JR各線を巡る旅の記録

28 南九州 3日目


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2000年5月5日
 【西鹿児島】6:20発−(普通)→【隼人】6:57着、7:11発−(普通)→【吉松】8:11着、8:24発−(普通)→【都城】9:55着、11:46発−(鹿児島交通バス・旧国鉄志布志線転換バス)→【志布志】13:08着、13:26発−(普通)→【田吉】15:54着、15:54発−(普通)→【宮崎空港】15:57着、16:14発−(特急にちりん14号)→【大分】19:34着
 注 西鹿児島→都城間は
【西鹿児島】8:10発−(普通)→【隼人】8:45着、8:51発−(普通)→【吉松】9:51着、10:19発−(普通)→【都城】11:44着
 という日程でこのルートは成立するが、都城駅での列車→バスの乗り継ぎが2分だけになるため、大事をとって2時間早めることにした。
 ※宮崎では健康ランド・カプセルホテルの情報がないため(都城に1件あるだけ)、できれば明るいうちに大分まで行ってしまいたいと思った。しかも、日豊本線(鹿児島−隼人)・吉都線・日南線・宮崎空港線を乗るために、となると難しい。普通に考えると日南線を往復することになるが、そうするとかなり無理が出てくる。そこで都城−志布志間のバスの存在を知りバスに乗ることにするが、そうなると上記注にあるとおり2分間での乗り継ぎになる。これが達成できれば本当に「奇跡の日程」になるのだが、それは避けておくことにした。大分到着時には暗くなっていたが、目的は達成できた。「奇跡の日程」その2。

●鹿児島本線(西鹿児島−鹿児島)

 さて3日目である。しかも、全日程中、一番早い出発である。といっても、寝ていたところころから駅までの距離の関係で、1日目よりは遅いが、その分風呂にはいることを考えるとやはり早起きである。一時期、朝6時台からは行動せずに、早くて7時台、普通は8時台から行動するということが続いたが、どうも最近は早起きの傾向が強くなってきた。本当は、都城駅での列車からバスへの乗換2分というものの安全が保障されていればもう1時間50分遅くてもよかったのである。しかしそこでつまずくと、今日中に大分へ行くことができず、下手をすると宿泊場所の関係でまた鹿児島まで戻らなくてはならなくなるため、大事をとって都城でかなりの余裕を持たせることにした。今回はどこかの町でゆっくりするということが皆無だったので、ちょうどよかったのかも知れない。

 また、今日は西鹿児島から隼人へ向かう。このうち、鹿児島以降は新規乗車である。そしてそのまま日豊本線を通らずに、肥薩線で吉松へ。吉松から吉都線で都城。この吉都線も新規乗車である。そしてバスで志布志へ。ここが今回、頭を使ったところである。志布志から日南線で田吉。そして宮崎空港線をさっと乗った後、南宮崎から日豊本線を北上して大分、というルートである。そうなると日豊本線の隼人−南宮崎間に乗ることができなくなるが、実はこの区間だけは1996年に乗ってあったのである。そのため、全く空白ができずに鹿児島県と宮崎県のJRを完乗することができる、というのが今日の日程である。

 とりあえず売店で朝食分のパンとお茶を買っておく。昨日のような日程、または都城で2分しかない日程なら昼ご飯も用意しなくてはならないが、都城で2時間弱もある。朝食だけで十分である。

 朝早いのであまり混んでいない。海側の、進行方向右側に座ることにする。もちろん桜島を見るためである。

 西鹿児島を出ると、市街地を走り高架になる。山に入り、すぐにトンネルに入る。鹿児島の市街地を分断している山ではなく、単に鹿児島本線が山の方を通っているだけである。事実、路面電車はそのまま市街地を走り鹿児島駅へ到達している。トンネルを抜け、住宅地である。そして低いビルが連なり、路面電車の駅も駅前にあり、鹿児島駅である。この駅も記憶にある駅で、その通りであった。

●日豊本線(鹿児島−隼人)

 列車の運転系統とは別に、鹿児島本線と日豊本線の境界は鹿児島駅である。鹿児島を出ると桜島が見える方向に噴煙か単なる雲か分からないが、とにかく小さな雲がある。右側が山になり、住宅地になる。そしてトンネルを抜けるといよいよ海沿いに出てきた。桜島が間近に見える。ここから次の竜ヶ水までは、桜島をたっぷり見ることができる。桜島だけでなく、桜島の町並みまではっきりと見える。前方には昇っている朝日も見える。しばらく桜島を見ながら走り、桜島の正面を走り抜ける。近くの海を見ると養殖のためか、漁のためか何かが浮いているそういうところで竜ヶ水。すぐにトンネルがあり桜島を見て、再びトンネル。抜けると桜島が見えなくなっているが、代わりに対岸に大隅半島が見えるようになってきた。南国的な植物もあり、しばらく海沿いを走る。町が現れ重富。その後はしばらく左側が町で右側がゴルフ練習場、そして海になる。川を渡り両方住宅地になり姶良。この距離は短かった。そのまま住宅地が続き帖佐。住宅地であるが振り返ると桜島が見える。川を渡り水田と住宅である。桜島が正面に見えるようになる。方向が変わったため、桜島が見えるようになったようである。ただし、さっきのように間近に見えるというものではない。そういうところで錦江。住宅と工場があり、川を渡ると町になる。町の中を走り加治木。少し住宅地である。すぐにトンネルで抜けると少し高いところである。農地・家を挟んで海がありその向こうに桜島がある。山の中に入りトンネルへ。抜けて水田となり次第に町になり隼人に到着する。途中の駅からジャージを着た高校生らしき人が多く乗ってきたが、その人たちも下りた。どうも同じルートをとるらしい。

●肥薩線(隼人−吉松)

 この区間は1996年に乗っている。ということで、再度乗車ということになる。景色は昨日の鹿児島本線八代−西鹿児島と違って、割と覚えている方なのだが、完全に覚えているわけではないのでもう一度きちんと見ておきたかった。しかし、1両しかない列車になぜかジャージを着た高校生らしき集団が多く乗っている。その他に普通の乗客も割と乗っているのでかなり混んでいる。立席も多く出ている。当然、4人掛けのクロスシートは埋まっている。メモを取る状況ではない。メモを取らないと、朝も早いことで眠くなってしまう。ということで今回もきちんとメモを取って外を見ることもできなかったし、途中ウトウトしていた部分もあった。

 特急きりしまが到着する。この特急からこの列車に接続することになっている。この特急に乗るなら鹿児島を20分ほど遅く出ることもでき、今日乗り遅れたときの手段として一応意識しておいたものである。しかしこれだけ満員だとやはり普通列車で早く着いておいて正解だったと思う。

 隼人を出て市街地から農地へと移る。山に入りかけたところで日当山。それから山に入っていく。どんどん昇っていく。杉の木の林が印象的であった。中福良から、今までの上り坂から安定したところになる。ときどき谷の中に水田と住宅もある。九州自動車道がオーバークロスする。橋桁がかなり高い。大隅横川から町になる。再び山になり町になり栗野。反対側を見ると韓国岳が見えるはずだったが、これだけ満員だと反対側の景色を見ることができない。同じように山を越えて町になり吉松。

 ここでそのまま肥薩線に乗るにせよ、吉都線に乗るにせよ乗換である。高校生の集団はここが目的地だったらしい。また、多くの人がそのまま肥薩線で人吉方面へ行くらしい。そちらの方が景色は良さそうであるが、前に乗ったコースそのままになり、乗りつぶしにならないので、とにかく都城方面を目指す。よく考えなくても、隼人から都城へ行くには、そのまま日豊本線を使った方が早いのである。このように吉松を経由して都城へ行くというのは、途中用事があるか物好きか、乗りつぶしの人であろう。一応、この駅で一度外へ出たことがあったかどうか覚えていないので一旦外へ出る。4年前も一応外へ出ていたことが分かった。この駅は対乗客に関しては、さほど窓口が多いようでもなく、むしろ少ない。しかも、時間帯によって窓口業務ができないこともあるらしく、何時から何時まではなるべくきっぷを買わないでください、等と書いてあるが、駅員はかなりいるようである。交通の要衝である。

●吉松−都城(吉都線)

 吉松を出て肥薩線と分かれる。肥薩線は高い方へ昇って行くが、こちらは下りていくようである。周りは高くない山で、高原や盆地のようなところである。川を渡り、少し山の中に入っていき鶴丸。家が周りに少しある。盆地の中で水田と家が広がる。軽く山を越える。おそらくこのあたりが県境だろう。宮崎県に入った。ただし、都城からもう一度鹿児島県に入る。山を越えるとさっきと同じような景色である。少し町になり京町温泉。旅館的な建物もある。このあたりの駅では、2両目から乗ろうとした人が多かった。ワンマンで1両目後ろから乗り、1両目前から降りる。2両目は、小さな駅ではドアが開かない。そのためゆっくりできる車両である。ワンマン車なのだが、車掌が乗っていてきっぷを売っている。細かいことにはこだわらないことにする。京町温泉を出ると町が途切れ、林の中を走る。そして水田が広がる。高速道路をオーバークロスして建物が増えてくる。さらにふえてえびの。

 えびの市の中心駅であるが、無人駅になったようである。建物が無くなり水田の中を走る。再び住宅と水田になる。ただし、そこには駅はない。そのうち山を登る。左に水田を見下ろすが、右側は同じ高さに水田と家が広がっている。そうしているうちにえびの上江。田と畑が広がる。そのうち田畑と住宅となる。住宅が増え町らしくなりえびの飯野。しばらく水田と家が続く。山の中に入り、その山の中で水田と畑が広がる。左側にきれいな形をした山が3つ並んでいる。おそらく韓国岳を中心として、えびの岳や高千穂峰等並んでいる山のうちの3つであろう。山の中を抜けようでもないが、段差のある田畑と家がある。少し家が増えて西小林。段差のある田畑、ときどき林もある。そして下りていく。下りたら町になっている。その市街地の中で小林。

 小林を過ぎると、市街地を抜け軽く山を越えると田畑が広がる。少し山の中に入り、その中で広原。山と山の間の盛り土の上から水田を見下ろす。右側にさっきのきれいな山が見える。また山の中を走る。そして宮崎自動車道をオーバークロスする。つまり高速道路が下を通っているのである。地図を見ると、ここだけでなく、県道・国道などがことごとく宮崎自動車道の上をまたいでいる。本来、後からで来たものがオーバークロスするものだが、低いところを走ったためにこういうことになったのだろう。山を抜け材木工場と集落があり高原。例によって「はら」は「はる」と読み、「たかはる」となる。しかしその前の広原は「ひろわら」と読む。高原を出るとすぐに水田と畑が広がる。段差がある。山に入り、高速道路をオーバークロスする。そして下っていく。下っていくと下の方に水田が広がっている。そこへ下りずに途中の山縁で日向前田。駅名で初めて「大隅」から「日向」となった。さらに下りて水田と同じ高さになり、また下りになる。段差のある畑や水田、そして住宅地である。家が増えて高崎新田。小学生が多く乗ってくる。その後は段差のない田が広がる。そこに行くのかと思いきや、そこを進まずに山のなかへ入る。山の中で高速道路がオーバークロスする。これが正常な形である。山の中で東霧島神宮の鳥居がある。山の中に少し家があり東高崎。また山を下りていく。畑が広がる。小学生が多く、窓を開けているところが多いので、畑から堆肥のにおいがする。特急列車ではあり得ない話である。集落があり万ヶ塚。駅前に材木工場がある。また小中学生が多く乗ってくる。どうも都城に集団で遊びに行くようである。山の中を下っていく。牛がいる。本当に線路の近くである。北海道と違ってここの牛は肉として食べられる運命にある。山と山の間の水田が広がるところを見下ろし、材木工場もある。再び山を抜けて、農地と家になる。家が増えてきて谷頭。田の広がりを見ながら下りていく。庄内川を渡る。この名前は山形と愛知で聞いたことのある名前だが、ここにもある。そして木に囲まれた集落に入っていき日向庄内。さらに下っていき水田が広がる。さらに下り、大淀川を渡り町に入っていき都城に到着する。少し遅れていたようである。2時間後のぎりぎりな日程だと、ここですごく焦ったはずである。しかも都城では地下道を通らないと駅舎へ行くことができないところに停まった。やはり早く来てよかったのである。

●都城駅周辺

 ということで、この旅唯一の「余裕のある時間」というものになってしまった。どこかに観光という手もあるが、駅周辺にそれらしきものもなく、かといって遠くへ行くと時間がなくなってしまう。とりあえず駅の周りを適当に歩く。これは30分程度の待ち時間があるときによくすることで、少し駅の前を歩き、適当に曲がって、飽きたところで曲がって、最終的に駅に戻ってくるようにするというものである。そういうことをしていたが、特にめぼしいものもない。ただ、鹿児島交通の営業所があり、どうもここからバスが出発するらしいということが分かった。

 そして、駅のキオスクでおみやげを買う。会社へは一応本州から出たときと、有給・代休を使って旅に出たときはおみやげを買うことにしているので、今回は買うことになる。25人という中途半端な人数、おみやげを買うときに困るのである。しかも、おいしそうなものというよりも安く捌けそうなものということを考えてしまう。それと今回は家へもおみやげを買っておく。どうもおみやげをまともに買うと、それだけで健康ランド1泊分を越えてしまう。やはり、いつも買うわけにはいかない。

 おみやげと同時に紙袋も買う。そして、そのおみやげと、カバンの中にある洗濯物を詰め込み、駅前のコンビニに向かう。そして、ガムテープを借りて家に送ってしまう。どうにかこれで荷物も減った。それはよいのだが、荷物代が1,270円もかかってしまう。といってももって歩くのも大変だし、これだけ荷物があると健康ランドのロッカーには入らない。

 その後はまた適当に歩く。前回は駅を出て左へ曲がったので今回は右側へ行ってみる。駅の近くにパチンコ屋兼焼き肉屋兼ちょっとよい銭湯があったが、時間が時間だけにやっていないようだったので入らない。隣の西都城駅の近くにはこの時間もやっていて、仮眠室があるという銭湯があるはずである。そのへ行ってもよかったのだが、列車の乗り換えなどを考えると少し厳しかった。まあ、1日2回風呂に入っているのにさらに増やすこともないだろう。

 散歩も飽きたのでコンビニでおにぎりやお茶やパンを買い、駅前の公園のようになっているところで食べる。一人での行動だと、飲食店に入るのが面倒になってくる。つい、こういう食事になってしまう。また、普通に生活していると、そういうあっさりしたものでなく、コンビニ弁当やコーヒー牛乳などを買ってしまうが、どうもそういうものを受け付けなくなっている。そういうところも旅に出ると急に体重が落ちてしまう原因らしい。駅前でしばらく座っている。駅にある広告には、特急「きりしま」で宮崎まで○分、西鹿児島まで○分と書いてある。このあたりでは、博多・東京へ行くときはどちら周りで行くのだろう。新車が多いJR九州で、なぜか新車が回ってこないところである。そうしている間に時間が過ぎて、そろそろバスの営業所へ行ってもおかしくない時間になった。そのまま鹿児島交通の営業所へ行く。もちろん都城駅からも乗ることができるのであるが、時間があるので始発から乗る。

●都城営業所−志布志駅前(鹿児島交通バス・旧国鉄志布志線転換バス)

 鉄道だけを考えると都城から宮崎へ行き、そこから志布志線を往復して再び宮崎に戻りそして大分方面へ北上、ということになる。しかしそれだと時間がかかりすぎてしまう。そこで時刻表を見ていると、都城から志布志までバス路線を示す青い線があった。これを利用するとかなり時短になる。ということで、本数が少ないがどう考えても有利なこのバス路線を使用することにした。後で気づいたのだが、昔、西都城から志布志まで志布志線という路線がありそれの転換バスらしい。同じように志布志から鹿屋・垂水を経て国分に至る大隅線というものもあったらしい。今は行き止まりになっている志布志であるが昔は鉄道のジャンクションだったようである。とにかく、いずれは旧国鉄・JR転換バスにも乗りたいと思っていたのでちょうどよかった。なお、バスなので詳しい資料もなく、さらにバスだと酔ってしまう関係でメモを取ることができなかった。うろ覚えで情報量も少ないがお許し願いたい。

 鹿児島交通営業所を4人ほどの乗客を乗せて出発する。さっき歩いた道を通り都城駅へ行く。途中、信号に2回ほど引っかかり、少し時間がかかる。どうやら、2分の乗換でも間に合ったようであるが、それは結果論である。都城駅で5人ほどの乗客を拾う。そして西都城駅へ行く。途中本来ならいくつかのバス停があるはずなのだが、そこはこのバスは通過ということになっているらしい。そして高架駅の西都城に着くが、このバスの乗客どころか、本当に誰もいなかった。公官庁・デパートなどに近い関係で、町の中心は都城駅ではなく西都城駅だと聞いていたが、割と寂しい。

 旧志布志線は西都城から分岐していた線なので、ここから旧志布志線を巡ることになる。とりあえず、市街地を抜けて国道を走る。しばらくすると水田を挟んでいかにも線路という道が見えてきた。間違いなく旧志布志線である。サイクリングロードになっているらしい。そのまま国道を通り鹿児島県に入る。そして、国道からはずれる。「末吉駅前」というバス停があった。着いてみると旧末吉駅の駅舎がそのまま残されてバス停となっていた。本当に今にも列車が発着しそうな駅(?)である。時間があったら降りてみたいのだが、それは例によって我慢して、そのまま進む。鉄道の転換バスなので、そのまま次の駅へ行っても良さそうだが、それはバスの便利さも出さなくてはならず、末吉の市街地をこまめに停まる。末吉駅前では乗降客がいなかったが、市街地の中では乗降客がいた。必ずしも駅というところは便利なところに作られているわけではないということである。また、乗客が5人ほどになってしまった。やはり鉄道の維持が難しく、第三セクターも難しかったところなのだろう。

 地図を見ていて、末吉を通るのは時刻表から分かっていたので国道を通り、しばらくして志布志へ行く県道があるからそこを通る…通っていたがそうではなかった。あくまで鉄道路線転換バスである。単に都城から志布志を結ぶ中距離バスではない。能登線の廃止云々を言っていたときにニュースで聞いたのだが、結局、鉄道時代あった駅から一定の距離の間にバス停を作らなくてはならないらしい。そのため確か能登線では前波駅の近くを通る道路が狭くて、バスを通すことができるかどうかで、廃止にすることができないのではないか!等と騒いでいたことがあったようである。今の基準ではどうか分からないが、このバス路線はちょうどその話を聞いたときの転換バスのはずで、当然、基準が守られているのである。ということで、末吉を出てから狭い道を多く通ることになってしまった。改めて帰ってきて地図を見てもどこを通ったのかよく分からない。とにかくよく曲がっていたことは確かである。いかにも山道というヘアピンカーブも少し通った。あと、いくつか○○駅前というバス停があり、サイクリングロードである廃線が横にある、ということもあった。そういうわけで、廃止された鉄道の転換バスに乗ると廃線がよく見えるというのはそういう理由なのであった。

 当然、昔駅のあった松山町も通る。昔の線路をオーバークロスする。今は道路がオーバークロスしてくれるサイクリングロードである。こういう狭い道を通るくらいなら、廃線跡をそのままバスを通してくれればよいのだが、バス会社が膨大な固定資産税を払う運命になるのでそれはしないのだろうか。素直に、県か市町村がサイクリングロードとして持っていた方が丸く収まるのだろう。それにしても乗客の入れ替えもほとんどない。ゴールデンウイークでこういう状況だから、他はどうなのだろうか。

 そうして、道は下り坂になり志布志が近くなる。山を下りていき、市街地に入る。このバスは駅前行きではなく志布志高校前行きである。そのため、本当の駅前には寄らなかった。歩いて2〜3分のところで降ろされてしまった。バスの運賃は980円であった。

●志布志−田吉(日南線)

 志布志駅までわずかな距離であるが歩く。駅舎には貼紙があり、「職員(運転手4名)が5時まで寝ているので駅前で騒がないでください」とある。具体的に役職名と人数、時刻まで知らせてきている貼紙で、よほどひどかったのだと思われる。駅前もかなり広いのでオートバイなりスケートボードなりで騒がしかったのだろう。ただしこの駅はかつてのジャンクション駅でも今は単なる終点の駅で、無人駅となっている。ホームへ出ても1本しか線路がない。構内の広さにかつての栄光がうかがえる。

 入ってきた列車は1両である。乗車率もそこそこよい。ここで乗車率がよくてどうするのだろうか。途中で増結でもしない限り、青島・飫肥・子供の国などから乗ってくる乗客をさばききれるのだろうか。今から心配になってきたがその心配は見事的中することになる。なお、当然メモは、空いているときしかできないので、途中から向かいや隣に人が座ってくるとメモをしていない。そのため、途中から詳しく書いていないのでご了承願いたい。

 志布志を出ると住宅地で、川を渡り再び住宅地である。東京・大阪からのフェリーのある志布志港を見てトンネルへ。抜けると高いところを走る。海がときどき見える。南国的植物もあり海を離れて山の中へ。道路が並行する。海が見える高いところで大隈夏井。その後は海を眺める。海水浴場でたくさんの人が遊んでいる。山に入るが、隙間に海を眺めるそういう景色を繰り返す。このあたりで鹿児島県から宮崎県に入る。これで鹿児島県のJR線を完乗したことになる。そうして内陸に入り福島高松。県庁所在地駅名が2つくっついて別のものになっているが、もうそういうことはどうでもよい。この駅では見送りに来た人が何人もいた。そのため、ホームにいる人全員が乗ってきたらどうしようかと思ったが、2人しか乗ってこなかったので安心した。福島高松を出ると少し海が見える。そしてさっきよりも低いところを走っている。牛もいるし葉たばこの畑もある。海とは森を挟んでいるところで住宅が増え福島今町。このあたりの住宅で、12匹もいるこいのぼりを見た。今まではこいのぼりについて触れなかったが、この12匹ものをみて、とうとう触れてしまうことになった。つまり、九州のこいのぼりは単に上から大きい順に並べて5匹ぐらい、とか、団地用お手軽こいのぼり、といった生やさしいものではないのである。ハの字に張られたロープにこいのぼりが付けられていて、それで通常の2倍の量のこいのぼりがあることになる。そのうえそれとは別にその家にいる男の子の名前が書かれた幟が立てられている。2人以上いたら、本当に2本立てているところもある。中には4人分の幟があるところもあった。土地柄が反映するが、熊本でも鹿児島でも宮崎でも見ることができた。おそらく九州全域のものだと思う。

 福島今町を出ると、内陸になってくる。地図を見てもここから南郷までは内陸部を走る。山を登って畑が広がる。降りてきて市街地になり串間。上って田を見下ろす。下って行き住宅地。川を渡り日向北方。このあたりから小学生が増えてきてボックス席がかなり埋まる。窓から手を出して手を振っている。今は車掌が乗っていないのでこういう場合注意する人がいない。上って畑が広がり町へ降りていき日向大東。上っていき山の中へ。田畑が谷にある。そのうち田畑や家のある谷を見下ろすようになる。上りながら谷を見下ろす。今度は16匹のこいのぼりがあった。さらに上りそして下るようになる。下っている途中の集落で榎原。ときどき田を見ながら山の中を下っていき谷之口。さらに下っていき田が広がる。また下り町へ降りていき南郷。ここから油津までは再び海沿いを走ることになる。「海中公園の町」ということで人が割と乗ってくる。その後は町を見下ろす。海が見える。林を挟んで海沿いを走る。集落があり大堂津。海水浴場の目の前である。海を見下ろし山を越えて海に沿って走る。磯や砂浜がある。そのうちタンカーの港が見え、町になってきて油津。このあたりから混んできてメモどころでなくなる。

 町を通り工場が見えて日南。町から田と家になり町になり観光地である飫肥。この後は基本的に山と田と家である。町があり内之田。川に沿って走り北郷。油津から内陸に入り日南・飫肥を回っているうちに本当に内陸に行ってしまったようで、ここから経路を立て直すかのように方向を変える。山の中に入り長いトンネルを通る。そしてずっと下っていき、降りたところで海が見え伊比井。海沿いに復帰したようである。海を見下ろし山と海が交互に現れる。トンネルを通り再び海・山・海となり小内海。海が見えときどき山で内海。山を登りトンネル。そして降りて折生迫。その後の青島でも多く乗ってきて立ち客が多くなっている。そして心配が的中した。次の、子供の国である。今日はこどもの日である。それはよいのだが、ホームには家族連れがあふれそうなくらいいる。「子供の国」というだけあって、「子供の国」という遊園地が目の前である。JRの職員も多く待機しており、とにかく詰め込んでいる。もう乗ることをあきらめて後ろを向いている人もかなりいる。とにかく載せようとしているようである。運転本数が多くないのに、1両でしか運転しないという状況で、しかも「こどもの日」である。こうなって当然であろう。とにかく乗るだけ載せて、積み残しもかなりありながら、当然遅れて出発する。

 次の曽山寺、運動公園では2人ずつ乗ってきた。どうにか乗ることができたようである。そして次の木花で、私の目の前に座っていた女性が降りたのだが、どうにか頑張って前へ行って降りていたようである。南方を過ぎて次が田吉。ここで降りなければ宮崎空港線を空白にして戻らなければならなくなる。ここを空白にすると、この1.4kmのためにわざわざ宮崎までこなくてはならなくなる。あるいは、今日、大分まで行くことができなくなる。といっても、鉄道ファンだけが乗るような盲腸線ではなく、れっきとした空港へ行く、幹線である。当然降りる人が何人かいて、その流れで降りることができた。それで降りることができ、しかも隣には乗り換える列車も待っており、無事乗り換えることができた。

●宮崎空港線(田吉−宮崎空港−田吉)

 田吉駅は宮崎空港線を分岐させるために作った駅で、当然新しい。田吉からは北陸本線でよく見るような普通列車に乗る。さっきの混雑と違ってかなり空いている。住宅の混じった畑の中を走り、途中から高架になる。成田にせよ関空にせよ、新千歳空港にせよ空港駅というものは途中から地下に入り、地下駅となっていることが多い。宮崎空港は小松空港と大した違いはないだろうから、そういうところに地下駅を作っても意味がなさそうである。かといって完全な地上駅だと貧乏であるし、駐車場に入る車や貨物トラックのじゃまになる。ということで高架になったと思うが、それが妥当な線だろう。そうして、わずか1.4キロの宮崎空港線を完乗することとなった。

 せっかくなので一旦改札を通り、外へ出る。どうも小松空港のような雰囲気である。とにかく、宮崎に関しては新車を回さずに、飛行機との競合をあきらめ、むしろ飛行機の乗客をどうやって県内の交通に取り込むか、ということに力を入れた結果のようである。こういう形が増えていくのかどうか。

 さて、折り返しは特急「にちりん」である。一時期、この名前が気に入っていたときがあったが、今は古い車両を回された特急である。今回のきっぷは九州の中なら特急乗り放題で、今までも特急を使ってもよかったが、あえて使わずにいた。ここからは、普通列車も少ないし、大分へ明るいうちに行くことを考えると特急を使った方が、普通列車でゆっくり景色を見るよりもよいという結論に達して、ここから一気に大分まで特急で行ってしまうことにする。ちなみに、ここから宮崎までなら特急券なし、あるいは青春18きっぷでも特急に乗ることができるが、今回はその特例も関係ない。

 客層は、スーツを着た人、家族連れ、というようにいかにも空港から降りた客という感じである。ここから延岡あたりまで、空港の乗客を運ぶというのがこの列車の大きな役割らしい。

 宮崎空港駅を出て先ほどの線路を通り田吉まで戻る。

●田吉−南宮崎(日南線)

 当然、田吉から南宮崎までは日南線である。日南線も南宮崎−田吉間が電化されているということになる。畑からだんだん市街地になり、日豊本線と合流し、南宮崎に到着した、ということ以外は珍しいこともない。とりあえずこれで日南線も完乗できた。

●南宮崎−大分(日豊本線)

 この区間については、1996年に、通るだけは通った。乗りつぶしで考えると、南宮崎−宮崎間は普通列車で通っているのだから、文句なく乗っている区間である。宮崎−佐伯間は夜行列車特急「ドリームにちりん」で通っているが、夜行列車なので乗りつぶし上、乗車したことにはしていない。そのため、新規乗車である。佐伯−臼杵間は普通列車で乗っているが日没後であり、景色は覚えていない。臼杵−高城間は完全に乗っていない。高城−大分間は日没後普通列車で乗っている、ということで、だいたい新規乗車のつもりで乗れば間違いないだろう。

 南宮崎を出ると川を渡り高架になり宮崎へ。この駅では一度降りたことがあるので特に勝手を知らないわけでもない。ホームにたくさんの人がいるが、どう見ても普通列車の客層である。そのため、この列車もさほど混まなかった。昨日まではホームに沢山いる客は普通列車の乗客でなく特急列車の乗客というパターンであったが、今回は逆である。そのため、あまり混雑の被害には遭わずに来ている。あまり混んでおらず、メモも取ることができる。うれしいことにテーブルがあり、今までになくメモがとりやすい。

 ここからは、特急列車であり、当然駅を通過する。ここからの文は、特急停車駅だけを意識して書いていくことにするが、通過駅でも分かったものについては書いていく。原則として通過駅には触れていないのでご了承願いたい。

 宮崎を出ると市街地から水田になる。水田の向こうに森があり、そこに高いビルが建っている。どうもあれがシーガイヤーらしい。その後は田畑と家があり、そして一時的に水田が広がるが、すぐに住宅地がまじる。そして町になり佐土原。駅の裏にはコンクリート工場がある。市街地を抜け田畑と家がある。水田が広がり、何となく海が見えるようになる。その時左側は住宅地である。そして、住宅地となり田畑と家になる。その後水田と林を間において海のそばを走る。水田がたまになくなる。ときどきであるが海が見える。サーフィンをしている人もいる。右側はそのまま海との間の林だが、左側はある程度の町で高鍋。すぐに海が見える。幅が広い小丸川を渡る。海の上を飛んでいるようである。林を挟んでときどき海が見える。そのうち林が住宅地へとなるがまた林になる。林との間に田や畑がある場合もある。その林であるが笹が中心であるが他に松や広葉樹が混じる場合もある。林との間が広まり田畑や家がある。そのうちなくなり、間に水田だけとなる。そのうち古い高架線が並行するようになる。これがリニア実験線でかなり長い。リニア実験線というと、最新の技術できれいな高架線というイメージがあったが、海のそばでかなり年数も経っているので、今は古い高架線となっている。その中ですれ違いのため停車。たまにそのリニア実験線の下に養豚場などがある。リニア実験線がオーバークロスしていき、リニアモーターカーの研究所があり実験線は終わった。その後建物が増えてくる。トンネルを抜け広い川を渡る。住宅と港がある。トンネルと山があり隙間で海が見える。これを繰り返して住宅が増え南日向通過。軽く山を越えて住宅地になり財光寺通過。さらに市街地となり日向市。市街地からだんだんと国道沿いに店がある景色になる。住宅地から町になり門川通過。湾になっていて海が見える。内陸に入り、住宅地となる。国道沿いに走り延岡南道路という有料道路が分かれていく。延岡市にはいる。そして少し町になり土々呂を通過。海が見える。ある程度の建物の数は維持されていたが、そのうち海との間が林になる。その後町になってきて南延岡。工場がありその後市街地になり、川を渡る。さらに市街地になり、貨物駅の大きい延岡に到着する。かなりの乗客が降りる。ここから普通列車も少なくなるし、特急「ひゅうが」もなくなるので列車本数が少なくなるが、それ以上に需要のない区間となる。しかしここから「宗太郎越え」という難所になる。とりあえず季節がよいので外が見える。

 延岡駅では隣に特急「ひゅうが」が停まっていた。よく見ると「HAKATA−HUIS TEN BOUCH」というペンキの後に赤い色を塗っているというのが分かった。特急「ハウステンボス」として使われていた列車をこちらへ持ってきたらしい。ご丁寧に塗色は変えてある。どうもJR九州は、使い古しを宮崎へ持っていくという傾向が強いようである。

 延岡を出ると旭化成の社宅の団地が多くある。その後市街地を抜け谷へ入っていく。トンネルを抜け広い谷になる。北延岡を通過し、少し川に沿って走る。そしてトンネル。その後は川に沿って走るが、谷が広いためよく離れて走る。トンネルに入りながら広い谷を登っていく。ときどき川に沿う。そして日向長井を通過。川を渡りカーブを曲がる。谷が狭くなる。谷を見下ろして北川ですれ違いのため停車。谷が狭くなってくる。川を渡る。四万十川によくかかっているような欄干のない橋がある。このあたりで車掌の検札があった。かなりの乗客が降りてしまってからの検札である。まあ、この列車で検札をする場所というのも難しいだろう。トンネルを抜け、市棚を通過。いよいよ宗太郎越えである。トンネルを抜けさらに狭くなり川と国道とこの日豊本線でめいっぱいの幅になってしまった。国道がオーバークロスし、川を渡る。トンネルがあり、また川を渡る。さらに川が狭くなる。外を見なくても、登っているということがよく分かる。耳がおかしくなる。さらに進む。

 このあたりで宮崎県から大分県へと入る。これでどうにか宮崎県のJR線が完乗となる。そして宗太郎を通過。川がとても狭くなっている。しかし、川面ぎりぎりまで木があるので、渓谷的な景色ではない。本当の山の中である。道路が並行する。国道も、これだけの難所を通り、しかも高速道路は並行していない。大分から宮崎というのは意外と行き来が難しいところなのかも知れない。高速も熊本を通り宮崎へ至るというルートである。このあたり、坂を上っているのか下っているのかよく分からない。重岡を通過するが少し停車する。ここからは確実に坂を下っているということがよく分かる。谷が少しずつ広くなる。住宅もある。その谷を見下ろして下っていく。信号所を通過する。谷に田が広がりはじめる。そしてさらに下っていく。川を渡り、谷が線路と同じ高さになる。少し町になり直川を通過。下りの「にちりん」とすれ違う。谷が少しずつ広くなり集落があり直見を通過。さらに谷が広くなり、住宅が少し多くなり上岡を通過。町になったが通り過ぎて、一旦山を越えトンネルを通る。そして町に出てきて佐伯に停車する。この駅で1996年に4時過ぎまで仮眠をとったことがある。そういう駅である。また、ここから走っている普通列車は昨日、熊本付近で乗った赤と銀色のロングシート車であった。熊本・大分地区にこの列車を多く導入したようである。また、この駅から乗客が多くなる。ここからは大分・小倉・博多方面に需要がある区間となる。

 佐伯を過ぎると、トンネルを抜け少し海があり造船所がある。トンネルを抜け工場があり住宅になる。海崎を通過。谷に集落があり山へ入っていく。トンネルを通り、山と山の間に集落が見える。海が入り込んでいるのが少し見える。このあたりもリアス式海岸のようである。トンネルをくぐり、海が近くに来ているところで狩生を通過。少し海に沿って走る。トンネルを抜けて集落と海がある。そういうことを何回か繰り返しその中で家が多くあるところがあり浅海井を通過。少し海に沿う。家の多いところを通り山へ入っていく。それを抜けると湾になった海と港、そして集落があり、駅が近づいているため複線のようになる。トンネルを抜けて日代に臨時停車。特急「ソニック」の佐伯行きとすれ違う。トンネルを抜け湾と港と集落がある。市街地のようになるがすぐになくなる。奥まで入り込んでいる湾がある。タンカーが停まっている。それを見ながらトンネルへ。今度こそ市街地が本格的になり津久見に停車。市街地を少し通っただけでトンネルへ。抜けて再び市街地へ。谷になりそれが狭くなり、大きな鉄工所を見て山に入っていく。町を見下ろすところで線路が分かれる。信号所である。そしてまたもとの単線に戻り再び長めのトンネルへ。抜けて山と山の間で海と町を見る。そしてトンネルへ。間で海がすぐ下まで来ている湾がある。再びトンネルを抜けると港と集落があり、さらにトンネルを抜けると海に沿って走る。コンテナ船や他の船もありまたトンネルへ。抜けると造船所があり、市街地となり臼杵に到着する。1996年は四国の八幡浜からここまでフェリーで来たところである。ここから高城まで再び新規乗車区間となる。

 臼杵を出るとだいぶ日が落ちてきたが外が見えないわけでもない。どうにか大分の近くまでこの明るさがもって欲しい。少し市街地になりトンネル。住宅を見てまたトンネル。少し町になり上臼杵を通過。しばらく市街地で熊崎を通過。まだしばらく市街地だったがその後谷に入っていく。民家がある谷である。少し家が多くなり下ノ江。谷を進む。ここは佐賀関半島を迂回せずに、横断しているところである。完全な山の景色となってしまった。山に入り、少し家があり佐志生を通過。佐志生自体は海沿いの町らしいが、進む方向の関係で少し内陸部にある。ここから次の幸崎までは本当に佐賀関半島を横断する。佐志生を出て少し海を見下ろして山に入っていく。トンネルが続き、谷の下を見下ろす。谷のそこに降りてトンネルを通る。どんどん下っていく。そのうち集落を見ながら下っていき、町に出て幸崎。海に近いらしいが、暗くなってきて海かどうか判別がつきにくくなってきた。内陸に入る。畑がある。ビニールハウスの中の虫除けの光が見える。軽く山を越え田と家があり、林もあるようである。遊園地のようなところを通過し、田畑と家があったが、市街地になり坂ノ市を通過。住宅で店も見える。団地も混じり大在を通過。住宅地に畑が混じる。川を渡り、建物の割合が増えてくる。鶴崎を通過。川を渡り高い建物が増え高城を通過する。これで一応日豊本線が完乗となる。その後は市街地になりながら牧を通過して大分に至る。

●大分市

 今回は健康ランドに泊まることにする。少し道が複雑そうだったが、駅をうろうろしていると「ご自由にお持ち帰り」ができる大分市内の案内図があったため、それを頼りに進む。食事は大分駅でとることも考えたが、面倒なのでそのまま健康ランドまで行ってしまうことにする。大分市街地を歩き、途中から裏道に入り、そのまま歩いていくと踏切を渡ってすぐにこの健康ランドがあった。徒歩20分ほどで、健康ランドにしては駅から近い方である。やはり健康ランドはカプセルホテル・サウナと比べて風呂がよい。水風呂も2種類あるし、サウナも一般と冷凍(つまり逆のサウナですね)があったりと、面白いものだった。当然食前・食後と翌朝に入り、翌日はいよいよ帰ることとなる。


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