JR各線を巡る旅の記録

23広島・山口 概要


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●日程(同じものが各ページにあります。)

1999年8月13日
【金沢】発8:30−(普通)→【福井】着10:14、発10:16−(普通)→【長浜】着11:59,発12:10−(新快速)→【姫路】着14:46,発15:04−(普通)→【岡山】着16:27,発16:29−【普通】→【広島】着19:14
※ 金沢から広島へ行くだけである。このルート自体は夜行列車を含めると何度も乗っているが、昼間の列車だけで考えると、三原−海田市間が新規乗車となる。また、きちんと車窓の記憶があるものを考えると、姫路以西はほとんど記憶がなかったので、姫路以西は新しいものがほとんどであった。

1999年8月14日(特記なき限り普通列車)
【広島】発7:02→【岩国】着7:55、発8:15→【徳山】着9:35、発9:55→【小郡】着10:36、発10:57→【益田】着13:54、発14:55→【長門市】着16:51、発16:54→【仙崎】着16:57、発17:04→【長門市】着17:08、発17:22→【小串】着18:30、発18:37→【下関】着19:23
※予定より早く行動を始めたので、ゴールのみ予定通りであとは全く予定とは違ったコースをとった。夜行列車での乗車を考えないとほとんどが新規乗車である。

1999年8月15日(特記なき限り普通列車)
【下関】発8:22→【小郡】着9:29、発9:33→【広島】着12:12、発12:23→【三次】着14:02、発14:19→【備後落合】着15:21、発15:22→【新見】着16:32、発16:34→【岡山】着18:12、発19:03→【姫路】着20:28、発20:38−(新快速)→【大阪】着21:39
※山陽本線で乗っていなかったところの補充と広島から芸備線経由。

1999年8月16日(特記なき限り普通列車)
【大阪】発8:30頃→【尼崎】発8:52→【長浜】着10:34,発11:05→【福井】着12:56,発13:20−(普通・小松から快速)→【金沢】着14:37
※昨日、急行きたぐにで帰ることができたが、生活のリズムを崩さないため大阪で1泊する。その後の単なる帰宅であり、よく乗る区間。

●経緯

 今まで乗っていない路線を乗ったら赤く塗りつぶす路線図がある。これを見ると乗っていないところがすぐに分かる。全体の55%ぐらいの進捗状況では、どうしても「空白域」というものがある。その中で目立ってきたのが広島・山口である。  今まで特に3連休の時など、周遊券を使ってそのあたりへいく構想は何度もあったし、盆休みにもそのあたりへ行くことを何度か考えてきた。しかし、「3連休構想」については結局大阪で終わってしまったり、「盆休み構想」では、大阪・名古屋の友人に会うことがメインになってしまって、広島・山口方面へはなかなか行けずにいた。  また、この広島・山口というところは何度か行っている九州へ行くときは必ず通るところである。(1回だけ、四国経由で行ったときは通らなかった。)つまり、夜行列車では何度も通っている。  そういうこともあり、全くはじめての土地ではないものの、あまり縁のない土地であった。今回の盆休みは特に友人に会う予定もなかったため、ようやく行くことができたのである。  計画段階では、1日目で下関まで行き、翌日は山陰本線で益田まで行き、それから山口線で小郡へ戻り、そのまま呉まで行き、船で松山へ渡り、3日目で松山からいったん八幡浜まで行ったあと坂出まで行き、瀬戸大橋経由で帰るということも考えていた。ただしこれだとどうしても朝早くから夜遅くまで行動しなければならない。そのため四国は考えずに、山口・広島だけを回ることにした。また、2日目は予定よりも早く行動を開始したため、予定よりも多く乗車することができた。

●全体として

 今回は、いくつか旅行記を書いたあとだったため、それを意識したものとなった。メモも本当の初期以来、久しぶりに取ることになった。そのため、旅行記の内容があまりにも詳しすぎるものとなり、かえって単調なものになってしまった。これは今後どうしていくか考えなければならない。  また、中国地方の地形というものが、どうも他の地方と違って、海沿いでも山が多いというものであるということが分かった。「平野」といっても、そんなに広いものでもない。中国山地と、狭い平野、そして瀬戸内海の島々が一連のものであるということが何となく気づいた。

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