この区間は付け替えられた区間がほぼ頸城トンネル内であり、外の様子は列車からはうかがい知ることができない区間です。なお、少し戻って筒石駅跡の様子をこちらでご紹介します。
筒石駅を背にして進みます。
下へ降りてきて、前回の続きとして名立駅へ向かおうとしましたが・・・。
一旦逆方向、能生駅の方へ進みます。実は筒石駅跡を調べていたら筒石駅から降りてきたところよりも少し能生駅側にあることが判明しました。前回、それと分からずに通り過ぎてきたことになります。改めて見に行きます。
筒石駅跡に近づいてきました。
筒石駅跡の記念碑。
筒石駅があったところ。
筒石駅があったところからみた海。
筒石駅跡があったところが分かったので、再び現在の筒石駅から降りてきたところへ戻ります。
既に通ったところなので、橋のところで一旦降りてみます。レンガ積みの橋脚でした。
筒石漁港を見て、再び筒石駅から降りてきたところへ。
筒石駅から降りてきたところから見た筒石駅跡。つまり、町から少し離れたところにあったことが分かります。
ようやく前回の続きからスタートします。筒石の町の近くを通り抜けます。
だんだんと海沿いへ近づいてきます。また、この歩行者自転車道らしい風景になってきます。
少し上に上がることができる場所がありました。歩行者自転車道を見おろします。こうやって見ると廃線跡との関係が少し分からなくなってきます。
石積みと町並みを見ながら進んで行きます。
国道8号線と海を見おろしながら進むと思われましたが・・・。
しばらく進むと国道8号線の歩道として合流します。
しばらく国道8号線の歩道として進みます。
廃線跡の橋脚が見えてきました。また、頸城トンネルの徳合斜坑の入口の看板があります。
少し外れて、川に架かる橋脚跡を見て、その周辺の盛土跡を見ます。
徳合斜坑の入口への道。
橋脚の延長線上にあるところ。
国道8号線の歩道として進んでいたら少しずつ高くなってきました。所々、山が少し崩れているところもあり、線路を付け替えた理由がよく分かります。
少し高くなって廃線跡の雰囲気があるところを進みます。
山側・海側をそれぞれ見たところ。
さらに海沿いを進みます。
護岸には1957年8月の表示があります。
ここで糸魚川市を後にして、上越市へ入ります。かつての能生町と名立町の境界ということになります。
山側を見たところ。
石積みを見ながら進みます。
海てらす名立へ2キロの看板、そして海てらす名立や名立の町が見えてきました。
石積みをコンクリートで護岸しているところ。
さらに進みます。
トンネルの入口が見えてきましたが、その手前に海が見える展望台があります。
この区間唯一のトンネル、大抜トンネルに入ります。
トンネルの入口のレンガ積みの様子。
トンネル内の様子。
トンネルから出てきたところ。
トンネル出口(名立側)のレンガ積み・石積みの様子。
少し進んで振り返ったところ。
名立の町に近づいていきます。
名立の町に入りました。
名立休憩所に入りました。かなり手前から案内がありましたが、こういう施設だったようです。
川を渡り名立駅へ続く道へ。
一旦この交差点で今回は終了します。次回はここからスタートします。