1995年8月13日
(ふるさとライナー山陰)→【松江】6:16着、6:36発→【米子】7:09着、7:43発→【新見】9:29着、10:17発→【岡山】11:36着、12:02発→(赤穂線経由)→【相生】13:22着、13:25発→【姫路】13:45着、13:57発→【神戸】14:35着、15:05発→【米原】16:54着、17:18発→【敦賀】18:06着、18:12発→【湯尾】18:32着、18:58発→【金沢】21:02着
※とにかく島根県・鳥取県に足を踏み入れたというもの。
松江では少し駅前を歩き、しばらくして米子方面行きの普通列車に乗る。このまま岡山まで、さっき乗ってきた線路を引き返すことになる。このような、意味の内容に見えるルートであるが、この理由は「経緯」のところに書いたとおり、2泊3日で予定していたものを無理やり1泊2日にしてしまったからである。
松江から大橋川に沿って走りその後は中海に沿う。県庁所在地付近とは思えないような景色である。早朝であるからかもしれない。そして、やや大きい安来を過ぎて、米子に着く。
米子は思ったより大きな町で、鳥取県と島根県を管轄する役所の出先機関、会社の支店などが集まるからであるようである。石川・富山でいえば高岡のような町であるが、それよりもこの両県にとっては要のようである。少し駅前を歩く。東京行きのバス停がある。 米子から伯備線新見まで行く列車に乗る。間に一駅挟み、伯耆大山に着く。少し長く停まるようだったので駅前まで行く。分岐駅という機能が強く出ている駅なので、駅前自体はそれほどにぎやかではない。
伯耆大山から伯備線を走るのだが、とても山深いところを走っているという印象が強く、それ以外はあまり印象にない。確かに地図を見ていても川に沿って山の中をカーブだらけで走っているということが伺える。とにかく、この川のおかげで伯備線があるのである。川がなかったら鉄道を通すことができなかったであろう。そういう意味でも、川が交通網の形成に果たしてきた役割は大きい。
また、1999年8月に芸備線に乗ってから、備中神代で伯備線に入ったのだが、伯備線に入った瞬間に山が深くなるのである。芸備線はあまり高くない山とやや広い谷を走るのだが、芸備線は狭い谷を走るのである。
とにかく、途中居眠りはしたものの、深い山の景色を見ながら新見に到着した。
新見駅前を少し歩く。向こうの山には中国自動車道が走っていてインターチェンジも見える。ある意味交通の要衝なのだが、長閑である。また、駅前のバス乗り場で、バスが来るたびに事務所から女性が出てきて、バックするバスを誘導している。その出てくる早さと誘導の豪快さ、そして、それにあわせてさっとバスがバックして、すぐ発車していくのはとても見ていて面白かった。
この駅から、姫新線で姫路まで行くこともできたし、そのまま伯備線で倉敷、そして岡山まで行くことができる。予定ではどちらも可としていたが、岡山まで行くことにした。今となってはこの姫新線新見−津山間になかなか乗ることができずにいる。結果としてはこのとき乗っておけばよかったのだが、まあいずれ乗るときがあるだろう。ただし、運転本数が少なくて、心配な区間でもある。
新見からは再び川沿いに走る。川幅は先ほどよりも広くなっている。川沿いに走っていき、途中備中高梁が割と大きな町で、その後少し川沿いに走ったが、そのうち平野になってきて総社を過ぎて倉敷に着く。
倉敷からそのまま乗り換えずに、平野部を走り岡山に着く。
岡山駅は、1991年に青春18きっぷを落として12時間ほど滞在して以来の駅である。12時間も滞在していたのである程度勝手が分かっている。この文章を書いているとき現在の話では最近よく訪れるようになった駅である。
岡山から、少しでも乗車線区を増やすために、赤穂線経由で相生まで行くことにする。岡山からは市街地を走り東岡山からいよいよ赤穂線に入る。
赤穂線に入り、しばらくは平野を走っていたという記憶がある。西大寺を過ぎて、しばらくすると山の中にはいるようであるが、このあたりは記憶がない。西片上や備前片上あたりで、狭い湾があるようであるが、このあたりの記憶はある。降りる乗客も多く、割と空いてきた。造船所も見える。そして、瀬戸内海沿いに走るが、呉線とよく似た景色である。瀬戸内海は他の海と違って独特の景色である。島が近いのと、ときどき工業地帯や造船所が現れるのである。
播州赤穂を過ぎて、しばらくすると、新幹線と合流してそして山陽本線とも合流し、相生に到着する。
相生から山陽本線の普通列車に乗り換える。入ってきた列車はすべてロングシートの、通勤型列車であった。そのうえ満員であり、立っている客もかなりいた。確かにこの岡山−姫路間、特に三石−相生のあたりは普通列車が少ない。そのため、外もよく分からないまま姫路に着くが、その後の旅で何度もここを通っているため、その時に景色は見ている。
姫路から新快速列車に乗り換える。この乗換はこの後の旅でよくするのだが、確かこのときが初めてであった。明石か西明石から複々線になり、各駅停車の列車を追い越す。須磨海岸や、明石大橋も見ながら、神戸市市街地に入っていく。震災から半年以上経っているとはいえ、空き地がたくさんある。ビニールで覆われたところも多く、震災のひどさが分かるが、新しい建物もたくさんあり、復興の早さにも驚く。ときどき仮設住宅も見える。
神戸でいったん降りる。北陸本線の普通列車に乗り換える時間調整である。駅自体は、高架の駅で金沢駅のような構造である。割と古いという意味で歴史を感じるが、東海道本線と山陽本線の接続駅という感じがしない。単なる途中駅である。柱に見えるヒビは震災でできたものか、古いからできたたものか。
駅前はきれいなバス乗り場などができている。復興の早さを感じる。
神戸から再び震災のあとを見ながら三ノ宮を過ぎ、さらに西宮あたりの震災のあと見てそのうち尼崎を経て、大阪に着く。そのままよく見る景色を見て京都を過ぎ大津を過ぎ、そうしているうちに米原である。米原でも長浜でも乗り継げたはずだが、どちらで乗り換えたか覚えていない。おそらく座席をとるため米原で乗り換えたのでないかと思う。
そのあと、敦賀を過ぎて、湯尾で降りる。金沢まで行くには敦賀−芦原温泉間のどこかの駅で乗り換えなくてはいけないが、降りたことのない湯尾で降りる。今庄町の中にあり、北陸自動車道が並行している水田の中にある。国道365号線に沿い、今庄インターも近くて、駅も近いので割と便利そうであるが、あまり多くの家はない。店も商店からコンビニになりかけたような店があるだけであった。
湯尾からはいつもと同じように福井に着き、同行者と別れてその後は、気が付くとたまに遅くなったときに通学で乗る列車で金沢に到着する。