JR各線を巡る旅の記録

5 大阪・東京 1日目



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1日目 1991年1月2日
【金沢】6:33発−(普通)→【近江塩津】9:42着、10:35発−(普通)→【マキノ】10:49着、11:36発−(普通)→【京都】12:50着、13:12発−(普通・年始の特別ダイヤのため、到着時刻不明)→【木津】−(普通、以下大阪発まで時刻不明)→【片町】−(普通)→【京橋】−(普通)→【西九条】−(普通)→【桜島】−(普通)→【西九条】−(普通)→【新今宮】−(普通)→【湊町】−(普通)→【天王寺】−(普通)→【鳳】−(普通)→【東羽衣】−(普通)→【鳳】−(普通)→【天王寺】−(普通、大阪環状線1周半)→【大阪】?着、19:00発−(新快速)→【草津】19:50着、20:01発−(普通)→【大垣】21:28着、22:24発−(普通)→【東京】4:42着

 大阪近郊乗りつぶし、ということで、この時初めて大阪環状線に乗っている。また、今となってはなくなってしまった駅もこの時訪れていたのである。それと、乗りつぶし、後々のことを考えて、鳳−東羽衣間を乗っている。そうして、生まれて初の座席夜行列車。大垣から東京への夜行。


●金沢−近江塩津(北陸本線)

 よく乗っている列車、というか、この後よく乗ることになるこの列車で、近江塩津まで行く。かなり慌てて、自転車を漕いだということで、列車に乗り込んだときは結構気持ち悪くなっていた。当時は高校1年。今はどれだけ急いで漕いでも、気持ちが悪くなるということはない。どういう訳か、体力自体は、この時よりもあるということなのだろうか。

 冬ということで、この時間帯、外はまだ暗かった。そのまま福井を経て敦賀まで。そうして、今回、敦賀−新疋田間のループ線を通るとき、方位磁石を見ていたらどうなるだろうか、ということでわざわざ持ってきたのだった。ところが、方位磁石、まったく反応しない。電線に高圧電力が流れている関係であろう。ほんとうは1回転するところを見たかったのだが…。

 そういうことをしているうちに、近江塩津に到着。湖西線の列車まで少し時間がある。駅舎へ行ったり、通過する特急列車を眺めて時間を過ごす。

●近江塩津−京都(湖西線・東海道本線)

 近江塩津から気動車に乗る。今では、長浜まで直流電化になった関係で、電車にも余裕が出て、この区間は交直流電車が走っているが、当時はこの区間、気動車で接続していたのだった。それと、米原−敦賀間にも気動車が残っていた。

 特急に乗っていたら電気が消えるところは、そのまま通過する。そうして、永原。その後のトンネルでは、直流用の電車とすれ違う。そうして、マキノに到着。

 この列車は近江今津行きで、今度乗る列車は永原発。そのため、永原−近江今津間、どの駅で乗り換えてもよかったのだが、とりあえず珍しい駅名なので、マキノで降りる。

 高架駅。しかもほとんどお金をかけていなく、コンクリートむき出しの部分も多い。駅前をウロウロするが、それほど珍しいものもない。それでも、列車発車直前になると、結構集まってきた。

 そうして、普通列車で琵琶湖を見ながら京都へ。いつもは特急で通るところを一駅ずつ停まっていくのは面白い。

●京都−木津(奈良線)

 京都まで普通列車で来た。今では珍しくも何ともないのだが、当時としては、初めてのことだったのである。奈良線のホームまで行き、ロングシートの列車に乗る。この、2両連結にまで短くできるロングシート車。(105系、ですか?)当時は奈良線を走っていたのだった。今では桜井線や和歌山線、そのうち紀勢本線で走っている。

 座ったのだが、その後、乗客が増えてくる。どうしてこれだけ増えるのだろう、とか、妙に着物を着た人が多いな、と思ったのだが、初詣客であった。稲荷駅で多く降りていく。

 その後は車窓をほとんど覚えていないが、2002年3月に改めて乗っている。

●木津−片町−京橋(片町線)

 木津駅で走り、片町線の空いている列車に乗る。この当時はすでに長尾−木津間は電化されていた。ただ、住宅開発途中であるという感じの山の中を走っていたような記憶がある。今ではだいぶ変わったと思うが、この後、2002年7月現在、改めて乗っていない区間であり、何とも言えない。

 途中からかなり乗客が増えてくる。結構スピードを出していた記憶がある。

 京橋に到着して、ほとんど降りてしまった。一応、「完乗」ということを意識しているので、そのまま片町駅まで行く。京橋から、すぐに着いてしまった。駅舎を出ることなく、引き返したのだが、今はもうないこの区間。もったいないことをしたものだと思う。そうして、京橋で降りる。この方向で、京橋で降りる人も珍しいと思う。

●京橋−西九条(大阪環状線)

 高架の環状線のりばへ行き、西九条へ行く。ただし、大阪経由だったのか、天王寺経由だったのか覚えていない。高架で見下ろす大阪の町を、結構楽しく見ていた。

●西九条−桜島−西九条(桜島線)

 西九条に着き、桜島線へ。両側のホームから乗ることができるホームを珍しく見ていた。西九条を過ぎて、地上へ降りる。そうして、港が近い町を眺める。可動橋も意識して眺めていた。当時は、USJもなく、都会にあるちょっとした旅情のある路線、という感じであった。ゴルフ練習場の近くにある桜島駅に到着。この駅も、現在とは場所が変わっている。そうして、折り返す列車で戻る。

●西九条−新今宮−湊町−天王寺(関西本線・大阪環状線)

 同じように大阪環状線で、一旦新今宮へ。ここで、関西本線の列車に乗り換える。大阪環状線と別れるか別れないかの間に、すぐに今宮。今ではこの駅、大阪環状線にもホームがある。そうして、今ならこの後、地下に潜るところだが、そういうことはなく、地上で線路が多くなり、湊町駅に到着する。何となく構内の広い駅だと思った。そうして、引き返し、そのまま天王寺まで。この列車で天王寺まで行っておかないと、新今宮−天王寺間、どの路線に乗ったかが変わってしまうのである。

 天王寺駅で阪和線のホームへ。降車専用ホームが珍しかった。

●天王寺−鳳−東羽衣−鳳−天王寺(阪和線)

 かなり夕方。日も落ちてきたようで、車窓もほとんど覚えていない。途中、堺市だけ停まったような気がする。

 鳳から、東羽衣行きに乗り換える。荷物電車改造ということで、少し車内が変わっていた記憶がある。そうして、そのまま駅を出ることなく、同じ列車で引き返し、鳳から天王寺へ戻る。

●天王寺−大阪(大阪環状線)

 せっかくで時間もあることであるし、大阪環状線に乗り大阪へ着いた段階で、もう1周、乗ることにした。大阪の町を高架で見渡すことができ、結構面白い路線であると思った。

●大阪−大垣(東海道本線)

 完全に日も暮れ、ほとんど覚えていない。草津で一旦降りたことすら、記録を見て思い出したくらいである。そうして、草津から大垣まで直通したことも、よく覚えていなかった。

●大垣−東京(東海道本線)

 大垣に到着し、時間もあるが、早めにホームで待つ。ほとんど待っている人がいないなと思ったら、そこはグリーン車であった。そのままホームの端の方へ行き、最後尾の車両のあたりが待っている人も少なかった。そこで待つことにする。

 かなり待っていると、夜行列車が入ってきた。座席争奪戦になるのだが、全員に席が当たったようである。

 急行型電車の、クロスシート。寝ようとするのだが、あまり眠れない。座席でわざわざ寝る、という習慣もなく、クロスシートでベットのように、ちっちゃくなって寝ようとしたり、いろいろ試みるのだが、あまり眠れない。しかも、浜松までは各駅に停車するという、丁寧な列車である。

 日付が変わって、18きっぷに日付を入れてもらう。それから、気がつくと寝ていたようである。



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