JR各線を巡る旅の記録

26 名松線・参宮線 2日目


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 1999年12月26日(2日目)
【柘植】発5:56−→【亀山】着6:19、発6:41−→【松阪】着7:27、発7:30−→【伊勢奥津】着8:45、発9:30−→【松阪】着10:49,発11:24−→【鳥羽】着11:59、発12:36−(快速みえ・伊勢鉄道経由)→【名古屋】着14:14、発14:20−→【金山】着14:23,発14:31−→【米原】着15:48,発15:53−→【長浜】着16:02,発16:33−→【敦賀】着17:11,発17:16−→【金沢】着19:52
 昨日遅く出た分、極端に早く出ることとなった。柘植駅から健康ランドまで思ったより距離があったため、出発そのものが5時ジャストという、泊まりがけにしては異例の早さとなってしまった。その後は順調に2路線をこなし、おまけに伊勢鉄道まで乗車して順調に帰宅した。

●柘植−亀山(関西本線)

 この区間はこの乗りつぶしシリーズ第1回で乗っている。そのときはワンマン化の準備がほぼ終わったキハ58・28(このWebサイトでは車両形式の話はしませんが話の便宜上)であった。しかし今はオールロングシートの、ワンマンカーである。入り口もバスのような扉である。

 とにかくそのような列車が来て乗り込む。他の乗客はおばあさん1人だけであった。確かこのあたりの景色は山の中で、名阪国道が並行しているだけだったような気がする。そのためこの時間帯では真っ暗で外が見えない。真っ暗な中をひたすら走っていく。

 途中から何人か乗ってきて、町が近づいてきて亀山に着く。太平洋側に来たので暖かいことを期待していたが、雪がちらついていた。亀山駅に来るのは3回目であるが、今回初めて改札をくぐって外に出ることができた。

●亀山−松阪(紀勢本線)

 亀山から伊勢市行きの普通列車に乗る。紀勢本線に完乗してから2年も経っていないが、そのとき乗った車両がここからなくなってしまったらしい。それはいいとして、そのときは多気のあたりから日が暮れてしまったので今回はちょうどよい。ただ、この車両は新しいためトイレがない。さすがに新宮方面へ行くものにはあるようだが、季節柄どうも不安である。この列車で伊勢市まで行ってしまってもよいが、本数の少ない名松線を優先した結果、松阪で降りてしまうことにした。

 亀山を出ると山の中を走る。トンネルがあり、水田もある。このあたりから日が明けてきて外の景色が分かる。坂を上ると、水田を見下ろすように、山の中腹を走る。山の中に入り、少し家があり下庄。山の中を走りそして畑が広がる台地に出る。その後水田が広がり、家やJAがあるところで一身田。このあたりで2両の車両はかなり埋まってきた。そのまま家が続き、伊勢鉄道が合流してくると家が増えてくる。工場が多くなり、近鉄がオーバークロスする。そしてビルが増え津に着く。すると乗客がほとんど降りてしまい、1両に1人ずつとなってしまった。どうもここまで来ると近鉄が強すぎるようである。

 津を出ると、ビルが連なっているところから、市街地を少し走り水田が広がる。しかし川を渡り再び市街地に入り、並行している近鉄の駅を過ぎる。川を渡り市街地に水田が混じってきて阿漕。住宅地を走り、そして水田やビルが混じる。このあたりで完全に太陽が見えてきた。住宅地のまま水田が多くなり、ジャスコなどが離れてあるところで高茶屋。右側が住宅地で左側に水田が広がる。離れて住宅地がある。そのうち両側が水田になる。川を渡る。そして水田の中に家が増える。このあたりはかなり高速で走っている。さらに水田の中を走り家が増える直前で六軒。家が増え、近鉄がオーバークロスする。少し水田があるところで近鉄が近づいてきて並行する。そして松阪に到着する。松阪では3分しかないが、次の列車もトイレがないようなのでとりあえずトイレを探すために改札を通るがよく分からない。あきらめてホームに戻ると仮設トイレがあった。

●松阪−伊勢奥津−松阪(名松線)

 3分というのは、短いようで乗換ということを考えるとあまり短くない。とりあえず名松線の列車に間に合った。

 松阪を出ると紀勢本線と別れ、住宅地からだんだん水田の中になってくる。左側では広い水田を挟んで市街地が広がっている。水田の中の集落に入る直前で上ノ庄。そのまま水田の中に家が混じったところを走り、少し山に入りかけて権現前。ここで女子中学生の軍団が乗ってくる。部活関係での集団らしい。

 両側に住宅地が少しあり、その後上り坂になる。台地らしくなり畑が混じってくる。林があり、新興住宅地になり、水田となる。高速道路がオーバークロスし、畑と家が混じり伊勢八太。その後は水田で、そして軽く山を越え家が増える。近鉄線が近くに見える。そして一志。谷を走る。田と家がある。家がなくなり畑となる。少し田もある。家が少しあって井関。谷を走り、川に沿って走るようだと思ったらトンネルに入る。抜けて右側に田と家を見下ろす。高度が下がり田の中を走る。家は離れている。道路に沿って走り、少し家と離れたところで伊勢大井。このあたりで雪が降ってくる。先ほどの中学生の軍団はさっきからやかましいが、雪が降ってから興奮しだして窓を開けてしまった。この形式の車両が窓が開くというのははじめて知ったが、とにかく珍しいらしい。

 伊勢大井を出ると田と家の混じったところを走る。広い谷である。その中で伊勢川口。同じようなところを走る。そして家が増え、駅の前にJAがあり関ノ宮。左側に山が迫ってくる。右側は家と田で、川もある。谷が広がり家が多くなって家城。

 ここが名松線の中で区切りをつけるような駅で、行き違いもするし、時刻表の地図を見ると唯一「みどりの窓口」のある駅である。さらに、タブレットの受け渡しもしている。これもあまり見なくなった風景である。また、ホームには手動信号もある。昔珠洲駅でよく見たがまだここに残っていた。

 家城からこの名松線は山の中になり、「景色のよい線」となる。左カーブを曲がり、家が少なくなり山の中に入り登っていく。川を渡る。岩がありきれいな川である。さらに登っていく。杉林を抜け、田が広がる少しだけ広い谷に出てくる。川を渡り家が多くなり伊勢竹原。谷が狭くなってくる。茶畑がある。両側の山が高くなってくる。茶畑があるので製茶工場もある。さらに走ると茶畑が多く見えてくる。いろいろところで見る茶畑は扇風機がきちんとあるが、ここにはない。戻るときに1つだけ扇風機のある茶畑を見たが、それ以外はなかった。谷が狭くなったり広くなったりしながら登っていき、トンネルを通る。谷の中に少し家があり伊勢鎌倉。雪がさらにひどくなる。左側に家が多くあるのを見下ろす。その家がだんだん水田へと変わっていく。さらに谷底より少し高い山沿いを上がっていく。谷が狭くなり右側に川を挟んで道路が並行している。そしてレジャー施設もある。川を渡り家が増え伊勢八知。美杉村JAがあり、材木が積まれている。ここで先ほどの中学生軍団が降りていき、列車の中にはようやく静寂が戻ってきた。

 谷が狭くなり右側にあった川が左側に来る。岩がごろごろある川である。向こう岸には雪が薄くかかった杉の山がある。また、さっきから茶畑がよくあるが、雪が薄く積もった茶畑で少し違和感がある。川を渡り家が少しある。谷の中での段差が大きくなる。そして比津。狭い谷に川がある。やや谷が広がり家がある。いったん狭くなり、又広がる。このあたりでは谷の狭くなったところではゆっくり走り、広がるとややスピードが出る。そうしているうちに家が増えてきて伊勢奥津に到着する。

 ここで折り返すのは45分後である。それだけ待たなくてはならない。本来なら「名松線」であるため、松阪から名張までの線であるから、名張までバスで行くのが正当だろうが、このあと参宮線に乗らなくてはならないし、さらにこの雪では太平洋側だからきちんとバスが走るか不安である。とりあえず駅の周りを歩く。そして、線路の先端まで行き駅の裏まで行く。まだ朝食をとっていないため、何か店を探すが見あたらない。今日は今のところ朝食を入手することができない。松阪まで戻るまで朝食をとることができないようである。雪が薄く積もっているが、車は徐行しているようである。これくらいなら普通に走るようなものであるが、スノータイヤをはいていないならそのようなものかもしれない。駅の中にはここを訪れた人が記すノートがある。いろいろなところにこのようなものがある。折り返しの時間が長いためか、かなりの記入がある。

 戻りは同じような景色であるため、居眠りを少ししながら松阪まで戻ってきた。松阪では牛肉入りのうどんを食べる。ここまで来て唯一松阪に来たらしいことをしたのである。

●松阪−多気(紀勢本線)

 松阪から鳥羽まで一気に快速「みえ」で行ってしまう。そしてその折り返しで一気に名古屋まで行ってしまおうというものである。2両の快速「みえ」が入ってきた。名古屋から四日市・津・松阪・伊勢市・鳥羽を結ぶものだし、指定席もあるくらいだから、もっと編成が長いと思っていたが意外だった。津で増結、切り離しをするのかと思っていたが、帰り乗ってみるとそのままだった。やはり近鉄が強いらしい。

 松阪を出ると加速良く走る。久しぶりの感触である。気動車であるが、最近のものは電車とひけを取らないくらい加速がよい。市街地を走り、住宅と水田が混じる。新興住宅地になり、普通の住宅地へと変わり水田になる。少し家があり高速道路がオーバークロスし徳和を通過する。水田と家が混じり、谷の中に田があるところになる。山を抜けて田と家が混じり川を渡る。少し下流に堰が見え、そこまではとても広い川になっている。水田の中に住宅があり多気。石巻線前谷地駅と同じような印象があるが、水田の中に少しの住宅がありそこが分岐駅となってしまったというだけのようである。さらにどちらも非電化単線なので線路自体の存在感がない。立体交差で分岐するほどでもないのでさらにさらっとしている、ということである。

●多気−鳥羽(参宮線)

 多気を出ると、水田が広がっているところを走る。この線は戦前は伊勢神宮へ行くための重要な線であったため、複線であった。戦時中の資材調達で単線になったが、今でも伊勢市までは橋以外はずっと複線分の用地が並行している。細長い線路に沿った土地はあまり利用価値がないのだろうか。

 水田の中を走り外城田を通過。家が多くなり町があり田丸を通過。その後は水田か畑か季節柄判別できないところを走り、町になりユニチカの大きな工場を通過して宮川。ここで行き違いのため少しだけ停車。川を渡り近鉄が見え、工場の前で山田上口。町の中で近鉄に並行して伊勢市に到着。

 伊勢市を出ると盛土の少し高いところを走り市街地を走る。新興住宅の混じった水田の中を走り、それが普通の住宅地となる。五十鈴ヶ丘を通過したことは気づかなかった。その後で海のような広い川を渡った。住宅が多くなり町になり二見浦。駅前に鳥居がある。山が迫っており、すぐにトンネルを渡る。そのトンネルの入り口がレンガで歴史を感じる。どこかで松下を通過している。山を抜けて少し住宅。何となく海が見え、再び山のなかへ入る。さっと海が開け、海苔の養殖をしている前で臨時駅の池の浦シーサイドを通過する。しばらく海の横を走り、終わると近鉄がオーバークロスし、山のなかに入る。近鉄と並行しながら海の横を通り、すぐ山の中に入る。町になり近鉄の駅のすぐ横で鳥羽に到着する。

 鳥羽では37分で折り返す。少し駅前を歩くが、水族館へ行っている余裕はない。昼食用のパンを買おうとするが、どう考えても近鉄の駅の方の売店の方が充実しているので、近鉄の駅で昼食を調達する。もどっと来るときに、近鉄の線路とJRの線路が並んでいるところがあったが、近鉄の方が標準軌なので線路の幅の違いが分かり面白い。

 折り返す列車は名古屋まで行くので、なるべく席を確保すべく早めに列車に乗り込む。隣の近鉄の方は特急などがひっきりなしに発着し、行き先も大阪などがあり充実しているが、こちらは編成の短い普通列車や快速列車が寂しく停まっているだけである。

●鳥羽−(伊勢鉄道経由)−名古屋(参宮線・紀勢本線・伊勢鉄道・関西本線)

 鳥羽からは、先ほど通ったところをそのまま折り返す。2両であるがそれほど混まない。車掌が来たので、伊勢鉄道部分のきっぷを購入する。18きっぷではこの伊勢鉄道の区間を乗車することができない。亀山を回っていると帰宅が遅くなってしまう。せっかくだから伊勢鉄道を通ることにした。津から河原田まで490円であった。

 そのまま今日走ったところを津まで戻り、伊勢鉄道に入る。複線になることを考えて分岐で立体交差の用意がされているが、その立体交差の部分には線路が引かれていない。伊勢鉄道に入ると眺めが良くなる。ほぼ盛土と高架である。これも名古屋から津方面のバイパス線としての性格がよく出ている。駅も高架の駅で、あと複線で電化されていたら湖西線のようである。沿線は水田と住宅が混じるという、あまり変わったところはなかった。

 河原田を通過し、関西本線に入ってからは以前乗ったことがあるのでさほど詳しく見なかった。石油化学コンビナートを過ぎ、木曽三川をわたり、しばらくして名古屋に到着する。

●名古屋−金山−米原(東海道本線)、及び米原−金沢(北陸本線)

 名古屋から米原まではゆっくり座った記憶がない。それは名古屋から乗るからである。同じように大阪から米原(長浜)まで行くには、時間と切符が許せば尼崎まで一度戻り、そこから米原へ向かう。同じようなことをここでもやってみようと思う。時間もある程度あるので、一度金山まで行き、そこから米原行きに乗れば名古屋で乗客が入れ替わるときにさっと座ることができる。名古屋で思ったほど混まなかったが、ゆっくり座ることができ、米原まで途中から居眠りをしながら行くことができた。

 米原から金沢まで行くには一度長浜で乗り換えなくてはならなくなった。いつも大阪方面へ行くとき恩恵を受けているので、このようなことにもなるが、それは仕方がない。長浜で30分程度時間があった。そのあと、敦賀で乗り換えたが、敦賀駅5番ホームという、ホームの端を切り取って作った行き止まりホームははじめてであった。歩かされる距離が長い。時刻表上は金沢行きであったが、駅でも列車内でも福井行きと行っている。福井到着前に「この列車がそのまま金沢行きとなります。」といっているのでおなじことであった。そしてこの列車は、大学で福井(森田)まで通っていたときにいつも乗っていた列車なので、だいたいの勝手が分かって金沢まで到着した。


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