1999年8月14日(特記なき限り普通列車)
【広島】発7:02→【岩国】着7:55、発8:15→【徳山】着9:35、発9:55→【小郡】着10:36、発10:57→【益田】着13:54、発14:55→【長門市】着16:51、発16:54→【仙崎】着16:57、発17:04→【長門市】着17:08、発17:22→【小串】着18:30、発18:37→【下関】着19:23
※予定より早く行動を始めたので、ゴールのみ予定通りであとは全く予定とは違ったコースをとった。夜行列車での乗車を考えないとほとんどが新規乗車である。
予定より1時間半も早く行動を開始してしまった。これを利用しないのはもったいない。予定では8時23分発の可部線に乗り、三段峡で引き返し、その後、岩徳線・宇部線・小野田線を乗った後、夜9時過ぎに下関へ到着するというものだった。可部線については、可部までは本数が多いものの、それ以降本数がぐっと減ってしまう。そのため、この時間に行動を開始しても、予定通りの8時23分発と結果が同じになってしまう。
とにかくどのコースをとるかは、あとで決めることにして、岩国方面へ向かってしまうことにする。計画の段階で、山口線・美祢線あたりの感じもつかんでいるので、おそらくそのあたりになるだろうと思う。可部線、場合によっては宇部線・小野田線は次回にまわすことにする。といっても「次回」とは何年後であろうか。ずいぶんあとの場合もあるし、もしかしたら、来月ということもあり得る。
朝食を入手しておかなくてはならない。幸いにも駅の弁当売場で、パンやおにぎりも含めていろいろ売っていたため、とりあえずパンとおにぎりを多めに買っておくことにする。
由宇行きの普通列車は1番ホームであるという。そのため、階段の上り下りが不要であったのでよろしい。ただし、この手の駅で1番ホームというのは始発であることはほとんどない。つまり、好きな座席に座れないし、場合によっては立たなくてはならない。
しかし入ってきた列車は大嫌いな4ドアのオールロングシート車(あえて形式をいうなら103系)だった。これでは好きな座席も何もあったものではない。空いていたのが唯一の救いである。
広島を出ると、しばらく市街地を走る。中国地方は平野が少ないので、このような平地にはここぞとばかりに町が広がっている。大きな川を2本ほど渡る。広島は三角州に発達した町なので、このような大きな川がいくつかある。そうしているうちに可部線が分岐する高架の横川に着く。それから川を渡り、その川に沿って走る。川の対岸が市街地であるが、こちらも少し市街地である。そして西広島を過ぎてから広島電鉄に沿って走る。右側が山で、左側が市街地である。広島電鉄の車庫もある。新井口を過ぎてから少し海が見えたが、その後五日市、廿日市、宮内串戸と市街地を走る。駅の造りも、市街地の駅という感じである。大阪環状線にあるような駅を小さくしたような感じで、私鉄っぽいといえばそうである。
宮内串戸を過ぎると市街地から離れる。海が見える。山になってきてトンネルを2つくぐると町になって阿品。その後海沿いを走り、宮島競艇の前を通過して宮島口。並行してきた広島電鉄はここまでである。
宮島口を過ぎると、海沿いを走るが、建物が間にありあまり海が見えない。宮島は島としてではなく手前に見える山として見える。時々海が見えるが狭い。ただし川には見えない。時々トンネルをくぐりながら大野浦。ここを過ぎると家がなくなり、海がよく見えるようになる。時々山になりトンネルをくぐる。そして家が増えてきて玖波。そのあたりから市街地になる。石油化学コンビナートもある。そして貨物駅のある大竹。石油化学コンビナートが多くあるところにある川を渡る。おそらくそこが広島県と山口県の県境であったのだろう。市街地を走り、時々石油化学コンビナートを見ながら岩国に到着した。降りたら磯の香りがした。海は近いのである。構内はかなり広い。
岩国駅の駅前などを少し見て、岩徳線の気動車に乗り込む。広島・山口地区の気動車で新型でないものは多くがこの黄色である。
2両であるが、十分に好きなところに座ることができる。左右どちらの窓でもよいのだが、一応、錦川鉄道の分岐を見ることができる右側に座ることにする。
なお、この駅で車内の待ち時間が長かったため、今日のこれからの行動が決まった。小郡から山口線で益田へ抜け、そのまま山陰本線で下関まで行くことにする。宿泊地のみ予定通りである。美祢線は次の機会にする。また、計算してみると、今回無理だと思われたJR乗りつぶし60%達成は翌日の芸備線内で可能となった。やはり早く行動を開始して正解だったのである。また、下関到着も予定より早まることとなった。宿泊先も何なら小倉にしてもよい。これは下関に着いてから考えることにしよう。
岩国を出て、市街地を走る。寺が間近に見える。この近さは本線ではあまりない。手を伸ばせば墓に手が届きそうである。その墓も、盆なので飾り付けがされている。トンネルを抜け西岩国。それから高度が上がってくる。市街地を盛り土や高架で通過する。右側の山に城が見える。おそらく岩国城である。城に興味を示す人が多いが、歴史に興味を示さない私は特に興味がない。犬山城と同じように山の上や中腹(どちらだったか忘れた)にあり、「山の飾り」として面白い。(城好きな方々、ごめんなさい。)そして、錦帯橋のある錦川を渡る。渡ってしばらくすると、錦川鉄道の分岐点である川西である。高いところのあるので眺めがよい。ゼロキロポストもある。ただし、この駅ですぐに別れるのではない。ここで市街地が終わり、山の中にはいる。そして、トンネルを抜けたところですっと錦川鉄道(旧岩日線)が別れていく。
もう一つトンネルを抜け柱野。下の方に小さな川が流れており、集落がある。道と川と集落と田がある谷であるが、岩徳線が谷底ではなく、高いところを走っているため、谷を見下ろす形である。そのうち谷の方が高度を上げ、そぐ横を道が走るようになる。そしてやや長いトンネルを通る。気動車なので登っているということがよく分かる。トンネルを抜け、田と家のあるところへ出て欽明路。そして少しにぎやかになり玖珂。この駅のホームは2面3線であったものを、まん中を取り去って2面2線にしている。一時期(戦時中)この岩徳線の方が山陽本線を名乗っていた時期があり、この区間にも多くの長距離列車が走ったことがある。その名残であろう。西岩国もこれと同じであった。
このあたり、新幹線が並行している。新幹線はどこかの在来線の別線としての扱いであり、運賃計算にあたってはその在来線を元にしている。(そのための訴訟もあったようである。距離が短いのに多く運賃を払わされているということで。)この岩国(新岩国)−徳山間は、山陽本線ではなく岩徳線の別線という扱いになっていて、運賃もそのように計算され、キロ数も「地方交通線」として計算される。というのも、明らかに山陽本線よりも岩徳線に沿って新幹線が作られているのである。
そのため、この路線のいたるところで新幹線を見ることができる。1回だけオーバーロスして行くが、それ以外は右側の山の中腹を走っている。それだけならば高いところから眺めのよい新幹線になるのだが、実際はほとんどがトンネルで、山がとぎれたところだけ仕方なく地上に出ている。(実際はそういう意識ではないと思うが、そのように見える。)山から新幹線の線路が出てきて、高架を走り、すぐに山の中に消えている。乗っていてほとんどがトンネルだと思うのがよく分かる。急がないなら明らかに在来線の方が面白い。
さて、玖珂を出て、国道2号線に沿って水田の多いところを走る。そして周防高森。この駅も2面3線の用地で2面2線であるが、本来の1番ホームと2番ホームの路線の間にさらにもう1本分の線路用地がある。2本分の線路用地が空いていることになるが、その部分は花壇になっていた。しかもこの駅のホームは異常に長い。新幹線も見える。今回は少し長く地上に出ているようであるが、乗ってみるとほとんど長さを感じないと思う。
周防高森を出ると、反対側の窓は川に沿っているようである。やや高いところを走っている。そのうち家が少なくなり米川。そして高度を上げ、トンネルへ。トンネルの途中でエンジンの音が静かになる。下りになったのである。県境ではないが、一応岩徳線の分水嶺というか、区切りをつけるところのようである。トンネルを抜け、やや家が増える。ブレーキをかけながら降りていき、高水。乗客も増えてきて、すべてのボックスが埋まっている。新幹線も見える。新幹線はトンネルとトンネルの間がトンネル→盛土→高架橋→盛り土→トンネルとなっている。しかし在来線は堀割があってようやくトンネルに入るという形であり、建設時期あるいは予算の違いが分かる。
そのままゆっくり走り勝間。さらに乗客が増える。高度をさらに下げ、高速道路が並行し、それがオーバークロスしていく。そしてスピードを落とし大河内。そのまま2号線に並行して周防大久保。ここですれ違いのため4分停車する。そしてスピードを上げ高度を下げていき、新幹線がオーバークロスし、並行して走り生野屋。山へ向かって住宅地が広がっている。住宅が増えてきて新幹線に並行したまま周防花岡。新しい建売住宅が何軒か並んでいる。そして新幹線はオーバークロスしていき、高いところへ離れていく。家が増えてきて、石油化学コンビナートが見えてきて、山陽本線が近づき櫛ヶ浜に到着する。
櫛ヶ浜を出ると平面交差で山陽本線に入る。特急が多くあり運転本数が多いなら立体交差になるだろうが、お互い普通列車中心なら平面交差でよいようである。隣の国道2号線は4車線になっている。そして新幹線が並行し、石油化学コンビナートの横を走る。そしてビルが多くなってきて徳山に到着する。かなり大きな町で、駅前も大きい。岩国よりにぎやかである。ここで20分という中途半端な時間があり、その後小郡行きの普通列車に乗り換えた。
岩国を出て、しばらくは新幹線と並行するが、別れていき例によって新幹線が山の中へ消えていく。新幹線は可能な限り山を通ろうとしているように見える。一方こちらの方は市街地と石油化学コンビナートが混じったようなところをを走っているうちに貨物駅の広い新南陽に到着する。「新○○」という駅であるが、「新」のつかない駅が近くにあるのではなく市名そのものが新南陽市なのである。
キリンビールの工場があり、ケースが沢山積んである。時々海を見ながら市街地がだんだん住宅地のみになり福川。そこから少し海沿いに走るが海と別れて山陽道がオーバークロスしていく。そして国道2号線が並行し、戸田。この駅も2面3線だが、まん中の線は使われていないようで錆びている。新幹線ができたら特に特急列車が普通列車を追い越していくということがあまりないため、このような形の駅が多い。
しばらくは景色が岩徳線と似ている。ただしこちらは複線で、電線もあり、スピードは速い。そしてトンネルを抜けると海が広がっている。岩国あたりと違って石油化学コンビナートはなくなっている。トンネルが時々ありながらも海沿いを走っている。そして住宅地が広がり富海。しばらくして海と別れ、住宅地が多くなる。高架になりビルが増え防府。いつも思うことだが、どうしても高架になると町が大きく感じてしまう。確かに高架になっている駅の町は大きいのだが、やはり遠くまで見通せることが大きく見える原因だろう。
防府を出て、しばらく高架を走り市街地を抜け地上に戻る。水田が多くなり、前後にカーブがある川を渡る。そして家が増えてきて、大道。ここも2面3線だが例によってまん中は使われていないようである。次の四辻も同じようであった。ここはまん中の線路には架線すらなかった。市街地に入り新幹線も並行してきて小郡に到着する。到着した隣のホームには行橋行きの列車が停まっていた。もう九州は近いのである。ところがここから九州へ近づかず、むしろ一時的に遠くなりながら夕方下関へ行くのである。
別のホームには全席指定の津和野行きの快速列車があり、発車して行くところだった。方向は同じだが、指定席もとっていないのでその後の普通列車に乗る。ちなみに「全席指定の快速」というのは蒸気機関車の「やまぐち号」であった。
小郡から乗る益田行きの普通列車は3両であった。岩徳線と同じ黄色い塗色である。ただし列車の行き先を見てみると後ろ2両が山口行きとなっていたので、山口からは1両になるらしい。
3両あり、また、少し前に津和野行きの「快速列車」が行ったあとなのにかなり混んでいた。自分も最初は4人掛けのところを1人で座ることができたと思ったら、家族連れが来て前・斜め前・隣に座ったため、窮屈になった。それよりもあからさまにメモが取れないので、ここからは多少情報量が減ってしまうことをお許し願いたい。
小郡を出てカーブして山陽本線と別れ、すぐに周防下郷。そして家が少なくなり上郷。並行する4車線の道路は国道9号線である。いつも通勤で横断している国道8号線と数字が1つしか違わないので親近感がわくが、これだけ家から離れているつもりなのに1つしか数字が違わないのも不思議な気がする。
同じような景色で仁保津。ローカル線になるとどうしても駅間距離が短くなるので、駅毎にさほど景色が変わらない。そして、国道9号線ぞいの店が少なくなる。なぜか自動車店が多くなり大歳。緑が多くなる。並行する道から外れ、住宅のあるところで矢原。そして市街地に入ってきて湯田温泉。そのまま市街地を走り山口に到着する。
小郡から山口までは案外近いことが分かる。県庁所在地の駅としては駅そのものもまわりも寂しい。山口県内で岩国・徳山・小郡・下関と市か町かは別としてもっと大きい駅が多い。政治の中心と商工業の中心が分離していてある意味よいのかもしれない。
山口からは市街地の縁を走り上山口。田と家が多くなり宮野。山口からこの列車はワンマンである。後ろ乗り前降りとなっているが、後ろのドアから降りた人がいて運転手に怒られていた。
少し市街地を走り、高度が上がって山の中へ入っていく。駅間距離が長くなり仁保。皿仁山の中へ入っていき、ゆっくりと高度を上げていく。このあたりは広葉樹が中心である。そして高度が下がり、針葉樹が多くなる。少しウトウトしてしまったがだいたいそういう景色である。スピードが上がる。新型気動車ではないので上り坂か下り坂かはエンジンの音を聞けばすぐに分かる。少し家があり篠目。狭くなった9号線に沿う。道の駅「長門峡」があり、こちらも線路の駅、長門峡駅に着く。実際、渓谷を見ようとしたらこの駅で降りて別のところへ行かなくてはならない。線路自体は渓谷を通らない。
しばらくは田の中を走り、渡川。このあたりは稲作をやめたのか、中止しているのかとにかくやっていない田が多い。家が多くなり三谷。一応特急停車駅なのだが、そのような気がしない。このあたりの集落はほとんどが赤い瓦である。そう思ったら瓦ばかりに目がいってしまうのだが、とにかく赤い瓦ばかりである。そして名草。学校も含めてほとんど赤い瓦である。黒い瓦も見られるようになって地福に到着する。
この駅で23分も停車する。事故などがあったわけではなく定刻でそうなのである。つまり、ここですれ違った列車が、三谷でこの列車と同じ方向へ行く特急列車とすれ違う。そしてその特急がこの駅でこの普通列車を追い越して、次のすれ違いができる駅を通過してはじめてこの列車が発車できるのである。それまで23分かかるというわけである。詳しいことはよく分からないし、実際は違うかもしれないが、おそらくそういうことである。とにかく、このすれ違うことができるだけの無人駅でこれだけ停車してしまうのだから、多くの人は外へ出てしまう。しまいには運転手までが列車から離れ待合室でジュースを飲んでいた。自動販売機も駅にあるのではなく、駅前の小さな商店にある。ここでの長時間停車がこの店の売り上げにどれだけ貢献しているのだろうか。ダイヤ改正やあるいは山口線の近代化でこの商店の売上がかなり下がるに違いない。
特急「おき」が通過していき、ある程度時間をおいてようやく発車した。ここからはやはり黒い瓦の家は少なく、赤色中心である。リンゴ畑が少しあり鍋倉。そこを過ぎるとリンゴ畑が多くなる。観光用のリンゴ狩り用のリンゴ園のようである。そして水田が広がり家が多くなり徳佐。この駅は跨線橋もあり、駅前が少し町らしい。その後水田がさらに広がってくる。このあたりの田は瀬戸内海沿岸と違ってすでに穂がついている。田植えの時期が違うのだろう。以前赤色の屋根中心で船平山。山の中に入りトンネルに入る。このトンネルがおそらく山口県と島根県の県境であろう。島根県は、全都道府県を回ることを目指していたときに無理矢理来たところであり、今回で2回目である。今回も県の西側を少し通り抜けるだけである。いずれ山陰本線を全線乗るときや三江線に乗るときに十分来ることができるであろう。
トンネルを抜けると下り坂が続く。トンネルを2つぐらいくぐりさらに山を駆け下りる。そして津和野の町を見下ろすことになる。やはり瓦は赤色中心である。どんどん高度を下げ津和野に到着する。この列車の前を走っていた全席指定の快速列車(SL)が停車している。乗客も多く降りていき、小郡以来はじめて4人掛けを1人で占領することができた。この駅には当然ながら蒸気機関車用の転車台がある。
津和野を出てすぐにトンネルに入る。抜けて少し広い谷を走り青野山。渓谷ではないが川も見える。茶畑が少しあり、扇風機が回っている。リンゴ畑やら茶畑やら忙しい路線である。そこから高度をさらに下げ、それが落ち着くと日原。家が多くなるがそこからはずれてトンネルに入る。それを抜けるとさっきの集落の末端部分が見える。そしてさっきよりも広くなった川を渡る。その川に泳ぐところがあり、泳いでいる人もいる。さらに高度を下げ青原。川沿いに走り、トンネルも混じって東青原。谷もかなり広くなり、家が増えてきて石見横田。川を渡る。かなりきれいである。再び山の中に入る。広葉樹が中心であるが竹笹が混じっている。集落があり本俣賀。川に沿っているうちに平地になる。家の多い市街地になり工場の引き込み線のあとがあり、益田に到着する。
益田駅の中にはJR西日本のコンビニがある。一般的には「ハートイン」(少なくとも金沢では)だったと思ったが「ハートストア」だった。弁当がないため、近くのコンビニで買うことになってしまった。お茶を買い忘れたので、駅の自動販売機で買うと、あたりという紙がついてきた。JR西日本のキオスクで500mlのペットボトルの飲み物と交換できるらしい。どうせずっと家の最寄り駅までJR西日本なのだから、あわてずにとっておくことにする。
駅前には、「松江方面への高速列車を実現しよう」「山口線の利便性の向上は乗車から」という意味の垂れ幕が出ていた。実際の文をメモしていたわけではなく、しかも1ヶ月半も前の話だからうろ覚えなのだが、意味としてはそういうことだった。「松江方面への高速列車」であるが、ホームにあった「石見ライナー」をもっと高速化してほしいということであろう。列車そのものが、キハ28・58で、国鉄色といったものである。遠くから来た人が乗る分には面白いのだが、現代に実用的かというと疑問が残る。
次の「山口線の利便性の向上」で、さすがに23分も停車すると「利便性」とは遠いのだろう。とにかく空港が近くにできてしまったのだが、JRには頑張ってもらいたいものである。
朝早くから行動を始めたおかげで、山陰本線の末端部分に乗ることができてしまった。これで山陰本線は京都−和田山、伯耆大山−松江、そして益田−幡生、長門市−仙崎と乗ることになる。つまり、両端とまん中を少しということになる。この線もいずれ完乗をと考えているがなかなか実現しない。
列車はワンマンの2両で、例によって黄色である。ワンマンの場合は小さな駅(ほとんどの駅)では後ろの車両のドアが開かないため、後ろの車両に乗ると落ち着くことができる。そのため、後ろの車両に乗る。
益田を出ると、市街地を走り川を渡る。海が近いということがすぐに分かる松や草がある。しばらくは住宅地を走り、そして海沿いを走る。国道191号線に沿う。海水浴場もある。やはり瀬戸内海と違い、少し波がある。砂浜がとぎれ、松の中を走る。集落があり戸田小浜。岩の海と集落を見ながら高度を上げていく。岩場の間にも海水浴場がある。もう少し高度が上がる。時々海が見えるが、崖になっている。トンネルを抜け集落を見下ろして飯浦。ここから山の中になる。木は杉中心である。トンネルをくぐると下り坂である。このあたりが県境で、島根県を抜けて再び山口県に入ったことになる。谷間の水田があるところを走る。これだけ見ると山の中を走っているようにも見える。そして江崎。少し大きい建物があるほどの町である。
その後、しばらく谷を走り山の中へ入っていく。そしてトンネルを抜け、谷のところに水田があるところを走る。前方に灰色の雲があり、山にもかかっている。ところでこの列車はワンマンカーなのにさっきから車掌がひっきりなしに歩いている。車掌がいるならワンマンをやめて普通の列車にしてしまえばよいものである。どうやら1両目の後ろの扉へ行って、下車する乗客から運賃を集めているようであった。山の中を国道191号線に沿って須佐。この駅の前後で集落の中に入っている。山の中のようであったが、海が湾になっていてちらりと海が見える。その後山には行ったと思えば少し海が見える。つまり湾の奥で、山の中なのか海のそばなのかよく分からない。そのような景色が繰り返され、そのうち沿っている道が1車線のみの細い道になっていた。そして高度を下げ、海のそばの高さになり、国道も沿ってきて宇田郷。また海を見たり山の中に入ったりしているうちに木与。海水浴場がある。そして山の中に入り、降りてきて町らしくなってから奈古。さっきからあまり大きくない駅をいくつも停車している。前の車両は乗客の入れ替えがあるが、混んでいないためその客がわざわざ後ろの車両まで来ることがなく、非常に落ち着いている。ドアの開け閉めもないため、静かなものである。
海を見ながら萩市にはいる。海から離れ長門大井。山を登りトンネルに入る。トンネルの途中で下り坂になる。町が見えてきて、海も見えるようになる。目の前に大きなホテルが現れ、越ヶ浜。少し山を越えて東萩に到着する。東萩で久しぶりに後ろの車両の扉が開く。アナウンスでは「ホーム側のすべての扉が開きます。」と言っている。これは当たり前の話である。というのも、JR北海道ではこの場合「すべての扉が開きます」というのである。そのまま聞くと、ホーム側でない扉も開き、間違えて線路に落ちてしまうのだろうかとか、列車の一番前と後ろの扉も開いてしまうのだろうかと考えてしまい、気になっていたのだがさすがJR西日本で、きちんと言っている。
東萩は萩市の代表駅にもなっている。観光地へ行くには次の萩で降りるよりも便利だからである。東萩を出て、市街地の外側を迂回する。そして川を渡る。川が2つに別れる直前なのでかなり川幅が広い。そして市街地のはずれに萩駅がある。萩を出ると、さっき渡った川が別れたものの片方の川に沿って走る。その川の対岸に市街地が見える。そしてさっきと同じように市街地の外側を走り玉江。軽く山を越えてようやく海沿いに出る。これで萩市の市街地迂回は終わった。海の向こう側に島が見える。そう思ったらまた山に入る。前方に海と集落を見ながら降りてきて三見。山と海を繰り返す。そのうち山の中の集落の駅かと思ったら、実は海がかなり奥まで入り込んでいるというところで飯井。これは「いい」と読むのだが、JR西日本では、柱にある駅名板がこの2〜3年で変わり、ひらがなでの駅名の横に横書きのローマ字が縦置きで書かれているものになっている。そのためこの駅では「II」となるのが、横書き・縦置きになっているためどう見ても「=」に見えてしまう。
また山と海とを繰り返し、すこし家の多いところで長門三隅。そのまま市街地になり、海沿いになる。そして軽く山を超え、草の生えた線路が近づいてきて長門市に到着する。
当初の予定ではこの仙崎支線を乗る予定がなかった。いずれ美祢線に乗るときにここに来るはずであるから、そのときでよいと思っていた。長門市で33分あるから町を少し歩こうかと思っていた。しかし、時刻表を見てみると、この33分間で仙崎まで行って帰ってくることができることが分かった。
今まで、阪和線の鳳−東羽衣間、紀勢本線の和歌山市−和歌山間、山陽本線兵庫−和田岬間、といった、あとで必ず苦労するであろう「枝線」には本線の乗車に先立って乗ってきた。そのため、この枝線を残して本線完乗ということは今まで無かった。そのため、短い区間だけを乗りに後日改めて遠路はるばる乗りに行くということをせずに済んでいる。もしここでこの33分間を有効に使わなかったら、あとで1日がかりでここに来なくてはならなくなるかもしれない。と考えるまもなく、長門市到着後ホームを走り2分の乗換時間にもめげず、違うホームの、しかも先端の切り込みの部分にある仙崎行きの列車に乗り換えていた。
片道3〜4分の距離なので、当然冷房は必要ないだろうということで、非冷房車であった。そのためすべての窓が開いている。外から見ると今まで乗ってきた列車と同じ塗色なのだが、乗ってみると違うものである。
田んぼが混じった市街地を少し走っていくと、すぐに仙崎に着いてしまった。これがもののついでで乗ったのでよかったが、JR線完乗のために、わざわざここまで来て乗った、というのでは物足りないだろう。
仙崎の駅そのものはきれいなものであった。昨年乗った山陽本線和田岬みたいに、手入れがされているかどうかという駅ではなく、立派なものであった。駅前にわざわざタクシーまで待機している。というのも青海島への玄関口であるためである。そのため、訪れる人が、地元の人と鉄道ファンのみということがなく、純粋な観光客まで訪れるのである。シャッターが閉まっているがキオスクまである。
帰りは、また短時間でもとの長門市駅に戻った。
長門市からは、また同じような列車に乗る。小串行きで、そこで下関行きに乗り換えることになる。この系統分離には特に意味はないような感じがするが、少し前の客車列車と気動車との違いであろうか。
市街地を抜け、海岸を走る。仙崎の向こうから渡る青海島も見える。平坦なところなのでかなり快走している。時々見える海水浴場では、もう5時半頃なのに泳いでいる人がいる。昔、泳ぐことのできる時間は4時までで、期間は8月15日までと教えられてきたものとしては違和感を感じる。スピードをやや落としてトンネルに入る。山の中を走っているようであるが、実は海の近くを走っている。そうしているうちに黄波戸。高いところから海沿いの集落を見下ろしている。しばらく走ると山の中になり、それが終わると水田が広がっている。少し町らしいところで長門古市。そのあと、右側の窓が水田の中、左側は道と店があるというところを快走して人丸。しばらく田の中を走り、海沿いを走る。少し海から離れて伊上。海と山とを繰り返して家が多いところで長門粟野。狭い湾のような、あるいは川のようなところを渡り山の中へ入っていく。また山と海とを繰り返し集落へ。そこから少しはずれて阿川。
今まで西に向かって走っていたが、ここで南に向きを変える。ここから海と別れるのだが、しばらく水田で、それから山へ入っていく。そして山の中にある特牛。よく難読駅名で紹介される駅である。山の中にあるのだが乗降客は少しあるので、集落は近いのではないかと思う。田の中を走り、時々山を越え、家の多いところへ来て滝部。ホームの屋根が最近作ったようなものである。しばらく田の中を走り、山の中へ入り県道と並行して高度を下げていく。降りていく山の途中に長門二見があり、この駅を出てすぐに海沿いに出る。海に向かって日没があるようで、日本海でも、ここや東北、あるいは石川県の一部等でこのように海に向かって日が沈む。それを実際に列車の窓から見ることができるところが多い。ただし、まだ日没には時間があるようである。
海から少し離れるが、水田を挟んで海は見える。そして宇賀本郷。山を越えて家が多くなり湯玉。ここですれ違った列車は4両であり、空いている。また、1両目の色が白と緑色で、2両目以降がこちらと同じ黄色である。高度を上げ、少し高いところから海を見下ろす。島がいくつか見える。トンネルを通らず高度を下げ、海沿いを走りそれから家が多くなっていく。軽く山を越えて小串に到着する。
ここで乗り換えなくてはならない。海沿いの、今までいくつか見てきたような駅で、特別なものではない。乗換時間は7分であるが、同じホームの乗換である。乗り換える列車はまだ来ていないので、しばらくホームで待たされる。ほとんど同じメンバーが乗り換えるので、ただ降ろされたという感じである。たばこを吸う人にとっては貴重な7分のようで、何人もたばこを吸っている人がいる。なるべく煙にあたらないようにしていたのだが、それがかなり難しいことであった。
乗り換えた列車はロングシート部分のない、全クロスシートであった。市街地を走り、海から離れる。田の中を走り、前方にある市街地に入り川棚温泉。田の中を走り町に入り黒井村。田の中を走り、少し山を越える。ここで下関市に入ってしまう。すぐに梅ヶ峠。山の中にありそうな名前だが、すぐ隣を国道191号線が走っており、狭い。そこから下り坂になる。「九州石油」というガソリンスタンドもあり、九州が近いということが分かる。海沿いに出て町になり吉見。少し高いところで、海を眺めることができる。日没のようだが日が沈む方向に雲がありよく見えない。山を越えて福江。家が多くなり安岡。そのまま市街地になり綾羅木。そして山陽本線と立体交差をする。そこが幡生駅で、山陰本線の終点である。今日、広島を出てからここまですべて乗りつぶし上、「新規乗車」である。効率的なルート選択であった。その分、居眠りができないということもあったが。ここから一駅区間は山陽本線で、昼間の列車としてはかろうじて1回乗ったことがあった。
幡生からは広い旧鉄道用地を見ながら進んでいく。たくさんの線路がやがて2本になり、そのまま市街地を走り下関に到着した。
今日の宿は下関駅前のカプセルホテルと考えていた。インターネットからのプリントアウトを見ると確かに安いのだが、どうも風呂が大きくなさそうである。もし前までいってみて、よくないと思ったらそのまま小倉まで行ってしまおうと考えていた。
まずは高架の下関駅を歩く。この2ヶ月ぐらいあとに車がつっこんできて、そこから降りてきた人が無差別に何人かを刺し殺してしまうという事件が起こったところである。
そして駅前に出る。エスカレータの歩道があったり、デパートがあったり郵便局があったりと大阪駅前(御堂筋口)と何となく似ている。エスカレータの歩道というところでどうも思い出してしまうようである。
適当に地図を見て適当に歩いていると、サウナがあった。別にそこで宿泊しても構わないが、2泊目であるしゆっくり寝たい。今度はしっかり地図を見て歩くと、きちんとカプセルホテルがあった。それに安心して、近くの定食屋で夕食を食べる。さすが下関で、韓国料理もあったが、結局とんかつ定食となる。そのうち船で韓国へ行くときは下関まで来なくてはならない。
とんかつ定食にあったふきの煮物の繊維が強く、なかなかなくならなかった。ようやく口の中がすっきりして、カプセルホテルへ行く。カプセル専門でやっているのではなく、何階建てかのホテルの1つの階をカプセルホテルとしているらしく、フロントは本当のホテルと共用であった。それでも、カプセルのある場所まで係の人が同行して案内してくれた。こういう待遇ははじめてである。しかもホテルらしい鍵もある。ただしこれは、カプセルにある貴重品入れの鍵であった。
カプセルホテルの部分は、カプセルというより2段寝台という感じだった。どうも設計の問題からか、かなり離れたカプセル(寝台)の人の咳まで聞こえてしまう。風呂は、ホテルの風呂そのもので、ただしお湯は張ってあった。しかしお湯の出が悪いので、本当のホテルの指定された部屋へ行くとカプセルの人が入浴できるらしい。まあ、お湯も張ってあることだし、わざわざ別の階へ行かず、ここですますことにした。これだけ狭いなら、先に銭湯へ行っておくべきであった。
翌朝は、駅のうどん屋で朝食を食べる。西日本なのでうどんのだしは安心できる。