JR各線を巡る旅の記録

10 東海道本線垂井迂回線 概要・全日程



【「JR各線を巡る旅の記録」のトップへ】 【このWebサイトのトップへ】

●ルート

1993年2月2日
 【金沢】→(早朝の特急しらさぎ)→【名古屋】→【鶴舞】 【鶴舞】→【名古屋】→【大垣】→(特急しらさぎ)→【金沢】
 なお、時刻はすべて不明です。今回は特に時刻は重要な要素ではありませんのであえて調べ直すことはしませんでした。

●経緯

 これは某大学受験のために名古屋へ行ったものである。実際、この大学は2回受験しており、合格をして入学金まで納めてある大学であるが、学費がもっと安くて、無理やり自宅通学のできる大学に合格したので行かなかった大学である。また、あまり詳しく書かないが、受験方式がいくつかあり、2科目だけの受験としたため、開始時刻が遅く、宿泊が不要だったため日帰りである。また、実際合格した方の3科目受験(私は科目数が増えれば増えるほど成績がよくなる傾向がある。)は、地方受験会場である富山へ行っている。

 その時に、「乗りつぶしの旅」をしたといえばよろしくない話だが(気分転換になってよかったかもしれないが)、実際「乗りつぶし」をしたのではなく結果的にそうなっただけである。そのため、ここに掲載することになってしまったのである。実際、乗りつぶした距離は13.8kmと5.6kmである。

●金沢−名古屋−鶴舞(北陸・東海道・中央)

 金沢から早朝のしらさぎに乗る。名古屋へ受験と言っても、受験方式と時間割の関係で日帰りなので、荷物は少ない。特急列車に乗ることも久しぶりで、少しいつもと勝手が違うが、それはそれでよい。

 福井で乗客が多く乗ってきて、隣の席にも人が座った。京福電鉄が見える。福井まで結構時間がかかったように思えたが、この数ヶ月後、ここ(正確には1駅前)に毎日通い、京福電鉄には冬、雪が積もったときにお世話になるとは思っても見なかった。(実際、受験することは決まっていたが、行くことになっても通うことになるとはその時決まっていなかった。)

 その後はいつも見る景色が続き、米原で方向が変わる。ここで方向が変わると言うことも初めてであるし、そのあと7年間、経験していないことである。

 米原から、近江長岡、関ヶ原あたりは雪が積もっていた。「東海道本線」であるが、北陸と同じなのである。そのうち雪が消え、大垣・岐阜・尾張一宮を経て名古屋に着いた。

 名古屋からは中央本線に乗り換える。実際、目的地までは名古屋駅から地下鉄に乗ってもよかったが、路線図を見ていたら、中央本線鶴舞まで行ってもよいということが分かったこと、その方が間違いなさそうなこと、さらにきっぷが「名古屋市内行き」なので、結果的に安くつくということでそうすることにした。

 名古屋から鶴舞までは特に景色を覚えていないが、この区間については4〜5年後に乗っているのでよいであろう。鶴舞駅は高架上の駅だった。それにしても景色のよいこと。北陸にいると冬の空は灰色であるということが当たり前になっていて、それが季節を表す色であるのだが、太平洋側は違うのである。また、北陸にいるとそういう空の色ならさぞかし暖かいだろうという錯覚に陥るのだが、そうではなくて寒いのである。そのあたりの感覚がよく分からない。

●鶴舞−名古屋−大垣(中央・東海道)

 帰りは同じように名古屋まで普通列車で行く。そして、特急しらさぎでまっすぐ帰ればよいのだが、時間がある。そのため、新快速列車があったのでそれに乗り大垣まで行った。この感覚がいつもの「乗りつぶし」の感覚である。列車もいつも乗る列車で、違和感がなかった。

●大垣−(垂井迂回線)−米原−金沢(東海道本線・北陸本線)

 大垣から後続の快速列車で米原まで行くことができる。その方が特急料金が安くなる。しかし、そうすると、いつもと同じルートを通ることになる。というのは、東海道本線には、大垣から関ヶ原まで、下り線専用の迂回線があるのである。以前はその区間に新垂井という駅があり、普通列車も通っていて、運賃計算の特例云々があったが、今はその駅が廃止されている。そのため、このルートは旅客列車では特急列車しか通らないのである。そうなると、いつものような青春18きっぷの旅をしていてはいつまで経ってもここを通ることができない。ただ、このルートは戦争まっただ中の昭和19年にできたルートで、蒸気機関車の時代に意味があり、また、軍需輸送のために意味があったことで、今、この区間に特急だけを走らせるにはどういう意味があるのかよく分からないが、とにかくあるものは乗っておかないと完乗にならない。そういうこともあり、米原まで快速で行かず、大垣から特急に乗ることにしたのである。

 大垣で、特急しらさぎが入ってきた。満席ではなかったが、窓側に座ることができなかった。

 大垣からしばらくして、信号場から迂回線として分かれる。いつもとは違う方向に乗っている。迂回線に入って、当然単線となる。雪の中をひたすら走る。畑か水田の中であり、また山の中で、特に変わったことはない。そのような単線をひたすら走る。旧新垂井駅の場所はよく分からなかった。そうしているうちに関ヶ原で東海道「本線」に合流した。それだけの話であった。まあ、もののついでであったのでちょうどよかったと思う。

 その後はそのまましらさぎで金沢まで戻った。


【「JR各線を巡る旅の記録」のトップへ】 【このWebサイトのトップへ】