1996年10月10日
【平成】→【熊本】8:42発→【宮地】10:10着、16:41発→【豊後竹田】17:25着、17:26発→【大分】18:47着→【高城】→【大分】21:37発−(特急にちりん)→【小倉】23:19着、23:25発→(あかつき)
観光がメインのこの旅で、ある程度鉄道の旅的な部分はこの熊本−大分間であろう。といってもその間で阿蘇山に登っている。豊肥本線はとてもよいと思います。
1996年10月11日
(あかつき)→【大阪】→【京都】 【嵯峨嵐山】→【京都】→【長浜】→【福井】、【森田】、【金沢】
帰るときに嵐山に寄る。
今回は鉄道の旅が目的ではないのでかなり短文となっている。さらに3〜4年も前の話なので記憶が曖昧である。
とりあえず、翌朝、平成駅まで戻り、時間があるので熊本駅まで行く。そして、阿蘇へ行くか雲仙へ行くか考え、結局阿蘇へ行くことにした。
コースとしては、熊本からいったん宮地まで行き、阿蘇山へ登った後はそのまま戻るということが一般的なのかもしれないが、せっかくなので豊肥本線を完乗することにするため、大分まで抜けてしまうことにした。
熊本を出ると、市街地を迂回して平成へ。先ほど乗った駅である。この駅自体は新しい。そのため次の駅が南熊本で、熊本駅の次にあるような駅名である。そして、新水前寺を経て水前寺。観光地の駅である。そこから肥後大津まではだんだんと市街地から郊外へとなっていく景色であった。肥後大津を過ぎるといよいよ山のなかへ入っていく。瀬田を過ぎて、坂が急になる。新しくない気動車では大変である。そして、立野ではスイッチバックがあるという始末で、阿蘇の外輪をようやく登っている。
しかしその山越えを過ぎてしまうと、突然景色が開けてしまう。阿蘇の内輪に入ってしまったのである。今までの山越えが嘘のようである。阿蘇山もきれいに見える。内輪であるため、四方山に囲まれ、その囲まれたまん中に阿蘇山がある。
そのようなとてもきれいな景色を見ているうちに、終点の宮地に到着する。
ここから、仙酔峡ロープウエーまで行き、阿蘇山に登る。下りはロープウエーを使わずに降りてくる。このあたりは本題でないので省略。
宮地からはやや旧型の気動車(形式名よく分からない)である。宮地を出てしばらくして山のなかに入ってしまう。阿蘇の外輪を再び抜けなくてはならない。また、このあたりから洪水で運休になっていた区間である。その跡がよく分かる。橋などもきれいになっているところがあり、流されたものであることが分かる。
そのようなところを下っていき、豊後竹田で乗り換える。だんだんと平野になってきたが、日も暮れてきた。そして、暗くなって大分に到着する。
大分から、別府の方ではなく、逆の方に一駅行き、高城で降りる。そこからしばらく歩くと温泉があるからである。そして大分へ戻り、特急にちりんで小倉まで行く。もう、暗くなっているので全く景色が分からない。一応、「昼間の列車」であるので、乗りつぶしになってしまうが、極力避けたいパターンである。帰ることを意識しているため仕方がない。この区間ならいずれ乗ることもあるであろう。
途中の駅の明かりだけが妙に印象に残っている。
小倉から、特急あかつきの座席車に乗る。長崎始発であるので、小倉ではすでに電気が消されている。車内設備についてはよく分からなかったが、その数ヶ月後、諫早から乗っているためその時よく分かった。
翌朝は、いったん大阪で降り、京都まで新快速で行ったあと、バスで嵐山などへ行き、戻りは山陰本線で京都駅まで行く。この嵯峨嵐山−京都間は新規乗車であるが、これについては後で乗っているため、ここでの記録は省略する。
京都からは新快速列車と普通列車で森田駅まで行き、いったん大学へよってから帰宅する。