車はほとんどに明かりがついていない。しかし、一部、ついているものもある。方向幕のみに明かりがついている列車もあり、妙に目立つ。その他、車両基地の中の信号・時計の明かりも目立つ。東金沢・森本を過ぎて、津幡ではさらに乗客が乗ってくる。ほんとうによく分からない時間帯である。

 津幡駅発車後、穴水駅での接続案内を行っていた。今では考えられないことである。やはり七尾線。北陸本線とは揺れ方が違う。中津幡を通過して本津幡。能瀬の通過には気づかなかった。水田の中を走り、明かりがある場所へ入っていき、宇野気。次の横山で反対側の列車とすれ違うが、向こう側はこちらより少人数のようである。こちらの乗客、ほとんどが眠っているようである。

 車掌が、斜め前の席の座席の下にある「暖」マークの下にあるコックをひねる。これで暖房の調整を行っているようである。高松に到着。駅舎の事務室では「6時のニュース」をやっていた。暗くてよく分からないままどんどん進んでいき、羽咋。客車列車とすれ違う。その当時、七尾線に1往復だけ、客車の普通列車があったのである。朝、七尾から金沢へ行き、夕方に七尾に戻るというもの。この列車、その後は特急型列車に変わったようである。

 羽咋を出て、空が明るくなり始める。能登半島を横断。このあたりだけ、平野のようになっている。邑知地溝帯という。そういうところを抜け、七尾に到着。ここまでの間、かなり電化工事が進んでいたようであるが、この駅構内にある車両基地も電線が張られていた。七尾を出て、和倉温泉。このあたりまで来ると、ほとんど寝ていなかったためか、結構眠くなってきてウトウトしている。七尾湾の近くを通るあたり。対岸が近いため、海のように見えない場所である。「桜トンネル」のある能登鹿島を過ぎ、穴水が近づく、という雰囲気が漂ってくる。そうして穴水で乗り換え。

 昔は、金沢から来た編成の長い列車が、穴水で蛸島(または珠洲)行きと、輪島行きに切り離される、というのが常であった。それが、能登線の方は第三セクター化。七尾線輪島方面は、単行列車の登場、ということで、この駅での乗り換えということが多くなったようである。ということで、輪島行きの単行列車に乗り換える。

 穴水を出て、しばらくはのと鉄道の線路と並行する。今までは逆の立場でこういう線路を眺めていた。何となく不思議な感じがする。そうして別れると、急勾配を登りはじめる。しかもカーブしながら登っていく。能登有料道路の終点部分を見ながら、さらに勾配。そして今まではほとんどなかったトンネルも通る。そのうち「峠」と書かれたトンネルをくぐると、下り勾配が続き、それが終わったところで能登三井。おそらく、この当時、石川県で唯一であろう腕木式信号機があった。そうして能登市ノ瀬を過ぎて、輪島の市街地に近づき、輪島に到着する。

 その時は、駅舎の外へ出て…という習慣もなく、そのまま待合室に滞在することとなった。そうして、同じ列車で戻る。能登三井で客車列車とすれ違う。実はこれ、その当時、ほんとうに「能登」に乗り入れていた急行「能登」であった。金沢から4両になっていたのだが、3両は寝台車。1両は自由席。そうして、さっきと逆の方向で山越えをして、穴水。少し時間があるので、のと鉄道の駅へ行く。そうして戻ると、さっき乗っていた単行列車に、増結されていた。その単行列車の部分は七尾で切り離されるらしい。

 そのまま、和倉温泉まで行く。この列車、そのまま乗っていると、七尾から急行能登路になるため、18きっぷでは乗れなくなるのである。穴水、あるいは七尾から急行、というのは昔よくあったパターンである。

 しばらく和倉温泉駅に滞在した後、そのまま金沢へ。

●金沢−福井(北陸本線)

 この区間、この後ほんとうによく乗った区間であるが、当時はこの区間を毎日通う運命になるとも知らず…。

 美川で特急列車が追い越していく。実は、この旅で、降りる駅毎に、友人から頼まれていた入場券を買っていたのである。この駅でも少し時間があるので、入場券を買いに行ったが、当時はこの駅、自販機がなく、硬券であった。しかも、今の橋上駅とは違う木造の駅舎であった。

 そうして、芦原温泉でも臨時列車運転のため、特急列車に追い越され、少し遅れて福井に到着する。

●福井−九頭竜湖−福井(北陸本線・越美北線・北陸本線)

 越美北線用の、切り込んだホームへ行く。2両編成であったが、帰省時期で空席がない。車両と車両の間に近いところで立っていることにする。そこには、沿線の観光案内や、当時新設されたばかりの「越前大野鉄道部」の案内があった。

 福井を出て、しばらくは北陸本線上を走り、足羽川を渡る。そして、南福井貨物駅から分岐し、越前花堂。すでにこの駅では北陸本線と越美北線が別れている。越前花堂を出て、しばらくは水田の中を走る。六条を過ぎると、北陸自動車道がオーバークロスする。足羽・越前東郷と水田の中を走る。この時、使われていなかった運転席を見ると、最高速度63km/h。今の気動車ならもうちょっと出しているのだろうか。

 一乗谷を過ぎて、急カーブを抜け、足羽川を渡る。また急カーブを曲がり足羽川を渡る。谷を越えてさらに足羽川を渡る。そうして水田と住宅になり、越前高田。大木があった。車内のガイドによると「タラヨウの木」ということである。しばらく直線区間を走った後、足羽川を渡り、市波。やや住宅が多い。発車してすぐに足羽川を渡る。川にある石がだんだんと大きくなっているのが分かる。しばらく走った後、川のそばを通り、斜めに渡る。小和清水を過ぎると、両側の山が近づいてくる。道路がオーバークロスしていき、さらに足羽川を渡る。そうして川のそばを走る。川には岩が転がっている。トンネルを抜けると、川で護岸工事を行っている。その工事現場より上流は、しばらくの間、自然の形の川が残っていた。次第に雪が積もってくる。山や田畑は白くなってきている。

 美山で反対側の列車とすれ違う。しばらくすると、足羽川が大きくカーブして別れていく。ただし、支流が線路のそばを流れていて、その支流を2回ほど渡る。越前薬師を過ぎても、3回ほど渡る。雪がだんだんと深くなってくる。そうして越前大宮。このあたりまで来ると、道路にも雪が積もっている。そしてさらに川を何回も渡る。送電線が多くある。計石を過ぎると、坂を上る。切り通しの中を通り、トンネルを通る。そうして急にまわりが開けてくる。大野盆地に入ったのであった。何となく平野の感じがするが、福井駅は標高9.1m、盆地の中の牛ヶ原は171.8mなのである。それだけ高低差があるということであった。水田の中を牛ヶ原、北大野と過ぎていき、大野の市街地に入る。そうして越前大野。乗客の多くが降りていき、30%程になってしまった。

 越前大野からはワンマン運転となる。同時に、かなりすいたので、ここから座ることにする。越前大野を出て、市街地を抜けると、九頭竜川を渡る。そうして水田の中を走る。少し離れて住宅がある。越前田野を過ぎ、越前富田。富田発電所があり、そのあたりで大きくカーブして、山に沿って走る。反対側は田畑が広がる。下唯野を過ぎると、九頭竜川を鉄橋で渡る。川の中には三角型の「テトラポット」があるが、こういう形のものを「テトラポット」というのかどうか。さらに九頭竜川を渡り、柿ヶ島。坂を上り、切り通しを抜け、九頭竜川と一緒に谷へ。九頭竜川は川幅が広くなってダムになる。そうして、そのダムのほとりを走り、少し長いトンネルへ。それを抜けると、ダム・コンクリートが吹き付けられた山、発電所がパノラマのように広がる。そうして短いトンネルを抜けると勝原。

 勝原以降は後からできた区間である。そういうこともあり、ここからはまったく景色が変わってしまう。長いトンネルを通り、越前下山。九頭竜川を渡り、国道をアンダークロスし、トンネルへ。抜けると、川や国道と並行し、トンネルへ。抜けるとさらに積雪量が多くなる。住宅が多くなり、九頭竜湖に到着。

 到着すると、スキー客が多く乗ってきたので、降りようかどうか迷ったが、とりあえず荷物はそのままにして、一旦降りる。そうして再び乗り込むが、降りなかった人も何人かいた。そのまま、少し眠りながら、福井まで戻る。

●福井−金沢(北陸本線)

 福井に到着すると、芦原温泉行きがすぐ発車するところだった。とりあえずこれで芦原温泉まで行く。芦原温泉駅で、橋上駅というものを眺める。そうして、後から来た金沢行きの普通列車に乗り、眠りながら、金沢まで戻ったのであった。


【「JR各線を巡る旅の記録」トップへ】 【このWebサイトのトップへ】