2日目(2002年12月22日)
【千葉】8:45発−(快速)→【東京】9:32着、9:38発−(普通)→【上野】9:45着、9:51発−(普通)→【大宮】10:17着、10:30発−(普通)→【池袋】11:05着、11:12発−(普通)→【東京】11:35着、11:51発−(青梅快速)→【新宿】12:05着
以下、「湘南新宿ライン」やら、鶴見線やらを乗っていますが、これは稿を改めます。
詳細な時刻表がないため、一部分、標準時間からの推定で書いているところがあります。
もともと考えていた日程では、今日の朝、早めに一旦成田方面へ戻り、鹿島線に乗った後、東京方面へ行き、埼京線へというものだったが、昨日のうちに鹿島線も終了してしまっている。そのため、今朝はゆっくりできるのだった。
といっても、「転地効果」で、7時過ぎには完全に目が覚めてしまい、風呂に入り、8時過ぎにカプセルホテルを出る。そうして、途中、朝食として牛丼を食べ、千葉駅へ。時刻表を先に見ておかなくても、乗れる列車に乗ればよい。便利である。
総武本線快速で東京へ。本当にこの間、住宅地が見事に続いている。それと、各駅停車の列車が走る路線と並行するのも何となく面白い。そうして、錦糸町を過ぎ、地下へ。本来ならここで各駅停車に乗り換えるのが距離的にも短いのだが、東京駅での地下ホーム乗り換えを体験してみたく、そのまま東京へ。
地下ホームに着き、そのまま上へ。京葉線のような、平面移動と立体移動の繰り返しを想像していたのだが、こちらの方は立体移動だけで済むようであった。やはり大変なのは京葉線の方であった。
そうして、「京浜東北線」のホームへ。南浦和行きが続いていたが、とりあえず乗る。そういえば、そのままこの「各駅停車」に乗っている必要もないことに気づき、一旦上野で降りる。そして、時刻表を確かめ、高崎行きの普通列車に乗る。15両編成。長いのは人口過密地帯だから…。
編成も長いので、ゆったりと座る。それにしても、この尾久経由の路線、ちょっとのんびりしていて個人的には好きである。赤羽から割と多く乗る。やはり、15両にはそれなりの意味があるのであった。そうして、ビルの多いさいたま新都心等を過ぎ、大宮に到着した。
大宮では地下ホームへ。「新木場」行きの快速もあったが、別に急がないので、新宿行きの各駅停車に乗ることにする。
大宮を出て、すぐ地上に出、そのまま高架へ。そうして、新幹線と並んで走る。住宅地を見下ろして走っていく。一戸建てとマンションが混じっている。北戸田付近で若干畑も混じるものの、ほとんどが住宅地。
途中、新幹線が追い越していく。そうして、しょっちゅう新幹線とすれ違う。これだけ新幹線が身近なのも面白い。その中を、決まった形の駅が続く。戸田公園を過ぎ、川を渡って東京都に入る。若干、工場も混じりだす。北赤羽駅は川の上にあった。そうして、東北本線と一旦合流し、赤羽に到着する。
本当は次に行くのは東京駅だったので、ここで降りた方がよいのだが、そういえば赤羽線に乗ったかどうか、いまいち不明瞭な部分もあったのでここで乗っておく。実はこの行動が吉と出たのであって、ここで乗らなければ、実は「完乗」にはならなかったのである。かつて乗ったとされていたとき、よく調べると乗っていなかったのであった。
といっても、かなりの混雑。埼京線内では、大宮を出たとき、空いていた列車が、混雑してきて、武蔵浦和で快速に追い越されるときに一旦空き、その後だんだんと混んできた。そのため、外も見ることができなくなるので、ドア付近に移動した。そうして、この駅で本当に混んできた。昼間であるのになぜ混んでいるのだろうか。しかも、この混雑、北陸本線では体験したことのないものである。
そういう中を進んでいく。高架から地平になる。板橋駅が意外と古い形であった。そうして池袋に到着。混雑から開放される。この段階でかなり疲れてきた。とにかく、都心から離れたいという思いが強くなった。
山手線で東京へ。先ほどの混雑で、半分どうでもよくなっている。大阪環状線と違って、地上駅もあるんやな、ぐらいの認識で進んでいく。そうして、東京に到着。
いよいよ東京駅に到着。よく考えるとこの駅、さっきも来ているのである。とりあえず、山手線のホームから、中央線のホームへ。中央線ののりばが、一段高いところにあり、新しいということに改めて気づく。経緯は省略。
そうして、エスカレーターで登っていくと、ちょうど高尾行きの快速が発車するところであった。まあ、「のりつぶし」最後であるのに、駆け込み乗車というのも何であるから、1本待つ。そして、その次。もう乗ることができるが、携帯電話で掲示板に書き込んだり、メールにレスしたりしているうちに、発車しそうになるので、それもまた見送る。何となく緊張してくる。最後の区間。こう、数分おきに列車が行き来していると、どれに乗ってよいか分からなくなる。その次に乗るべきなのか…。
さっきのメールの主は「野洲さん」であった。今回、完乗時、どなたかに立ち会っていただこうと思っていたが、近くの方々は結構ご都合が悪いようであった。ということで、最後は一人で、と思ったが、当初ご都合の悪かった野洲さんが東京駅に向かわれている。そのまま待って、一緒に、とも思ったが、やっぱり最後は一人で感慨にふけようかと思い、待たずにとにかく新宿まで行くこととした。なお、完乗後に新宿駅でお会いしている。
ということで、次に入ってきた「青梅特快」。ちょうど1番線でもあるし、これに乗ってしまうことにする。
車内には、いつもこの列車に乗っていると思われる人が多く乗っている。まさか、初めて乗り、しかもこの列車が新宿に着いたときに、JR在来線完乗を迎える人がいるとは誰も思うまい。
東京を出て、ビルを見ながら進む。ここから神田まで、実は戸籍上、東北本線。神田からいよいよ中央本線である。
カーブして東北本線と別れていく。そうしてしばらくすると、総武本線が近づいてきて御茶ノ水で合流。ここは2ヶ月前に来ているところである。
そうして、こちらは快速線であるので、こちらでホームがなくても並行する線路の方にホームがある、という首都圏らしい形態。この路線、結構緑が多い。右側を見ると、水路が並行している。そして堀割など。都心を通っているが何となく自然が多い路線である。そうして、割と大学も多い。そういうところを快走していく。
意外な自然に感動しつつも、山手線が近づいてきて、カーブして合流。代々木駅であるが、こちらにはホームがない。
代々木−新宿間は「山手線」として乗ったことがある。しかし、「中央本線」として乗ったことがない。こういう「二重戸籍」の区間が、実は最後になってしまうという「乗りつぶし」らしい状況になった。そうしているうちに、新宿駅の構内にさしかかり、ホームに入り、到着する。そうして、いつもこの駅を利用しているであろう人の中で、降りる。この瞬間。JR全線(新幹線、貨物線と臨時列車のみの区間を除く)を完乗することができた。
ホームに降り立ち、駅名標などの写真を撮る。しかし、そうしているうちに次の列車がやってくる。携帯電話で掲示板に書き込みをしていても、次の列車がやってくる。本当に慌ただしいところが完乗の地となってしまったのだった。
一旦改札の外に出るが、行き交う人の多いこと。どこからこれだけの人がやってくるのやら。そうして再び改札の中に入る。跨線橋から「ルミネ」が見えるが、そこの前を行き交う人が途切れずに続く。本当に人が多い。早く、人の少ないところへ行きたい。
そのようにして、1990年8月1日、午前6時33分に、金沢駅から開始した「JR各線を巡る旅」は、2002年12月22日、午後12時5分、約12年5ヶ月をかけて、新宿駅で終了したのであった。それにしても、東京−新宿間って、意外と近いんですね〜。