JR各線を巡る旅の記録

9 富山港線


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●日程

1992年8月15日(すべて普通列車)
【金沢】→【富山】 【西富山】→【速星】→【富山】→【岩瀬浜】→【富山】→【金沢】
注 今回は時刻が不明です。今回に関しては時刻はそれほど必要な要素ではありませんので調べ直すことはしませんでしたし、目印になる時刻がないため、復元不可能です。

●経緯

 部活も終わり、大学受験勉強に専念ということになったときである。まあ、第一志望の大学を見に行くのもよかろうということで、隣の県まで行くことにした。実際、その大学には行かなかったのだが、それはそれで第二志望の大学で4年間よかったし、その後もよいのだから全く残念ではなかったのである。まあ、これ以上書くと主旨がずれてしまうので止めておいて、とにかく、その時に富山県内で乗っていない短い線である富山港線(8.0km)を乗ってしまおうということで乗ることにした。これは「7 高山本線」の時に乗る予定だったのだが、列車に間に合わず乗らなかったものである。これにより、北陸3県のJR線完乗を果たしたのであった。 (金沢−富山間は省略します。)

●西富山−速星−富山(高山本線)

 地図を見ていると、その大学から高山本線西富山駅が割と近いということが分かった。路面電車だけに気を取られていたが、JR線も近いのである。ただし、高山本線の中でも富山−越中八尾間は本数があるといっても、そんなにしょっちゅう走っているわけではない。とりあえず、前日に地図を見て覚えていた道の通りに西富山駅に行く。

 やはり富山行きまでの時間があった。しばらくはその駅にいることにしたが、少しでも降車・乗車駅を増やすということをしていた時期でもあり、高山方面ゆきの普通列車の方が早く来るということもあったので、富山とは逆方向の速星まで行くことにした。西富山駅は2面2線で、緑の多い落ち着く駅である。

 速星駅で、少し駅前を見て、その後ようやく富山駅を目指す。水田のなかを走り、北陸本線と合流して神通川をわたり、市街地になり富山に到着する。

●富山−岩瀬浜−富山(富山港線)

 富山駅では富山港線のホームはもっとも海寄りである。富山駅は跨線橋と地下道の両方あるが、富山港線のホームへ行くには地下道でないと行くことができない。とにかく地下道を通り富山港線のホームへ行く。列車は昔、国電のお下がりで、旧型電車が走っていたらしいが、現在は北陸本線と同じものが使われている。

 富山を出て、富山口まではすぐである。富山駅の構内にあるような感じで、北陸本線と分かれた瞬間のカーブにある。駅間距離はとても短いようであるが、この線にはもっと駅間距離の短い区間が存在する。

 全体的に駅間距離が短く、これと同じ列車が北陸本線で頑張って走っていることを知っているのでどうも物足りない。また、貨物線がよく分岐して行くし、その廃線もよくあり、これを完全に把握できれば面白いであろう。また、隣には富岩街道という2車線の道路が並行している。中心部から海岸沿いへ出るということで、金沢の「金石(かないわ)街道」と同じようなものである。金石街道もかつては北陸鉄道が並行していたが、廃止され4車線の道路となった。工業地帯で貨物線とのからみもあってか国有化された路線とそうでない路線との運命の差であるが、北陸鉄道金石線も場合によっては「金沢港線」としてこのような形で残っていた可能性もあるのだろうか。

 城川原で反対方向の列車とすれ違う。そして、貨物線の廃線跡などと並行していよいよJR最短距離の大広田−東岩瀬間(0.5km)である。当然のことながら最高速度を出すわけでもなく、少し走って、後は惰性だけで隣の駅に着いた。ちなみに、2000年1月にこの区間を歩いている。これについては別途。

 その後は臨時駅の競輪場前。停まったかどうか覚えていない。そして運河をわたり終点岩瀬浜。1面1線の、終点駅らしい駅であった。

 帰りはそのまま同じ線を通り富山まで行き、そしてそのまま金沢まで戻る。


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