かつては直流区間の最終駅ということで、この駅で多くの列車が折り返していきましたが、現在は大半の列車が途中駅として発着していきます。しかし、一部、この駅で折り返す列車もあります。旧西浅井町の役場が近いこともあり、旧町の施設がいくつか駅近くにあります。しばらく歩いたところにある港は、かつては丸子船の港として賑わったようです。
 

ホームの様子。

近江塩津・敦賀方面を望む。

マキノ・山科方面を望む。

ホームの待合室。

かつての水飲み場跡のように思われます。

待合室内の様子。

3・4番のりばから見た山側。

3・4番のりばから見た琵琶湖側。しばらく水田の中を進むと集落があります。

旧西浅井町役場やその他町の施設があります。

3・4番のりばの上屋下。

3・4番のりばの「のりば標」

3番のりばの「のりば標」。

4番のりばの「のりば標」があったと思われる場所。何らかの原因でなくなってしまったようです。

3・4番のりばのマキノ駅側。
 
3・4番のりばのマキノ駅側にある小屋とその先。

3・4番のりばのマキノ駅側から見たホーム。

地下道へ降りていくところ。

地下道からホームを見上げたところ。

地下道を通って1・2番のりばへ。

1・2番のりばへ上がっていくところ。

1・2番のりばへの階段。

1・2番のりばへ上がったところ。

1・2番のりばの「のりば標」。
 
1番のりば・2番のりばそれぞれの「のりば標」。

縦型駅名標。

1・2番のりばから見た3・4番のりば。

1・2番のりばの近江塩津駅側。

1・2番のりばの上屋の下。

1・2番のりばのマキノ駅側。1番のりばの点字ブロックが独特です。

1・2番のりばの階段入口。

1・2番のりばから見た山側。

1・2番のりばから見た琵琶湖。
 
地下道の様子。

ICOCA改札機とチャージ機。

乗車駅証明書がくくり付けてあります。

 
駅舎内の様子。
 
駅舎内から別室である待合室。観光案内などがあります。

駅前の様子。

丸子船のモニュメント。

駐輪場と盛土の上のホーム。

駅舎入口。

駅舎入口に書かれた駅舎の名前。

こちら側にも駐輪場があります。

盛土とホーム。その下を通ります。

川の上。ホームの真下でもあるため、広い橋になっています。

その橋の下の街灯にも「丸子船の聡」と書かれています。
 
駅舎と反対側。

駅前の橋から見た永原駅。
 
その橋は「大浦川」にかかる「永原駅前橋」というようです。

駅近くにある旧西浅井町の施設。

旧西浅井町役場。
 
琵琶湖方向へ進みます。琵琶湖の方向と、振り返ったところ。
 
さらに進んで、再度振り返ったところ。

途中で大浦川を渡って、そこの橋から見た駅方向。

集落の近くで分岐しています。

そのあたりから再度振り返ったところ。

集落に入ってきました。
 
突き当たったところから見た両方向。
 
琵琶湖に出てきたところ。

琵琶湖。

小さい港があります。

この先、琵琶湖沿いの道が続きますが、引き返します。

既に永原駅まで1.7Kmのところに来ています。

琵琶湖沿い、学校だったような雰囲気があるところ。

 
大浦交差点付近。歴史のありそうな町です。

丸子船の館。

その丸子船の館があるあたりの町の様子。永原駅へ先ほどと違うルートで進みます。

永原駅へ戻ってきました。

永原駅から右側。

そこから見た永原駅前、旧役場など。

3・4番のりばへ戻ってきました。
 

ホームから。この当時は「役場」でした。

ホームから見た琵琶湖。

駅舎と駐輪場と盛土のホーム。

駅舎内の様子。

この当時は近江今津止まりも多くあった(さらにその前、交直切換区間は近江今津行きの気動車が主だった)こともあり、このような案内でした。

近江塩津・敦賀方面。

停車中の普通列車。