JR各線を巡る旅の記録

13南東北・信越・東海道 3日目


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 1994年8月29日
 (ムーンライト)→【赤羽】4:48着、?発→【品川】?着、?発−(西大井経由)→【横浜】:着、6:36発→【熱海】7:58着、8:04発→【静岡】9:17着、9:30発→【浜松】10:43着、10:44発→【豊橋】11:18着、11:23発→【大垣】12:52着、13:27発→【美濃赤坂】13:34着、14:08発→【大垣】14:14着、14:53発→【米原】15:28着、15:44発→【長浜】15:53着、16:34発→【敦賀】17:12着、17:18発→【金沢】20:10着
 今度は東京から東海道本線で帰って来るというもの。東海道本線完乗を考えると、品川−(西大井経由)−鶴見と、大垣−美濃赤坂間を乗車する必要もあり、これを意識する。東海道本線は景色はよいのだが、寝ている部分も多く後で乗り直す必要あり。

●赤羽−品川(赤羽線、山手線)

 そのように、赤羽−池袋間はムーンライトで乗ったか、普通の列車で乗ったかよく覚えていない。とにかく、新宿を通り、品川まで来る。よく考えるとこの山手線は早朝か夜しか乗ったことがない。東京自体、この文章を書いているとき現在、乗りつぶし上「空白域」になっているのだから、仕方がない。

●品川−西大井−横浜−大垣−美濃赤坂−大垣−米原(東海道本線)

 品川から、普通に東海道本線に乗ってしまうと、東海道本線上で未乗区間が出来てしまう。時刻表上「横須賀線」と書かれている、品川−西大井−鶴見という区間である。これは本当は横須賀線ではなく、東海道本線なのである。そのため、わざわざ、この区間を通る列車に乗らなくてはならない。(ちなみに、品川−川崎−鶴見間は乗車済み)

 品川から、その列車に乗ったが、長い編成の列車でトイレを探して車両を移動しているうちに通り過ぎてしまったようである。乗客が少ないことと、グリーン車があった。

 横浜で少し駅前に出てみる。そして再び、東海道本線を西に向かう。夜行列車2連泊となると、どうしても眠くなる。そして記憶が飛んでいる。といっても、1994年8月の話を2000年4月に書いているのだから、記憶が飛んでいるのも無理がない。熱海の直前で海が見えたことは覚えている。

 熱海では短い乗換時間で乗り換える。丹那トンネルを過ぎて、函南であった。その後は三島・沼津を経て海沿いを走る。富士山が見えたはずだが、5〜6年もすると見たのかどうか覚えていない。由比や興津あたりでは、国道と高速道路、そして東海道本線が海にせり出している。ある意味「難所」であり、日本海側なら親不知並の扱いを受けても良さそうであるが、波が高くないようで、これでも交通の要衝である。

 清水駅は貨物駅の方が大きかった。そして草薙を経て、静岡である。少し時間があるので外へ出る。駅の造り自体は金沢駅に似ている。金沢駅に新幹線を付け加えたようなものである。

 静岡からはほとんど記憶がないが、茶畑を見たような記憶がある。石川県にいると、ここはあまり通らないところで、次回はいつになるか分からない。とりあえず、浜松で乗り換えたと思われる。浜松からはロングシート車であったように覚えている。

 浜松からも覚えていない。浜名湖も通ったようであるが、むしろ中学校の修学旅行で新幹線から見た浜名湖の方が記憶にあるくらいである。

 豊橋で新快速列車に乗り換える。

 再び記憶が飛び、名古屋である。名古屋では乗り換えることなく、大垣まで行く。

 大垣からは、美濃赤坂までの線に乗る。これは一応「東海道本線」と呼ばれている線であり、当然これに乗らなくては東海道本線を完乗したことにはならない。住宅地を走りすぐに美濃赤坂に着く。そのまま戻り、大垣から関ヶ原を通り米原まで行く。

●米原−金沢(北陸本線)

 長浜で乗り換えたが、その後は、いつも通り金沢まで戻る。これも何度も乗っているので、このとき何があったがよく覚えていない。

 
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