1925年に開業した「北陸鉄道能登線」(当時は「能登鉄道」)は、現在の七尾線羽咋駅から、羽咋郡志賀町を経て羽咋郡富来町の入口、三明(さんみょう)まで、通じていましたが、1972年6月24日に廃止されました。北陸鉄道の中では珍しく、非電化区間。途中、羽咋の柴垣海水浴場などを通るため、金沢駅から直通の列車も仕立てられたようです。
現在、ほぼ、この廃線跡が「羽咋健民自転車道路」となっています。廃線跡の25.5キロに、三明から巌門までの分を足して、35キロのサイクリングロードです。
ここでは羽咋駅から、三明駅跡まで、駅の跡を中心に、その他、駅跡と駅跡の間もご紹介するという形で、かつての駅がどうなったか、ご紹介します。かつてホームがあったところ。現在、その当時の跨線橋を生かしているのかどうか、廃線跡の上に跨線橋があり、羽咋駅東口(写真右)がある形になっています。ちなみに、この場所は既に自動車が入ってくることができない場所です。
廃線跡から、七尾線羽咋駅のホームを望む。
羽咋健民自転車道路の案内。全長35キロですが、廃線跡巡りだけで巌門まで行かないなら、25.5キロとなっています。
羽咋駅を出た廃線跡は、しばらく七尾線と並行し、橋を渡ります。大阪方面へ直通するサンダーバードも乗入れます。
そうして、七尾線をオーバークロスします。自転車道路にしては大げさな設備なんですが、廃線跡ならこういう事になるんですね。七尾方面を望む。
そのあとは、住宅地を通り、松林を通り、海へ近づきます。そのうち、能登有料道路の下をくぐります。
能登有料道路をくぐり、さらに松林を抜け、海の近くに出ます。そうして能登一宮駅跡に達します。
かつての写真を見ていますと、能登一宮駅のすぐそこには大きな鳥居の写真が写っています。ということでその鳥居が残っているとすれば、ちょうどこの場所が能登一宮駅の跡となります。気多大社の近く、ということで、鳥居があり「能登一宮」なのです。
羽咋方面を望む。おそらくこの角度で構内があったのでしょう。
今は羽咋市循環バスが、構内だった場所にバス停を構えています。
ほぼ、構内のあった場所に近いのですが、この付近一帯は「一の宮海岸」となっています。
そうして松林。これを抜けると滝駅になります。