JR各線を巡る旅の記録

16 九州(1996年10月)1・2日目


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1996年10月7・8日
 1996年10月7日
 【金沢】2:51発→(急行きたぐに)→【京都】6:14着、8:41発→(新幹線)→【小倉】10:53着(以下時刻不明)→【戸畑】→【小倉】→【西小倉】→【門司港】---(徒歩)---【下関港】−(船)→【門司港】→【小倉】
 この日はメインが某学会の新日本製鉄戸畑製鉄所見学である。そのあと、先生と友人での行動。
 1996年10月8日
 【西小倉】9:20発→【黒崎】9:36着、9:42発→(特急にちりん)→【博多】10:19着、10:21発→(特急かもめ)→【諫早】12:08着、12:11発→(本川内経由)→【長崎】13:03着、発時刻不明→(特急かもめ)→【博多】0:06発→(ドリームつばめ)
 この日からは先生と別れ友人との行動。この日のメインは長崎市内。

●金沢−京都−小倉−戸畑(北陸・東海道本線・東海道・山陽新幹線・鹿児島本線)

 今回は金沢発2:51という、急行きたぐにで、京都に向かう。実際は始発のサンダーバード(当時はスーパー雷鳥(サンダーバード)といっていた)でも間に合ったのだが、そうなると睡眠というものが入ってしまい、朝起きるのが大変である。そのため、寝なくても乗れるきたぐにを選んだのである。また、その時使用した周遊券は、今の「周遊きっぷ」とは違い、目的地へ向かう列車について、急行列車までは特別料金不要だったのである。金沢−京都間の特急料金を考えると、これはお得である。さらに、早めに着いておくと余裕が持てるからでもあった。それで、この列車を選んだのである。この列車で関西方面、さらに九州へ向かったのは今回が初めてではなく、数ヶ月前にあった祖父の葬式の時この列車に乗っている。この2回乗って分かったのだが、深夜に発車するのは予想以上に疲れるということ。多少早起きしてでも、布団で寝ておくというのは貴重なことであった。その数ヶ月後の祖母の葬式では始発のサンダーバードを使用したのであった。

 自由席の端に乗るため、普段はなかなか来ないホームの端まで歩く。こういうところまで歩くと金沢駅は広かったのだと実感する。普通列車では3両、せいぜい6両なのでこんなところまでは歩かない。そして、列車に乗り込む。例によってほとんどの人が寝ているところへ入っていくので気が引ける。座席の自由も利かない。

 特急列車は湖西線を経由して京都へ行くが、この列車は米原経由である。普段はほとんど普通列車のため、湖西線経由よりもなじみのあるところを通る。滋賀県の高層マンションが見えてきたあたりで夜が明けてくる。そうして、いつも通るところを通っているうちに、京都に到着した。

 現在の京都駅は、とんでもない駅ビルが建っているが、その当時はその駅ビルを造っている途中で、あらゆるところが工事中であった。入り口もおかしなところにあったりした。とにかく時間があるので、外へ出たり、朝御飯を食べたりして時間をつぶす。それでも時間があるので新幹線ホームへ行ってしまうことにした。

 京都駅は当然JR西日本であるが、新幹線はJR東海である。そのため、新幹線ホームへ出ると急に別のところへ来たような気になる。ジュースの自動販売機が突然250mlだけになってしまう。これもJR東海的である。JR西日本のホームには350mlの飲み物がたくさんある。また、ホームでラジオを聴く。家で夜、よくMBS(毎日放送)を雑音混じりで聞いていたが、さぞかしきれいに聞こえるだろうと思っていたらそうでもなかった。京都はMBSがあまりきれいに入らないことで有名である。とりあえず「ありがとう浜村淳です」が聴けてよかったといえばよかった。

 そうしているうちに何本かの新幹線が停まっては発車していく。のぞみ301号という、元祖のぞみが、通過していく。こののぞみが登場したとき、名古屋と京都が通過となったが、名古屋ではかなり騒いだらしいが京都では静だったらしい。通過するといっても、防護柵のないホームを通過するのでかなり速度を落としている。サンダーバードが通過する敦賀駅のようである。

 そして、ようやくひかり65号が来た。1両目という待ち合わせであったが、席の都合で4両目か5両目になったらしい。わざわざ1両目まで迎えに来てくれた。新大阪ではおそらく先生が乗り込んだであろう。同じ新幹線に乗っておきながら、小倉で降りるまで会うことがない。定員が多いとそうなってしまうのである。在来線特急とこのあたりの考え方が違う。

 山陽新幹線は山ばかりで基本的に面白くない。窓側に座ればまだ景色を少しは見ることができただろうが、3人掛けのまん中なので、景色も余りよく分からない。在来線の山陽本線はかなり面白いのだが、新幹線はつまらない。時刻表のこだま号の部分を見て、いつ頃どの駅を通過するか予想するぐらいしか遊びがない。

 そうして、いつの間にか新関門トンネルをくぐり、小倉に到着した。小倉からは鹿児島本線に乗り換える。工業地帯が見えてきて戸畑に到着する。

●戸畑・門司−門司港(鹿児島本線)・関門海峡・小倉

 戸畑では統計学会の先生たちと製鉄所の見学をする。このあたりは本題ではないので省略する。

 その後、西小倉まで行き、宿泊するところに荷物をおいて観光となる。観光なのでここでは本題ではないので省略するはずだが、実は門司−門司港間というのが新規乗車になってしまうので、省略できないのである。

 西小倉から門司港行きに乗る。門司駅は一度降りたことのある広い駅。そこから関門トンネルを通らずに門司港を目指す。雨も降っており夕方近くであまりよく見えなかったが、小森江を経て、スピードを上げずに終点の門司港に到着する。景色自体ほとんど記憶がないが、線路がたくさんあったような記憶がある。

 門司港駅は古い駅舎をそのまま残してある。もちろん改修はしてあるが、基本的に古いままである。昭和1桁生まれの先生は懐かしがっている。そこから、タクシーで和布刈(めかり)まで行き、関門国道を歩いて見るという話になった。

 和布刈まで行くと、公園のようなところがあり、関門橋(高速道路)が真上を走っている。そこに、エレベータがあり、自転車も通ることができるようになっている。下まで降りると広い歩道がある。それがそのまま山口県までつながっているのである。そこを歩く。真上には自動車の道があり、車の行き交う音が聞こえる。他に歩いている人はいなかったが、高校生が部活で走っていて、その人たちと多くすれ違った。

 途中、福岡県と山口県の県境があった。当然海の底である。そして同じくらい歩くと、再びエレベータがあり、それを登ると地上にでることができた。青函トンネルはこのようには行かないが、関門トンネルは歩くことができる。

 地上にでて、しばらく歩くと下関の市街地である。門司港行きのフェリー(というか、船)乗り場があり、これで門司港まで戻る。

 そして門司港から小倉まで行き、夕食をとり宿泊所へ戻ったが、このあたりは本筋ではないので省略する。

●西小倉−長崎−博多−西鹿児島(鹿児島本線・長崎本線)

 翌日は西小倉から長崎方面へ向かう。途中黒崎で特急にちりんに乗り換える。周遊券なので自由に特急に乗ることができる。

 今日は長崎市内を見学して、適当なところで福岡に戻り、ドリームつばめで西鹿児島へ向かう。この長崎までの路線はよく乗る路線なので、ここでは省略する。

 にちりんが、信号待ちで香椎あたりでよく停まった。そのため、博多到着は遅れたが、乗るべき特急かもめが待っていたおかげで乗ることができた。

 途中諫早から、旧線経由の普通列車に乗り換える。このあたりの景色については数ヶ月前に乗っているため、だいたい覚えていた。この車窓については「15 九州8月」に記入するためここでは省略する。

 そして、長崎で市内を見学するが、これも本筋ではないので省略する。ただし、長崎くんちは雨で中止であった。

 日が暮れてから、特急かもめでいったん博多へ戻る。そして、市内で夕食をとってから(これも屋台街へ行ってとんでもないところへ迷い込んだのだが、省略。)ドリームつばめで、西鹿児島へ向かう。この前乗らなかった長洲−鳥栖間もきちんと通るのだが夜行列車なので乗りつぶしたことにしない。熊本あたりまで覚えていたが、その後は寝ていたと思う。

 そして、西鹿児島へ到着する。いったん駅の外へ出るが、写真で見た西鹿児島駅と全く違う。新しく建て直したらしい。

 

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