JR各線を巡る旅の記録

08 飯田線・瀬戸大橋 2日目


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1991年8月15日
 (臨時快速ムーンライト山陽)→【広島】5:43着、5:54発→(呉線経由)→【岡山】9:26着(以下、時刻の記録なし)(岡山市内路面電車、清輝橋まで往復他)→【茶屋町】→【宇野】→【茶屋町】→【高松】→【丸亀】→【坂出】→【児島】→【岡山】
※早朝広島に到着し、呉線経由で岡山へ。ただし、三原−岡山間はほとんど記憶がない。そのあと、今回もう一つの目的である瀬戸大橋を渡って生まれてはじめて四国へ行く。そして青春18きっぷを落としてしまう。一旦広島へ戻る予定だった。

●広島−海田市−(呉線)−三原−岡山(山陽本線・呉線)

 広島まで来たのだが、すぐに引き返してしまう。夜行列車を宿代わりに利用しただけということである。今とは行動パターンが違う。

 早朝の山陽本線を東に向かっていく。海田市から呉線に入る。この文章を書いているときは瀬戸内海の景色が好きで、山陽本線も好きなのだが、呉線に関してはこの時以来乗っていない。時間があればまた乗りたい線である。とにかく、海沿いを走っていたという記憶がある。向かいに座った老夫婦がどこから来たのかと聞いていた。「石川県です。」「金沢の近く?」「はい、金沢です」「じゃあ、石川でなく金沢の人ね」という会話だったと思うが、どうもこの人たちの頭の中には「石川県金沢市」という言葉が入っていないらしい。金沢市は富山あたりにあると思っているのだろうか。

 瀬戸内海の島々が見える。その老夫婦の話によると、対岸に見える島が、この前(ということはこの文章を書いているときでは9年前)子供を預かる施設で、罰として貨車に閉じこめて死亡させてしまうという事件が起こった島らしい。

 そういう島も含めてたくさんの島が見えた。そうして三原では高架で合流する。その後山陽本線を走るのだが、夜行列車明けでほとんど覚えていない。全く覚えていない。今にして思えば日本のJR線の中でも好きな区間の上位に位置する区間であるが、その時は寝て過ごしたらしい。気がついたら岡山であった。ただし、この区間についてはその8年後以降、よく乗っている区間なので、その時の記憶はなくてもよいと思う。とりあえず岡山に着いた。

●岡山市内

 今回は高松へ行って帰ってくればよいので、この後の日程は全く考えていなかった。とりあえず岡山駅の前に出る。路面電車があったので、特に急いでいるわけでもないので乗ってみることにする。全面広告塗色の電車で、タウンページの広告であった。ゆえに黄色い電車であった。行き先は2つあったが、「清輝橋行き」が先にあったのでそれに乗る。行き着いた先はオフィス街で、特に変わったこともないまま同じ電車で折り返す。

●岡山−宇野(宇野線)

 そうしていよいよ四国方面へ向かうことにするが、一応このあたりの「乗りつぶし」をしておくことにする。快速「マリンライナー」に乗るが、乗客が多い。座ることができずに発車する。岡山を過ぎて、水田が多くなってきながらもそのまま走っていく。そうしてしばらくして茶屋町。高架の駅であった。ここで宇野方面への列車に乗り換える。

 瀬戸大橋ができてからこの区間は支線のようになってしまった。列車も1両だけの、荷物列車を改造したロングシート車である。不思議な音を聞きながらも、水田の中を走り宇野に着く。

 宇野駅の長いホームに列車が1両だけポツンと到着する。隣にもホームがあるが使われないようになっていた。跨線橋も閉鎖されていた。長いホームの先にはかつての宇高連絡船乗り場があるのだが、今はその名残しかない。ホームも列車の着くところだけ色が塗られているが、それ以外はどうでもよいようになっていた。

 外へ出る。やや大きい駅で、駅名も「うのえき」とひらがなで書かれているが、ひっそりとしている。そういう駅を見て、乗ってきた列車で茶屋町まで折り返す。

●茶屋町−(宇多津)−坂出−高松(備讃線・予讃線)

 この「備讃線」であるが、正式名称はよく分からない。時刻表や地図にはそのものズバリ「瀬戸大橋線」と書いてある。小学館の「全線全駅・鉄道の旅」シリーズの付録にあった「JR線走破マップ」には「備讃線」と書いてある。弘済出版社の「JR全線全駅」という本には「本四備讃線」と書いてある。「瀬戸大橋線」ということはなかったと思うが、ここでは一応「備讃線」としておく。

 茶屋町から再び「マリンライナー」で四国を目指す。しばらくするとトンネルが連続する。山をぶち抜いてでも四国への最短ルートとなる所に橋を作りたかったらしい。

 JR西日本とJR四国の境界である児島を過ぎて、いよいよ瀬戸大橋を渡ることになる。トンネルを抜け、前方に橋が見えてくる。そうしていよいよ渡ることになる。下を見ると海がきれいに見える。船が通ったあとの白い部分もきれいに見える。ときどき島になる。住宅地がよく見える。高速道路の方はインターチェンジを作ったところもあるが、列車の方は駅を作らなかったようである。島を渡るたびに橋の名前は変わるのだが、どれがどれかはどうでもよいこととする。とにかく、海の上と島を交互に見て、前方に工業地帯が見えてくると四国である。宇多津を通らずに短絡線を通り、坂出に到着する。そしてそのまま水田などを見ながら高松まで行く。

●高松で

 例によって駅前をしばらく散歩する。このときは珍しくカメラを持っていった。電池がなくなったのでカメラ屋で購入する。そして、フェリー乗り場で肉うどんを食べる。かなりおいしい。そういうことをしながら高松市内をうろうろしていた。

●高松−丸亀(予讃線)

 戻らなくてはならないが、そのまま戻っては面白くない。瀬戸大橋のある坂出を過ぎて丸亀まで行くことにする。そうすることによって瀬戸大橋の付け根の三角地帯を乗りつぶすことができるからである。

 景色はほとんど覚えていないが、丸亀まで到着する。丸亀駅は高架駅であった。そしてしばらくすると、山陽本線でよく乗るような湘南色の電車が入ってきた。岡山行きの電車である。それに乗る。

●丸亀−宇多津−児島−坂出−児島(予讃線・備讃線)

 これで瀬戸大橋を渡ると、さっきの「マリンライナー」という専用列車とはひと味違った、庶民的な感じがする。そして同じ線を通り本州に上陸する。とりあえず児島で降りる。同じように高架駅である児島駅の前を少し歩き、「瀬戸大橋記念館」というものが坂出にあるということを知る。せっかくなので行ってみようということで、再び「マリンライナー」で今度は坂出駅を目指す。坂出駅は今はどうか分からないが当時は普通の地上駅であった。高架駅がしばらく続いていたので逆に新鮮な感じがする。

 というときにこの旅、いやこのシリーズ最大の事件が起こってしまった。ポケットの中を見ても「青春18きっぷ」がないのである。いや、これは困った。改札を通ることもできない。おそらくさっきの「マリンライナー」に落としてきたのだろう。当時の18きっぷは今と違って5枚綴りであった。いつもはマルスで発券される、5枚バラバラなきっぷを使っているので、5枚まとめて落とすということはなかった。しかし今回はなぜか常備券という、予め印刷されているきっぷであった。しかも、何を思ったのか、5枚続いていた方がよいだろうということで、表紙付きのきっぷを切り離すことなく、5枚綴ったまま持っていたのである。ということは5枚まとめてなくしてしまったということになる。

 とりあえず、最後にきっぷを見た児島駅まで戻ることにする。入ってきた「マリンライナー」で児島を目指す。4回目の瀬戸大橋は、こういう最悪の状態で渡ることになってしまった。気を落ち着けるために外を見る。相変わらず島と海を交互に繰り返している。そして児島駅の改札で乗車券が落ちていなかったか聞くことにした。

●児島−岡山(備讃線・宇野線)

 結局落ちていなかった。もう一度改札からホームまで歩いてみたが落ちていない。こうなるとマリンライナーで落としたということが確実である。

 児島駅の駅員さんと相談してとりあえず、岡山駅へ行きなさいということで、岡山駅へ行くことにした。児島から岡山まで、再びマリンライナーで移動することになる。だいぶ夕日も見えていた。今日はどうも本州と四国の間を行ったり来たりしていたような気がする。

●岡山駅

 岡山駅に到着する。一応家に電話してみるが、誰も出ない。どこかへ行っているようである。

 岡山駅の精算窓口で、その件を話す。まず、おそらく落としたであろう列車はマリンライナーであることは分かっているのだが、どのマリンライナーかということが分からない。いつものように計画通りに乗っていれば、すぐに答えることができるのだが、今回は広島から岡山に到着して以降、全く適当に乗っているため、どの列車か分からない。一応高松駅にも問い合わせてくれたが、届け出はないとのこと。誰か拾った人が持っていったか、どこかへ飛ばされたようである。そのままありったけのお金で帰ってください、と言われると困ってしまう。所持金と、運賃を調べてみると、敦賀までしか行けないことが分かった。

 駅員さんに、これまでのルートと、これからのルート、そして何枚残っていたかという話をする。これから、広島まで行って、ムーンライト山陽で京都へ向かうという話で、それではムーンライトの指定席券を見せてください、と言われたので見せた。確かに今日の分である。これが、きちんと18きっぷを買って来ているということ、金沢から来ているということの証明になったようである。

 「お金も持っていなさそうだし」と言い、何か書類を書き始めた。「業務連絡書」平成3年8月15日、という書類で、「関係列車車掌、駅長殿、 岡山駅 改札助役 代」「8月12日 金沢 発行 青春18きっぷ 8月16日から有効、当日1枚」「上記きっぷ 岡山駅に紛失の申し出があり 調査中につき、便宜乗車方お願いいたします。」と書かれたA4を3枚に切ったような書類であった。5枚中、2枚は使ったが、3枚目はこれで代用ということで、明日になってから金沢まで帰れるということ、残り2枚は残念だが放棄ということを知らされた。これで金沢まで帰れるということになる。本当にありがたい話である。

 さて、これで、改札の外へ出ることができた。予定では一旦広島へ行き、そこからムーンライト山陽に乗るということだったが、今日はもう列車に乗ることができない。外は少し明るい。これから「ムーンライト山陽」が来るまでの9時間、この駅で過ごさなくてはならない。夕食は、新幹線待合室の方へ行くと暖かい弁当を売っていたのでそれを買う。もし、あるお金で帰らなくてはならないということになると、こういうものを食べることができなかった。本当にありがたい話で酢豚弁当だったか唐揚げ弁当だったか、9年も経っているので忘れたが、とにかく頂く。

 それから、12時まで、本を読みながら駅の待合室で過ごすことになる。12時になってから、ホームへ出る。ホームに出たところであと3時間あるのだが、椅子に座る。このあと何回もこの駅を訪れたのだが、どの場所に座ったか分からない。そして、運転停車する夜行列車を見ながら時間を過ごす。はやぶさ、臨時急行玄海、みずほ、さくら、と停車していく。ふるさとライナー山陰は、旧型機関車の付け替えということで、かなりにぎやかになっていた。

 時間が来て、快速ムーンライト山陽が来る。今なら「線路は続くよどこまでも」等と行った音楽がなるところだが、それは7年後、8年後の話である。この駅でそれぞれがすれ違うということ、ムーンライト高知と分割・併合を行うということでかなりにぎやかになった。指定された座席に着く。きちんと空いていた。車内も真っ暗になっていた。とにかくその列車で京都へ向かう。


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