JR各線を巡る旅の記録

34 四国・山陰 3日目 要約


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 3日目 2001年8月14日
 【梅津寺】−(伊予鉄道 普通)→【三津】…(徒歩)→【三津浜港】8:30発〜(防予汽船)→【柳井港(フェリー港)】10:50着…(徒歩)→【柳井港(JR駅)】11:08発−(普通)→【防府】12:12着、13:21発−(普通)→【小郡】13:37着、13:58発−(普通)→【宇部新川】14:44着、15:08発−(普通)→【宇部】15:18着、15:26発−(普通)→【居能】15:33着、16:02発−(普通)→【雀田】16:11着、16:27発−(普通)→【長門本山】16:32着、16:38発−(普通)→【雀田】16:43着、17:04発−(普通)→【小野田】17:19着、17:34発−(普通)→【下関】18:12着、18:18発−(普通)→【小倉】18:31着
 本州へ渡る。そうして山陽本線を西へ向かい、防府で「方面案内放送」の録音。そして、小郡から小野田までの間、宇部線・小野田線に乗る。そうして、宿の関係で小倉まで行くことになる。


●梅津寺−三津−三津浜港(伊予鉄道・徒歩)

 健康ランドから、伊予鉄道梅津寺駅まではすぐ近くである。ほんとうに、駅の近くというのは楽なものである。そうして、梅津寺駅へ。昨日は暗くなっていたので気づかなかったが、この駅、ほんとうに海に近いのであった。ホームによっては、鶴見線海芝浦駅並である。その海から見えるのは、工業地帯ではなく瀬戸内海である。

 梅津寺駅から三津駅も、近い。そうして、三津駅で降り、三津浜港へ。すでに「三津浜港はこちら」みたいな看板も出ており、普通に歩く距離である。

 商店街の中を歩く。ほとんどの店は開いていないが、雰囲気はよい。そのうち、商店街からはずれ、商店と住宅の混じった町並み。何とも言えない風情がある。古いものをわざわざ残したり、復元したといったような町並みでなく、ごく自然に残ってきたという感じ。この約1ヶ月後に行った、笠岡の町並みもこういう感じだった。歩いていて結構心に残る町並みであった。

 そうして、港に出てくる。しばらく歩くと、柳井へ行くフェリーのりばであった。

●三津浜港−柳井港(防予汽船)

 乗船券を買ってしばらく待つ。こうやることがないと、携帯電話でWebサイトの掲示板を見て、書き込みができるというのは便利である。

 しばらくして乗船が始まる。天気もいいし、中の部屋ではなく、デッキにずっといることにした。瀬戸内海の海風を浴びながら、2時間程度。ついでに日陰でなく、直射日光の当たるところにずっといた。おかげである程度は焼けたような気もする。

 所々に島がある。ずっと海が広がっているわけではないのであった。こういう島々の存在が、瀬戸大橋や「しまなみ海道」の建設を可能にしたのであるが、もともと海ではなく、山が多かったところに海水が入り込んで瀬戸内海ができた、ということが納得できる。その山々の頂上部分が島なのである。そうして、太陽に当たり、潮風を浴びながら島々を眺める。そのうち、飽きてきた頃に大きな陸地が見えてくる。橋も見える。その陸地が本州。よく見ると山陽本線も見えている。大畠駅。その次の柳井港駅から山陽本線に復帰するのである。

●柳井港−小郡(山陽本線)

 柳井港にフェリーが着き、そのまま上陸。そうして、大通りを渡り、そのまま他の人と同じように小路に入っていく。そうすると、すぐに柳井港駅があった。「青春18きっぷ」に日付を入れてもらい、ホームへ。2日前に明石駅を出て以来、ようやく山陽本線に復帰することができた。

 柳井港から、駅名標、その他駅の施設など、JR西日本に戻ってきたという思いが強い。なんか懐かしさを感じた。柳井から先は水田や住宅といった景色なのだが、このスピード感など、やっぱり山陽本線である。

 呉から上陸しなかったため、若干時間が余った。そこで、一旦防府駅に降りることにする。ちょっとこの駅の放送が気になったのである。その放送を録音するということが目的。この駅、高架駅なのだが、バブルがはじけたとか、そういうことで1面2線という、さっぱりとした造りになっていた。駅前などは高架駅らしく、きちんと整備されている。ついでにここでうどんを食べたのだが、熱いうどんしかなく、ほんとうに暑かった。防府からちょっと山口を通りつつ、小郡に到着する。

●小郡−宇部−居能(宇部線)

 小郡から宇部線に乗る。やっぱりロングシート。まあ、よい。

 小郡から、市街地を抜け、基本的に水田と畑、住宅。時々軽く山を越えながら、阿知須。この駅は「山口きらら博」をやっているだけあって、かなりの乗客が降りていく。ここまでの臨時列車も仕立てられているようである。

 阿知須から、同じように水田と住宅。地図上は海の近くを通っているが、実際見えたのは丸尾駅の近くと、床波−常磐間のようである。宇部岬を過ぎたあたりから、宇部の町になってくる。琴芝を過ぎてビルも増え、宇部新川。実際、山陽本線の宇部駅よりもこのあたりの方が市街地のようである。

 特にすることもなく、駅前でちょっと太陽に当たり、再び列車へ。今度は結構空いているクロスシート車。市街地から、大工場を経て、居能。そして、工場が多いところから住宅になり、岩鼻。その後は住宅中心の町に入っていき、宇部に到着。宇部で同じ列車に再び乗る。車掌も同じ声である。そうして、居能まで戻る。時間的には宇部新川でもよかったが、同じ駅に戻っていては面白くない。

●居能−雀田−長門本山−雀田−小野田(小野田線)

 居能駅で、特にすることもなく駅の施設をウロウロ眺める。そうして、列車が入ってくる。あまり見かけない形のロングシート車。もう形式なんてどうだっていい。

 居能から工場や水田・住宅を見ながら雀田へ。雀田から、例の、旧型電車に乗ることになる。いろいろ制限があって、結局この電車がここだけで活躍しているということ。ただ、「旧型電車」といっても、車内のシール類や扇風機などは完全に「JR西日本」のものであるというところが面白い。

 ゆっくり揺れながら、水田や住宅を見つつ、浜河内、そうして長門本山。特にすることもなく、再び雀田に戻る。

 雀田から同じように水田・住宅・工場。小野田港駅のあたりは港町の趣。ちょっと高いところに行き、少し山に入ったような形になったが、同じように水田・住宅。住宅が多くなりすぐに小野田に到着する。

●小野田−門司−小倉(山陽本線・鹿児島本線)

 小野田から再び山陽本線。見たことのある景色である。下関でJR九州の電車に乗り換え、いよいよ九州へ。九州も久しぶりである。門司の駅名標で九州へ来たことを強く感じる。今回、九州へ行った理由は単に宿の問題。単純に、下関にもカプセルホテルがあったのだが、風呂も狭かったし、落ち着かないところだったので小倉に宿を求めたのであった。九州へ行くことは目的ではない。

 すぐに小倉に着く。駅の「自動放送」というものを意識し始めて初めての九州入りであるが、結構豪快な放送である。その後分かったのだが、この声、いろいろな駅で共通して使われているようである。

 小倉駅の中で夕食を食べ、そのままカプセルホテルへ向かう。


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