JR各線を巡る旅の記録

21紀勢本線他 1日目


【概要】 【ここは1日目】 【2日目】
【「JR各線を巡る旅の記録」のトップへ】 【このWebサイトのトップへ】

 1998年8月14日
 【金沢】発7:13−(普通)→【福井】着8:34、発9:13−(普通)→【長浜】着10:59、発11:08−(普通)→【京都】着12:14、発12:38−(普通)→【亀岡】着13:05、発13:26−(普通)→【園部】着13:50、発13:58−(普通)→【福知山】着14:56、発15:01−(普通)→【和田山】着15:45、発15:54−(普通)→【寺前】着16:41、発16:52−(普通)→【姫路】着17:28、発17:43−(新快速)→【明石】着18:07、発18:18−(普通)→【兵庫】着18:34、発18:52−(普通)→【和田岬】着18:57、発19:09−(普通)→【兵庫】着19:14、発?−(普通)→【大阪】−(普通)→【天王寺】−発20:22−(快速)→【和歌山】着21:23 (徒歩) 【和歌山市】発23:38−(普通)→【和歌山】着23:44
※本来の予定では和田岬支線まで乗ったらあとは明朝、加古川線に乗るのに便利なところで宿泊と考えていたが、途中で気が変わって紀勢本線に乗ることにする。そのため一気に和歌山まで行くことにした。山陰本線は保津峡以外は地味であり、播但線も地味であった。和歌山では宿探しに手こずりかなり時間がかかり、また、かなりの距離を歩くことになる。

●金沢−米原−京都(北陸本線及び東海道本線)

 この区間はおなじみの区間であるので、簡潔に終わらせる。

 金沢発7時13分発の普通列車に乗る。最近は9時台10時台であることが多いが、播但線まで明るいうちに乗ろうとするとこの時間になってしまった。この列車は以前は6時56分発で、その後、特急待ちが極端に多い列車だったが、特急待ちもなくなり、発車時刻も繰り下がってしまった。大学の1時間目の授業に間に合う列車となってしまった。

 福井着8時34分で、発が9時13分である。この駅は勝手がよくわかっている。駅前にローソンとファミリーマートがあるが今回はローソンで朝食を購入する。

 沿線風景は京都まで省略するが、近江塩津を超えて湖西線と分かれるあたりで、気が大きく変わってしまった。今回は山陰本線(京都−和田山)と、播但線、そして翌日加古川線に乗り福知山で友人2名と合流して名古屋へ行き友人3名と会うという予定だった。前年もよく似たような行動で、大阪−名古屋でそれぞれ友人と会い、名古屋の帰りに中央本線経由で帰ったということで、ほとんど旅らしいことはしていなかった。こうしているといつになってもJRを完乗できない。そこで、福知山で会う友人には悪いが、福知山でなく亀山で待ち合わせすることにして、今回は乗ろうとしてもなかなか乗れなかった紀勢本線に乗ろうと考えてしまった。そして、時刻表をたどっているうちに、どうにか可能であることがわかったので、播但線で姫路まで行ったあと、兵庫から「和田岬線」(山陽本線兵庫−和田岬間)に乗り、すぐに和歌山へ向かうことにしたのである。

 そうしているうちに長浜に着き、いつものように新快速の先頭がくるホームのはずれまで歩く。この乗り換えも大阪へ行くときはこうなることが多いので(湖西線経由の時もある)慣れてしまっている。

 長浜から、新快速列車に乗り、そのうち高層マンションが見えてきて、太平洋側にきたものと改めて感じる。大津からトンネルをくぐり山科に着く。そしてすぐに京都である。いつもはこのまま高槻を経て大阪に行くのだが、今日は珍しく京都で降りる。

●京都駅

 京都駅が新しくなったという。橋上駅であるという。確かにホームから見ると新しくなっている。というよりも、いままでこの駅の工事を何度となく見てきた。金沢駅が新しくなるときと違ってホームそのものは新しくしていないため、通過する分には何か新しい建物ができたなという程度にしか思わない。

 とにかく跨線橋に上って、改札を通る。そして、そのまま駅のほうへ行こうと思ったが、駅舎にはいる前に外へ出ることができるドアがあったのでそこから外へ出てみる。コンクリートの歩道のようなものができていて、広くなっていた。ホームもよく見える。しばらく歩くと駅舎の方に向かって広い階段があったのでそこへ上ってみる。そしてその向こうへ行くと驚いた。

 駅舎なのだが、吹き抜けになっている。出てきたところは駅舎から10階へ続く一直線の階段とエレベータ の途中であった。とにかく階段が1階から10階まで一直線で吹き抜けなのである。下を見ると確かに駅で、改札口もある。しかし、幅の広い階段があり、その両側に各階に入ることができる入り口があり、上を見ると空中に歩道が走っていたりする。駅というよりパビリオンで、京都の寺の思い出が吹き飛んでしまいそうである。とにかく京都駅は大変なことになっていた。一番上まで行き、そのあと、一気に地下まで行って、なぜかパンを買い列車に乗り込むことにした。

●京都−和田山(山陰本線)

 京都駅の山陰本線のホームは1番ホームの端の方にある。そのため1番ホームは必要以上に長くなってしまい、日本一長いホームとなってしまったのだが、今はどうなのだろうか。

 昔は「山陰1」等というホーム名だったが、今は30番線から33番線となっている。新幹線が11番ホームからであるので、20番台がないのだが、細かいことは気にせずに30番台のホームへ行く。行き止まりになっているため、後ろの部分が、もっとも改札口に近く、また、近いと行ってもかなり距離があるのでそこで座ってしまう人が多い。そのため、もう少しがんばって歩き、先頭まで行くとかなり空いていることがあるのだが、その通りであった。

 12時55分京都発の園部行きでよかったが、時間があったので12時38分発の亀岡行きに乗る。どうせ、亀岡で京都12時55分発の園部行きに乗らなくてはならないが、これは降車駅を増やすためによく使う手である。また、亀岡で20分ほどあるので、駅前を散歩することができる。

京都を出発して、しばらくして梅小路蒸気機関車区を見ながら右にカーブする。本格的に山陰本線にはいる。しばらくは京都市内を高架で走る。中学校の修学旅行の時、京都の町の中を単線の非電化の線路が走っていてそこの踏切を歩いて渡った記憶があるのだが、どうやらそれはこの高架になった山陰本線のようである。下には向かし線路であったであろう細長い草地が続いている。単線であるのが惜しいが、それでも駅は立派な高架駅が続く。それぞれの駅の屋根などに特徴を出しているようである。亀岡・園部までは本数を増やしているので駅ごとで列車とすれ違う。

 やがて地上を走り、嵯峨嵐山をすぎると山の中に入っていく。昔はこのあたり保津峡は景色がよいところだったらしいが、平成元年にトンネルなどで通過する新線になってからちらりとしかよい景色が見えなくなってしまった。それでもトンネルとトンネルの間から見える川の景色はよいと思う。昔はそれがたっぷり見えたのだろう。一方、旧線の方は捨ててしまうのがもったいなかったらしく、トロッコ列車が走っている。

 保津峡駅はトンネルとトンネルの間の、ほとんど川の上にある。亀岡まで乗らずにここで降りてもおもしろかった。そう思ったときにはもう遅かった。

 保津峡をすぎてしばらくすると渓谷が落ち着き水田の中を走る。トロッコ列車の終点の「トロッコ亀岡駅」があり、それからしばらくして馬堀に着く。「トロッコ亀岡」は、亀岡駅ではなく馬堀駅の近くで、しかも馬堀駅へ行こうとすると少し歩かなければならないようである。

 そして、田圃の中をしばらく走ると13時5分、終点亀岡に着く。

 亀岡では20分強、時間がある。駅の前に出てしばらく歩いてみる。商店街などがあり、何となく新見駅前(伯備線)に似ている。しばらく歩くと、公園のようなところがあった。城跡の堀のところに蓮かレンコンのような(?)植物がある。しばらくその植物を眺め、また、待ちの中を適当に歩いて、駅に戻る。少し時間があるが、ホームで待っているうちに列車が入ってきた。さっきはかなりすいていたのでそれくらいの乗車率を期待していたが、かなり混んでいた。亀岡止まりと、園部まで行くものの違いか、単に接続や時間帯の問題か、座ることができず、ドアの近くに立つことになってしまった。

 立っていると、単線なので駅ごとにポイントでの揺れを感じる。

 本当にさっきの渓谷があったのかと思えるほど落ち着いた景色である。水田の中を走り、園部に着く。園部では8分ほどしか時間がないのでそのまま乗り換え、外へは出ない。以前は園部から先は非電化だったのでここから気動車だったが、現在は電化されているのでそのまま電車に乗り換える。もちろん京都発福知山行きの電車もある。

 園部から先は地味な路線であった。やはり、山陰本線の京都−福知山間のハイライトは今でも保津峡のようである。もっとも、冬であればどこかに日本海側と太平洋側の境目があり、それが楽しめる路線の一つなのであろうが。

 綾部から舞鶴線が合流してくる。かなり前に小浜線−舞鶴線−福知山線と乗り継いだときにここを通ったが何となく覚えている。そのときは偉大な山陰本線に合流したという気がした。確かに綾部−福知山間は複線であり貫禄もあるが、京都から乗ってみるとどうもその「偉大さ」は感じられない。

 そうしているうちに高架で市街地を通り福知山に着く。ここでも5分ぐらいしか時間がなく、かなり前に駅前を降りているのでここはさっと乗り換える。本来はここで降りて友人の家へ行く予定だったのだから、今後ここで降りる機会は何度かあるであろう。

 福知山から先は初めて乗る区間である。今まで地味な区間であったがここからは山の中を走る。カーブがきついのか、レールのせいか、カーブを曲がるときに断続的にレールの音がする。下夜久野・上夜久野をすぎて兵庫県にはいる。これで京都府のJRを完乗したことになる。県ごとの完乗は11県目である。

 そして和田山に着き、これもまた9分の連絡で播但線の気動車に乗り換える。

●播但線(和田山−姫路)

 播但線には七尾線が電化されたあとの余剰になった気動車が導入されて、客車がなくなったらしい。もしかしたら昔、能登線でよく乗った気動車に乗ることができるかもしれない。そう思っていたが乗った列車はデッキのないタイプだった。これは七尾線を走っていたものではない。寺前での乗り換えに期待することにしよう。

 ホームの時計を見ながら自分の時計の時刻を合わせる。少しずれていたが、だいたいであわせたので、あとでもう一度あわせ直さないといけない。

 和田山から寺前の間はほとんど記憶が飛んでいる。派手な景色ではなかったと思う。福知山線の福知山−谷川間か、山陰本線の園部−福知山間と大した違いがなかったと思う。どうも福知山近辺の日本海側と太平洋側を結ぶ路線は地味なものが多いようである。福知山線にしろ、山陰本線にしろ、渓谷のきれいなところは太平洋側に近づいてからである。

 寺前で乗り換えである。目の前にある列車は思っていた列車と全く違っていた。古い言葉で言うと「国電型」、つまり、オールロングシートで都会を走っている列車であった。塗色はワインレッドというか、赤さび色というかそういう色であった。列車そのものは、新しいか、リニューアルしたものであった。去年の年末には姫路駅で播但線用の気動車を見た記憶がある。本当に最近電化されたということであった。寺前−和田山間も電化は時間の問題だろうし、舞鶴線も電化されるので、福知山付近のJRはほとんど電化されることになる。

 寺前駅のホームは気動車用に低いホームだったが、この電車を通すに当たり、この電車が止まるホームをかさ上げしたようである。そのため、同じホームでも気動車が止まるホームと電車が止まるホームの高さが違い、段差ができていた。転倒防止に黄色と黒の縞模様があったが、おそらく何人も転倒していると思う。

 寺前から先はロングシートだったし、乗車率も高かったのでゆっくり外を見ることができなかった。水田の中を走っているうちに姫路に着いたという感じである。トータルで播但線の記憶がほとんどないということになる。阪神大震災の時の迂回路として活躍した路線であるが、普段は地味なようである。「特急はまかぜ」あたりでもう一度景色を見直さなくてはならない。

●姫路−兵庫−和田岬−兵庫−神戸(山陽本線)及び神戸−大阪(東海道本線)並びに大阪−天王寺(大阪環状線)

 姫路から新快速電車に乗り換え、とりあえず明石まで行く。この区間は何度か通っているので沿線風景は割愛する。

 明石駅は高架駅で、特に山側は駅前に公園か城跡のようなものがある。さっと両側の駅前に出て、ここから時刻表上、普通列車、現場では快速列車に乗り換える。そして、明石海峡大橋を見ながら神戸の一つ前の兵庫まで行く。

 兵庫から通称「和田岬線」、正式には山陽本線の一部に乗っておくことにする。この区間は、一駅区間だけの線区で、独立した名前を与えられずにこのような形になっている。運転本数は朝と夕方のみ、14往復走っているが、休日は2往復しか走らない。そのため完乗を目指す人にとってもネックとなる場合が多く、この区間を最後までのしたという人いるようである。幸いにも今日は暦の上では「平日」で、お盆の時期は休日扱いするという案内もない。夕方、この区間を通り、しかも「平日」ということも珍しいので、この機会に乗っておくことにした。姫路から和歌山まで、急いで向かうのだが、ここは寄り道することにする。

高架のホームには「和田岬線」のホームは見あたらない。とりあえず改札を出ると、別に乗り場があった。乗り換えるのにわざわざ改札を通るのは神奈川県の鶴見線に似ている。

 改札は自動改札であったが、青春18きっぷであったので、駅員に見せる。1年前は大阪駅ですら自動改札でなかったのに、1年でずいぶん普及したものである。もちろん、自動改札は一気に導入しないと意味はないのだが。

 改札を通り真新しく、かつ、簡素な作りのホームに2両連結の気動車が停まっていた。以前は客車だったらしいが、気動車になっている。兵庫駅と和田岬駅は同じ方向にホームがあるため、不要な片方の扉は塞がれている。また、所要時間が5分程度なのでクーラーはなく、扇風機が回っている。ホームは真新しいがこれは阪神大震災で壊れたものをなおしたからであろう。

 乗客はほかに鉄道ファンらしそうな2人と、一般の帰宅する人1人だけだったと思う。自分の場合はカメラを持たずに、いつも使っている鞄と、小型のリュックサックだけを持っているので鉄道ファンのいでたちではない。周りにはどう写っているかわからないが、半分以上の人は、普通にお出かけをしている人にしか見えていないであろう。

 兵庫駅を出た列車は、大きくカーブして、工業地帯を進む。外もだいぶ暗くなっているのであまりよく見えずに、5分ほどで終点和田岬に着く。工業地帯のような住宅地のような中途半端なところである。

 適当に周りを歩くが、あまり珍しいものもない。海が見えるわけでもないし、おそらく埋め立てが進んで「岬」でなくなったのか、本当に名前だけの「和田岬」なのか、よくわからない。

 そのまま、11分ほどして、同じ列車で同じ線路を引き返す。そして真新しい兵庫駅のホームに着く。

 兵庫から一気に大阪へいく。大阪駅は慣れているのでそのまま何も考えずに環状線のホームへ行く。天王寺まで行くので内回り・外回りどちらに乗っても所要時間は同じである。多分、早く来た方に乗ったはずであるが、内回りに乗ったか外回りに乗ったか覚えていない。

●阪和線(天王寺−和歌山)

 天王寺に着いて、阪和線のホームへ行く。ちょうど紀伊田辺(紀勢本線)・五条(和歌山線)に行く列車(和歌山まで併結)が見えた。別のホームに停まっているが、行き止まりになっているホームなので、地下道や跨線橋を渡る必要がない。しかし、ホームの端まで行かなくてはならなかった。

 列車は「国電型」で、すべてロングシートである。この文書を書いている頃(11ヶ月後)は、「紀州路快速」が登場し、きちんと前を向いて和歌山まで行けるようになったが、このころは快速といってもロングシートであった。一部、近郊型のクロスシートも走っていたようであるが。

 ロングシートで、しかも夜であるのであまり面白くない。阪和線に乗るのはいつも日が暮れてからであるので、何回か乗っている割には景色は全く知らない。このまま予定通りに乗っていくと、和歌山県のJR線は完乗となってしまうので、しばらく阪和線に乗る用事がなくなってしまう。しかも今まで和歌山県は乗りつぶし以外の用事できたことがない。徳島へ行くときに無理矢理和歌山を通ることにしようか。 

 阪和線と並行して南海電車が走っている。時刻表の地図を見ても「市の代表駅」は、堺市にしろ岸和田市にしろ南海電車の方になっている。阪和線で「市の代表駅」は和歌山を除くと和泉府中と和泉砂川だけである。駅名にしても「東岸和田」(岸和田市)「東佐野」(泉佐野市)「東貝塚」(貝塚市)と、「東・・」という駅だけ突然ある。「東」の付かない分は南海電車の方にある。この方面ではJRは劣性のようである。

 人口は多いはずであるのに、その割にあまり乗り降りのないまま和歌山に着く。東海道本線・山陽本線とは全く違った趣である。

●和歌山市内にて、及び紀勢本線(和歌山市−和歌山)

 この「乗りつぶしシリーズ」ではホテル・旅館には泊まることはない。ただ、この2日後に大阪でカプセルホテルに泊まり、値段とその割に落ち着くことができるので、今後カプセルホテルにも泊まることにした。(なお、その記述はありません。)

 とにかく、以前は夜行列車中心であったが、こうなると行き先がかなり制限されてくる。そのため、24時間営業のサウナ・健康ランドに宿泊するというパターンが定着しつつあった。この文章を書いているときは、そのような健康ランドをまとめたホームページを見つけ、かなり便利に宿泊ができるようになっていたが、この当時はそれを知らなかったため、駅に着いてから探すということをしていた。岡山の時は割と早く見つかったので今回もそのつもりでいた。

 まず、駅に着いて電話ボックスで「サウナぶろ」を探す。だいたい載っているが、この中にはいわゆる「スーパー銭湯」も多く含まれており、すべてが宿泊の対象とならない。その中から「24時間営業」と、広告に載っていれば間違いなく宿泊の対象となってくる。しかし、その中には明らかに「24時間営業」とうたっているものがなかったか1つしかなかったか、よく覚えていないが、とにかく少なかった。

 だいたい、目的のところの住所と、その名前をメモをするか覚えて、そして駅の観光案内地図を見る。そのものズバリが載っていることはほとんどないが、住所がわかっているのでだいたいの場所がわかる。そこでだいたいの場所を覚え、必要に応じていい加減な地図を書き、そこを目指して歩いていく。

 まず、一つ目である。20分ほど歩くと見つかった。しかし、お盆であるということで、休みであった。そのため、別のところを探す。暑くて汗でびしょぬれになっているが、歩いていく。そして、よくわからないうちに和歌山市駅に着いていた。JRで、和歌山駅から和歌山市駅まで3.3キロであるが、迷いながら歩いているので4キロ以上歩いている。1時間は過ぎているはずである。しかし、見つからない。こんなところで「ミニミニ電波少年」をやっている場合ではない。ゆっくり休んで、明日は紀勢本線に乗らなくてはいけない。

 とうとうあきらめて、目的のところへ電話をすることにした。最初からそうすればよいのだが。「そちらで宿泊することはできますか。」というと、実はそこは24時間営業ではなかった。見つかったとしても意味がなかったのである。そして、親切にも和歌山市内で24時間営業のところが2つあり、そこを教えてもらえた。

 1つはよくわからなかったので、もう一つに絞る。住所を見ると「小雑賀」とある。どこであろうか?駅前の地図を見てもよくわからない。電話して聞いてみる。まずは24時間営業であり、宿泊ができるということをチェックした。そして場所を聞いた。今どこにいるか尋ねられ「南海の和歌山市駅です」というと、「そこから和歌山駅へ行っていただいて、そこから、国体道路を紀三井寺の方へ行っていただいて、5.5キロです。」という。国体道路?、紀三井寺?。とりあえずよくわからなかったが、わかったふりをして電話を切った。まず、国体道路というものが何者か分からなければならない。案内地図を見てもよく分からなかったのでローソンに入って地図を立ち読みすることにする。コンビニはこういうときも便利である。

 和歌山市内の町の中を走っている道路かと思い、和歌山市駅と和歌山駅の間を見ていたが、実は、和歌山駅からそのまま南の方、つまり明日向かう方へ延びている道路が「国体道路」であった。また、紀三井寺というのは、そのとき気が動転していて気づかなかったが、和歌山から紀勢本線に南の方へ向かって乗って2つ目の駅が紀三井寺であった。ということは、まず、和歌山駅へ戻らねばならず、次に、それから南へ向かって5.5キロ歩くか、普通列車で宮前か紀三井寺へ行ってそこから歩くかしなければならないということがはっきりした。

 和歌山市駅から和歌山駅へは紀勢本線が走っており、ここだけ別の線区のように扱われている。紀勢本線というよりもJRの駅と南海の駅を結ぶ列車という感じである。

 とにかく、その列車に乗ればよいのだが、時刻表を見ると、もう少しで23:38発の最終列車が発車することが分かった。阪和線で和歌山に着いたのが21:23だったので、2時間以上も和歌山市内をうろついていたことになる。しかも列車に乗って和歌山駅に着いたからと行ってゴールなのではない。それからまだ歩かねばならない。

 紀勢本線和歌山市駅−和歌山間の列車は4年前の乗ったのと同じ型の列車であった。古くなった国電型を 改造した列車で、かつては奈良線を走っていたが(7年前に乗っている。)その後、桜井線・和歌山線、そしてこの区間で走っている列車である。冷房も後で取り付けたような感じになっている。それにしても、青春18きっぷはあくまでもJR普通列車が乗り放題である。当然この区間も対象になってくる。苦労して歩いた区間を無料で乗れてしまうのも何となく惜しいが、使えるものは使わねばならない。また、今日、この区間を乗ったことで、一応紀勢本線を起点から終点まで通して乗ることになってしまう。4年前に、今度紀勢本線に乗るときに時間がなくてこの区間が空白になっても困るからと乗っておいたのだが、まさか、こういう形で、こういう理由で乗ることになるとは思わなかった。

 6分ほどで、くつろぐまもなく和歌山駅に着く。そして、2時間ちょっと前に通った改札をもう一度通り、駅前に出る。今度はまっすぐに「国体道路」を歩く。

 よく考えると、宮前・紀三井寺へは、まだ列車があった。新宮行きの夜行普通列車である。しかし、20分ほど時間があるので歩くことにした。

 それにしても5.5キロというのはかなり距離がある。しかも夜であるので、距離感覚がつかみにくい。隣には明日乗る紀勢本線がやや距離を置いて並行している。そのうち、列車が歩いていく方向に向かって走っていった。新宮行きの夜行普通列車である。やはり待っていてあちらに乗った方がよかったのだろうか。

 宮前駅のへの入り口を通過する。明日、和歌山駅へ向かうときはもしかしたらここから乗るかもしれないのである程度場所を押さえておかなくてはならない。ここから南の方へ向かって列車に乗ってしまうと、和歌山−宮前間が空白になってしまうのでこれは避けなくてはならない。

 それにしても目的の建物は見えてこない。健康ランドであるからある程度大きな建物でネオンがあり、大きめの駐車場があるはずである。さっきからかなり歩いている。どうも履いているズックと足の相性が悪いらしく、このシューズを履いてある程度歩くとすぐに水ぶくれができてしまう。もう足の裏が痛くなっている。この翌々日に名古屋市内を歩き、また、その次の日に大阪市内を歩いたのだが、足の裏や側面は大変なことになっていた。大阪市内ではまともに歩くことができなかった。それも、この和歌山市内での「ミニミニ電波少年」が影響している。

 これだけ歩いても目的の建物が見えてこない。道を間違えていないにしても、本当は途中からどこかに入らなければならなかったか、それとも、見落としているのか。

 そうしているうちにようやく目的の建物があった。看板には入浴料1,000円、宿泊料1,500円とある。和歌山駅を出て、1時間は軽く超えていた。

 到着してすぐに入浴した。いきなり水風呂に入ってしまう。このようなところへくると2時間以上も入っているが、もう、1時を過ぎているので、1時間ちょっとで切り上げる。

 仮眠室は有料であるという。ここは4時を過ぎると入浴料に深夜料金が加算され計2,500円となる。看板を見ると1,500円で泊まれるのかと思ったが、どうも足し算をしないといけないらしい。このうえ、仮眠室代をとられると、何のためにこれだけ苦労して辿り着いたか分からなくなってしまう。だから、他のところで休むことにした。後で気づいたのだが、仮眠室代=深夜割増料ということらしい。4時前に出る人でも、深夜料金をいただきますよというのが「仮眠室有料」の趣旨だったようである。

 最初はロビーのソファーで寝ようとしたが、どうも落ち着かない。第一、明るすぎるし、人の往来も激しい。うろうろしていると、ご自由にお休みくださいという、畳の休憩室があった。そこで休むことにする。

 男女問わず雑魚寝をしており、2等船室のようである。男女問わずと言うより、家族連れが多い。

 寝たりさめたりしていると、ある時点を境に、他の客がどこかへ行ってしまった。1割程度しか残っていない。残り9割はどこへ行ったのだろう。外はまだ暗い。

 つまり、4時を境に深夜料金がかかるので、その前にみんな出発してしまったのである。南紀方面でつりや海水浴に行くにはちょうどよい時間だったのだろう。

 その後は広いところでゆっくり寝て、7時頃起き、もう一度入浴して、出発した。

 和歌山駅へは路線バスで行くことにする。昨日来た道をさっと通ったが、バス代は高かったような気がする。金額は覚えていないが、300円台だったと思う。


【概要】 【ここは1日目】 【2日目】
【「JR各線を巡る旅の記録」のトップへ】 【このWebサイトのトップへ】