2日目 1991年1月3日
【東京】4:42着、?発(以下、高尾発まで時刻不明)−(普通・山手線新宿経由)→【品川】−(普通)→【鶴見】−(普通)→【海芝浦】−(普通)→【浅野】−(普通)→【扇町】−(普通)→【武蔵白石】−(普通)→【大川】−(普通)→【武蔵白石】−(普通)→【鶴見】−(普通)→【東神奈川】−(普通)→【八王子】−(普通)→【高尾】?着、9:32発−(普通)→【甲府】11:03着、11:44発−(普通)→【上諏訪】13:07着、13:51発−(普通)→【松本】14:33着、14:55発−(普通)→【南小谷】16:54着、17:06発−(普通)→【糸魚川】18:00着、18:16発−(普通)→【富山】19:31着、20:00発−(普通)→【金沢】20:59着
この日は東京に着いてから、未明のうちに山手線に乗車。そうして、乗りたいと思っていた鶴見線。あとは、東神奈川から、なるべく近道のような感じで、戻ってきた。
早朝の東京駅に到着する。と、4時台の東京駅に着いても、特にすることがないので、とりあえず「山手線」を乗りつぶすことにする。戸籍上「山手線」となっているところを乗ってしまうため、東京から上野・田端経由で品川まで行く。外は暗く、しかも夜行列車から降りたばかり。面白くも何ともない。とりあえず、「乗った」という既成事実だけ作っただけである。昨日あれだけ楽しんだ大阪環状線とまったく違う扱いである。これ以降、10年以上、好きな路線「大阪環状線」、嫌いな路線「山手線」ということが頭の中にしみこんでしまった。それが覆されるのはいつのことになるか。
そうして、ほとんど覚えていないのだが、品川から乗り換えて鶴見まで行く。鶴見駅で、鶴見線乗車用の改札を通り、屋根の高い鶴見線ホームへ行く。
とりあえず、海芝浦まで行く。だいぶ明るくなっている。鶴見から、いくつかの線路をオーバークロスし、東海道本線と別れ、しばらくして国道。工業地帯を走っていく。浅野から、海芝浦へ行く路線へ。埋め立て地の、海のすぐそばを走る。1月3日。世間はほとんど休みのはずだが、工場へ向かう人も数人いるようである。新芝浦を経て、海芝浦。降りても何もないということは分かっていたが、ほんとうにどこへも行けない。ホームでたたずむ他、何もできない。海を眺め、そのまま折り返す。
浅野で降りて、今度は扇町まで。工業地帯を走っていく。扇町に着いたが、旅客の方はこれで終わり。貨物の方はさらに続いていた。何となく、終点という感じが薄い。そうして、武蔵白石まで折り返して、大川へ。現在ではこの路線の接続駅は安善になっているようであるが、当時は武蔵白石であった。噂に聞く茶色い旧型電車が停まっていた。それに乗り、一駅区間、大川まで行き、引き返す。そうして、再び鶴見へ戻る。
鶴見から東神奈川まで。ほぼ覚えていない。そうして、横浜線の列車に乗る。夜行列車明けで、しかも、鶴見線で結構乗り換えをした後で、ちょうど疲れが出ている頃なのだろう。「横浜線」というものに乗ったことにはなっているのだが、ほとんど景色を覚えていない。何となく、新横浜で、東海道新幹線と立体交差をしたとか、町田へ近づくときに大きな町だったことを覚えているのだが、気がつくと八王子に着いていたのであった。
八王子から、高尾へ。そうして、高尾で少し時間があるのだが、ずっと列車に乗っていたためか、少し気持ちが悪くなっていた。今ではそういうことはほとんどないので、こういうことに慣れたものだなと思う。そうして、中央本線の列車に乗る。この区間、2001年11月に乗っているので、詳しい車窓はそちらの旅行記を参照していただきたいが、この時は、それからすぐに寝てしまったらしい。断面の小さいトンネルとか、気にしようと思っていたのだが、気がつくとぶどう畑が広がっていた。本格的に寝ていたものである。そうして、乗客も増えてきて、甲府に到着する。
甲府で、そばなどを食べた。橋上駅をウロウロしていたが、駅前には出なかったと思う。そうして、さらに松本の方へ向かう。
天気がとても良い。まわりの広葉樹はまったく葉がなく、そう考えると冬なのだが、それでこれだけ天気が良いというのは、日本海側では考えられないことである。八ヶ岳を見て、小淵沢。小海線が別れて行くが、別れてすぐに高いところへ登って行くらしく、すぐに高低差が出てしまっている。そうして、天気がよい山の中を進んでいく。
一旦上諏訪で降りる。元旦は風呂に入らなかったし、昨日も風呂に入っていない。最近の旅では、1日2回風呂に入ることが多く、これだけ風呂に入らなかったというのも、今ではとても考えられないことなのだが、ここでホームにあるという温泉に入っておく。1991年の「初入浴」は、上諏訪駅のホームであった。露天風呂のみなので、あまり暖まることができず、上がる。
そうして、さらに松本方面へ。諏訪湖に当たる太陽が眩しい。岡谷から、長いトンネルを通り、みどり湖を経由して塩尻へ。そうして、松本まで行く。
好きな路線として必ず挙げている大糸線。この時、初乗車であった。ただ、「第一印象」はそれほどよくなく、雪が積もっていて、窓が曇り、さらに、スキー客も多く乗ってきている。おまけにだんだん暗くなっていくということで、車窓はよく分からなかった。ただ、スキー場の近くに駅が多い路線だなと思った。
南小谷から気動車に乗り換えるが、完全に暗くなっていた。本来なら、洪水で改修される前の、素晴らしい景色なのだが、その景色を眺めるのは、この年の夏であった。
糸魚川駅の売店で、あんパンを買って食べた記憶がある。その後、普通列車で金沢まで戻ったのだが、暗くて、その時特に何があったのかは覚えていない。とにかく、金沢まで帰ったのは確かである。