JR各線を巡る旅の記録

17茨城・岩手他 3日目


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 1997年3月3日
 【厨川】発9:39−(普通)→【盛岡】着9:46、発10:00−(普通)→【花巻】着10:35,発11:16−(普通)→【北上】着11:30,発11:48−(普通)→【一ノ関】着12:30、発13:03−(普通)→【気仙沼】着14:27、発15:57−(快速 南三陸)→【仙台】−(地下鉄)→【北仙台】−(仙山線 普通)→【仙台】→(高速バス)
※1日かけて仙台まで行くことができればよかった。できれば山田線・釜石線(さらに岩泉線も)と思ったが、無理だったので大船渡線・気仙沼線とした。なお、気仙沼線気仙沼−盛間はいずれ乗ることになろう。

 1997年3月4日  (高速バス)→金沢

●東北本線(厨川−盛岡−一ノ関)

 少し朝早めに起きて、風呂にもう一度入ってから出発する。厨川駅まで多少距離があるのでバスでそのまま盛岡まで行こうと思ったが、よく分からなかったので結局厨川駅まで歩くこととする。

 厨川発9:39に乗車する。東北本線のこのあたりの普通列車はほとんどロングシートのはずであるが、なぜかクロスシートの気動車である。というのも、この列車は花輪線から乗り入れてきた列車であるため、思いがけずクロスシートの列車に乗ることができたのである。

 7分ほどで盛岡に着き、10:00発の花巻行き普通列車に乗る。例によってロングシートである。ロングシートの悪口ばかり書いているが、そのほかはドアの開け閉めのボタン、降りるときに閉めるのボタンを押して降りるスリル(前日分の記述参照)、加速の音や加速のスムーズさなど面白いところは多い。いすそのものも柔らかすぎず、堅すぎずちょうどよい。ただ、ロングシートであるところがどうも---。

 盛岡を出て、しばらくは東北新幹線に沿って走る。そして、それから離れると北上川に沿って走る。渓谷を走る川もよいが、このように平野を走る川もまたよい。平野といっても、内陸にある平野で、北上川が作った平野である。渓谷を刻む谷と原理的には同じことである。こちらの方が時間が経っているため、削る面積が広くて平野になっただけのことである。「地形の輪廻」からすると、日本にいくつもある渓谷もこのような平野になるときが訪れるはずだが、想像がつかない。

 北上川が蛇行しているため、近づいたり離れたりする。そうしているうちに花巻に到着する。花巻では1時間ほどあるが、時間的にも中途半端で宮沢賢治関係の施設へ行こうとしたがやめて駅におとなしくいることとなった。1時間いても暇なので、それを分散させるために11:17発の北上行きで、北上まで行く。

 北上駅は新幹線のホームもある。新幹線は高めの高架で、在来線ホームからやや離れている。在来線ホームが2面3線という、JRにありがちの駅である。その普通の駅なのに新幹線のホームもある。どうも在来線のホームと新幹線のホームが同じ駅とは思えない。東海道・山陽ではあまりない光景だが、東北新幹線ではよくある光景だと思う。北陸新幹線もこういう駅が多くなるのだろうか。

 北上からさらに45分ほど乗車して一ノ関まで向かう。ロングシートであることが災いして北上川以外ほとんど記憶にない。

●大船渡線(一ノ関−気仙沼)

 今日は、仙台発金沢行きの高速バスに乗れればよいのである。そのまま仙台へ行ってもよいのだが、どこかの路線に乗りたくていろいろ考えていたが、結局大船渡まで行くということしか、時間的には無理であった。

 大船渡線は有名な話だが、政治家の力で線路が大きく迂回するという結果になってしまった路線である。他に中央本線に似たようなところがあり、近年では新幹線の岐阜羽島駅や上越新幹線そのものも同じような事例であるという話もある。とにかく、このように大きく曲がってしまった大船渡線を「ドラゴンレール」などという愛称をつけてしまっている。皮肉なのか、あきらめなのか、苦肉の策なのかよく分からない。

 大船渡線を走っている列車は、JR東日本でよく見て、それ以外のJRでは全く見られない新型気動車である。高校生で混んでいて、ロングシート部分に座ることになってしまった。しかも、通路にも立っている人が多かったのでゆっくりと外を見ることができなkった。川沿いの山の中、のちに川がない山の中を走っていたという記憶がある。あと、天気が良かったので日光がよく車内に差し込んできたが、その方向がどんどん変わっていた。東へ向かっていた列車が北へ向きを変え、それから東へ向きを変え、そして、南に向かい、再び東へ向かって気仙沼を目指すという形だからである。つまり、北へ向かっているときと南へ向かっているときは太陽の差し込む方向が逆になるはずであったし、事実走であった。

 山の中を走っていた列車は、宮城県に入って、しばらくして気仙沼に到着した。実際海へ出たという気がしないが、リアス式海岸のため海そのものが内陸部に入り込んでいるためである。

 気仙沼で1時間半ほどあるので港まで行くことにした。駅を降りて港まで行く町並みは愛媛県の八幡浜とよく似ている。その町を歩き、港まで来る。そこの食堂で昼食をとる。気仙沼からは大船渡線は海沿い(といっても山の中であるが)に走って再び岩手県に入って線名の大船渡を通り、盛まで行く。そこで三陸鉄道南リアス線に接続しているが、これはそのうちということで、そのまま気仙沼線・石巻線・東北本線を通り一気に仙台まで行ってしまうことにする。

●気仙沼線(気仙沼−前谷地)及び石巻線(前谷地−小牛田)、東北本線(小牛田−仙台)

 気仙沼発15:57の快速南三陸4号にのる。快速といっても、どちらかというと急行に近い快速である。おそらく、急行格下げの快速だと思われる。列車も国鉄からの急行型気動車のキハ28・58で、塗色も国鉄時代そのものである。昨日から新型ロングシート車や新型気動車のロングシート部分で、うんざりしていたが、久しぶりに旅らしくなる。車両数も何両か忘れたが、やや長い。空席も多くあり、ゆとりがある。

 気仙沼を発車すると、しばらく一ノ関へ戻るような走りをする。そして、大船渡線と別れ、急カーブで海へ戻る。そして、気仙沼市街地の外側を走り、不動の沢(駅名)を経て南気仙沼に到着する。気仙沼駅からは直線距離にしてそんなにないだろうが、市街地を半周してここまで来るという形になっているため、遠回りである。

 南気仙沼である程度の乗車がある。みどりの窓口もあるくらいで、気仙沼と乗降客数を分けているのだろう。南気仙沼を出てしばらくすると海沿いを走る。海沿いといっても、リアス式海岸のためすぐ向こうに陸地があり、広い太平洋を望むことができない。さすがに岩が多いため湖という感じはしない。気仙沼湾をかなり高いところから望むことができ景色はよい。

 ようやくリアス式海岸の対岸から解放され、広い太平洋を見ることができる。天気も良いので空も青い。防風林のような松もそれに彩りを添える。

 この列車は急行に近い快速なので、気仙沼線内は南気仙沼と本吉、志津川にしか停まらず、前谷地で石巻線と合流してしまう。本吉のあたりで内陸に入り、その後海沿いに出て小泉湾を眺めた後、トンネルが多くなる。山が海まで迫っているという地形なので、トンネルで越えたのである。

 トンネルをいくつか越えて志津川に着く。そして今度は海沿いから内陸部に進路を変える。山を越えて仙台平野に出てくる。どうも急行に近い快速だと、慌ただしくなってしまう。ゆっくり普通列車に乗って駅ごとに景色を改めてみてみる方がよいのだが、ここについては大船渡線の残りの部分の関係でもう一度来る機会があると思う。そのときオールロングシートの列車がここを走っていないことを望んでいる。

 仙台平野に出て、走りが軽快になる。そして田んぼの中を走り、向こうから石巻線の線路が近づいてきて前谷地に到着する。駅そのものは大きくない。前谷地から石巻線を軽快に走り小牛田で東北本線となる。

 東北本線になっても引き続きこの列車に乗れるということはありがたい。おかげで、松島湾もきちんと見ることができたが、日も暮れてきて、あまりよく見えない。乗車率も高くならないまま仙台に17:57に到着した。

●仙台−金沢(高速バス)及び地下鉄、仙山線(北仙台−仙台)

 仙台駅の駅ビルにある「エスパム」(だったと思う)で、夕食や、バスに備えて酔い止め薬を買う。実はこの旅で日付が入った資料をほとんど残さず、切符もどこかに行ってしまった。曜日は覚えていたが、日付は正確にわからなかったが、日付を特定する手がかりとなったのがそのときの酔い止め薬を買ったときのレシートだった。

 時間があるので、仙台の地下鉄に乗ってみることにする。地下鉄なので特に面白いものではない。とりあえず、帰りJR仙山線で帰ることができるように北仙台で降りる。しばらく歩いてどこかの神社へ行き、JR仙山線の駅まで引き返す。仙山線はこのあたりでは仙台への通勤路線となっている。北仙台を出ると、仙台市の中心部の外側をまわって仙台駅に到着した。

 それから、町を適当に歩いたりして、高速バスの駅に着く。実は高速バスに乗るのは初めてであった。(高速バスといっても、たとえば金沢駅から小松空港へ行くバスや、あるいは修学旅行の時に大阪空港から金沢までのバスなどを除く。)そのため、どのようなものかと思いながら乗った。

 夜行バスによくある(らしい)3列シートであったが、2人分をまとめて買ったので最後部の4列シートであった。バスの最後部は乗らないことにしているが、指定席券で指定されたのだから仕方がない。酔い止めを飲んでいるので、大丈夫だと思う。

 仙台駅前を出て、長いトンネルを抜けるとインターチェンジだった。どういう道路なのかよく分からない。

 当時、磐越自動車道ができていなかったため山形自動車道を経由して、山形市内から新潟市内まで一般道を通るというものだった。山形から一般道へ出て、一般道らしい走りをしていたのは覚えているが、後は覚えていない。

 早朝、小矢部川パーキングエリアの休憩で目を覚ます。心理的に窮屈だったが(列車と比べるので)何とか一晩を過ごせた。そこからはよく知っている景色を見ながら、よく知っている金沢駅前に到着した。


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