JR各線を巡る旅の記録

13南東北・信越・東海道 1日目


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 1994年8月27日
 【金沢】9:39発→【富山】11:12着、11:20発→【直江津】13:27着、13:30発→【長野】15:04着、15:35発→【高崎】17:57着、18:38発→【上野】20:11着、?発→【東京】?着、?発→【馬喰町】(時刻不明)→【東京】(時刻不明)→【品川】?着、?発→【新宿】?着、23:03発→(ムーンライト)
 信越本線経由でとにかく東京まで普通列車で行くもの。最初で最後の碓氷峠越えとなった。

●金沢−直江津(北陸本線)

 今回は同行者がいる。福井から乗ってくるので、列車の中での待ち合わせである。このとき自動車学校へ通っているときで、実地教習を毎日1限目にしてもらっていたので、それが終わってから金沢駅へ行くことになった。ちょうどよい時間であった。

 この区間は何度も乗っており、特に真新しいことはなかったともう。というより、何度も乗っているため、この旅の時は何があったかということを覚えていない。とにかく、富山で乗り換え、糸魚川で駅弁を買って食べたと思う。

●直江津−高崎(信越本線)

 金沢から東京へ行くにはいくつかルートがある。上越新幹線開業前は、一番速いのが米原経由、距離が短いのが信越本線経由、そこそこなのが上越線長岡経由であった。上越新幹線開業後は、長岡経由がもっともポピュラーなものになったが、乗換なしで行くには、時間がかかるが信越本線経由で特急白山、というルートも存在していた。ただし、この文章を書いている時点では信越本線横川−軽井沢間が廃止され、また、篠ノ井−軽井沢間も第三セクター化され、このルートは使用できなくなってしまった。ただ、北越急行線が出来たためにまたルートが出来たのだが、本題でないので省略する。

 今回は、信越本線の完乗と、碓氷峠を通ってみたくてこのルートにした。上越線経由は今回考えなかったのだが、向こうの方の普通列車運転本数から考えると、結局こちら側になったのでないかと思う。

 直江津から、しばらくは水田の中を通る。春日山を過ぎ、上越市のもう一つの市街地高田を経ると再び水田の中である。新井を過ぎると水田から山になってきて、二本木、関山と、スイッチバックの駅がつづく。その後は、観光地でそれなりの大きさのある妙高高原、長野県に入り黒姫を過ぎしばらくすると長野盆地に入る。豊野で飯山線が合流してしばらくすると長野に到着する。

 今はこの駅に北陸新幹線が乗り入れ、立派な駅となったが、この当時は善光寺をモチーフにした駅であった。戸が少なくて、冬は寒いのでないかと思った。

 長野からは、高崎行きの列車で一気に高崎まで行ってしまう。確か6両連結で、長野を出たときはかなり余裕があった。

 長野を出て、安茂里・川中島と過ぎて篠ノ井で篠ノ井線が分かれていく。工事中の新幹線の線路が並行している。ここから、上田・小諸といった都市を通っていくのだが、このあたりも独特な景色である。走っている盆地や谷が平坦で、急に置物をおいたように山があるのである。徐々に谷の高度が上がっていき、山になっているのではなく、「ここまでが谷、ここからが山」と、境界線がはっきりとしている。さらに、その山が急であり、かなり高い。その影のせいもあり、独特な景色である。

 そうして、信濃追分あたりから、別荘地のような景色になってくる。中軽井沢を過ぎ、軽井沢ではかなり乗客が乗ってきて、満員になってしまった。長野ではかなりの余裕があったのだが、全く違う列車になってしまった。

 軽井沢から横川まで、碓氷峠を越える。JRでもっとも急な区間であり、そのため、昔から様々な工夫がされてきたところである。レンガ造りの昔の橋なども見える。今回は下り坂(ただし、列車運行上は「上り」)だが、上り(列車運行上は「下り」)の場合はもちろん、坂を下りるときも前に機関車をつけ、速度が上がりすぎないようにしている。

 並行する道も急だが、こちらも急で、急な坂を下りているというのが列車の中にいても分かる。結局、碓氷峠というのは坂が急であることが特徴で、それ以外は森のなかを走っているのである。外から見ると機関車を2両もつなげて格好がよいのだが、中にいると急なところをゆっくりと走っている、というものである。ただし、急であるが故に車窓は他とは違ったものになっている。

 急な坂を降りて横川に着く。横川を過ぎると、だんだんと平坦になってくる。このあたりの家のアンテナはとても高い。しかも、北陸のようにUHFとVHFのアンテナをつけたり、隣の県の電波を受けるためにいくつかの方向に別々にアンテナをつけるということをしていないため、とてもシンプルである。

 安中では山の方に精錬所があって、少し異様であった。その後は特に変わったこともなく高崎に到着した。

●高崎−大宮(高崎線)及び大宮−東京(東北本線)並びに東京都都区内

 高崎では少し外へ出てみる。県庁所在地のように大きな駅である。NOVAが本当に駅前にあり、「駅前留学」の意味が分かった。

 高崎からはそのまま上野を経て東京を目指すが、日没後のため外はよく見えない。ロングシートでもあるので本当に外は分からない。途中、篭原で増結をするので一旦外へ出て、増結した車両に乗り込む。

 そのまま、日没後の外がよく分からない状態で、上野に着く。上野で山手線列車か京浜東北線列車に乗り換え東京駅に着く。

 東京駅で夕食をとろうとするが、駅の中の食堂は金額が高く、やめてしまったという記憶がある。結局、この後の品川駅の近くのコンビニで食料を調達したと思う。

 また、時間があるので、青函トンネルが出来るまで日本でもっとも低いところにあった総武本線馬喰町駅へ行ってみることにする。乗り場が分かりにくかったが、そのまま地下鉄に乗っているような感覚で馬喰町駅に着く。長いエスカレータを使い、地上に出たが、やはり地下鉄の駅のようであった。

 その後は夜行列車が出発する新宿駅まで行く。指定席券がないと乗ることができないということと、もう指定席券が残っていないということを繰り返しアナウンスしていた。

●新宿−村上(快速「ムーンライト」)

 列車自体は「快速」といっても、下手なグリーン車程度の座席で、リクライニングも利用でき快適であった。ただし、途中で冷房を切ったらしく、暑かったという記憶があるが、高速バスに対抗するものとしては十分であろう。

 翌朝は、米坂線に乗るために坂町で降りてもよかったが、時間があるため一旦村上まで行き、そのまま引き返しの列車で坂町まで戻った。


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