1993年5月4日・5日
【上尾幌】8:20発→【釧路】8:47着、9:31発−(特急おおぞら4号)→【南千歳】13:27着、13:30発−(特急北斗10号)→【函館】16:41着、16:53発−(寝台 日本海4号)→【金沢】6:19着
※列車だけで釧路−金沢間を移動するにはおそらくもっとも合理的な方法だと思われる。久しぶりの寝台列車であった。
上尾幌に到着して翌々日の朝に出発する。釧路まではいとこがついてきてくれた。上尾幌で乗るときは整理券が必要であった。これも10年前にはなかったものである。
釧路から少し増結された特急おおぞらに乗る。ここから函館までの車窓は、この6年後に行ったときの文章に書いてあるので省略する。ここで書いても、おそらく大半は1999年に訪れたときの記憶が上書きされているので、意味がないからである。
ただし、その時との違いは、地震の直後だったので、所々徐行運転がされていたということである。
そのため、南千歳到着が若干遅れた。ここから数分の待ち合わせで特急北斗に乗り移らなければならない。そうしなければ函館から寝台特急日本海にも乗ることができない。しかし、時間は若干ながら過ぎている。デッキで降りようとしている乗客の中にも同じような乗換を考えている人がいて焦っているようだったが、多分大丈夫だと思われる。
その通りで、特急北斗は待っていたのである。陸橋を渡り乗り換えて、今度は特急北斗に乗る。
このときの景色も6年後の分に書いてあるので、省略する。内浦湾の景色が印象的であった。
函館ではほとんど時間がない。隣に停まっている寝台特急に乗り移る。本当に今回の帰りについては、乗り継ぎがうまくいきすぎていて休む暇がない。
函館を出てもまだ明るい。このときまで、夜行列車に乗っても「乗りつぶし」としてカウントしなかったが、「明るいうちに居眠りをしなければよい」という特例を作ったのがこの区間である。そのため、江差線の五稜郭−木古内間、海峡線全線を乗りつぶしたとしてカウントさせていただいた。
この青函トンネルについても6年後に記録に書いてあるのでこれもまた省略する。
青函トンネルを抜けるとすっかり暗くなっていて、青森を出ると、寝る体制に入った。
翌朝は、高岡あたりで完全に起きていた。車掌が起こしに来たが、間違えて別の人を起こしていた。