七尾港の片隅に、「七尾鉄道発祥の地」という碑と、蒸気機関車の車輪が飾ってあるところがあります。そこから、七尾市街地方面を見ますと、線路跡と思しき道がありまして、これが市街地へ向かって延びています。国道159号線を注意深く走っていますと、七尾の市街地に入ったところでその道が交差しています。
100年以上も前の、明治31年4月24日、この「矢田新駅」から、津幡駅(現在の本津幡駅」まで、「七尾鉄道株式会社」が開業しました。当時はこの「矢田新駅」は貨物のみの扱いでしたが、明治37年11月より旅客扱いが始まり、明治38年4月からは全列車金沢駅まで直通するようになりました。
その当時、奥能登地区への交通手段は、陸路より船便が中心で、奥能登各地から船でここへ来て、金沢方面への列車に乗り換えた方が多かったようです。
大正6年に矢田新駅から七尾港駅に改称され、昭和4年12月、七尾線が能登中島駅へ延伸されるまで、交通の要衝として機能しました。その後は貨物専用駅となり、昭和59年1月までこの駅は貨物駅として使われていました。(参考資料:現地に建っている石碑)
取材日:2004年8月12日
「七尾鉄道発祥の地」の石碑と車輪。七尾港の片隅にあります。
おそらく構内であったであろう場所の風景。
七尾市街地方面へ線路跡が続いています。
駅と少し離れたところより。晩年は貨物線であったため、周辺で引き込み線の跡を見ることができます。
この駅の近くより海を眺める。駅から海まで、おそらく埋め立てが行われたと思われ、少し離れています。この海を通って、奥能登各地の人々はこの駅までやってきて、列車に乗り換えたのです。
駅跡の石碑より海の方を眺める。おそらく埋め立てが行われたのだと思いますが、海路から陸路へ乗換の地でした。