JR各線を巡る旅の記録

44 最後に首都圏その4【完結編】 2日目要約


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2日目(2002年12月22日)
 【千葉】8:45発−(快速)→【東京】9:32着、9:38発−(普通)→【上野】9:45着、9:51発−(普通)→【大宮】10:17着、10:30発−(普通)→【池袋】11:05着、11:12発−(普通)→【東京】11:35着、11:51発−(青梅快速)→【新宿】12:05着
以下、「湘南新宿ライン」やら、鶴見線やらを乗っていますが、これは稿を改めます。
詳細な時刻表がないため、一部分、標準時間からの推定で書いているところがあります。

 本当に最終日。埼京線(戸籍上は東北本線)と、そうして中央本線。実はこの時、心配になって赤羽線に乗ったのだが、よくよく調べてみると乗ったと思っていたときに乗っていなかったことが判明。よって、この日、赤羽線も新規乗車であった。最後は日本一乗降客の多い駅で、ゴール。それにしても、人の多い駅ですね〜。

●千葉−大宮(総武本線・東北本線)

 もともと考えていた日程では、今日の朝、早めに一旦成田方面へ戻り、鹿島線に乗った後、東京方面へ行き、埼京線へというものだったが、昨日のうちに鹿島線も終了してしまっている。そのため、今朝はゆっくりできるのだった。

 といっても、「転地効果」で、7時過ぎには完全に目が覚めてしまい、風呂に入り、8時過ぎにカプセルホテルを出る。そうして、途中、朝食として牛丼を食べ、千葉駅へ。時刻表を先に見ておかなくても、乗れる列車に乗ればよい。便利である。

 総武本線快速で東京へ。本当にこの間、住宅地が見事に続いている。それと、各駅停車の列車が走る路線と並行するのも何となく面白い。そうして、錦糸町を過ぎ、地下へ。本来ならここで各駅停車に乗り換えるのが距離的にも短いのだが、東京駅での地下ホーム乗り換えを体験してみたく、そのまま東京へ。

 地下ホームに着き、そのまま上へ。京葉線のような、平面移動と立体移動の繰り返しを想像していたのだが、こちらの方は立体移動だけで済むようであった。やはり大変なのは京葉線の方であった。

 そうして、「京浜東北線」のホームへ。南浦和行きが続いていたが、とりあえず乗る。そういえば、そのままこの「各駅停車」に乗っている必要もないことに気づき、一旦上野で降りる。そして、時刻表を確かめ、高崎行きの普通列車に乗る。15両編成。長いのは人口過密地帯だから…。

 編成も長いので、ゆったりと座る。それにしても、この尾久経由の路線、ちょっとのんびりしていて個人的には好きである。赤羽から割と多く乗る。やはり、15両にはそれなりの意味があるのであった。そうして、ビルの多いさいたま新都心等を過ぎ、大宮に到着した。

 大宮では地下ホームへ。「新木場」行きの快速もあったが、別に急がないので、新宿行きの各駅停車に乗ることにする。

●大宮−(武蔵浦和)−赤羽−池袋(東北本線・赤羽線)

 大宮を出て、すぐ地上に出、そのまま高架へ。そうして、新幹線と並んで走る。住宅地を見下ろして走っていく。一戸建てとマンションが混じっている。北戸田付近で若干畑も混じるものの、ほとんどが住宅地。

 途中、新幹線が追い越していく。そうして、しょっちゅう新幹線とすれ違う。これだけ新幹線が身近なのも面白い。その中を、決まった形の駅が続く。戸田公園を過ぎ、川を渡って東京都に入る。若干、工場も混じりだす。北赤羽駅は川の上にあった。そうして、東北本線と一旦合流し、赤羽に到着する。

 本当は次に行くのは東京駅だったので、ここで降りた方がよいのだが、そういえば赤羽線に乗ったかどうか、いまいち不明瞭な部分もあったのでここで乗っておく。実はこの行動が吉と出たのであって、ここで乗らなければ、実は「完乗」にはならなかったのである。かつて乗ったとされていたとき、よく調べると乗っていなかったのであった。

 といっても、かなりの混雑。埼京線内では、大宮を出たとき、空いていた列車が、混雑してきて、武蔵浦和で快速に追い越されるときに一旦空き、その後だんだんと混んできた。そのため、外も見ることができなくなるので、ドア付近に移動した。そうして、この駅で本当に混んできた。昼間であるのになぜ混んでいるのだろうか。しかも、この混雑、北陸本線では体験したことのないものである。

 そういう中を進んでいく。高架から地平になる。板橋駅が意外と古い形であった。そうして池袋に到着。混雑から開放される。この段階でかなり疲れてきた。とにかく、都心から離れたいという思いが強くなった。

●池袋−東京(山手線・東北本線)

 山手線で東京へ。先ほどの混雑で、半分どうでもよくなっている。大阪環状線と違って、地上駅もあるんやな、ぐらいの認識で進んでいく。そうして、東京に到着。

●東京−新宿(東北本線・中央本線)

 いよいよ東京駅に到着。よく考えるとこの駅、さっきも来ているのである。とりあえず、山手線のホームから、中央線のホームへ。中央線ののりばが、一段高いところにあり、新しいということに改めて気づく。経緯は省略。

 そうして、エスカレーターで登っていくと、ちょうど高尾行きの快速が発車するところであった。まあ、「のりつぶし」最後であるのに、駆け込み乗車というのも何であるから、1本待つ。そして、その次。もう乗ることができるが、携帯電話で掲示板に書き込んだり、メールにレスしたりしているうちに、発車しそうになるので、それもまた見送る。何となく緊張してくる。最後の区間。こう、数分おきに列車が行き来していると、どれに乗ってよいか分からなくなる。その次に乗るべきなのか…。

 さっきのメールの主は「野洲さん」であった。今回、完乗時、どなたかに立ち会っていただこうと思っていたが、近くの方々は結構ご都合が悪いようであった。ということで、最後は一人で、と思ったが、当初ご都合の悪かった野洲さんが東京駅に向かわれている。そのまま待って、一緒に、とも思ったが、やっぱり最後は一人で感慨にふけようかと思い、待たずにとにかく新宿まで行くこととした。なお、完乗後に新宿駅でお会いしている。

 ということで、次に入ってきた「青梅特快」。ちょうど1番線でもあるし、これに乗ってしまうことにする。

 車内には、いつもこの列車に乗っていると思われる人が多く乗っている。まさか、初めて乗り、しかもこの列車が新宿に着いたときに、JR在来線完乗を迎える人がいるとは誰も思うまい。

 東京を出て、ビルを見ながら進む。ここから神田まで、実は戸籍上、東北本線。神田からいよいよ中央本線である。

 カーブして東北本線と別れていく。そうしてしばらくすると、総武本線が近づいてきて御茶ノ水で合流。ここは2ヶ月前に来ているところである。

 そうして、こちらは快速線であるので、こちらでホームがなくても並行する線路の方にホームがある、という首都圏らしい形態。この路線、結構緑が多い。右側を見ると、水路が並行している。そして堀割など。都心を通っているが何となく自然が多い路線である。そうして、割と大学も多い。そういうところを快走していく。

 意外な自然に感動しつつも、山手線が近づいてきて、カーブして合流。代々木駅であるが、こちらにはホームがない。

 代々木−新宿間は「山手線」として乗ったことがある。しかし、「中央本線」として乗ったことがない。こういう「二重戸籍」の区間が、実は最後になってしまうという「乗りつぶし」らしい状況になった。そうしているうちに、新宿駅の構内にさしかかり、ホームに入り、到着する。そうして、いつもこの駅を利用しているであろう人の中で、降りる。この瞬間。JR全線(新幹線、貨物線と臨時列車のみの区間を除く)を完乗することができた。

 ホームに降り立ち、駅名標などの写真を撮る。しかし、そうしているうちに次の列車がやってくる。携帯電話で掲示板に書き込みをしていても、次の列車がやってくる。本当に慌ただしいところが完乗の地となってしまったのだった。

 一旦改札の外に出るが、行き交う人の多いこと。どこからこれだけの人がやってくるのやら。そうして再び改札の中に入る。跨線橋から「ルミネ」が見えるが、そこの前を行き交う人が途切れずに続く。本当に人が多い。早く、人の少ないところへ行きたい。

 そのようにして、1990年8月1日、午前6時33分に、金沢駅から開始した「JR各線を巡る旅」は、2002年12月22日、午後12時5分、約12年5ヶ月をかけて、新宿駅で終了したのであった。それにしても、東京−新宿間って、意外と近いんですね〜。


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