こちらは厚床から中標津へ向かう路線の、一つ目の駅です。別海町の文化財として、ほぼ当時の形で残されています。今にも列車がやって来そうな雰囲気です。
構内の様子。レールが錆びている他は、現役の駅と間違えそうです。
線路が延びている先へ。この草やレールのさびを見ていると、もう二度とこの駅に列車が来ないんだなということが実感できます。
ホームへ上る階段。ホームの向こうには牧場が広がっています。
駅舎の線路に面したところ。
残っていた運賃表。
昭和40年の時刻表が掲示されていましたが、おそらく、この駅を文化財としてオープンされるにあたって別のところからもってきたものと思われます。
この駅も、JRの駅として使われていた時代が1年と1ヶ月弱ありました。
駅のベンチ。こういう標語があった時代もありましたね。
もう一枚。構内の風景。
この駅は別海町の文化財として公開するという形になっています。
標津線ではありませんが、かつて、斜里(現在の釧網本線知床斜里)から、根室標津まで結ぼうとした根北線。斜里から越川までは一度開通しましたが、早々に廃止されています。そうして、線路が結局延びなかった区間に、この橋があります。昭和14年に着工したこの橋梁。「戦時中の過酷な労働」を伝えるものになっています。タコ部屋労働者によって作られたということ、また、鉄不足で、鉄を使わずに作ったとかいろいろと話もあります。
で、話によりますと、この中に人柱があったとか。ということもあり、心霊スポットでもあるようです。一度も列車が通らずに、国道拡幅のため、橋の一部が撤去されてしまったわけです。
橋の跡です。国道拡幅のため、一部が撤去されています。
この橋に関する説明文。
今でも花・酒などが供えられています。
おそらく、この橋の前後で線路が通ることになっていたであろう場所。