JR各線を巡る旅の記録

24飯山線 概要・1日目


●日程


 【金沢】5:35発−(快速・石動より普通)→【富山】6:27着、6:32発−(普通)→8:41着、9:13発−(普通)→【宮内】10:35着、10:45発−(普通)→【越後川口】11:03着---(徒歩)---【内ヶ巻】12:37発−(普通)→【越後川口】12:42着、12:50発−(普通)→【豊野】15:26の5〜10分前着、15:26発−(快速信越リレー妙高9号)→【直江津】16:32着、16:36発−(普通)→【富山】18:40着、18:43発→【金沢】19:43

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●経緯

 例によって青春18きっぷが1日分余ってしまった。本来は2日分余らす予定だったが、前回の中国地方へ行った分が帰り大阪で1泊したため3泊4日になったので、1枚となった。

 最近は残った1枚で、今まで乗った近県の路線を、改めて違った角度から見てみるということで、子不知海岸で海に落ちてみたり、新潟県と富山県の県境をわざわざ歩いてみたりしていた。これも、日帰りで、かつ、普通列車で行くことができるところで、まだ乗っていないところがなくなってしまっていたからである。

 と思っていたが、昔一度日程を考えた日帰りコースで、まだ未乗車区間が残っているところがあった。それが飯山線である。
 金沢−直江津−豊野−飯山線−越後川口−宮内−金沢又は
 金沢−宮内−越後川口−飯山線−豊野−直江津−金沢
というコースである。ただ、朝5時35分発の列車になってしまうので、敬遠していた。

 今回の夏で、乗りつぶしが60%達成して、少しでもそれを増やしたいと思ったことと、割と最近規則正しい生活をしているので、5時35分発でも大丈夫かと思ったことで、今回は9年前に考えたこのルートを実際に乗ってみることにした。

 といっても、朝起きられなかったら困る。朝8時36分発で、帰り直江津−糸魚川間のみ特急を使えば金沢0時9分に到着することができるという逃げ道も作っておいた。この時刻ならばいつも通りの行動で大丈夫である。

 また、越後川口から飯山線に入るか、豊野から飯山線に入るかということになるが、5時36分発ならば越後川口から入った方が金沢に圧倒的に早く帰ってくることができる。(19時43分。逆ならば22時27分。)それに、豊野−飯山間がとても混むようなので好都合である。8時36分発ならば豊野から入らないと金沢へ帰ってこられない。(もちろん特急に乗る距離を増やせば帰ってくることができるが。)

それにしても、日帰りで新規区間に乗車するというのは久しぶりである。初期の頃以来である。高校の時以来である。大学を見学に行ったときについでに乗ってしまった富山港線、日帰りで名古屋まで受験に行ったときに乗った東海道本線の「垂井迂回線」を除くと、1991年3月の高山本線・太多線以来である。

●全体として

 今回は、飯山線の乗車のみで、ポイントが決まっていたため、割と楽であった。また、一つの線を乗ったという満足感もあった。あと、越後川口−内ヶ巻間の駅間徒歩もできたため、充実していた。日帰りというのは、宿泊が絡むのと違い、気楽で疲労もない。また、高校の時より早く起きることができ、疲れなくなっているということに気がついた。どういうことだろうか。

●発車まで

 朝4時半には目を覚ますことができた。前日10時には布団に入っていたので、その成果が出た。金曜日だったのですぐに眠りにつくことができたのである。

 4時50分には家を出ることができた。雨も降っていないのでこれで自転車がパンクしなければ楽に列車に乗ることができる。以前は家から駅まで自転車で30分だった。ただしこれについては、大学の間毎日ぎりぎりに家を出ていたおかげでかなり短縮するとができた。大学を卒業してすぐ、新しい道路ができ、この時間をさらに短縮することができた。

 ただし、自転車を駅の高架下ではなく、東口(金沢駅で、表側。ただし、家から行くと反対側になってしまう。)の別の駐輪場(日本航空ホテルの裏)までもって行かなくてはならない。高架下は6時にならないと開かないからである。これについてもロスタイムが生じてしまう。

 自転車をこいでいるうちに夜が明けてきた。遠距離通学をしていたときによく見た光景であるが、そのときよりも1時間も早い。

 十分に列車に間に合うことができた。5番ホームへ行って、乗り込む列車が6両で、十分に空席があることを確かめる。そして、朝食を食べなくてはならない。富山発の始発「サンダーバード」が来る1・2番ホームのうどん屋はもうやっているのでそこへ行く。そうする時間も十分ではないが、ある。

 うどんを食べて、5番ホームへ行くと、隣の3番ホームに普通列車が入ってきた。6時26分発の長浜行きで、大学の時1限目から授業があれば乗っていた列車である。まだ発車まで50分もあるがもう入線している。ときどき、この駅の場合、とんでもない時間に列車が来ていることもあるが極端な例である。

 この5時36分発の列車(時期によって時刻は異なる)は、2回ほど乗ろうとしているが、いずれも乗り遅れている。1回目が1991年3月の高山本線のとき、2回目が1991年8月の飯田線・四国方面の時である。1回目は富山港線の乗車をあきらめれば済んだが、2回目は特急で泊まで追いかける羽目になり、出費がかさんだ。8年越しでこの列車に間に合うことができたのだが、どうもその当時より体力があるような気がする。もともと運動らしきことをしていないため、体力というものがないのだが、その分衰えることなく、むしろ自転車通学と自転車通勤で少しずつ上昇しているような気がする。

●北陸本線(金沢−直江津)

 この区間はおなじみの区間であり、特に変わったこともない。富山での乗換は4分しかなかったがすぐ隣の列車に乗り移ればよかったので特に問題はなかった。ただ、6両が3両になったのと、寝台列車改造型なので、座席数が少ないため、向かいに人が座り足を延ばすことができなかった。

 親不知の景色も見慣れているので、この区間でもあえて海側に座る必要もない。むしろ山側に見える富山・新潟県境の境川の景色が好きである。あと、雲が多く、立山が見えなかった。

糸魚川あたりで通勤通学の時間帯になる。まだ夏休み期間中なのでそんなに混んでいないが、普通の時だと高校生で混雑しているのであろう。この時間はいつも通勤で自転車をこいでいる時間である。早起きすると、糸魚川まで来ることができるのである。

 糸魚川を過ぎて直流に変わり、またトンネルが多くなり、有間川・谷浜で海沿いを走り直江津に到着した。

 直江津では、30分ほど時間があった。といっても小雨が降っているし、一度外へ出たこともある駅なので無理に改札を通らない。ホームで時間をつぶすことにする。去年来たときと同じ工事中であった。

 ここから信越本線の列車に乗り換えるのだが、高田方面から直通であるということに気づかなかった。それに気づけば、一度春日山なり高田なり、長野方面へ少し行き、そして直江津へ戻って直通する、そうすれば座れるのであった。(実際、席を選ばなければ座れるのだが、つまり、進行方向窓側に座りたいということ。)計画を立てるときは始発駅もきちんと意識できる形にしなければならない。

 

●信越本線(直江津−宮内)

 この区間も乗り慣れてはいるが、一度きちんと見ておくことにする。

 直江津を出て、しばらく市街地を走る。そして、貨物駅の広い黒井を経て松が多くなってくる。海の近くを走っているということである。そして、犀潟で北越急行が分岐していく。北越急行自体は単線であるが、こちらが複線なので下りについては立体交差をしている。本線並の分岐方法である。この駅自体が海岸沿いの寂しい駅であり、鉄道設備が目立つ。犀潟から土底浜・潟町・上下浜・柿崎・米山と砂浜で穏やかな海岸線に沿って走る。先ほどの親不知あたりから続く海岸と同じはずなのだが、砂浜だと別の穏やかな海に見える。しかし、冬になると波が高くなるはずである。天気によって表情が変わる景色である。米山を過ぎると岩場となりトンネルが多くなる。親不知あたりと同じである。そのようにして笠島・青海川・鯨波と過ぎていく。そして越後線と分岐する柏崎に到着する。

 柏崎からは海岸沿いは越後線となり、こちらは内陸を走る。といっても、越後線も一山越えないと海が見えないというところを走っている。

 柏崎から水田の中を走り、茨目。ここで部活か補習か分からないが高校生が多く降りていく。そして水田の中を安田・北条と進んでいく。そしてその水田がだんだん狭くなり越後広田に到着する。越後広田を過ぎるとトンネルをくぐり山の中になる。そして、盛り土の上にある長鳥に着く。早朝、霧がかかっていると幻想的になるところである。長鳥を過ぎて峠を越える。場合によっては県境になりそうな雰囲気である。そして塚山を過ぎて、だんだん水田が広くなる。そして元のような平野になり、越後岩塚・来迎寺・前川と過ぎてこれから長いつきあいになる信濃川を渡り、宮内に到着する。

 このまま長岡まで乗ってしまってもよいが、乗換時間が1分しかないので、余裕を持つために宮内で降りる。座れなくても、18分だけなので別に立っていても構わない。

●上越線(宮内−越後川口)

宮内駅は橋上駅である。あまり乗換駅として利用されるわけではないので通路そのものはあまり広くない。少し時間があるので駅前へ出てみる。

 信越本線と上越線の分岐駅であり、本線級の路線が分岐するのであるが、ホームもさほど多くない。乗換としては利用されないからであろう。

 列車が入ってくる。予想通り、ほぼ空席がない。無理したら座ることもできなくもないが、ドアの前で外を見ていることにする。

 宮内を出て、水田の中を走る。広いところである。越後滝谷を過ぎてしばらく同じようなところを走る。遠くに新幹線も見える。山を越えて左側に信濃川が並行する。そして、小学校の社会科の教科書で「雪の多いところ」として紹介されていた小千谷。鯉の養殖が盛んらしい。よく見ると、田んぼにしては深くて狭い池のようなところがある。これが鯉を養殖する池のようである。しばらくそのような池がいくつか見える。

 そして、信濃川に沿ったり、時々山を越えながら飯山線が分岐する越後川口に到着する。近江今津や敦賀・加賀温泉のように盛土の上にある駅で、高架駅ではないが、構造的に高架駅になってしまった駅であった。

●徒歩(越後川口−内ヶ巻)

 越後川口に11時3分に到着した。次の飯山線の発車が12時50分である。それまで駅前をうろうろしていても限界がある。また、その列車がこの駅に到着するのが12時45分で、ホームで待っているということもしなくてはならない。もしかすると、いい席を取ることができないかもしれない。そこで、もしかして、飯山線の次の駅まで歩いて、その折り返す列車に乗れば完全に好きな場所をとることができると考えた。2時間弱もあれば多少の距離なら大丈夫であろう。幸いに雨もしばらくは大丈夫そうである。

 手持ちの時刻表では、次の内ヶ巻が省略されていて、その次の越後岩沢が載っている。そこまでは8キロもある。それだと、迷うことも考えると難しい。とりあえず駅にある時刻表を見ると、内ヶ巻まで4キロ弱である。これならば大丈夫そうである。そこで歩いてみることにした。

 といっても、どう歩いてよいか分からない。駅を出て、右へ行くのか左へ行くのか、まっすぐ行くのかも分からない。ちょうどよい観光地図がないか見てみたが、遠くの観光パンフレットはあるものの、肝心のこのあたりの地図がない。駅前にも案内図がない。ポスターを見てみると、かろうじて、どこかの施設への地図があった。いい加減な地図(というかデザイン化された地図)であるが、これしか手がかりがない。どうやら、しばらくまっすぐ行って、国道になると左に曲がり、そのまま国道沿いに歩き、飯山線の線路が見えたらそれに沿って歩けばよいらしい。とにかく飯山線の線路があるところまでどう行けばよいか分かったので歩いてみることにした。

歩いてみると決まったからには早く歩き始めなければいけない。ゆっくりしていて乗り遅れてしまったら早起きした意味なくなってしまう。もし、越後川口行きに乗り遅れて、そのまま乗る予定だった長野行きに乗ったとしたら、この歩いた越後川口−内ヶ巻間が空白になってしまう。

 とりあえず国道に出るためにまっすぐ歩く。途中コンビニがあったら何か買おうとしたがなかった。コンビニは日本中くまなくあるのではなく、ないところにはない。儲かる・儲からないは別として、立地条件を間違えると大変なことになる。あと、品物が届けやすいかも考えなくてはならない。という気がする。

 農協のスーパーを見ながらパンでも買おうかどうか迷ったが、まだ何かあることを期待して、見送った。もし、この後買えなかったら、下手をすると昼食抜きになりかねない。十分気をつけなければならない。

 越後川口は、行政区域としては「川口町」なので、自分の苗字がそこら中にあふれていて恥ずかしい。早く抜け出さなくてはならない。町役場の垂れ幕で「愛そう川口」とあったときはさすがに参ってしまった。そうしているうちに国道17号線に出た。「東京まで何キロ」と書いてあった。もう東京まで一直線なのである。

しばらく、魚野川の堤防に沿った国道17号線を歩く。そしてしばらくすると、飯山線がオーバークロスするのが見えてきた。それと同時に、十日町へ行く県道が別れている交差点にさしかかった。今からは飯山線に沿って歩かなければならないし、飯山線は十日町へ向かっている。そのため、飯山線に沿ってる十日町へ向かう県道を今から歩かねばならないということになる。そこで右に曲がることにした。なぜこれだけ理屈っぽく書くのかというと、地図がないため、これから進むべき道を考えて歩かなければならないからである。

 県道は狭い2車線の道で、時々真ん中の線がなくなったりもする。しばらく歩くと魚野川を渡る。この川はもう少し下流で信濃川と合流する。やはりこの季節、川を渡るのは気持ちがよい。しかし、冬になり、風が強いと大変なことになるのは日本海側どこでも事情は同じであろう。

橋を渡り、少し集落の中を歩くと、右側に水田と飯山線、左側にもう一本の道路が高いところから降りてくる。その道路を行くと、上信越自動車道のインターチェンジに行くことができるようである。その道路との合流点を過ぎると、急にこちらの道の勾配がきつくなり、急な上りになる。右側は依然として水田と飯山線であり、つまり山の裾に沿って登っているのである。登り切ったところで上信越自動車道をアンダークロスする。飯山線の方はそのまま低いところを通っているので、上信越自動車道の下を通っている。つまりカタカナの「キ」あるいは複十時のような形で飯山線と県道が並行して走っているところに上信越自動車道が垂直に走っているのだが、実際はそれぞれ高度さがあり、下から飯山線・上信越自動車道・県道という形になっている。それだけ県道の勾配がきつかったのである。

 その地点を過ぎると山の中に入っていく。山の中といっても、集落があり水田があるので正確には「台地」である。右側は左側と同じように集落又は水田であるが、少しいくと林になっており、そこから急な下り坂で下まで降りることができるようである。おそらくそこに飯山線が走っていると思う。そうでなかったら内ヶ巻駅に着くことが出来ず、飯山線に乗ることが出来ない。最悪、家へ帰ることが出来ない。

 ある程度家がある集落になる。しかし、越後川口から30分ほどしか歩いておらず、それで4キロ弱ということはないので、まだ内ヶ巻駅ではないと思う。これも地図を持たず歩いているので推測でしかない。最悪の場合、飯山線から遠く離れた山のなかをうろついていることになる。しかしバス停を見てみると「内ヶ巻経由のどこかへ行く」バスのバス停であった。だから方向は間違っていない。

 集落がとぎれ、水田のなかを歩く。さっきの集落のなかに内ヶ巻駅がなかったという確証もない。そのうち見えてきたバス停になぜか「内ヶ巻経由」の文字が消えている。他へ行くバスの通りそうな道もなかったし、さっきの集落が内ヶ巻だったのか。

 そのうち、小千谷市になってしまった。川口町と小千谷市がどういう位置関係なのか分からないが、さっき上越線で走っていたところも小千谷市である。とにかくそのまま歩くことにする。水田の中で、車も2〜3分に1回しか走らない。すれ違う車・追い越す車は自分がなぜここを歩いていると思っているのだろうか。Tシャツと短パンなので、スポーツをしているように見えなくもないが、わざわざこんな山の中を歩くというのも不自然である。せめて自転車に乗っていれば分からなくもないが。

 そうして歩いているうちに、建物がいくつか見えてきた。そうして、小さい商店があった。パンなどを売っていそうである。そこをこえたところのバス停に「内ヶ巻駅前」だったか「内ヶ巻駅口」だったかとあったので、ほぼ間違いなく歩いてきたことが分かった。そこはまっすぐ行く道と、右に曲がるみちの分岐点というか交差点だったので、試しに右に曲がってみた。しばらく下り坂を歩くと真新しい小さな無人駅の内ヶ巻駅があった。間違いなく歩いてくることが出来たのである。ちょうど12時であった。時間的にも4キロ弱の所要時間である。多少早かったのは、不安でスピードが出ていたためかもしれない。

 ここで昼食をとらなければ、最悪家へ帰るまで何も食べることが出来ない。そこで、今降りてきた道を再び登って、さっきの商店まで行くことにした。そこでパンとおにぎり、ペットボトルの飲み物を買う。職業柄、儲かっているのかどうか気になる。近くに大きな店もないようだし、どうにか売上も大きく下がらずにやっているのだと思う。(推測)

 そして、内ヶ巻駅で昼食とするが、待合室はとても狭い。いすなどは新しいが、アブが飛んでいる音がする。そのためホームに出る。ホームといっても2両しか停まれないようなものである。2両分を過ぎると、自然に草が多くなり、ついには野となってしまうというホームである。向かいは山であり、蝉の声とこおろぎなどの秋の虫の声がどちらもけたたましく聞こえる。夏から秋への変わり目である。

 誰もいないので遠慮なくホームで昼食をとる。ベンチがないので、信号用のケーブルのために10cmほど高くなったところに腰を下ろす。かなり汗をかいていて、Tシャツを替えたいが、日帰りなので着替えの類は持ってきていない。タオルで汗を拭くのが精一杯である。

 食べ終わり、しばらくぼっとしていると、そろそろ30分経った。そして12時37分に越後川口行きのワンマンカーが入ってきた。

●飯山線(内ヶ巻−越後川口−豊野)

 入ってきた列車は2両であった。一昨年、長野駅で見た飯山線の列車は古い気動車の塗色を買えた列車だったので、てっきりその列車が来ると思っていたら、JR東日本でよく見かける薄緑色と白色で箱形の新型気動車であった。

 ワンマンカーは1両目の後ろから乗り、1両目の前から降りるというのが全国的なJRのルールである。多少地域差があるが、だいたいそのような気がする。1両目を見ると、すべてロングシートであった。普通はこれでがっかりするのだが、このロングシートは一つは窓に対して背を向けているものの、もう一つは窓を向いているのである。つまり、全員が同じ方向を向いている。たくさんの人間を立たせてでも多く詰め込むというロングシートの目的に反しているが、これもゆっくり景色を見るにはよいのかもしれない。しかも、向いている方向は津南あたりから信濃川・千曲川を眺める方向である。ただし、これだと、反対側の景色を見るには後ろを向かなければならない。そのため、今回はこの車両に乗ることをやめて、2両目のロングシート+クロスシートのノーマルな車両を利用することにする。越後川口からこの2両目は当然1両目となる。そのため、ワンマン車の原則からすると、小さな駅で乗降する人が集まってきて、当然混雑することになるが、仕方がない。とにかく越後川口からは進行方向窓側に座ることができるのでよい。

 高校生が多く乗っており、越後川口までの一駅区間はロングシートに腰を下ろす。外を見ていると、すぐにさっきの上信越自動車道のところへ来て、時間をかけて歩いた県道に併走する。そして魚野川を渡り、カーブして越後川口駅に到着する。歩いたら時間がかかり、不安になり、汗も沢山出るのだが、列車だとすぐである。

 越後川口で、自分以外の全員が降りて乗客が乗ってくる。自分以外の乗客が降りた瞬間に好きな席に着く。そうしないと、わざわざ隣の駅まで歩いた意味がない。進行方向窓側で、津南あたりから信濃川・千曲川を眺めることができる左側に座る。この列車、左側は1人掛けのいすが向かい合わせになっていて、右側は2人掛けが向かい合わせになっている。一見するとスーパー雷鳥やサンダーバードのグリーン車のようであるが、実際は混雑するときに多く人を乗せるための措置である。左側なので1人掛けだが、どうも落ち着かない。荷物が置けないというのがどうも気になる。隣に人が座ってこないという安心感はあるが。

 実際あまりたくさんの人が乗ってこなかった。ホームで待っていて、並ばなくてもこの席に座ることが出来たようである。2年前、長野駅で飯山線の列車が通勤電車並の混雑で発車していったのを見てそのイメージがあったため、拍子抜けした。実際は長野−豊野−飯山といった長野口で混むのである。おそらくそういうことだと思って、豊野からではなく越後川口から乗る方を選んだのでもある。それでよかったのだ。

 越後川口を12時50分にちょうどよい乗客数で定刻通り発車する。さっき見たように少しだけ市街地を走り、大きくカーブして国道17号線をアンダークロスし、魚野川を渡り、水田の中を走る。さっき歩いていなければ見落とすところだが、左側の県道が急勾配で登っていく。そして、上信越自動車道がオーバークロスしていく。左側の県道は、上信越自動車道の上を走っている。

 そして、谷を走り、山の中へ入っていき、内ヶ巻に着く。内ヶ巻からさらに山の中に入っていきトンネル2つを通る。高いところから信濃川を見下ろす。信濃川は今の段階では反対側の右側に見えている。さらにトンネルを2つ通り、信濃川をもう一度見下ろす。そして両側が水田になり、越後岩沢。この駅は2面2線のようだったが、うちホーム一本と線路一本が廃止され、1面1線の普通の駅となっている。

 このあたりには上越線の小千谷付近で見た鯉の養殖池のような小さな池がいくつかある。それを見ながらトンネルを通ると谷が広くなり家が増えてきて下条に到着。そして、広くなった平らな谷が段差のある谷に変わっていく。よくみると、このあたりの家はトタン屋根中心である。雪が多いので瓦屋根ではもたないのだろう。そして、雪下ろしをせずにそのまま屋根の雪を落としてしまうことを考えているようで、雪が片側に落ちるように片方の屋根を長くしてある家が多い。同じ雪国でも平野部と山間部では全く違った考えになる。平野部では雪が落ちないように「雪止め」を作り、雪が多く積もったら雪下ろしを行う。(昔はよくやったが、最近は雪があまり積もらなくなったので全くやっていない。) そうしているうちに魚沼中条に到着する。そして、谷の段差が少なくなったかと思うと、町らしくなってくる。そして、新幹線の高架が近づいてくるように北越急行が近づいてくる。佐用で智頭急行が近づいてくるのも近代的であるが、向こうは非電化で、地上に降りている。しかしこちらは電化されており、地上に降りず高架のまま十日町駅に進入する。高架も新幹線のような造りである。そのまま複線化して、越後湯沢から直江津まで新幹線にしてしまってもよいのにと思う。そうなると長野行き新幹線は大赤字になるらしいが。いずれにせよ、長野からの新幹線が上越まで延長されるとこの北越急行は単なるローカル線になってしまう。そうなるとこの高架は面白いことになる。

 十日町から乗客が多く乗ってくる。自分の前の席にも乗客が乗ってきた。十日町を過ぎて、町から水田になり、山になり土市。そこから、越後水沢、越後田沢と、谷の中の高いところを走る。下には信濃川が見える。だいたい水田の中を走るが、時々山越えをする。トンネルの前後は必ずシェルターがある。雪国の中でも特別雪の多い路線であるため、施設が平野部とは違っている。シェルターも新幹線のような新しいのではなく、かなり古くなっており、味がある。

 越後田沢を過ぎて信濃川を渡る。つまり信濃川がこちらの左側から見えるようになる。他の路線と違い、これから先、信濃川・千曲川を渡らないようであるから、左右をきょろきょろする必要もない。

 そして、越後鹿渡を過ぎてトンネルをくぐると、谷の頂上であった。そこから下っていくことになる。谷の反対側には滝がある。下って谷の下の信濃川が流れているところに行くことになる。途中、集落や町があるが、それを見下ろす形で下っていく。そして町からはずれたところが津南であった。多くの乗客が降りていき、自分の前に座っていた人も降りていった。

 このあたりは信濃川の川幅が広くなっている。それを見ながらトンネルを2つほど通る。谷も狭くなり段差がある谷になっている。そして越後田中。信濃川の支流を渡り、トンネルを通りながら谷の高いところを走る。崖になるところはトンネルを通る。信濃川自体は川の性質上多少蛇行しており、右岸と左岸、どちらかをとってみると、崖→広くなったところ(水田)→崖→水田となっている。そして、崖の向こう岸は水田である。普通、このようなときは鉄道は橋を造り崖を避け、なるべくトンネルを作らないようにしている。しかし、日本最長の信濃川だけあって川の幅がかなり広く、蛇行するたびに橋を造っていたのでは大変なことになってしまう。そのため、飯山線は普通の線と違って、片方の岸を地形に忠実にアップダウンを繰り返し走っているのである。(ということだと思う。)

 そうしながら足滝を過ぎる。エンジンをうならせながら高度が上がっていく。そして静かになり森野宮原に着く。ここからは長野県で、先ほどのエンジンが静かになったところがおそらく県境である。しかし、駅前の駐車場には長野ナンバーの車と長岡ナンバーの車がほぼ同数停まっている。十日町から乗車した高校生も数人降りていく。そのため、ここから行く新潟県の集落もあるようである。(実際、この駅が作られた歴史的経緯に両県の村が絡んでいるようだが、ここでは省略する。)

 森野宮原を過ぎて、ブレーキをかけながら降りていく。逆から来ると、エンジンをうならせながら登ってくるところである。狭い谷を通り、トンネルをこえ谷が広くなり横倉。同じようにして平滝、信濃白鳥と過ぎていく。このあたりから国道117号線が併走する。

 この信濃川・森野宮原の少し前からは千曲川は沿いは周囲の山はあまり高くない。これに比べて大糸線の姫川沿いは急な山である。よく、川と山との間に少し高いところがあり、そこには水田がある。何千年単位の話であるが、昔その高いところは川があった。昔よりも蛇行が少なくなり、まっすぐになっているようである。

 信濃白鳥から、同じようにして下りながら走る。水力発電所がある。そして西大滝。JR東日本は国鉄時代と同じように駅名板に行政区域名(つまり市町村名)を書いているが、ここはすでに飯山市である。飯山駅はここから7駅目であるから、飯山市は広い。もっとも、千曲川の対岸は野沢温泉村ではあるが。

 西大滝を過ぎて、千曲川との高度差がなくなる。川の岩が見えなくなっている。先ほどの水力発電所で水が堰き止められているからだと思ったが、実際はこの水量が本来の千曲川の水量で、ここより下流、つまり今まで走ってきたところが少なくなっているようである。

 桑名川を過ぎ、少し川より高いところを走る。谷はやや広い。そして上桑名川を過ぎる。川に沿って忠実にカーブしている。岩は見えないが、流れているのは分かる。こちらは川に忠実に走っているが、国道117号線の方は陸橋などでこちら側より効率的に走っている。上滝を過ぎ、しばらくは谷が狭くなったが、急に広くなり戸狩野沢温泉に到着する。乗客が多く乗ってきて、津南以来のにぎわいである。

 ここから、谷ではなく平野部(盆地)となる。信濃平、北飯山と、平地の水田の中を走り、町になってきて、家が多くなる。このあたりの家もまだトタンである。そして飯山。乗客がさらに多くなり飯山を過ぎ、少し谷が狭くなり、高いところを走る。向こう岸を見ていると、低いところは水田で、高いところは山に沿って住宅地が広がっている。わざわざ住み難いところに家を作ったものだと思う。

 高度を上げ、山になり、再び千曲川に忠実に走る。時々リンゴ畑が見える。そして、豊田村の中心の替佐。列車が到着すると「いらっしゃいませ---」という放送が流れていた。すれ違った列車が到着したときも同じであった。

 替佐を過ぎ、リンゴ畑が広がった。少し高度を上げ、上今井。住宅地であった。高速道路がオーバークロスする。立ヶ花あたりで家を見てみると、瓦屋根の家があった。トタンとの家との比率は半々である。瓦とトタンの境界線を見失ったがこのあたりのようである。中には1階がトタンで2階が瓦の家もある。

 信濃浅野から周囲が開けてきて、リンゴ畑が広がる。次の豊野で、乗換時間が0分である。実際は秒以下を省略しているので、最高で45秒の乗換時間があるだろうと思っていたら、15時26分より5分ほど早く着いた。バスのように早く着くのではなく、小型時刻表だったので、到着時刻が分からなかっただけの話である。この列車の発車時刻が15時26分だったのである。おかげでゆっくりと乗り換えることが出来た。豊野駅間には「ぶどうとりんごの町」とあった。

●信越本線(豊野−直江津)

 豊野でほとんど時間がないと思っていたら、駅前まで行ける時間もあり、安心した。はやり大型時刻表は必需品なのだろうか。

 豊野から直江津まで快速「信越リレー妙高」という列車に乗る。去年、ある理由で野尻湖(黒姫駅)まで行ったとき利用したので勝手は覚えている。本数が多いのに車両数が多かったので、豊野からでもおそらく座ることができると思っていた。特に、直江津での乗換を考えて一番前の車両へ行ったら、沢山席が空いていた。真ん中あたりは結構乗客がいた。

 この列車は、北陸新幹線高崎−長野間の部分開業によって(このあたりの表現が北陸人っぽいが。)余剰になった特急あさま用の車両を使用している。そのため、普通列車のきっぷで特急車両に乗れてしまう列車である。ただし、枕カバーはご丁寧にもはずされている。あと、交直流兼用の特急列車ばかり乗っているので、ドアは各車両に一つずつだと思っていたが、直流用は2つあるのである。そのため、1両目であっても前から降りることができる。これについてはしばらくしてから気づいた。

 ただ、この北陸新幹線部分開業であるが、他の新幹線の部分開業と違い、「リレー列車」を走られても、新幹線接続の意味合いが薄いと思う。というのも、直江津では長野まで行って新幹線に乗るよりも、北越急行で越後湯沢まで行き、そこから上越新幹線に乗った方が早いのである。ただし、直江津方面から長野まで、特に青春18きっぷで移動するには便利になったものである。

 豊野を出て、山の中を走っていく。飯山線と違って谷が急で「深さ」がある。牟礼を通過する。このあたりの家はトタン屋根である。山野なかを走っていたのが開けて、古間に到着する。家も多くある。そしてそのまま黒姫まで行く。黒姫を出て、高速道路がオーバークロスする。山の中へ入っていく。そして下り坂になる。ここが長野県と新潟県の県境である。トンネルをくぐる。そして、人工的な川に沿ってしばらく走るが、すぐ別れていく。町の中に入っていき、妙高高原に到着する。ここから山をずっと下っていくことになる。水田の中に出ても、なお下っていく。この下りの連続が、関山・二本木というスイッチバック駅を生み出している。

 そして、町の中に入り、新井に到着する。ここからは下りも落ち着き、平坦なところを走る。そして、水田の中を北新井・脇野田・南高田と通過して、町の中に入り高田に到着する。そして春日山を通過して、北陸本線と合流し、直江津に到着する。

●北陸本線(直江津−金沢)

 今回はごく一部を除いてまことに接続がよい。快速列車とも重なり、金沢に20時より前に到着できるという、以前では出来なかったことが可能になっている。そのため、接続がよすぎて困ることもある。豊野では、予定では全く接続時間がなかった。(実際は到着時刻と発車時刻との差で、ゆっくり乗換が出来た。)それと、この直江津である。ここでは4分しかない。直江津駅の構造からして、信越本線の終着列車と、北陸本線の普通列車が同じホームで乗り継ぐことができるということはまずあり得ない。そのうえ、工事中で足場が悪い。また、北陸本線の普通列車のホームは少し離れている。実際は、豊野からの快速列車の車両を計算してあったため、すぐに階段にたどり着け、そのままお茶を買って北陸本線に十分乗り継げた。

 ここからはいつも乗っている区間なので、本を読んだりして過ごした。富山の一つ前の東富山で特急列車を待避するとき、特急列車の遅れで3分ほど遅れた。しかも、富山でその特急列車が停車するため、こちらも間隔をおくため、徐行運転になる。富山では3分しかないのだが、待っていたためと、隣のホームだったので乗り継ぐことが出来た。今日は富山駅では行きも帰りも隣のホームへさっと乗り移るだけだった。

 夏は19時30分頃まで外を見ることが出来るという感覚であったが、8月も28日となれば18時半が限界のようである。また、先日行って来た広島・山口方面より東にあるためさらに日没が早く感じているのかもしれない。


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