JR各線を巡る旅の記録

25福島・茨城 1日目


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1999年9月24日(特記なき限り普通列車)
【金沢】6:54発−(特急はくたか)→【直江津】8:47着,9:13発→【宮内】10:35着,10:45発→【越後堀之内】11:11着---(徒歩)---【小出】13:03発→【会津若松】16:50着,16:53発−(特急ビバあいづ)→【郡山】17:51,着18:15発→【安積永盛】18:20着,18:24発→【郡山】18:30着,18:48発→【喜久田】18:56着
※金沢から郡山まで行くもの。念願の只見線に乗ることができた。それがメインである。磐越西線は日没後のためほとんど分からない。

●北陸本線(金沢−直江津)

 金沢から宮内、そして上越線に乗り換えて越後川口まではほぼ1ヶ月前に飯山線に乗ったときと同じ時刻で大丈夫である。しかし、今回は青春18きっぷとは違い、周遊きっぷである。ということは、特急料金さえ払えば特急に乗ることが出来る。

 1ヶ月前と違い、朝5:35の普通列車に乗るとすれば、外は暗い。また、6時前なので自転車は違うところへもっていかなければならない。学生ではなく働いているのだから、無理をして普通列車に乗らずとも、特急列車に乗っても罰は当たらないだろう、等と考え、結局6:54発の特急「はくたか」3号で直江津まで行くことにした。これで、直江津からは1ヶ月前と同じルートで行くことができるのである。特急は、やはり早いのである。

 この「はくたか」は、少し前まで特急「白山」で使われていた車両、つまり今は急行「能登」で使われている車両であった。阪神大震災の時は「スーパー雷鳥」としても使われたことのあるものでなかなか活用範囲が広い。それよりも、上越新幹線ができる前、金沢発上野行きの特急で、信越廻りが「白山」、上越廻りが「はくたか」であり、新幹線開業時に「はくたか」の方がなくなってしまった。そして、北越急行開業時に「はくたか」の名前が復活した。北陸新幹線部分開業の時に「白山」が廃止され、今は形を変えた「はくたか」が残っている。それで、「白山」で使われていた車両が「はくたか」に使われているというのも何となく因縁めいたものを感じる。

 この6:54という時刻は中途半端であり、どうしても東京に早くつきたい場合はその前の6:12発の「はくたか」を使うし、ゆっくりしたい場合はこのあとの8:17や9:13を使うであろう。そのため、金沢発の段階では1両目の自由席はほとんど乗客がいなかった。しかし、この列車は石動・滑川・魚津・入善といった駅にこまめに停車する。そのため、高岡・富山といったしょっちゅう特急が停まる駅ではなく、このようなたまにしか特急が止まらない駅からビジネスマンらしき人が多く乗ってきた。その列車はそういう意味があるのであった。ちなみに1本前の金沢6:31発の「北越」は、津幡・小杉・黒部・泊・能生に停まり、この列車と停車駅を振り分けているようである。

 金沢−直江津間についてはよく乗っているので詳しくは外を見ていないし、書かないが、立山は曇りのためよく見えなかった。

 直江津で少し時間があったので改札をくぐり外へ出る。工事中のため、広くない駅前がさらに狭くなっていた。公衆電話から仕事の関係の電話を1本かけるが、話をした瞬間に頭の中が現実に戻ってしまった。戻るのに時間がかかった。これも新潟県内まで許せるが、福島県内に入ったらかける気がしない。

 

●直江津−宮内(信越本線)

 この区間も最近はおなじみとなってしまった。しかも、ほぼ1ヶ月前と全く同じ列車に乗っている。今日は平日でもあるし、青春18きっぷの時期でもないので前回よりも空いていた。途中、土底浜か上下浜だったと思うが、小学生が写生会を行っていた。昔、国鉄能登線(現在ののと鉄道)の蛸島駅で同じようなことをやった記憶があるが、そのときは絵を描いている間に2本(折り返しなので、運用上は4本)しか列車が来なかったし、終点なのでかなりスピードを落としており、安全だったと思うが、ここは北越急行経由の「はくたか」が登場してから本数が減ったとはいえ、列車の本数はかなりある。危なくないのだろうか。

 また、柿崎あたりで小学生の遠足の集団が乗ってきた。笠島あたりで降りたが、先生という職業は大変なものである。

 そうしているうちに、柏崎から内陸部に入り、この前見た景色を見ながら信濃川を渡り、宮内に到着した。ここでの乗り換えも1ヶ月前と全く同じである。橋上駅の改札を通り、いったん外へ出てトイレへ行く。それから列車を待つが、入ってくる列車のタイミングが1ヶ月前と全く同じである。

●宮内−越後堀之内(上越線)

 1ヶ月前に乗ったように列車が入ってきて、それに乗り込む。この列車は数少ない水上まで行く列車であるが、2両である。そのため、今回もゆったりした空席がなく(座ろうとしたら座れないこともないが、通路側になってしまったり、進行方向逆向きになったりする。)ドアの近くに立つことにする。

 宮内を出ると1ヶ月前と同じ景色を見る。ただし、稲刈りは終わっていて、1ヶ月分の季節の変化が分かる。内田洋行の大きな工場が見える。ストーブで有名であるが、工場は大きい。ただし、水田の中にある。

 越後滝谷を過ぎ、小千谷で民家を注意深く見てみると、瓦屋根とトタン屋根の両方があった。1ヶ月前、飯山線でほとんどがトタン屋根だったのを見たが、このあたりでは、まだ瓦屋根も大丈夫なようである。

 前回降りた越後川口を過ぎると、山を越える。そしてトンネルをくぐると、上越新幹線がオーバークロスしている。この先、浦佐と越後湯沢で新幹線と接するものの、上越線内ではオーバークロスすることはない。そして、北堀之内を過ぎると、水田の中を通り越後堀之内に到着する。

●越後堀之内−小出(徒歩)

 本来はもう一本あとの列車でもぎりぎりではあるが只見線の列車に乗ることが出来た。しかし、これではもし遅れたら、予定がおかしくなってしまう。それに、自分の座りたい座席に座ることができるかどうかも心配である。そのため、今回のメインに選んだ只見線をより確実・快適に乗るためにわざわざ一本早い列車でここまで来たのである。

 そうすると、そのまま小出へ行くと、1時間48分という待ち時間になってしまう。この前の越後川口でも同じような待ち時間で、結局飯山線の1つあとの駅まで歩き、折り返しの列車で越後川口に戻るということをした。今回は、只見線の列車でこのような1つあとの駅へ行くということは出来ない。というのも、かなり前に折り返しの列車が小出駅に来てしまっているからである。そう思って時刻表を見てみると、小出の一つ前の越後堀之内から小出まで、線路の営業キロが2.5キロしかないことが分かった。そこで、1時間48分では十分であろうということで、歩くことにした。

 越後堀之内駅で、何人かが一緒に降りる。降りたあと、駅の出札口が閉まってしまった。しばらく列車が来ないのだから、閉めてしまった方が合理的であろう。

 駅前に出て、すぐに国道17号線に出る。この前、越後川口駅からしばらく歩いて出た国道が17号線なので、同じである。この前と違う点は、今回はきちんと地図があるということである。もちろん、線路沿いに歩けば問題がないのだが、今回は国道に出てから線路沿いに行くまでがこの前よりも難しいのである。

 しばらくは国道を歩く。新潟と東京を結ぶ国道だけあって、交通量は多い。道路沿いもラーメン屋など、国道沿いということが分かる店がいくつかある。最近金沢にも多くできてきたホームセンタコメリも、ここではおなじみのようである。

 しばらくして、右側にそれる道がある。そこをそれなければ、魚野川を渡ってしまうことになる。小出駅に行くために魚野川を渡る必要もないので、そのままそれる道を歩く。そしてその道を下っていくと、県道に出る。しばらくはそこを歩くが、歩道がないのと交通量がやや多いということで、並行している魚野川の堤防を歩くことにした。小さな公園を突き抜けて堤防に登る。そして砂利道を歩いていく。風もちょうどよくて、歩きやすい。台風が近づいているが、天気はよいので、とてもよい。しばらくは歩きやすい堤防を魚野川の風に当たりながら歩いていく。いつの間にか、上越線も並行している。

 そのような堤防が小出駅の近くまで続いてくれればよかったが、そうはいかなかった。きれいな堤防は突然終わり、人一人がやっと歩ける細い道になった。まわりには草が多く生えている。それでも歩いて行くが、どうもこれ以上歩けなくなるところがあった。そこにちょうどよく右に曲がる細い道があったため、そのまま歩いていく。上越線の下をくぐり、県道に出る。そこには小さなバス停があった。

 そして、県道を歩いていく。魚野川は木の陰に見える。上越線に沿って歩く。複線電化の近代的な路線であるが、上越新幹線ができてからは運転本数が減っている。そのため、複線の意味があるのかどうか考えてしまう。どう考えても、単線でもっと運転本数の多い区間がある。

 しばらく県道を、上越線に沿って歩く。踏切があったので渡ってみたが、その先は林の中に消えていて、歩きにくそうだったので戻る。そして、そのまま歩くと、駅らしきものが見えてきた。案外あっけなく小出駅に着いてしまった。小出駅は、越後川口や越後堀之内のような駅を想像していたが、それよりも大きかった。駅前にもきちんとホテルがあり、只見線の早朝の列車にもきちんと乗れるようであった。

 このように小出駅に着いたが、まだ1時間近くも待ち時間がある。昼食もとりたいので、そのまま歩いてみることにした。

 しばらく駅前を歩く。おみやげ物屋や、うどん屋など、観光地に近い駅という感じがする。そして、しばらくすると、魚野川を渡る橋にさしかかる。そこで、魚野川を渡る。渡った先には商店街が広がっていた。よく、市ではなく町の駅前には商店街があるが、そのようなものではなく本格的なものであった。アーケード街が交差している。町というより市であった。ただし、何となく人は少なかった。平日の昼間なので仕方がない。しばらく歩き、スーパーに入る。お茶のペットボトルとパンを購入する。これを昼食にするのではなく、おやつとする。そして、スーパーへ行く前に目を付けておいた中華料理屋で、炒飯を食べる。お茶のお代りは自由だったのでかなり飲んだ。

 そして、小出駅へ戻る。一応、列車別改札制になっており、自由にはホームへ行くことができなかった。しばらく待つ。JR東日本の社会人社員募集の公告がある。技術系と、駅員の募集であった。最近、県庁でもやっていることであるが、JRもやりだしたようである。

 ようやく改札が始まり、ホームへ行く。幸いに2両だったし、混み合う心配もなさそうである。田子倉ダムを見ることが出来るように、一応右側に座るが、川自体は左右に見えることになるので実際はどちらでもよい。

 この駅もそうだし、他にこのあたりの駅で見かけるしゃれた駅名板がある。ただ、これは駅名板というより、道路標識のような感じがする。あまり好きではない。

●小出−会津若松(只見線)

 ようやく、今回のメインである只見線に乗車する。しばらくは乗れないと思っていたが、台風のおかげで思いのほか早く乗ることが出来た。しかも、列車は、最近のJR東日本標準新型気動車ではなく、古い気動車であり、非冷房車で窓が全開であるということがうれしい。早く乗っておいてよかった。

 小出を出ると、すぐに急カーブで上越線と別れる。というよりも、全く上越線と並行しないまま別れてしまった。しばらくは家のあるところを通り、水田の中を走る。検札のため、車掌が来る。ここでもそうだし、あとから乗る線でも思ったが、JR東日本の普通列車の車掌は平均年齢が低いようである。自分より若いようである。その点、JR西日本は、東日本よりもかなり平均年齢が高い。それで、今回は行き先がきちんと決まっているきっぷなので、会津若松での乗り換えについて聞かれる。もし何なら、特急券を買ってはどうかという話である。特急に乗るかどうか決まっていなく、普通(快速)になるかもしれない。これは、着いてみて、そのときの気分と、込み具合で決めることであり、今の段階では分からない。そのため、「着いてから決めます」といい、特急券は買わなかった。

 少し家の多いところで薮神。鯉を養殖する小さな池が見える。鯉が何匹も見える。それから、水田を走る。雪の関係か、標識の一つ一つが妙に高い。そして、越後広瀬。水田とススキを見ながら、走っていく。この線ではススキが多く生えている。というのも、北陸本線では(といっても金沢−福井間しか知らないが)ススキの代りに、黄色い花(月見草ではない。外国から入ってきたものらしい)が咲き乱れ、ススキが少なくなってしまった。ススキが珍しくなっているのだろうか。このあたりは、山が近いが、山まで段差がなく、いきなり高い山に地面がぶちあたっている。窓が開いているので虫が少し入ってくるが、外を飛び回っているトンボが全く入ってこないのが不思議である。水田は、このあたりでは原則稲刈りが終わっているが、一部稲刈りの終わっていないものがある。種類が違うのであろう。そうしているうちに魚沼田中。近くの山に木のない部分がある。よく見るとスキー場であった。スキー場というのは、単に普通の山の木を切っただけなのだろうか。スキーをしないのでよく分からないが、遠くから見る分には急な斜面のような気がする。 高度が上がっていく。飯山線のような新型気動車ではないので、音の変化でよく分かる。上がりきったところには水田もあるが、狭い谷で川に沿っている。そのうち谷は広くなり家や学校があり越後須原。このあたりは段差が少しある谷である。家がなくなり谷が狭くなる。そして谷が広がり家が増えてきて上条。反対側の左側が川に沿って走っている。高度が上がり、飯山線のようなプラスチックのシェルターを走ったあとトンネルに入る。冷たい空気である。窓が全開なのでトンネル内と外の気温の変化がよく分かる。トンネルを抜けると半分くらい岩がむき出しの山が迫っている。間に川があるわけではないが、渓谷を走っているような感じがする。家が増えてきて入広瀬。駅が立派である。雪国観光会館をかねているようである。原則トタン屋根の地区なのだが瓦屋根の家がいくつかある。家が少なくなり、谷も狭くなる。川を渡る。家が少しだけあり、柿ノ木駅を通過する。川を4回渡る。ただし同じ川かどうか分からない。支流が混じっているかもしれない。それからトンネルに入る。抜けると渓谷になっている。こちら側に川がある。川がきれいに見えるところで大白川。すれ違いのできる駅である。家が少ないところである。駅員がタブレットをもってくる。珍しくタブレットを使う線なので、少し大きな駅にはホームにきちんと駅員がいる。最近ではほとんど見なくなった光景である。

 川を渡ってトンネルに入る。小さい吊り橋も見える。シェルターとトンネルを何回か繰り返す。川も何回か渡る。そうしているうちに谷がだんだん急になる。並行する細い道の橋のたもとには高い紅白の棒がある。平野部で見るものと高さが全く違い、冬の雪深さが分かる。谷がさらに急になり、きれいな細い川を渡ってすぐにトンネルに入る。他のトンネルよりひんやりしていると思ったらこれが六十里越トンネルであった。このトンネルができてようやく只見線が全通したのである。だんだん車内が涼しくなり、クーラーが入っているようになる。Tシャツと短パンであるので、この気温の差がよく分かる。途中でエンジンの音が静かになったところがありそこがどうやら県境のようである。トンネルを抜けるとキャンプ場の駐車場のようなものがあり看板には「只見町云々」と書かれていた。福島県に入ったのは確実である。

 シェルターに入り、抜けるとダムが広がっていた。再びシェルターにはいる。その中に田子倉駅があった。シェルターを抜け、ちらりとダムを見て再びトンネルへ。下り坂であり、スピードを出しているせいか、強い風が入ってくる。少し谷を見て再びトンネルへ。それから短いトンネルとシェルターを繰り返し下っていく。家が増えてきて只見。小雨が降っている。2分停車であるが他の列車とすれ違ったわけではなかった。乗車してきた人はおばさん3人組だけである。

 福島県に入り、稲刈りはほとんど行われていないようであった。新潟県や、北陸3県はすでにほぼ終わっている。しばらくは田の中を走るが、谷に入っていく。急カーブで川を渡る。眺めがよい。抜けて川に沿って走る。下にコンクリートの広い護岸のようなものがあるが、どうやら並行する道がこの中に入っているようである。トンネルを抜け田と家のあるところで会津蒲生。ホームが短いので列車にかかるのが1両だけである。2両目は踏切の上に停まってしまった。その後は広い川というか、ダムに沿って走る。岸が崖になっていて走れないところは鉄橋にしている。その中に少し広くて田と家があるところで会津塩原。少し長いトンネルを抜けると普通の谷で、川幅も狭くなっている。少し集落があるが駅はなかった。そこからしばらく進むと会津大塩。

 少し田の中を走り、川を渡る。さっきより細いが水量のある川である。あまり広くない谷の田の中をしばらく走り、会津横田。田のある谷を走る。川は反対側の左側に見える。水量は多い。そして少し家があるところで会津越川。このあたりの駅の待合室にある時刻表を見ると、本当に列車が1日3往復しか来ないということが分かる。少し深い谷を走る。川は左側にある。列車は空いていて、ほとんどの人が寝ているので時々左側の座席へ行き、川を眺める。少し長いトンネルを抜け、川を渡る。変電所があり、集落もあり本名。久しぶりに「会津」が付かない駅名である。再び川を渡る。左側の川が広くなってくる。だんだんダムに近づいている。

 そうしているうちに会津川口。久しぶりに2両目がホームにかかる。駅舎は大きい。会津若松から来てここで折り返す列車も多いので、にぎやかな駅である。しかも、小出を出てはじめて別の列車とすれ違う。この駅のホームの向かい側に広い川が流れている。そして高校生も乗ってくる。よく考えると今日は平日なのであった。この駅を出ると川の幅がだんだん広がってくる。そして会津中川。この駅のホームの長さはさっきまでと違ってちゃんと2両分ある。しばらく走ると川をせき止めたところがあった。そして少し谷を走り、川を渡る。水量は多い。あまり家の多くないところで会津水沼。会津川口から乗ってきた高校生が降りる。深い谷でやや広い川に沿って走る。並行する道路の標識を見ると金山町から三島町に入ったようである。そして川がさらに広くなってきてまわりに家らしきものは見あたらないが早戸。長めのトンネルをいくつか走る。そのトンネルの間は谷間に川が流れていた。その中に川をせき止めているところがあった。その後、学校があり、すれ違うことのできる会津宮下。川は流れているのが分からないほどゆっくりの流れになっていた。川を渡り、少し家があるところで会津西方。谷の中を走る。深い谷で広い川が流れている。集落のあるところに出て会津檜原。待合室の時刻表を見ると、6往復はあるようで、会津川口の前の3往復よりもにぎやかである。しばらく走り、トンネルをくぐる前に谷を横切る。谷底にコンクリートの帯があった。その中には道路が走っているようである。深い谷を走り滝谷。山の中を走る。左側は谷を見下ろしているようである。左に集落を見下ろし郷戸。下に町を見下ろし、カーブしながら下っていく。そして町を通り過ぎて会津柳津。山から下りてくる場合、町を通り過ぎてから駅があるというパターンがよくあり、飯山線の津南もそうである。「開設70周年」とある。只見線全通は六十里越トンネルの関係で最近の話であるが、部分開通は早かったようである。

 平坦な水田を走る。ただし、左側を見てみると、一段低いところに家が見える。時々谷も見えるが、概して平坦である。貨車を駅舎にした会津坂本。それから山を下っていき、森の中に塔寺。一段低いところに集落が見える。さらに下っていき、さっきまで一段低いところの集落を見ていた部分と同じ高さになる。リンゴ畑もある。今までの「谷」ではなく、盆地になっている。只見線の山の区間は終わり、これからは平坦な盆地の中を会津若松へ向かっていく。

 会津坂下に到着。平日の下校時間ということを忘れていた。高校生がたくさん乗ってくる。今までガラガラだったところに、隣も向かいも、通路も高校生であふれかえってしまった。話している内容もよく分からない。とりあえず列車は水田の中を走っていく。地図を見るとそのまま直線で会津若松駅まで向かった方が早いのだが、盆地の中を迂回するルートをとっているため、遠回りをしているようである。その中を若宮・新鶴・根岸と通り、会津高田でさらに高校生が乗ってくる。会津本郷を過ぎ川を渡ると西若松。ここで少し降りていき車内が少し落ち着く。駅名板は絵入りであった。絵入りというよりも、絵(写真)のうえに文字が乗っている。両毛線にもいくつかあった。次の七日町で高校生がたくさんいたが、幸いに反対側の列車に乗るようで、誰一人乗ってこなかった。そして会津若松に到着する。

●会津若松−郡山(磐越西線)

郡山での乗り換えは決まっていなかった。しかし、特急列車の乗り換えの案内を聞くと、とりあえず行ってみようということで、特急列車のホームへ走った。自由席は前の方だったため、さらに走った。そして自由席の所までたどり着くと、空席は十分にあるようだった。ここまで走ったのだから乗らないと損であるので、結局特急で郡山まで向かうことになってしまった。

 だんだん日も落ちている。1ヶ月前なら十分明るいまま郡山へ着くことができたはずだが、服装は夏そのものとはいえ、確実に秋になっている。この区間は普通列車で乗っており、特に寝ていなかったため景色はある程度覚えているが、確実なものではない。そのため改めて見ておきたかったが、だんだん日が沈んでくる。車内アナウンスのオルゴールは、この特急「ビバあいづ」にあわせて、「会津磐梯山」であった。

 会津若松を出て、盆地の中ではあるが、水田ではなく山がちなところを走り、広田を通過。そのまま東長原を通過し、川に沿って走る。水力発電所も見える。段差のあるところで、家や水田がある。そして磐梯町を通過。このあたりで車掌が検札に来て、特急券を買う。950円であった。山の中や谷を走る。ときどき水田もある。翁島を通過して水田が広がる。磐越自動車道が並行する。仙台あたりから大阪あたりへ行くとき、ここや北陸自動車道を通れば東京を回るより早く行けるようになったらしい。ある意味日本の大動脈である。磐越西線も、実は金沢から仙台へ行くための近道である。このような線がその役割を果たさないために金沢−仙台間は飛行機や高速バスに客を取られてしまっている。このような地方都市間輸送に鉄道はもっと貢献できないものか。

 そうしているうちに猪苗代に到着。その後は水田の中を走る。川桁を通過し、磐越道がオーバークロスする。関辺を通過し、トンネルへ。抜けるとおそらく猪苗代湖が見えたと思うが、暗くて湖なのか平原なのか森なのか分からない。猪苗代湖畔駅の通過と、地図から猪苗代湖には間違いない。以前乗ったときは猪苗代湖が見えた記憶があるし、地図を見るとここが猪苗代湖に最も近いところであるので、間違いないだろう。その後は暗くなり、また山の中なのでよく見えなかった。

 郡山市内の磐梯熱海に停車する。ホテルが多い。そして、だんだん平野(盆地)になってきて、喜久田も通過する。今夜はこの駅で降りて健康ランドへ行くわけであるが、この駅から並行する国道までの距離と、東北自動車道がオーバークロスしていくのを確認する。国道沿いで、この駅から東北自動車道の間にその健康ランドがある。

 そして、市街地に入り、郡山に到着する。ここからが周遊区間の開始であるが、実はもう一度周遊区間から出ることになる。

●郡山−安積永盛−郡山(東北本線)及び郡山−喜久田(磐越西線)

 今回のルートを考えた際、この郡山−安積永盛間が空白になってしまう。そうなると、東北本線の乗車は予定通り行った際、小山−厨川(盛岡の次)まで乗ったことになるのに、この区間だけ空いてしまう。今後、乗る可能性がある区間であるが、何しろ郡山付近は今回で完乗になってしまうため、もしかするとこの区間は夜行や新幹線で通過するだけになるかもしれない。あるいはここより北へ行くときは必ず日本海側まわりで仙台・盛岡へ行くことになりかねない。つまり、北陸に住んでいると、このあたりは通過する可能性が薄い区間なのである。そのため、「JR全線乗車」のゴールがこの一駅区間になっては悔やみきれない。この一駅区間のためにわざわざ金沢から来るということもあり得る。そこで、喜久田で降りずにわざわざ郡山まで来て、さらに安積永盛−郡山間を往復するということを行ってしまうのである。

 さしあたって、郡山駅の改札を通り外へ出る。ここもそうだし、明日行くいわきもかなり大きな駅である。福島県は東北というよりも関東に近いという感じもする。とにかく福島県は福島市一極集中ではなく、分散されているようである。また、郡山駅は新幹線の関係で大きな駅である。東北・上越新幹線までは新幹線は大きく作られているから、在来線1階、新幹線3階となっていることが多い。それが、山形・秋田新幹線は、純粋な新幹線でないから別として、北陸新幹線からおかしくなっている。現在建設中の北陸新幹線金沢駅の高架も、在来線と全く同じ高さで作ってあり、ホーム増設にしか見えない。

 東北本線のホームへ行く。平日の帰宅時間であるので、ホームは混雑している。その中をおなじみとなったオールロングシート車が入ってくる。北陸では全く見かけないのだが、ここではもうおなじみになっている。別に驚かなくなってしまった。

 市街地を走り、おそらくそこからはずれたと思うが、暗いのでよく分からないまま安積永盛に着く。外へ出ると、あまり大きくない駅で、駅員もいなかった。新旭川駅とよく似ている。大きな駅の次があまり大きくないというのは地方都市の特色で、このあたりは親近感をおぼえる。帰りは東北本線の列車ではなく、明日乗る水郡線の列車で郡山へ向かう。東北本線とうって変わって空席が多かった。

 郡山に着き、いったん改札を通る。ここから一駅区間であるが、周遊区間外に出てしまうためにきっぷを買わなくてはならない。それから磐越西線のホームへ行く。そして、北陸本線でよく走っている普通列車と同じ形式の列車が入ってくる。さっき郡山で特急にするか普通(快速)にするか迷ったが、その迷って乗らなかった方の列車が折り返すようだった。あまり込んでいなかった。こっちの方がゆっくりできたかもしれないが、とにかく早く宿(健康ランド)へ行ってゆっくりしたいと考えているので、特急でよかったと思う。

 市街地を少し迂回するようにして、磐越西線は東北本線から別れていく。そして、市街地をはずれ、しばらく走ると東北自動車道がオーバークロスする。そして、右側には問屋街が見えて、そうして喜久田に到着する。

●郡山市内及び喜久田−郡山(磐越西線)

 喜久田駅はやはり地方都市の主要駅の隣駅で、無人駅であった。駅前も明るくないというより暗い。地図上はそのまままっすぐ歩くと国道49号線に出るはずなので、とにかく住宅地の中を歩く。このような知らない土地を、夜歩くというのは、今年の北海道へ行ったあたりから多くなってしまった。以前、夜行列車で宿泊というパターンが多かったときはこういうことはほとんどなかったが、特に健康ランドへ泊まるということになると、ほとんどの場合こうなってしまう。

 国道49号線に出て、一応向こう側に渡る。地図上では向こう側にあることになっているからである。そして、民家はほとんどないが、工場がいくつかあるところを歩く。国道49号線はここでは4車線であり、交通量は多い。ときどき水田の中を歩きながら、そのうち駐車場の広いそれらしき建物が見えてきて、到着した。あわせて20分程度である。

 いったん軽く入浴してから、食事をとる。あまり食事を重視しない旅の場合、ある程度のものを食べることができて便利である。それからさらに入浴してあわせて2時間ほどの入浴であった。そして、翌朝は1時間弱入浴する。このあたりはパターン化している。

 今度は明るい道を歩き、喜久田駅に着く。きっぷの自動販売機があるのできっぷを購入し、車両数の多い磐越西線の列車に乗る。そしてすぐに郡山に到着した。


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