JR各線を巡る旅の記録

23広島・山口1日目


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 1999年8月13日
【金沢】発8:30−(普通)→【福井】着10:14、発10:16−(普通)→【長浜】着11:59,発12:10−(新快速)→【姫路】着14:46,発15:04−(普通)→【岡山】着16:27,発16:29−【普通】→【広島】着19:14
※ 金沢から広島へ行くだけである。このルート自体は夜行列車を含めると何度も乗っているが、昼間の列車だけで考えると、三原−海田市間が新規乗車となる。また、きちんと車窓の記憶があるものを考えると、姫路以西はほとんど記憶がなかったので、姫路以西は新しいものがほとんどであった。

●北陸本線(金沢−米原)、東海道本線(米原−神戸)及び山陽本線(神戸−姫路)

 旅に出るというのにいつも会社へ行くように起きて、食事をする。そしていつもの通りの時間に家を出る。服装と荷物だけが違うだけで、途中までは自転車をこいでいく道も同じである。

 駅に着くがいつもと違う場所に自転車を停める。というのも、もしかすると急行きたぐになどで深夜に帰ってくる可能性があるからである。いつもの高架下の自転車置き場だと夜10時から朝6時までは閉鎖されるため、家へ帰れなくなってしまうからである。

 そして会社の始業時刻と同じ8時30分金沢駅発の北陸本線普通列車に乗り込む。この列車は大学の時は1限目はおろか2限目にも間に合わない列車であり、かといって午後からの3限目には早すぎたため、当初は使っていなかったが、4年生などで授業がほとんどなかったとき等はよく使った列車である。そのためある程度勝手は覚えていた。ただし平日ではないのでどの程度通用するのか。

 そう思っているうちに、松任に着いたがほとんど降りなかった。以前はこの列車、松任で乗客がよく降りていたのだが、ダイヤ改正のためか、それとも盆休みのためか。

 この列車は以前と同じ419系である。私の文章で形式名が出てくるのは珍しいのだが、つまり、昔あった寝台・座席特急兼用車両の改造列車である。様々なところにその名残が見られるというよりも、あまり改造されていない。少し前まで日本で3ヶ所、この列車が走っていたところがあったが(九州と北陸と東北)今は北陸だけになってしまった。この列車はボックス席に座ると素晴らしく座り心地がよい。向かいの人との間隔や、席の広さなどはおそらく普通列車では日本一であろう。ただ、立ち席だったときやロングシートに座ったときは窓が小さいため外がよく見えないという欠点がある。今回は小松までロングシートに座るはめになった。ただ、何回も乗っている区間なのでどうでもよいのだが。

 ただし、この4年間通った金沢−森田(福井)間だが、微妙に車窓は変わっている。小舞子−寺井間の林だったところ(石川郡美川町と能美郡根上町の境界のあたり)が、いつの間にか新興住宅地になっている。また、小松駅付近が高架工事のため仮線になっていた。この仮線は本格的で、全くスピードを落とさずに走行している。2月にサンダーバードで通過したときも全くスピードを落とさなかった。また、小松駅も仮駅になっているが、この駅も普通の駅と全く変わらない。屋根も全面に付いている。高架が完成するまでの数年間の使用であろうが、その間不便が起きないようにしてある。

 また、粟津−動橋間の水田も一部豆畑になっていた。減反については最近、あまり聞かなくなったが聞かないだけで、実際は進められていたようである。

 そして、丸岡駅では2番線のレールが撤去されていた。以前は待避で使われていたこの線路だが、ダイヤ改正で使われなくなったのだろう。列車が遅れたときによくこの駅で待避ということがあった記憶があるが、事故等の対応は大丈夫なのだろうか。

 このようにして2〜3年前までの通学路線を眺めているうちに、普段乗り降りしていた森田に着き、そして福井に着いた。福井では隣に停まっている列車に乗り換えるのだが、この列車が運用の都合でかなり前寄りに停まったため、この列車の3両目と乗り換える列車の1両目が並んでしまった。

 福井からは見慣れた景色を見ながら進んでいく。金沢−福井間のように微妙な変化に気が付くほど乗っていないのでどこが変わったか、あるいは変わっていないのかよく分からない。

 敦賀で少し早いが昼食(駅弁)を購入する。長浜では乗換のホームには売店がないし、その後は姫路になってしまう。その姫路でも乗り換えの関係で昼食を購入する暇がないかもしれないのでここで調達するのが無難であろう。

 敦賀をすぎてループ線を登る。これについても見慣れているのであまりしっかりと見ないが、それでもトンネルを抜けて敦賀市内がきちんと見渡せることを確認する。新疋田ではその前後に鉄道写真を撮る人が多くいる。鉄道が趣味といっても様々な部類に分けられ、私などは全く写真を撮らない部類に属する。そのため、ここにいる人たちとは同じ趣味のようで、実は違う趣味なのである。

 新疋田を過ぎて、近江塩津駅構内にさしかかり、北陸本線と湖西線が分かれ始める。この別れ方も、両線でスピードを落とさず、安全に分かれるために一目見るとかなり複雑な感じである。隣の線路が上へ行ったり、あるいは線路の下をくぐったりしてようやく4本の線路が並びそして近江塩津駅のホームが現れる。そして、ホームを過ぎるとすぐにこの2つの線が分かれる。

 去年はこのあたりでこの日これからとるルートを大きく帰る決心をしたが、今日はそのままルートを変えるという気が起こらない。

 そしてしばらくして長浜に着く。長浜では例によって新快速の一番前が着く場所まで歩く。これもいつものことである。そして新快速列車が来てそれに乗り込む。ここから姫路までは最近珍しい話でなくなったので、これに関してもかなり省略する。

 神戸付近ではまだ、仮設住宅が多くあった。住んでいるかどうかは別として、町の中にもまだ空き地が目立つ。完全には復興していないようである。あと、兵庫駅で去年乗った和田岬支線が見えるかどうか見てみるときちんとホームがあり、非電化の線路が分かれていった。

 そして西明石でただの複線区間になり、加古川を過ぎて姫路に到着する。姫路では時間そのもは20分あったが、次に乗り換える列車がもう来ており、早く乗らないと立席になってしまうところだった。やはり敦賀で弁当を食べておいてよかったと思う。

●山陽本線(姫路−広島)

 ボックス席を取ることができたが、窓側の進行方向とは逆である。体調が悪いとあまりよくないのだが、まあ、大丈夫であろう。その後で通路に立つ人が多く出てきた。

 ここからは一度岡山で乗り換えるものの一気に広島まで行ってしまう。広島に到着する頃がちょうど日没である。ちなみにこの区間は、三原−海田市間以外はすでに乗っているのだが、夜行列車明けの半分以上居眠りをしていた三原−岡山間と、日が暮れてしまった相生−岡山間等でほとんど景色は覚えていないので、詳しく見ていくことにした。

 姫路を出てしばらくは市街地を走り、次第に住宅地になってくる。そして英賀保を過ぎると住宅地に水田が混じってきて、水田が多くなる。北陸本線でよく見る景色であるが、北陸本線沿線と違ってこの時期でも稲穂が付いていない。北陸の方が田植えが早いためである。また、瓦の色も北陸本線沿線の黒中心と違って、薄い色が多い。当然雪止めは付いていない。

 車両区のある網干を過ぎてしばらくすると水田の中の住宅が増え、住宅地になり竜野に到着する。実際の市街地はここではなく姫新線の本竜野である。竜野を過ぎて少し山の中に入る。そして新幹線がオーバークロスして相生に到着する。京阪神地区の自動改札はここまで来ている。同時に京阪神地区はここか、赤穂線播州赤穂までであることを示している。

 相生を出て赤穂線と新幹線が分かれていく。どちらも分かれてすぐトンネルをくぐるが、こちらはトンネルをくぐらずに進んでいき有年に到着する。このあたりは北陸本線の今庄あたりに似ている谷の中である。平野が尽きて、山に入っていく景色である。発車してしばらく川に沿って走る。しばらく離れてからその川を渡る。

 そのうちに、智頭急行の分岐駅である上郡に着く。上郡を出て、しばらくすると近代的な智頭急行が分かれていく。そしてこちらも山を登っていき、ようやくトンネルをくぐる。山陽本線神戸起点以来初めてのトンネルである。また、東海道本線も含めると、京都直前以来である。このように山陽新幹線は容赦なくトンネルを通るが、在来線の方はなるべくトンネルを通らないようにしている。

 トンネルを抜けると岡山県になる。そして三石である。山の中にある駅のようだがしばらくすると町が見えてくる。このあたりの国道2号線は2車線であり、国道の標識を見ないとそれとは分からない。石灰か何かがとれる山が見える。このような山を見て思うのだが、いつも何気なく車窓から見える山は、実は岩石でできているのである。木が生えていて、いかにも木にとって栄養の固まり(つまり、土)でできているように思うのだが、土の部分は遠くから見るとほんの表面だけで、あとは岩石なのである。確かに土だけでできていると、雨が降る度に山がぐしゃぐしゃになってしまう。

 少しにぎやかになり吉永に到着する。同じようにして町から離れ、にぎやかになり和気に到着する。進行方向右側が川に沿って走る。堤防があり、その横にたくさんの車が停まっている。キャンプの客であろう。そして熊山を過ぎると、山陽自動車道がオーバークロスしていく。山から出てきて高架を走り、山へ消えていく。かなり高いところを走っている。

 次の万富駅の前にはキリンビール岡山工場がある。瓶やケースがたくさん積まれている。両側が山で、その前に田んぼが広がっていて、家が少し混じっているというところをしばらく走る。このような景色は今後多く見ていくことになる。そして、町になってきて瀬戸である。瀬戸を出ると新幹線が斜めにオーバークロスする。周りの山が低くなってくる。上道まで来ると岡山近郊の新興住宅街である。コンビニエンスストアも駅前に2つある。そして、東岡山で相生で別れた赤穂線と合流する。そして新幹線と一緒に岡山に到着する。相生−東岡山間は山陽本線であるが山越えの路線の味わいがあった。

 岡山ではわずか2分で乗り換えである。しかも別のホームなので走らなくてはならない。ガラガラではないことは間違いないから、混んでいたら次の列車にしようかと考えていた。ただ、その後倉敷などを控えており、多少混んでいてもすぐに空くということは予想できたのでとりあえず乗ってしまうことにする。予想通り、座ることすらできなかったが、とにかく乗ってしまうことにする。

 岡山を出るとしばらく市街地を走る。次の庭瀬を過ぎると水田が多くなってくる。中庄の駅は大学の近くである。自転車が多く止まっている。たしか、ここの先生で非常勤の講師として来ていた人の集中講義を受けたことがあるような気がする。

 中庄を過ぎると田と家の景色になる。そして下りの伯備線が別れ、立体交差して倉敷駅に入っていく。伯備線は陰陽連絡線の中でも重要な路線であるから、分岐のしかたも本線並である。

 倉敷駅で予定通り座ることができた。倉敷を出て市街地から住宅地へと変わっていく。そして西阿知を過ぎて高梁川を渡る。倉敷で分岐する伯備線に乗るとこの川の流れを十分に楽しむことができる。そして、家が少なくなって田が多くなってくる。どうも本州の平野部は市街地と住宅地と田(一部畑)の三者択一あるいは混合という気がする。

 しばらくして町らしくなり、新幹線が近づいてきて新倉敷に到着する。

次の金光は金光教本部があり、雰囲気も違う。病院もある。金光教の内容はよく分からないがこの町は天理市と同じ宗教の町である。広い意味では伊勢市や大社町もそうなるのだろうが、狭い意味での宗教の町は日本では珍しいような気がする。(かといって外国での実例もよく分からないが。)

 鴨方を過ぎてやや山がちになってくる。そして里庄を過ぎて軽く山越えしてから町のなかに入る。家などが普通の市街地にあるような建物ではなく、海に近いことがよく分かる造りである。そうしているうちに笠岡に到着する。駅の裏にはSATYがあり、「シーサイドモール」とある。路地の陰からは海が見える。発車してすぐに狭い湾が見える。ボートが止まっている。実際そこにいると海がとても近いように思えるが、地図上は海から距離がある。川に近い広さの湾が市街地まで入り込んでいる。というよりも干拓をしたような雰囲気もするがよく分からない。

 そしてトンネルをくぐる。神戸、あるいは大阪から数えてようやく2つめのトンネルである。トンネルが終わると山と山に挟まれた漁村であるが、そこをすぐに抜けて住宅地になる。そして干潟になる。と思ったら、水田と家の混じった、今まで通りの景色となる。そして両側の山と山の間隔が狭くなってくる。山と山の間に山陽本線と国道2号線が並んで走っていて、国道2号線の沿線には店がある。国道を見ていると「福山10Km、広島115Km(おそらく数字は違っていると思う。」の標識が見えた。と思った瞬間に「広島県」という標識と「福山市」という標識が見えた。あっけなく県境を越えた。

 しばらくして町が広がってきて、大門に到着する。道・家・店ともに新しい。富山にある「越中大門」の「越中」がつかないものがここにあった。

 そして、新幹線がオーバークロスしてくる。新幹線はトンネルから出てきて、トンネルに消えていく。どう考えてもこちら側の方が乗っていて面白い。そして、町を見下ろして少し高いところを走る。少し山越えするがトンネルはない。右側から非電化単線が寄ってくる。草が多い。特に私鉄も支線もないので貨物専用線であろう。そして広い貨物駅のある東福山。乗客が多少ある。市街地になってきて、新幹線と併走する。そのうちこちらも高架になってくる。新幹線に乗っていると、福山はかなり高い高架で走っているため、大きな町に見える。在来線でもそれなりの高さの高架なので、やはり大きな町に見える。「見える」というよりも、大きな町なのだが、つい県庁所在地でないと、あまり大きな町だとは思わなくなっている。ただ、高架の方が列車から見ていると大きな町に見えるのは確かである。

 福山でかなり乗客の入れ替えがある。少し薄暗いが、在来線の真上に新幹線ホームがあるからである。この駅については福塩線に乗るときにゆっくり見てみることにする。

 福山を出て、芦田川を渡る。並行する国道2号線はここでは4車線になっている。市街地を走り、それがとぎれながら備後赤坂。近くに新興住宅地もある。そこを過ぎると完全に水田の中に家があるという景色になり、そのうち山になる。その山を超えると市街地になり松永。このあたりの川の中には、小さい川で泥、つまり干潟のようになっているものもある。このあたりは満潮と干潮の差が激しいのだろう。海が少し見える。島も見える。そして住宅地の中に東尾道があり、そこを過ぎると、住宅地から造船所の見える景色になってくる。海のそばである。そして、今年の5月に私が北海道へ行っている間に開通してしまった尾道と今治を結ぶ橋が見えてくる。本州と四国を結ぶ3つのルートで山陽本線から見えないものは、鉄道が走っている瀬戸大橋だけである。他の2つ(ここと明石海峡大橋)は、きれいに見える。

 このあたりになると、対岸の島までの距離が短く、海か川か分からなくなる。(ただ、深さから見て明らかに海と分かるのだが、ここでは距離だけの話。)そして、下関のような港町的市街地を通り尾道に到着する。

 尾道を過ぎ、市街地を抜けて海沿いを走る。向こう岸が近い。道を見ると雨で濡れているようである。そうしているうちに強い雨が降り出してきた。そして三原市に入る。しばらく走ると道が乾いていた。このあたりで見える海は波がないが潮の流れは速そうである。そして町の中に入り糸崎に到着する。駅の構内は広く、降りる客も多い。そしてなぜか2分停車する。発車して工業地帯や市街地を走り、高架の三原に到着する。

 ここまでは一度乗っているはずだが、呉線の印象と混同している。そのためほとんど記憶にない。ここまで乗って思うのだが、山陽本線沿線には大きな町が多いが、それ以外は山越えをしていることが多い。海沿いを走っているのにしょっちゅう山越えしている。それの大規模なものが相生−岡山間だったり、今から走る三原−広島間だったりする。そのほか何度も山越えをしている。

 どうも、瀬戸内海沿いは山が海まで迫っているというところらしい。というのも、瀬戸内海の島々は以前は山の頂上で、それが今の瀬戸内海のところまで水が進入して水没したものらしく、つまり、瀬戸内海の島々も、瀬戸内海沿いも含めて、昔はかなり高度の高い山の中腹だったということらしい。そのため山越えをしょっちゅうしなくてはならないが、地味な山越えが続くという路線になってしまったようである。そして、瀬戸内海沿岸の都市で大きなところ=平野部は、川が運んできた土砂が溜まったところであり、そのため、このあたりの大きな都市には大きな川があることが多いのである。特に広島がそうである。あと、大きな平野がないため、かなり山奥まで水田がある。そこまで考えた段階で山陽本線の景色が納得できた。あと、あまり高くない山ばかりなのでめんどうなので新幹線はトンネルばかりになっている。

 さてここからは新規乗車区間である。といっても、夜行では何度も通っているし、中にはずっと立ったままここを通過したこともある。とりあえず、きちんと外を見るのは初めてである。

 三原を出ると、高架で呉線と別れていく。8年前に呉線に乗ったときに、高架で山陽本線と合流したことを覚えているので、見覚えのある景色である。そのまま高いところを走り、トンネルをくぐる。しばらくは工場が続くが、その後水田と家の混じった景色になる。工場も混じっているが、そのうち工場はなくなってしまう。西に向かっているので、前方に夕日が見える。

 少しにぎやかになり本郷。その後、新幹線がオーバークロスしていく。新幹線は相変わらずトンネルから出て、トンネルに消えていく。乗っていても面白くないと思う。急ぐとき以外、新幹線は乗ってはいけない。

 高速道路が、かなり高い橋でオーバークロスしていく。そして、高度を上げ、山の中へ入っていく。家もなくなっている。そしてトンネルを抜けると、渓谷の景色になっている。山の中のローカル線のような雰囲気である。ただし、谷が少し広い。また、時々水田と家がある。少しでも平らな土地があると水田にしているようである。

 その渓谷の中で、山に向かって道路工事が行われている。「空港大橋左岸工事」とある。広島空港はこのあたりなのである。住宅地がみえ、しばらくして河内。川を渡る。向こう側の窓では川が見えている。住宅地も時々混じる。あまり広くない谷に田と家が混じり、入野。新しい住宅がある。分譲中の住宅地であり、広島県住宅供給公社が進めているようである。

 山を越えて、家が多くなり白市。小学校では盆踊りの用意が行われている。このような状態をどこかでも見た。また、水田の中に家が混じるという景色である。ただし、周りの山はさっきより低くなっている。つまり谷の高度が上がっているということである。やや家が増え、西高屋。山陽自動車道がオーバークロスしていく。谷が広くなり、市街地になり西条。そして、谷が狭くなり、田が多くなり、となったが再び家が増え店が増え八本松に到着する。ここから次の瀬野までが「セノハチ」とよばれた急勾配区間である。機関車の付け替えを行っていたときの名残で構内は広い。

 八本松を出て、ブレーキをかけながら勾配を下っていく。トンネルも時々ある。レールのきしむ音もたまに聞こえる。そのうち山の中に入る。たまに小さい川の渓谷が見える。途中で狭いところに家と田がある。カーブがかなりきつい。周りの山がだんだん高くなる。これはもちろん谷の高度が低くなってきていることを意味する。市街地へ向かって降りていき、その市街地を過ぎてから瀬野に着く。これは、水平になるまで駅を作らなかったためであろう。

 急勾配を降りたので、飛行機や山から下りてきたように耳が少しおかしくなる。ごく軽いものであるが、急勾配であったことが分かる。隣の川が少しずつ大きくなる。その川に沿ってまだ下っていく。

 山に向かって新興住宅地が広がっている中野東。駅名板で広島市内であることが分かる。このあたりの新興住宅地の景色は、8年前「ムーンライト山陽」で、目が覚めたときの景色である。川がさらに広くなり、住宅地がそのまま続き安芸中野。新幹線がオーバークロスしていき、川がまた広くなる。市街地もにぎやかになる。海田市、向洋と市街地を走り、広い旧鉄道用地の空き地を見ながら広島に到着した。

●広島駅及び広島市内にて

 まずは夕食である。せっかくだから広島風のお好み焼きを食べることにする。本当なら町の中へ行けばよいのだが、どこへ行ってよいか分からないので、駅の2階で済ませるとにする。それでもいくつかお店があり迷ったが、座りやすいところで注文する。焼きそばも入っているので、これで夕食を済ませることにした。

 そのあと、カプセルホテルへ向かう。例によって、健康ランド・カプセルホテルが紹介されているサイトの情報をプリントアウトしたものをもっているので、それを見ながら、路面電車に乗り、そこへ向かう。

 歓楽街であり、客引きも多いが、なぜかそのような場所で客引きをされたことがない。Tシャツと短パンというのがお金がなさそうに見えるのか、それとも、カプセルホテルの地図を見るためにファイルをぱらぱらめくっているのが悪いのか、全く客引きをされないまま、カプセルホテルに着いた。

2,300円でこれ以上はかからないということ。安いが、その代わり風呂が普通の銭湯のようである。(サウナと水風呂はある。)また、4階まで階段で上らなくてはならない。 近くに、設備の整ったカプセルホテルができ、そのため安くなったようである。

 ただ、場所の関係か、何となく落ち着かない。ぐっすり眠ったのだが、朝になりあまり落ち着かない。9時や10時頃はまわりのほとんどのカプセルが空室だったのに、朝になるとほとんど閉まっていた。これもよく分からない。まあ、早く起きたことだし、朝風呂にはいるが、これも落ち着かず、結局6時半頃にもう出てしまった。そのため、14日の日程は予定とは全く違った行動をとることになった。


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