JR各線を巡る旅の記録

35 久留里線など 1日目 要約版


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0日目〜1日目(2001年10月6日・7日)
【金沢】22:12発−(急行能登)→【上野】6:05着、?発−(普通)→【御徒町】−(普通)→【東京】7:20頃発−(各駅停車)→【蘇我】?着、8:29発−(普通)→【千葉】8:34着、9:14発−(普通)→【木更津】9:53着、10:05発−(普通)→【上総亀山】11:07着、12:12発−(普通)→【木更津】13:20着−(普通)→【千葉】−(快速)→【品川】−(京浜急行)→【鶴見】−(普通)→【浅野】−(普通)→【海芝浦】−(普通)→【鶴見】−(普通)→【上野】18:24発−(快速アーバン)→【赤羽】18:35停車

●出発まで

 本当に迷っていた。1週間近く迷っていた。「北陸」で行くべきか、「能登」で行くべきか。本当は3連休なのだが、あいにく土曜日は出勤。3連休にはならなかった。ということで、家でゆっくりする暇のない休み。しかも、最近ほとんど乗っていない夜行列車。少しでも寝たいなら寝台特急「北陸」で行くべきであろう。しかし、「能登」の安さも捨てがたい。というよりも、土曜日の出勤は定時で帰ることができる。急いで家に帰り、荷物を持って金沢駅へ行き、「はくたか」+「あさひ」で、23時頃東京へ着けば、カプセルホテルに泊まることができる。「北陸」より安上がりで、ゆっくり眠ることもできる。

 ということを考えつつ、土曜日、会社が終わってから金沢駅へ。この時まで迷っていたのだが、結局、「そういえば急行能登、金沢−福井間しか乗ったことがないのでは…」という考えで、「急行能登」に乗ることになった。

●金沢−上野(北陸本線・信越本線・上越線・高崎線・東北本線…急行能登)

 ということで、自由席でもあるため、早めに金沢駅へ。そうして、そのままホームへ。30分も前である。一応、禁煙車の指定席が満席であるという情報を得ていたので、念を入れておく。ホームへ行ってみたところ、ほとんど並んでいる人はいなかった。ここで並んでおけば、確実に座ることができる…。と思っていると、お馴染みの構内自動放送が。「今度、6番のりばに、入ります列車は、22時、12分、発、急行、能登号、上野、行きです…」えっ、と思っていると、「まもなく、6番のりばに…(以下省略)。」なんと、発車25分前に、国鉄色・ボンネット・横軽対応の交直流特急型列車が入ってきてしまった。しかも、ドアが開くので乗り込んでしまう。一番前の禁煙車自由席。この時間、他にすぐ乗り込む人もなく、座席は選び放題。とりあえず、一番前から2番目の座席に座ることにする。その前の座席のさらに前は運転席。ここまで来ると、ほとんど乗客の移動がないということで、この席にしておいた。

 それから延々と25分。隣のホーム、5番のりばには、乗ろうかどうか迷っていた特急「北陸」が入ってくる。これだけ乗客が少ないなら、こちらでよかったのだと思う。

 さらに、同じホームの7番のりばには特急「サンダーバード」が。切り離しをする関係で、金沢駅での停車時間が妙に長くなってしまった列車である。こちらに多く乗客が流れてくるのだろうかと思ったが、ほとんど流れてこない。

 そうしているうちに、車掌が来る。そうして検札。寝ているところを起こされるというわけでもなく、ありがたい話である。「ごゆっくりどうぞ」と言われた。結局、金沢を発車する段階で、この車両には5人ぐらいしかいなかったような気がする。

 発車して、車内放送。夜行列車であり、長い。途中停車駅で、「直江津」あたりまでは特に変わったことがないのだが、「直江津から、高崎まで、停まりません」というセリフのあと、「高崎・熊谷…」と続いていく。長距離列車だなと思うのだが、一昔前は、そういう昼間の特急列車が多く走っていたのである。結局、この放送、東金沢を過ぎて、森本あたりまで続いた。そうなると、すぐに津幡に停車。

 そうして、よく通る倶利伽羅峠を過ぎて、富山県入り。石動に停車。外は暗いが、景色はよく分かる。高岡では、普通列車の富山行きの接続案内を行っていた。寝台車では行わないだろう。小杉にも停まって、富山停車直前でこの車両、7人ぐらい。そのあと、富山・滑川・魚津・黒部・入善・泊・糸魚川と、こまめに停車していく。特急列車に慣れてしまうと、この停車駅数、多いのだが、普通列車に慣れているとやっぱり少ない。一番前の車両なので、ホームで待っている乗客を見るのだが、結構多くの乗客が待っている。しかし、この車両に乗り込むことは少ない。途中駅の場合、夜行列車でもあるので、絶対に座るということで指定席を取っているのだろう。上野から北陸へ来る場合、高崎あたりまでは通勤列車も兼ねているので、指定席は必須かもしれないが、逆の場合、指定席満員、自由席が空いているという現象になるのかも知れない。

 糸魚川を過ぎて、前の座席はまだ空いている。このまま直江津まで行っても空いていたら、座席を転換させて、足をのばさせてもらうことにしよう。ということで、長い頸城トンネルを過ぎ、ちょっと前に立ち寄った有間川も過ぎ、JR西日本最後の駅、谷浜を過ぎると直江津。ある程度は乗ってきたが、ほとんど乗客も増えない。ということで、足をのばさせてもらうことにした。ちなみに、直江津駅を出た段階の、この車両の乗客は15名。今頃指定席は満員なのだろうか。

 結局、直江津まで眠ることができなかったが、その後はウトウトしながら、長岡に停車。直江津から高崎まで停車しないといっても、実際は乗客扱いなしで停車しているのであり、当然のことながら方向が変わる長岡には停車する。進行方向が変わるこの駅、昼間の列車と違い、乗客が座席を転換することなく方向が変わる。先ほど、前の席も確保させていただいたので、座る場所を変えると、そのまま進行方向を向いて進むことができた。

 長岡から、最前の座席は最後尾の座席となる。さっきも見た宮内駅を通り過ぎ、上越線に入る。暗いながらも「内田洋行」の大きな工場が見える。携帯電話を使って、Webサイトの掲示板を確認。日が明けたらお会いする人の書込を確認。そういえば、充電するのを忘れていた。1週間、充電していないので、そのまま使うと電池切れになる。不要なときは携帯電話の電源を切っておくことにしよう。

 その後は何となくウトウトしながら、目を覚ますと水上。そうして、次気がつくと高崎。順調に進んでいる。発車メロディーで、首都圏になっているということに改めて気づく。

 高崎を過ぎるとやはり、首都圏になったという思いが強い。同じ列車に乗っているのだが、金沢を出たあたり、高岡・富山・糸魚川と過ぎていくあたり、長岡を経て上越線に入ったあたりとは明らかに雰囲気が違う。乗っている乗客もほとんど同じなのだが、外の雰囲気。駅の雰囲気。なんか、時間の流れが速くなっている。この列車、線路、そして街全体が東京駅にどんどん吸い寄せられているという感じがする。

 新幹線の高架が近づいてきて熊谷。駅の構内も広いし、やっぱり発車メロディーがある。この発車メロディーを操作しているのはJR西日本の車掌さん。ところで、一番後ろに乗っていると、車掌室から声が聞こえる。「○○よし」という声。「よし」という部分にものすごく気合いが入っている。車内が静かなので、ものすごくよく聞こえる。

 大宮停車直前で、車内放送が復活。やっぱりJR西日本の車掌さん。乗換案内では「○番線」といわず、「○番のりば」と言っている。さっきから、次元の違う首都圏に入ったという気分だったが、この放送で少し落ち着いた。

 赤羽を過ぎ、上野でも「○番のりば」という案内。「松戸 我孫子 取手方面、快速・普通列車は11番、12番のりばです。」

●上野−東京(東北本線)

 列車が着いたので、ホームへ。一番後ろだったため、こういう頭端式ホームだと、列車の長さ分、歩かなくてはならない。改めて歩いてみると、あの車両の人数にかかわらず、多くの乗客が乗っていたことが分かる。そうして、歩いていくと、やっぱり国鉄色ボンネット型。写真を撮っている人が多い。こういう形でよければ、金沢−大阪間でイヤというほど走っている。

 乗車券は自動改札機によって回収されてしまう。そうして、一旦外へ出る。工事中であり、全くよく分からない。この駅自体、中学校の時の修学旅行で利用したことがあるのだが、その時見たものはどこにあるのか全く見当もつかない。そうして、今日使う「鉄道の日きっぷ」に日付を入れてもらい、再びホームへ。工事中のため本当によく分からないのだが、京浜東北線・山手線のホームへ。

 そうして、とりあえず入ってきた列車に乗る。時刻表が全くいらない世界…。乗り込んだが、今回は座ることはどうでもいい。発車して、加速したかと思うとすぐに加速が終わる。そうして減速して、御徒町。駅と駅の間は近いのである。地方なら別に歩いても構わない距離であるが、道に迷ったら困る。そうして御徒町で降りる。千葉での待ち合わせの時間まで結構ある。このあたり、未乗区間が少なからずあるのでそれに乗ってもよかったのだが、夜行列車から降りた体。風呂に入っておきたいという考えで、この時間でもやっている銭湯がこの駅の近くにあるのである。

 降りてから、出口を間違えて一旦引き返したが、どうにか見つかる。銭湯に近づくと、独特な匂い。看板を見つけなくても分かるところがよい。入ると、番台がある昔ながらの銭湯。こういうところになると、つい、方言が飛び交うというイメージがあるのだが、そこは東京。ただし、いわゆる下町というところ。そういう言葉が飛び交っている。この時間、やっぱり年齢層は高い。しかもかなりの客がいる。ほとんど常連なのだろう。お湯の温度もかなり高い。私自身、小さいときからよく行っていた銭湯は、かなり高温のお湯だったので、熱い風呂になれているし、むしろそっちの方がよいので、大変ありがたい。

 風呂から上がり、吉野屋へ。夜行列車に揺られ、入浴後。こういう食べ物の方がよい。全国的に同じ味。安心はできる。

 そうして御徒町駅に戻る。何となく大阪環状線にありそうな駅の造りだが、どこか違う。規模が一段階大きい。そういえば、ターミナル駅でもないのに、こういう感じの駅、大阪環状線にはなかったような気がする。そうして、大船行きの列車が入ってくる。どうしてこんな時間、日曜日なのに乗客が多いのか。座ることすらできない。金沢なら、クロスシートで足を伸ばせる時間帯である。この列車、「形式」としては初めて乗るものであるはずだが、なんかそんな気がしない。よく乗っているような気がする。こことは全く違うところで。東北?。当然、ドアの数が1つ多いし、洋式トイレなんか付いていないが、雰囲気的に同じである。乗客数も、東北は2両でこれくらいの乗車率のことが多い。さすがJR東日本、統一されている。

 御徒町を出て、コンクリートの塊を見ながら、秋葉原へ。総武本線が交差している。乗換駅でもあり、客の入れ替えが激しい。神田を経て、東京。なにげに着いたのだが、この駅に降り立ったのは1994年8月以来7年ぶりなのである。その間に、日本最北端・最南端、最東端の駅を通過したり、降りたりしているし、JR最西端の駅も行っている。日本で一番高い駅にも降りたし、日本で一番低い駅も通過した。思えばずいぶん、いろいろなところへ行ったものだと思う。そうして本当に久しぶりに東京駅。当時の記憶はそんなにないが、とにかく人が多い。ただ、東海道本線のホームへ行くと、なぜか落ち着くのはなぜだろうか。

●東京−蘇我(京葉線)

 そうして、改札を通ることなく、「京葉線」という案内に従って歩いていく。しばらくは水平移動だったが、そのうち下りエスカレーターがある。下っていき、さらに長いエスカレータ。それと動く歩道。延々と歩くのだが、同じ方向に歩く人の多いこと。「人の流れ」というやつである。そうして集団移動を繰り返して、ようやく京葉線のホームにやってきた。快速の蘇我行きでもよかったが、なんか人が多い。時間もあることだし、「各駅停車」の蘇我行きに乗ることにする。

 ちょうど快速が発車した後で、少し待つ。あとで知ったことだが、このあとに快速があり、新浦安以降なら、快速の方が速いのである。そのため、若干混んでいると言っても、舞浜あたりまで。そのため、結構のんびりとした旅ができた。意外と面白い路線である。

 地下駅の東京をでて、そのまま地下を通り、地上へ出て高架になる。都会的な海の近くの景色。埋め立て地である。私としては珍しい。新木場を出ると、高速道路が並行する。この高速道路、2年前に社員旅行で「東京ディズニーランド」へ行ったときにバスで通っているはずである。いかにも臨海都市という感じの町並み。さすが首都である。そうして「東京ディズニーランド」のある舞浜に到着。予想通り、かなりの乗客が降りる。住宅や工場を見て新浦安。この駅で快速列車を待ち合わせする。しばらく停車。本当に乗客が少なくなった。ようやく東京都の人混みから開放された気分である。 

 そのあとは海や新しい住宅を見つつ、武蔵野線へ続く線路を眺める。今回はこの「京葉線」には乗ることが出来なかった。ボートレース場のある南船橋、スーパーのある新習志野。団地が多くなってきて、それから港という感じの景色になってくる。そうして、港を離れ住宅を見下ろし、町になってきて蘇我に到着する。

●蘇我−千葉(外房線)

 蘇我で一応降りる。千葉へ行く普通列車が入ってきたが、一応、この駅の改札を通り、駅前へ出ておく。しかし、そんなに時間がないので、ホームへ行くとさっき入ってきた列車がそのまま停まっていた。それに乗る。

 蘇我を出ると、京葉線と分かれ住宅が広がる。ビルが前方に見え、本千葉。そのままビルが増え、千葉に到着する。

 実はこの千葉駅、山口のように、降りなかった駅も含め、日本の県庁所在地駅で唯一訪れたことのない駅だったのである。沖縄県は那覇空港とすると、やっぱり47番目に訪れた県庁所在地駅。これをもって、全都道府県庁所在地駅を訪れることができた。さて、この駅で待ち合わせ。改札内のコンビニのはずである。

●千葉−木更津(外房線・内房線)

 詳しい経緯は省略することとして、私も含めて4名、集まった。木更津から久留里線に乗ることは決まっていたので、それに合わせた普通列車に乗る。正直、これだけ時刻表をよく見る方が集まると、安心感がある。例えば、時刻表をほとんど見ない友人とどこかへ行くとき、行きたい場所と時間の希望をある程度聞いて、あとはそこへ向かう列車など、私が調べて決めることになる。時間が合わなければ、妥協や、それまでの間での時間つぶしなど、考えなければならない。それに対して、この場合、誰かがちゃんと把握しているだろう、という安心感。気がつくと私は連れていって頂いているということになる。世の中、2対8の法則なんてものがある。ほんとうに、置かれる状況によって、行動が全く変わってしまうのであった。

 前置きはそれまでにして、すぐに乗れる列車があったが、それを見送って次の列車。クロスシート車。正直、北陸の急行型列車に慣れてしまうと、こういう「近郊型」、4人で座るとかなりきついのだが、贅沢は言っていられない。

 千葉を出て、先ほど見た景色。ビルも多く、都会的な景色。蘇我を出ると住宅地が多くなる。五井で小湊鉄道が別れていく。その別れ方がちょっと異質な景色であった。そうして住宅地から水田が混じるようになってくる。ようやく、なじみのある景色になってきた。姉ヶ崎を過ぎ、ちょっとした山も近づき、かと思えば石油系の工場。そうして、水田と住宅が中心で、木更津に到着する。

●木更津−上総亀山−木更津(久留里線)

 今度は非電化区間。ディーゼルカーで。のんびりとクロスシート、と思っていたらロングシート。まあいいか。どちらかといえばロングシートの方が非日常の世界。

 木更津を出ると、市街地からすぐにはずれ、水田と住宅、レンコン畑。そういう感じで、水田・住宅・畑という景色が中心のまま、馬来田へ。かなり多くの乗客が降りていく。その降りていく乗客の多さ、きっぷ回収のために5分間ぐらい臨時停車してしまうほどであった。定刻運転よりも、確実にきっぷを回収する方が優先のようである。

 そのあとはさっきよりも住宅が減ってきて、田畑中心となる。小櫃を過ぎたあたりから少しずつ山がちになってくる。久留里を過ぎて、谷から山へ。渓谷的な景色へと変わっていく。上総松丘を過ぎると、カーブしながら坂を下っていき、住宅が増え上総亀山に到着する。

 実はこの駅で、1時間ちょっと、時間が余るのであった。という事実、実はここに到着するまで把握していなかったのであった。のんきなものであるが、先を急ぐわけでもないし。なかなか来ることのできないところである。そういうのもよい。1人でいるのと違い、4人もいる。毎日顔を合わせている人でもなし。慌てる必要もない。

 少し駅前をウロウロする。そうして、少し線路に沿う道から、踏切を渡り、逆方向へ歩く。しばらく歩くとダムがある。そういうところなのであった。私が生まれ育ったところはもう少し町だったとして、小学校高学年から中学生のとき、ちょっと自転車で遠出をすると見ることができたような景色。少し懐かしさもある。

 そうして駅へ戻る。結局、少し早めに列車に乗る。そういうことになる。そうして、さっき見たような景色を見ながら木更津へ。

●木更津−千葉−東京−品川(内房線・外房線・総武本線・東海道本線)

 木更津駅前で牛丼を食べ、そうして一旦千葉へ戻る。千葉駅、日曜日の昼間ということもあり、かなり慌ただしい。騒々しい。日曜の昼間なら、例えば富山駅であっても結構慌ただしいのだが、何となくあの慌ただしさがこの駅の印象になってしまった。

 今度は銀色の、ロングシートの列車で東京方面へ。この駅に到着するときからすでに乗客が多かったのだが、それに輪をかけて、乗客が乗り込む。逗子行き。東京を通り過ぎて、横須賀線に乗り入れる。実はこの1ヶ月ちょっと後、この形式の車両に乗って横須賀線を乗車することになるのであった。

 千葉から船橋、錦糸町を経て地下線へ。その間、住宅が途切れることがない。ビルも混じる。東京と千葉の間、例えば大阪と京都の間のように、ちょっと住宅が減り、山がちになるところがあるのかと思っていたが、そうではなかった。ずっと人が住んでいるのである。そういうところが延々と続く。面白さで行くと、やはり京葉線の方がいいのかも知れない。混雑度も違うし、朝と単純に比較できないのだが、どちらも初めて乗ってそう感じたのであった。

 この路線は快速線と各駅停車の路線が、別々にひかれているという。快速用複線と、各駅停車用複線。関西でいうと、須磨の海岸あたりの山陽本線みたいなものである。乗ってみて、あの須磨あたりの景色を何となく思い出してしまった。こっちにホームがなくて、向こうにホームがある、という形で通過していく。

 錦糸町駅で、快速列車との乗り換えで走る人が多いとのこと。そう説明を聞いて見てみると分かるのだが、初めてだと全く気づかなかったであろう。それにしても、千葉と東京の間、ほんとうに日常で見ることのできない景色であった。

 そうして地下へ。地下に潜ると景色はほとんど分からない。馬喰町から東京までは乗ったことがあるのであるが、特に景色を思い出すこともなく。そうして、東京を過ぎて、品川に到着する。「品川です」という案内放送。某漫才師を思い出す。

●品川−京急鶴見(京浜急行)

 完全に「ついていきます」モードに入っている今日の私。とりあえず、品川で降りて、水色の電車(今は銀色ですね)に乗り換えるのだと思っていた。ところが状況がおかしい。なんか、JRののりばから離れていく。そうして行き着いたところが「京急」という会社ののりば。このあたり、私鉄に関していうとほとんど無知に近い。「京急」というのが「京浜急行」の略であるというのも、その時は頭に浮かばなかった。

 そうして、着いていく。きっぷ売り場が並んでいて、何となく大阪の鶴橋駅のようである。改札の向こうは近鉄ではなく、京急。黄色い電車ではなく、赤い電車。名鉄ではない。しばらくホームにいると、電車が入ってくる。今度はロングシートではない。

 ちょっと「方面案内」に反応しつつも、電車に乗る。

 加速の音に特徴があるらしいのだが、よく分からずいると、この列車、なんかおかしい。加速がすごいというか、必要以上に速く走る。近くに建物があるせいか、「新快速」や「サンダーバード」、新幹線と全く違う感覚。こういう車の運転をする人がいたような気がするが、早い話、酔いそうになる。通過駅も存在を意識しているのかどうか。

 とりあえず、そういう走りっぷりに気を取られ、ほとんど景色は覚えていないのだが、とりあえず京急鶴見に到着する。

●鶴見−海芝浦−鶴見(鶴見線)

 駅前を挟んで、JR鶴見駅。JRの世界に無事戻ってくることができた。ちょっとさっきの酔いが残っている。

 ここからは鶴見線。10年ぐらい前に乗ったことがある。とりあえず、一旦改札を通り、確かこの駅、鶴見線に乗るにはもう1回改札を通ったはず。ほら、あった。そこまではよかった。その時に通った改札、当時は有人改札だったが、10年の月日は有人改札を自動改札にしていた。そして、手持ちのきっぷは自動改札不可なので、有人改札へ。それらしき改札を通ると、なぜか「改札外」にでてしまう。鶴見線ののりばへは行けない。多分、自動改札組の方はすでにホームへ行き着いていることだろう。有人改札組はホームどころか外へ出てしまった。

 とりあえず気を取り直して一旦もとに戻る。よく見ると小さい通路があり、そこが有人改札だった。もっと分かりやすく…。

 しばらくホームで待っていると、黄色い電車が入ってくる。これには乗ったことがある。そうして、東海道本線、「京急」などをオーバークロスして国道駅。かもめに注意しなくてはならない駅。ちょっと気になる。途中、浅野で乗り換え、海芝浦行きへ。10年前は1月2日の早朝だったが、今日は秋の昼下がり。釣りをしている人が多い。本格的な工業地帯のまっただ中を通り、海芝浦へ。

 この駅、降りてもほんとうにどこへも行けなかったはず。10年前はほんとうにほとんど人がいなかったはず。今日は結構人がいるのだが…。と思って歩いていると、いつの間にか公園ができている。これは10年前にはなかったものである。駅を降りると、一般人でも公園へ行けるようになった。これは進歩である。

●鶴見−上野−赤羽(東海道本線・東北本線)

 そうして鶴見まで戻り、今度こそ「京浜東北線」に乗る。よく聞いているとここでも「方面案内放送」があるではないか。そうして、東京駅を経て、上野まで。この駅で千葉県在住の方2名と別れ、JR西日本エリアに住む2名が、高崎方面へ行く列車に乗ることとなる。

 列車の形式は、まあ、珍しい。新しい。雑誌で見たものと同じ。現実にあったのですね。快速であるがロングシート。首都圏ではそうなのだろう。それにしても人が多い。結果として、高崎あたりまでずっと立っていたのだが…。

 実は上野を過ぎて日暮里を通過してから赤羽まで。密かに新規乗車区間だったのである。いわゆる「京浜東北線」とは別に、東北本線としての普通列車、以前なら特急列車も通っていた、尾久経由の線路。今朝「急行能登」で通ったのは夜行列車なのでカウント外。今、何気なく新規乗車をしていたのであった。日没後であり、ほとんど外も見ることができないのだが、尾久駅を通過したあたりでそのことを意識したのだった。


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