JR各線を巡る旅の記録

27 牟岐線・徳島線 1日目


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2000年1月1日(1日目)
【金沢】15:33発−→【福井】16:51着、17:10発−→【敦賀】17:59着18:42発−→【長浜】19:29着、19:41発−→【大阪】21:19着−→【芦原橋】−→【弁天町】−(大阪市営地下鉄)→【本町】−(大阪市営地下鉄)→【住之江公園】−(ニュートラム)→【フェリーターミナル】--(徒歩)-【大阪南港フェリー埠頭】23:20発→(明朝、甲浦)
 ※単純に金沢から大阪南港へ向かうだけ。元旦であり、途中銭湯によるつもりがやはり閉まっていた。そのため、途中大阪市内で意味不明の動きをしている。

●出発までと金沢−大阪(北陸本線・東海道本線)

 今回の出発時刻は今までで最も遅い。しかも、青春18きっぷを15時33分から使い始めるということもはじめてである。そのうえ元旦から動き出すということもはじめてであった。2000年になるときの年越しは、どこへ行こうか時刻表を見ていた。メモ用紙代わりにパソコンも開いていて、危険な年越しであったのに、パソコンは電源が入ったまま2000年を迎えていた。

 一度寝てから、結局行き先が決まり、フェリーの予約も全く差し支えなく行うことができた。そして、元旦に届いた分の年賀状の返信を書いているうちに時間が来て出発ということになった。元旦という日は時間が止まったような感じがして好きであるが、駅まで自転車を漕いでいても、時間が止まったような感じがしていた。

 今回は一泊泊まりで、特に2日目は有効に活用するため、帰りの金沢到着は23時過ぎになる。そのため今回も自転車を駅とは少し離れたところに停めておく。

途中、年賀状を投函することを忘れていたことに気がついた。そのまま大阪まで持っていってしまおうかと思ったが、本当に忘れては困る。大聖寺で珍しく特急待ちの停車があったので駅前のポストで投函する。

 出発時刻が遅いため、福井へ着く頃には日が暮れていた。何とか武生まで景色が分かったが、そのあとは完全に暗くなってしまった。敦賀では43分も時間があり、また、それほど早く列車がやってこないため、ホームの待合室で時間をつぶすこととなった。また、ホームが5番ホームという切り込みのホームであった。前回の帰りの乗換でこのホームの存在を知ったのだが、わりとホームが余っている感じのする敦賀駅で、このホームは必要なのだろうか、と思ってしまう。

 長浜での乗り換えもいつもと同じである。ただ、暗いというのがいつもと違うところであった。そして、21時19分に大阪に到着する。

●大阪−芦原橋−弁天町(大阪環状線)

 大阪駅に着いたのがフェリー出航2時間前である。金沢駅を約1時間遅く出れば、大阪駅に1時間遅く着くことができた。それでもよかったかもしれないが、わざわざ早く来たのはできれば銭湯へ行っておきたいと思ったからである。大阪でよく行く銭湯が、桜ノ宮駅の近くにある。最初はそこへ行こうと思っていたが、どうも時間的に無理があるようである。弁天町駅で地下鉄に乗り換える予定だったのでその駅に近い芦原橋駅前にある銭湯に行くことにした。このあたりは「駅前銭湯図鑑」が役に立っている。

 そう思って環状線のホームへ行く。環状線だけでなく、大和路快速・紀州路快速・関空快速も発着するようになっているため、少し案内が複雑になっている。また、最近、環状線各駅で発車メロディーが使われるようになった。インターネットを通してその音楽は聴いていたが、改めて実物を聞くことができた。それにしても高架で風よけがないため、寒さが感じられる。太平洋側へ来ると暖かいだろう、と思うのは日本海側の人間の太平洋側に対する過信である。天気がよいから暖かいに違いない、というのは日本海側の発想なのだろうか。

 そして、環状線の列車が入ってきて乗り込む。この線はわりと好きである。反対にどういう訳か山手線が嫌いなのだが、よく説明できない。いくつか道路の上を通ったり下を通ったりしてすぐに福島に着く。そして次が野田で、このあたりの駅はどうも狭さを感じる。そして桜島線の分岐する西九条。桜島線も乗りつぶしを始めた最初の頃に乗ったが、それ以来乗っていない。環状線自体はよく乗るのだからたまにも乗っておきたい。それとは反対に同じ頃はじめて乗った関西本線新今宮−JR難波(旧・湊町)は、よく乗る。難波の方へ行くときに18きっぷや周遊きっぷをもっているときに、追加運賃なしで難波(の近く)へ行くことができるので重宝している。

 そして、あとで降りる弁天町、昔「駅前銭湯図鑑」を持っていなかったときに、銭湯へ行こうとして独断と偏見でこの駅の近くならあるに違いない、と思って住宅地図を本屋で立ち読みし、本当に駅の近くにあったためそこへ行った、という思い出のある大正を経て芦原橋に到着する。

 ホームが長く、出口がホームの端にあるので、出口まで時間がかかったが、その後銭湯までは近かった。「近かった」まではよかったが、やはり元旦で閉まっていた。代わりに別の銭湯へ行くということも考えられなくもなかったが、フェリーに乗り遅れたら大変なのでとにかく弁天町駅まで戻ることにした。

●弁天町−本町−住之江公園−フェリーターミナル(大阪市営地下鉄中央線・四つ橋線・ニュートラム南港ポートタウン線)

 弁天町駅は2回来たことがあった。ただしその2回は連続した2日間であった。1回目が交通博物館へ来たときで、もう1回が海遊館へ行くための乗換であった。そのため、この駅での地下鉄乗換の勝手は知っている。つまり、地下鉄であるのに高架ホームからさらに上へ行かなくてはならない。

 きっぷを買うが、弁天町で乗り換えたのには理由がある。それは大阪地下鉄路線図を見ていただければお分かりいただけるように、見た目でJR駅から「フェリーターミナル」まで最も近いからである。しかし、きっぷを買うときに分かったのだが、ここから「フェリーターミナル」まで最短コース、つまり、弁天町を出て朝潮橋→大阪港→…と行こうとすると、途中に「大阪港トランスポートシステム」という、別会社を挟んでしまって、割高になってしまうのである。時間がなければそれもやむを得なかったが、銭湯へ行かなかったため時間はある。そこで、別会社を挟まないルート、つまり、一度本町へ行き、四つ橋線で終点の住之江公園まで行き、そこからニュートラムに乗る、というルートをとることにした。結果論であるがそれならば大阪駅から直接西梅田駅まで行き、そこから四つ橋線に乗った方が賢かったのである。次回以降はそうなるであろう。

 そして、弁天町駅の高架地下鉄ホームで「地下鉄」を待つ。「コスモエクエア」行きの地下鉄が先に来て発車していく。別にあれでもよかったのであるが。

 しばらくして「地下鉄」が入ってくる。乗り込む。九条を出て本当に地下に潜る。阿波座を経て本町に到着する。ここで乗り換える。地下鉄駅での乗換は平面だけでなく空間の感覚が必要で、このあたりの感覚は金沢に住んでいては養成されない部分であると思う。とにかく四つ橋線に乗り換える。

 地下鉄なので、心斎橋・なんば、と過ぎても、景色自体は変わらない。駅の明るさとそれ以外の部分の暗さが対照的である。昼間か夜かも分からない。その中で大国町での御堂筋線が隣に停まって、少し併走するのは面白かった。そのあとはひたすら住之江公園を目指す。地下鉄の終点駅はどうなっているか興味があったが、別に変わったものではなかった。基本的にJR難波や新千歳空港駅と変わらないのである。

 住之江公園駅で降りてからひたすら上へ上がっていく。そして、かなり歩かされてニュートラムのホームへ行く。急いでいたら焦っただろう。ニュートラムは地下鉄のミニチュアという感じであった。ホームがすべて透明プラスチックの板で覆われていて、エレベータのようにホーム側のドアと列車側のドアが連携していた。寒さ対策でこうなっているのかと思ったが、実は無人運転であるが故にこうなっていたのである。というのもニュートラムが無人運転ということはこのときまで知らなかったのである。

 とにかく時間が来て運転が始まった。かなり高いところを走っているので明るいときは景色がよいと思う。無人なので運転自体、どうも機械的なところがある。また、急カーブもあった。そしてフェリーターミナル駅に到着する。

●大阪南港−甲浦(高知シーライン)

 ニュートラムのフェリーターミナル駅からフェリー乗り場まで屋根と壁のある2階を歩く。「フェリー埠頭」は歩くことができるが、もう一つの「かもめ埠頭」は連絡バスに乗らないとだけらしい。今回は「フェリー埠頭」なので、歩くことができる。

 フェリー乗り場の2階に到着するが、乗船券を買うので1階まで降りる。乗船券を買うときにはなぜか住所・氏名を書かなくてはならない。このあたりが列車にない不便さである。このあたりのことや、フェリー乗り場に着くまでの時間を考えると、どうも芦原橋で銭湯にはいることができなくてちょうどよかったようである。大阪駅に着くのはフェリー出航の1時間半前ぐらいが必要なようである。

 フェリーの中には食堂や売店があったのだが、その時はあるかどうか分からなかったので、念のために自動販売機でハンバーガー2個を買っておく。ここで食料調達を逃すと、最悪、翌日の徳島到着まで食料を調達できないことになってしまう。

 最低限(?)の食料を得て、2階へ上り、フェリー乗り場まで行く。いくつもの乗船口へ行く通路に別れていて、空港で飛行機に乗るようである。ただ、歩く距離が長いのと、施設自体が古くなっている。また、直接船まで通路がつながっているのではなく、一度外に出てそれから船に乗るという仕組みであった。

 船に乗り込む。風呂があることを確かめる。これで今日は風呂にはいることができた。また、きちんと食堂・売店があった。そこを通って二等船室に行く。どうも二等船室という空間はよく分からない。サウナや健康ランドではだいたい、仮眠室や休憩室は男女完全分離である。二等船室は設備自体はそれとよく似ているが、男女分離という概念がない。

 枕は積んであるものを自由に使う。毛布は1枚50円で借りるというもので、その貸し出しを行う時間だけ借りるというものである。敷き布団代わりにしたい人は2枚借りるという形である。この「貸し毛布」であるが、どうも、一昔前のような感じである。

 出航してから、風呂に入ってもよい時間になったのでそこへ行く。入浴自体は無料だが、ロッカーで100円が必要であった。もっとも、ロッカーが不要であればよいのだが、ここで財布の中身がなくなるとどうにもならなくなるのできちんとロッカーにしまう。カランが4つぐらいのあまり広くない風呂で、船の揺れによってお湯が急にあふれたりもする。とにかく2000年最初の入浴が、このようなものであった。

 入浴が終わって、船室に戻り寝る。エンジンの近くらしく、変な振動がありあまり眠ることができなかった。しかも、4時20分到着というのもゆっくり寝ることができない原因である。

 4時頃に起こされ、予定通り甲浦港に到着した。

  

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