JR各線を巡る旅の記録

27 牟岐線・徳島線 2日目


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2000年1月2日(2日目)
【甲浦港】4:20着-(徒歩)--【甲浦】6:36発−(甲浦−海部間、阿佐海岸鉄道)→【牟岐】7:06着、7:08発−→【徳島】9:01着、9:29発−→【阿波池田】11:25着、12:05発−(特急南風8号)→【琴平】12:30着12:58発−(臨時快速こんぴら初詣号)→【岡山】14:39着、15:21発−→【姫路】16:44着、16:58発−→【長浜】19:33着、19:34発−→【敦賀】20:12着、20:19発−→【福井】21:08着、21:50発−→【金沢】23:35着
 ※甲浦港に着いてから甲浦駅で列車が発車するまでの空白の時間がある。その後は、途中特急を挟んだが、効率的な移動ではなかったかと思う。牟岐線・徳島線もそれぞれ大きくはないがそれなりの特徴がありよかったと思う。

●甲浦港・甲浦港−甲浦駅・甲浦駅

 4時20分に到着して、これから甲浦駅まで行き、6時36分発の列車に乗る。ということは2時間16分も時間があるのである。しかも、日の出前である。このフェリー自体はそのまま足摺(土佐清水)まで行く。二等船室もそれぞれの行き先で分けられていた。9時まで寝ることができるのに、4時過ぎに起こされてはたまらない。

 甲浦港に着くと、迎えの人がたくさんいた。そして、高知行きのバスも待機しており、早朝にものすごくにぎやかな状態だった。また、港にある釣具屋も、わざわざフェリーでつりに来た人でにぎやかであった。  とりあえず、プレハブ造の待合室で待機する。中には12月にこのフェリーがドックを終えて運転を再開したときの「のぼり旗」が片づけられている。大阪南港ほどでないにしてもある程度の立派なフェリー乗り場かと思ったが、プレハブで、プラスチックのイスが並べられているだけである。1日2回だけしかフェリーが来ないのだから仕方がないのかもしれないが。

 迎えの車を待っている人か、釣りへ行くための時間を待っている人か、ある程度の人はいた。一応テレビもついていて、NHKニュースをやっている。2000年問題はほとんど影響がないとのこと。高知県なのだからすごく暖かいのだろうと思ったが、朝早すぎて、しかも1月2日であるからむしろ寒い。とりあえずしばらくいたが、何もすることがないので5時前には甲浦駅へ向かって歩き出すことにした。

 最近ははじめての町で、しかも日没後か日の出前に歩くということが多くなった。しかもコンビニなどがないパターンが多い。今回もまさしくそれである。甲浦港にある釣具屋などの前を歩く。フェリーに乗ってきた人でにぎわっている。そこからはずれてしばらく歩くと国道55号線に出る。右に曲がると、しばらくで徳島県で、甲浦駅の次の宍喰駅へ行くことができる。しかもあまり遠くない。県境を歩いて通過するのも面白いかもしれない。時間も十分にある。しかし、このような何もないところで朝の4時や5時ではそのようなことをする気がない。とりあえず左に曲がって甲浦駅を目指すことにする。

 この道は徳島方面から室戸岬へ向かう道であり、観光道路である。しかし、このような時間はあまり車は通らない。海の近くを通るため、波の音も聞こえる。また、近くの民家からは鶏の声もする。暗いが朝は近いのである。しばらく国道55号線を歩き、町がはずれかけたところで甲浦駅は右に曲がるという標識がありその通り曲がる。町の外側の縁を通る道である。しばらくは民家が近くにあるが、そのうち水田か畑か荒れ地か分からないところを歩く。向こうの方に駅らしい建物がある。それかと思ったが、そういえばその建物は古そうである。昭和30年代に建てられた駅ならあんな格好をしているが、よく考えると平成になってからのものであり、もっと違うであろう。そう思っているうちに、その建物が見える方向とは違う方向に案内標識が出ていたので、それに従う。そして少し歩くと丸太造りの建物が見えてきて、それが阿佐海岸鉄道甲浦駅であった。

 駅の隣に階段があり、上へ行くことができるようになっている。その先には高架の線路が行き止まりになっている。阿佐海岸鉄道自体、2駅区間しかないので、その後も建設を続けるのだと思う。とりあえず、駅舎とホームは全く無関係であり、駅舎に入らなくてもホームへ行くことができるようになっている。単なる待合所であった。駅舎は鍵がかかっていて入ることができなかった。まだまだ真っ暗であり、街灯の下で座るしかなかった。1台の軽トラックが来たが、全く駅に用事がなかったようですぐに折り返していった。

 5時半頃に軽自動車が来て、中から人が降りてきた。そして駅の鍵を開けるとさっと行ってしまった。町職員かから委託を受けた人であろう。とにかくこれで屋根と壁のあるところへはいることができるようになった。

 中へ入るが、電気がついていない。スイッチを探したが、見あたらない。駅舎自体、ガラスをふんだんに使っているので外の明かりが十分に入ってくる。そのためぼっとしたり、カバンから荷物を取り出すには苦労はしなかった。トイレだけは電気のスイッチがある。駅舎の中には売店があるようだった。ほとんど町が建てたものであろう。駅自体は無人駅であり、隣の宍喰駅が阿佐海岸鉄道のメインの駅であるようである。

 6時になると電気がついた。時間が来れば電気がつくようになっているらしい。6時40分ぐらいが始発の駅で、5時頃から鍵を開けて電気をつけておく必要がないのである。

 しばらくして、ホームへ行ってみると1両の列車が入線していた。もう何もすることがないので乗ってしまう。

●甲浦−海部(阿佐海岸鉄道)

 このJR線完全乗車シリーズでは第三セクターにはわざわざ乗っていない。しかし、都合で乗ってしまった例があり、先日の伊勢鉄道がそれにあたる。今日もその例で、阿佐海岸鉄道全線に乗ってしまうのである。おそらく今後、首都圏方面へ行くために北越急行に乗ってしまうであろう。細かい例では土佐くろしお鉄道、窪川−若井間というものもある。

 当然のことながら、第三セクターには青春18きっぷで乗車できない。そのためにその区間の運賃を支払わなくてはならない。また、今までの例では、1日の途中に第三セクターが来るというものだったが、今日は1日の始まりが第三セクターである。するときっぷに日付を入れてもらうことができないという問題がある。これについては徳島駅まで引きずってしまったのだが、少しずつ述べていくことにする。

 とりあえず運転手に日付を入れてくれないか相談をすると、当然ながら駄目であった。JR職員でないから当たり前である。そうして席に戻ると、向こうから運転手が歩いてきて、阿佐海岸鉄道の乗車券(甲浦−海部間)を売ってきた。「宍喰駅発行」となっていた。

 この列車は阿佐海岸鉄道の列車らしい。第三セクターによくある造りである。ただし、座席は転換式であった。この列車がJR線に乗り入れて、牟岐まで行く。JRの特急むろとが牟岐あたりから普通列車になって甲浦まで乗り入れてくるので、それとの距離あわせであろう。

 しばらくして時間が来たので列車が発車する。他に乗客はいなかった。

 発車するとすぐに新しいトンネルに入る。少し長いトンネルで、抜けると高架である。このあたりで高知県から徳島県に入ってしまう。高知県・徳島県とも2回目で、特に徳島県は前回、さっと通過し、阿波池田駅のホームに数秒だけ足をおいただけだったので、本格的に訪れるのは初めてである。そうしているうちに川を渡り、駅の裏にビニールハウスある宍喰に到着する。日の出前であるがわずかに明るい。ここで1人乗って来る。高架で町を見下ろし、トンネルへ。又町を見下ろしてトンネルへ。抜けると山のなかであった。又トンネルで、抜けると少し海が見える。そのようにトンネルと山、そして海が少し見えるということを繰り返す。甲浦−海部間は特に新しいので、容赦なくトンネルがある。そして山の中でも高架などでさっと通ってしまう。このあたりが明治から高度経済成長時代までの線路とは違う部分である。このような区間は海部を過ぎて牟岐あたりまで続く。

 いくつめかのトンネルを過ぎて、町を見下ろし海部に到着する。隣にはJRの特急列車が停まっている。一応、阿佐海岸鉄道とJR牟岐線の接続駅であるが、運転手が交替しただけで乗客は乗ってこなかった。

●海部−徳島(牟岐線)

 さっき阿佐海岸鉄道の運転手に青春18きっぷに日付印を押してもらうように頼んだらもちろん駄目であった。今回はJRの運転手が乗ってきたので頼んでみると、車掌でないので日付印は持っていないということだった。この後牟岐駅では時間がないので、徳島駅になるだろうか、と考えていた。以前、高山本線のワンマンカーで、日付を入れていない青春18きっぷを持っていた人が降りようとして、運転手にひどく怒られていたのを見ているのでこのあたりは気になるところである。まあ、阿佐海岸鉄道の乗車券を持っているから大丈夫だろうが。

 海部を出ると、町を少し見下ろして川を渡る。日の出前であるがだいぶ明るくなってきた。さらに住宅地を見下ろし、短いトンネルを抜け、少し田が混じった住宅地の中で阿波海南。地上駅で、低い盛り土である。駅の裏は水田である。ここで1名乗車。田と家の混じったところを走り、山のなかに入っていく。トンネルを二つ抜け、高架の浅川。山と山の間にあり、集落から少しはずれている。海も見える。ここでは乗客は乗ってこなかった。山を抜け集落と海を眺める。海と言っても深い湾の奥である。それからビニールハウスが多くあるところを眺め、トンネル。集落を過ぎて再びトンネル。山のなかであるが海をときどき眺める。のぼりかけの朝日が海の向こうから出てきて、それと南国的な植物が見える。トンネルをいくつか通り、海の前で鯖瀬。ここで1名乗車。島が見えてそこから太陽が昇ってくるようである。トンネルと山・海を繰り返し、住宅が増え、久しぶりというか初めてまともな地上駅が現れ牟岐に到着する。ここからは容赦なくトンネルがあるというものではなく、古くからある区間である。ここで阿佐海岸鉄道の列車を降りて、JRの列車に乗り換える。2両の気動車で、半自動扉である。半自動の期間はなぜか北陸と同じである。四国へ来たら暖かいと思っていたが、そうではないらしい。

 わずか2分の乗換で牟岐を発車する。しばらくは住宅地の中を走る。今までは高架の上から住宅地を見下ろしていたが、今回からは家と同じ高さを走っている。そして山が迫ってきて、川に沿った谷を走るが、再び住宅地の中となる。そして水田が多くなり少し住宅地のある谷となり山を登っていく。山のなかに田があるところで辺川。山を走り、谷を見下ろし、という景色を繰り返し、だんだん山と谷が深くなっていく。トンネルを通ると下りになる。そして、左側に国道が沿う。下っていって谷の高さまで下がり、住宅が少しあって山河内。谷を下っていき、いったんトンネルをくぐりさらに下っていく。水田が広がり、住宅が過ぎて日和佐。

 ところで、車掌が通ったので今度こそ青春18きっぷに日付を入れてもらう。日付を入れてシャチハタ印を押したところまではよかった。ただし、これも最近は見なくなった形で、車掌が検札用に持っている印には日付が入っているのでそれでよいはずだが、JR四国は違うようである。ところで、その日付を書いたところが、昨日金沢駅で1月1日の印を押してもらったところであった。どういう理由でそこに書いたか分からないが、書き直してもらわないといけない。しかし、同じ車掌に言うのも気が引けるので、徳島駅で処理してもらうことにする。

 日和佐を出ると、広めの川(日和佐川)に少しだけ沿う。そして住宅地が少なくなりながら北河内。盛り土になって上がっていき、山のなかにはいるがすぐにトンネルとなる。しばらく山のなかを走るが、下がっていき、山と山の間の集落で海が見えるところで木岐。山を越えると湾が広がり、砂浜が広がる。南国的な植物がある。臨時駅の田井ノ浜を通過。軽く山を越え、住宅が増え由岐。すぐにトンネルを越え住宅があり、阿波福井。下っていき、田と家のある広い谷に出る。その中で家が増え新野。この由岐−新野間で半島を超えている。地図上は再び海が近くなったのだが、これ以降、車窓に海が見えなくなる。ここまではリアス式海岸を、最初は近代的な高架+トンネル、牟岐以降はもう少し下を極力トンネルを避けながら走ってきた。ある意味、山陰本線の長門市以西や、紀勢本線の新宮−紀伊長島あたりと似ていた部分もあった。ここからは普通の景色になっていく。

 新野を出ると、山のなかへ入っていく。ため池が見える。軽く山を越え、谷が広くなり住宅が増え桑野。ここで下り列車とすれ違う。そのまま広い谷を走り、少し狭くなりながらも広がる。海側に火力発電所が見える。そして阿波橘。家やその他の建物が増えてきて、医院や信用金庫、店などもあり町らしくなってきた。そのまま水田の混じった住宅地をゆっくりと走り見能林。国道沿いで店が増えてくる。住宅地になり阿南。久しぶりに跨線橋のある駅である。

 すぐに桑野川を渡り住宅と水田の混じったところとなり、那賀川を渡る。このあたりから睡魔がおそってきた。メモを取っているおかげで何とか起きているが、普通に乗っているとおそらく眠っているだろう。このあたりから完全に平野部となってきた。開けたところに田と家がありその中で阿波中島・西原・羽ノ浦・立江と停まっていく。庭にミカンのある家が多い。海の方向に石油関係の工場が見え、工業地帯のような感じがする。阿波赤石をすぎ、また工業地帯が見える。家が増えてきて町らしくなってきて南小松島。家が増えてきて、その家々には大阪へ向けた長いアンテナがある。徳島は海を越えて和歌山・大阪があり、そのためそこのテレビがよく映り、わざわざ県内に民放局がなくてもよく、民放が1局しかないが、チャンネル数は多い、ということを聞いたが、この長いアンテナのおかげであろう。そして、駅前に団地のある中田。以前はここから小松島港への短い路線が伸びていたが廃止されてしまった。同じようにして地蔵橋。住宅が多い。そして盛り土の上から田と家を見下ろす文化の森と停まっていく。広告や周りの建物が市街地になっていき、二軒屋、阿波富田と停まり徳島に到着する。なお、この列車はそのまま鳴門まで行くが、鳴門線はそのうち乗ることにして、今回は徳島で降りることにする。

 ホームの屋根は新しいとは言えない。高知駅とよく似ている。しかし駅舎は新しい。その前に改札を通る。その時に青春18きっぷに間違えて日付を入れられたので改めて押して欲しい旨を言うと、ここで訂正してあるから(つまり、1月1日の金沢駅の印は車掌が1月2日と書いてシャチハタを押すことにより訂正されたということ)これでよいという。それならばそれでよく、1日分得したことになるが、後でトラブルが起こっては大変で、1月1日はきちんと乗った旨を話すと、怪訝そうに改めて1月2日の印を押してくれた。これできっぷの日付問題は解決したが、ずいぶん時間がかかった。

 駅としての機能を果たす部分はあまり広くない。改札もむしろ少なく、県庁所在地の駅としては少なすぎる。しかし、駅の外へ出て駅舎を眺めると、すごく立派であった。デパートと駅舎をくっつけてしまったものであり、外見上はとても大きくなるというものである。それとは別の駅前のデパートには行列ができていた。何の行列かと思ったがよく考えると1月2日であった。駅前には南国的植物があり、暖かそうであるが、気温は5度である。

●徳島−阿波池田(高徳線・徳島線・土讃線)

 フェリーが甲浦港に着いてからずいぶん時間が経っているが、まだ朝食にありつけていない。ここで食べないと今度は阿波池田まで何も食べることができなくなる。キオスクでパンを買うが、これはそのままカバンに入れておいて、うどんを食べる。ついでに睡眠防止のためガムを買っておく。次に乗る徳島線の阿波池田行き列車は1番ホームで、ここには特急の高松行きが停まっているからそれが発車するまで大丈夫だろう。と思ってうどんを食べていると、なぜか「阿波池田行きの列車が到着です」、と言い、特急列車の後ろに列車が停まってしまった。但し、ドアは開いていない。このような、列車のすぐ後ろに別の列車が到着して大丈夫なのか分からない。そして、特急列車が発車してしばらくしてその後ろの普通列車が少し前へ進みドアが開く。早くうどんを食べて向こうへ行かないと席がなくなってしまうかもしれない。少し急ぎ気味にうどんを食べ、向こうへ行く。しかしなぜか4両もあり、4両目にいったがほとんど乗客はいなかった。なぜ4両もあるのか分からない。ただし、新しい車両で、トイレがない。そうなると逆に気になって仕方がない。夏ならばどうでもよいが、冬だとトイレが近くなりがちで、水分に気を使ってしまう。この前の名松線でもそうであったが、駅でこまめにトイレへ行ってしまうのである。

 単独でも走ることができる列車を4両もつないで徳島駅を発車する。駅を出ると高架を走り出す。市街地を高架で見下ろし、高架上で佐古。ここで徳島線と高徳線が別れる。高徳線の方はしばらく高架が続くようであるが、徳島線はすぐに降りてしまった。住宅地の中で蔵本。その後は畑が混じってくる。キャベツ畑のようである。あと、ビニールハウスも多い。また住宅地が多くあり、鮎喰。後ろ2両はホームにかからない。ホームのないところに停まってしまった。広いが水量の少ない鮎喰川を渡る。このあたりの家はやはりアンテナが高い。田や畑が多くなり、そのようなところで府中、石井と停まっていく。住宅が少なくなり、田や畑が多くなる。家も農家的な家が多くなっていき、下浦・牛島と停まる。牛島では6分停車する。両側に離れて山がある。そして麻植塚。農家的な家の割合が高まってくる。そして家や団地が増えてきた、と思ったら立派な農家があったりして鴨島に到着。家や店などの建物が多い。

 その後、住宅が少しずつ減ってくる。「吉野川遊園地」が見えてきて西麻植。駅から観覧車が見える。左右に山があり、その広い谷に吉野川が流れて、それに沿って道や線路そして町や農地があるのだが、左側の山が急に近づいてきた。右側の山は遠いが、川の堤防がすぐそこを走っている。家が増えてきて阿波川島。駅前には新興住宅地もある。町を抜けるが住宅地はそのまま続いている。田や畑、ビニールハウスも混じっている。左側の山がさらに近づく。そのまま住宅は続き、学に到着。駅前の会社の前には大きなソテツがある。住宅が少なくなってきたがまた多くなって山瀬。左側の山が迫ってきて、少し山裾を走るため、高いところを走るときもある。少し離れた道には店や住宅が並んでいる。左側の山が遠くなり、線路の高さも元通りになる。そして阿波山川。駅の裏には材木置き場がある。吉野川の支流を渡り、左側には家と田。右側には吉野川の堤防が迫っているが、また離れる。家が増えてきて川田。堤防が近づいてきて、吉野川が少し見えた。短いトンネルを通り、再び左側の山が迫ってきて、少し高いところを走る。そのおかげで少しではあるが吉野川が見える。かなり川幅が広い。吉野川の支流を渡り、左側の山も遠くなる。おまけに吉野川も遠くなる。店や病院・住宅などが増えてきて穴吹に到着する。ここですれ違った列車は3両であった。

 穴吹を出ると、すぐに吉野川が見えた。崖になっているところも見える。そして川を離れ、住宅と水田の中を走る。左側の山は近く、その山裾には段差があるところに家がある。このあたり、わりとスピードが出ている。そして、再び吉野川沿いに走り出したが、川沿いに生えている木(林と言うより森に近い)がじゃまで、川が見えない。そして川を離れる。田と農家がある。また吉野川が近づくが、堤防しか見えない。向こう岸には家などが多く見える。そのようなところで小島。この駅以降、自分が乗っている4両目がホームにかからないとのこと。ローカル線でよくある話である。小島を出ると、再び吉野川に沿って走る。向こう岸の遠くに高速道路が見える。川之江まで続く高速道路だが、この文章を書いているときには全通しているが、その当時はまだ全通していなかった。また、吉野川と徳島線の間に国道が並行している。少し吉野川と離れたが、また近づいてきた。沿って走るのかと思ったが、家や工場が増えてくる。支流を渡り、町になって貞光。

 貞光を出ると、再び川に沿って走るがすぐに林にじゃまをされ、川が見えなくなる。この線は基本的には吉野川に沿っているが、谷が広く、段差がないため、あまり吉野川を見ることができない。飯山線のように狭い谷で段差があればたっぷりと川を見ることができるのだが、そうではない。確か和歌山線も広い谷を走るため、紀ノ川がよく見えない。和歌山線と徳島線は、地形学的には同じ中央構造線沿いにあるが、そう考えてみれば景色も似ている。

 話がそれたが、町になってきて阿波半田。町を抜けて吉野川支流を渡る。少し高いところを走るが、竹林がじゃまになって川が見えない。次第に見えるようになる。左側の山が迫ってきて、一時的にこちら側の岸に建物がなくなってしまうことがある。建物が再び現れて、江口。そして川から離れる。山に沿って走っている。川と線路の間に田と家、そして店が目立つ。そのような中で三加茂。左の山も少し遠くなっていく。家が増えてきて阿波加茂。国道沿いを走り、店や家も多くなる。国道がオーバークロスし、左側に行く。そして吉野川に沿って走る。大きな岩が見える。ときどき竹林が川を見ることをじゃますることがあるが、ある程度は見える。きれいな緑色の水である。少し渓谷的な川になったが、すぐに広がる。川幅が広がり、建物が増えてきて辻。高速道路がオーバークロスし、土讃線が合流する。家などがあり佃。ここから土讃線に入るが、そのまま高知方面へ向かうと吉野川に沿って走る。つまり、吉野川という観点から見ると、徳島線と一連のものと見ることができる。しかし今日は阿波池田までしか行かない。少し高いところから川を見下ろす。そうして町の中に入っていき阿波池田に到着する。

 この駅は、3年ほど前の夏に、2秒ほど降りたことのある駅である。それにより、乗りつぶしのルールにある、「夜行列車に乗ったときは日の出後どこかの駅で少しでも降りたらその駅以降、乗りつぶしをしたものとみなす」という例外を作ってしまったのである。そのため、阿波池田以降、土讃線は乗りつぶしたことになっているが、景色はほとんど覚えていない。いずれ、また来なくてはならないところである。

●阿波池田−琴平−多度津−岡山(土讃線・予讃線・備讃線・宇野線)

 阿波池田から琴平までは特急列車に乗ることにする。というのも、そうしないと今日のうちに金沢まで帰ることができないからである。この区間の普通列車は少なく、どうしても特急に乗らなければならないのである。

 しばらく、駅前に出たり、おにぎりを買ったりして、そして乗車券と自由席特急券を買う。そしてホームに出て、特急列車を待つ。少し遅れて特急列車が到着する。

 一番前の車両の、前から2番目の座席である。運転席のあるところと逆の右側なので、前を見るとそのままガラス越しに前方の景色が見えてしまう。私は、なるべく景色は横窓から見るようにしている。ローカル線では特に前から線路を見ることができ、これを楽しんでいる人がいるが、そうすると後でその線の印象がレールが並んでいて、トンネルに入って…というものだけになってしまうのである。しかし、今回は思わず前を見てしまった。やはり、2ヶ月後思い出してみると2本のレールの印象が強烈である。

 阿波池田を出て、さっき走ってきた線路を通り佃を通過。そして、徳島線と別れる。徳島線の方がそのまま吉野川沿いに走るため、土讃線が支線のように感じる。こちらの方がカーブして別れていくのである。そして吉野川を渡る。そのあと、さっき見ていた「右側の山」に向かって登っていく。トンネルをいくつも通り、少し平らなところに駅があるという感じであるが、特急が停まらないためきわめて小さな駅である。また、この特急は「振り子式」なので、カーブにさしかかると強引に内側に傾いているのが分かる。そうしているうちに分水嶺を超えたらしく下りになり、ずっと下っていき、町になってきて琴平に到着する。短い時間であったが、ここを普通列車にするか妥協して特急にするかで、今日中に帰ることができるかどうかがかかっている区間であった。

 琴平駅で一応改札を通り、駅前に出る。金比羅宮が近いため、それらしき造りである。さらに今日はよく考えると1月2日だった。そのため初詣客が多くいる。

 本来はここで、12時30分発の多度津行きに乗り、そこから坂出へ行って、マリンライナーで岡山へ行く予定だった。しかし、1番ホームに、岡山へ行きそうな普通列車が停まっている。放送をよく聞くと、岡山へ行く臨時列車で、初詣用であった。早朝から動いており、もう疲れているので、できれば一気に岡山まで行ってしまいたい。そのため、やや空席があったのでその臨時列車に乗ってしまうことにした。臨時列車で、ホームに案内がないため、車掌によく行き先を聞く人がいて、もうめんどくさそうに、半分怒りながら「岡山行きです」と答えていた。発車してから放送を聞くと、その車掌は特徴があり、「…に気をつけてください」ではなく「気をつけていただきます」といった口調であった。

 琴平を出ると、市街地から、田と家になってきた。そのような変化の中で金蔵寺を通過し、団地が増えてきて予讃線が合流し、多度津に到着する。そして、海の方に工業地帯が見え、讃岐塩屋を通過し、高架になって丸亀に到着する。一応ここで本日、そして今回の新規乗車が終了する。ここからは一度乗ったことのある区間である。

 丸亀を出てしばらくすると、瀬戸大橋へ行く短絡線を通る。これにより宇多津駅を通らずに瀬戸大橋へ行くことができるのだが、いったい何線に属するのか分からない。とりあえず、一度乗っており、気にしなくてもよいであろう。そして、瀬戸大橋を通る。前回は夜行列車で通っており、真っ暗でありほとんど意識にない。そしてその前は、何回か瀬戸大橋を渡っているうちに青春18きっぷを落としてしまうということをやってしまったのである。

 本来複々線の用地を設けての架橋で、それを複線でしか使用していないので何となく無駄に広い。真下に海が見えるという感激はだいぶ前に味わっているので、今回はそれほど感動しない。ただ、橋桁にされてしまった島々に駅を作るという考えはなかったのだろうか。それだけが気になった。

 瀬戸大橋を渡り、本州に戻る。ここから定期列車に追い越してもらうため、ときどき長く停まる。そのため、追い越していくマリンライナーに乗り換えればよいのだが、そんなに早く着く必要もないため、そのまま乗っていることにする。乗客が少なくなってくる。朝徳島駅では寒かったが、昼になるにつれ暖かくなってきて、琴平ではかなり暖かかった。この列車に乗っていても、日差しがあり暖かい。そのため、ゆっくりと眠りながら岡山向かうことにする。岡山の一つ前、大元駅周辺では高架の工事が行われていた。

●岡山−金沢(山陽本線・東海道本線・北陸本線)

 岡山駅は前の年の夏にも少し長くいたこともある。そのため、このあたりでもうほとんど今回の旅が終わったような気になる。岡山で50分ぐらい時間がある。何度も来たことがあるのでわざわざ駅前まで行く必要もない。

 この駅の在来線各ホームで、列車到着時に音楽がなっており、ホームごとに違うため5種類の音楽がある。あるWebサイトから、その曲をダウンロードして聴いていたが、面白い。今日は時間もあるので各ホームで生で一通り聞いた。それから、姫路行きの普通列車が出るホームで列車を待つことにした。他の人が多くいる場所では座ることができても混んでいる。乗り場の案内をきちんと見ていると、6両で来るらしく、ほとんど人がいないところでも列車が来ることが分かった。そのため、あまり人のいないところで列車を待つ。さらに、姫路駅で新快速列車の一番前の車両に乗ることを考えるとなるべく前に行っていた方がよい。

 列車が到着し、一番前の車両に乗り込む。この岡山−姫路間は夏にきちんと景色を見ながら乗っていたので、今回はほとんど眠りながら姫路へ向かう。そして姫路で新快速列車に乗り込み、一気に長浜へ。もうこのあたりへ来ると、いつもの話なので、特に変わったことのないまま、敦賀・福井で乗り換える。福井で42分ほど時間があったが、うどんを食べながら時間をつぶして、金沢に23時33分に到着する。つまりこのパターンが西の方から金沢へ帰ってくる最終の普通・快速列車である。岡山15:21,姫路16:58,大阪18:00というパターンで、これは覚えていくと参考になりそうである。


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