JR各線を巡る旅の記録

25福島・茨城 2日目


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1999年9月25日(特記なき限り普通列車)
【喜久田】7:11発→【郡山】7:18着,8:00発→【いわき】9:48着,10:18発−(特急「スーパーひたち」)→【水戸】11:24着,12:12発→【上菅谷】12:28着,12:31発→【常陸太田】12:45着,13:17発→【上菅谷】13:32着,13:34発→【安積永盛】16:17着,16:24発→【黒磯】17:21着,17:24発→【宇都宮】18:15着,18:20発→【小山】18:46着,19:02発→【足利】19:41着
※磐越東線・水郡線がメイン。東北本線も乗っていなかった区間。

●郡山−いわき(磐越東線)

 郡山に7時18分に着いて、8時ちょうどに磐越東線が発車するので時間はある。ただし外へ出てもしょうがないので、磐越東線が発車するホームへ行き、うどんを食べることにする。やはり東日本なので、色が濃い。仕方がない。

 この時刻に磐越東線の列車で郡山に到着する列車は通勤・通学のラッシュにあたる列車であるため、5両連結のものもあったりする。そのまま引き返して5両でいわきへ行ってもらえれば有り難いが、今時そんなことをするJR東日本ではないということは十分承知している。

 停車位置も、ホームの発車時刻案内と、ホームにある印で分かるので、早々と停車位置で待っていることにした。駅舎から一番遠いホームなので、向かい側には貨物用の広い敷地がある。その向こうには工場があり、そこの放送などが聞こえてくる。

 入ってきた列車は2両であった。今回は特に左右気にしないが、右側の方がある程度川を見ることができそうだったことと、JR東日本新型気動車なので、座席右側は一人掛け向かい合わせだったということで、右側に座ることにした。

 郡山を出ると、少し市街地を走り、そのうち田の中になる。阿武隈川を渡る。隣の道路標識を見ていると、三春町に入ったようであるが、地図によると境界線が複雑なため、次の舞木駅は郡山市、そして再度三春町に入り、また郡山市となり、三度三春町に入ってようやく三春駅があるようである。舞木を出ると、山であるが、まわりの道には家や店がある。そして三春で反対側から来る列車とすれ違う。その後は、だんだん高度が上がってくる。山の中を走るが、ときどき集落がある。その中で要田。このあたりの駅では車掌が降りてきっぷを集めに行く。車掌がいる列車の最後部と、ホームの出口が離れていると、かなり走っているようである。その後は、低い山と、あまり広くない水田地帯を走る。コンスタントに家はあるが、多くない。そして少し町になり船引。10分停車する。高校生が多く降りていく。ここからワンマン運転になる。

 船引を出ると、少し町らしいところを走る。新しい家が多い。田の中だが家もある。その家々がとぎれないまま磐城常葉。平坦なところを走り、水田や松が見える。家や店が続きながら大越。家が少なくなり菅谷。近くの山のうち、一つだけ高いものがある。石灰か何かを掘っており白くなっている。そのまま広い谷を走り、ときどき石灰か何かの山を見ながら神俣。駅の裏にセメント工場がある。山が低くなり、家が少なくなる。山やトンネルを抜け、集落になる。家が増えてきて小野新町。周遊きっぷの中には(福島・会津ゾーン)ここまでが周遊区間というものがあり、郡山都市圏の区切りのような気がする。

 そこから山を越え、再び家が多くなり夏井。山の中を下っていく。隣の道を見ていると、いわき市に入ったようである。ただし、ここもかなり山の中まで、「いわき市」を名乗っている。谷を降りていく。川や田、そしてわずかな家を見下ろす。高度を下げ、谷底と同じ高さになる。ときどき集落がある。川を渡り、あまり家の多くないところで川前。そして、田のある狭い谷を下っていく。ときどき川沿いが渓谷になっているが、長続きしない。谷を見下ろすところで江田。狭い谷をさらに降りていき、家が増えてきて小川郷。川沿いに平坦なところを走る。このあたりの、稲を干す「はざかけ」の形はフクロウのような形である。北陸や新潟では壁のようである。そして家が増え赤井。さらに町になってきていわきに到着する。

 いわき駅で少し時間があったので、一度外へ出てみる。常磐線に乗ったときに、外を見ているので、わざわざ見なくてもよいのだが、とりあえず外へ出る。駅前には今年4月1日から中核市になったことが書かれていた。この駅はかなり大きい。実は記憶違いをしていて、記憶の中にあったいわき駅はもっと小さかった。どうやらそのとき、その前に降りた湯本駅と混同しているようだった。とにかく記憶が訂正できてよかったと思う。

●いわき−水戸(常磐線)

 この区間はわざわざ特急に乗らなくても、普通列車であっても水戸駅で乗るべき水郡線の列車に接続する。しかし、どこかでおみやげを買わなくてはならないし、昼食購入の時間も欲しい。それに、特急に乗っても普通列車に乗ってもどちらでもいいですよ、というきっぷをもっているし、スーパーひたちにも乗ってみたい。しかも、この区間は一度普通列車に乗っている。そこで、あえて特急「スーパーひたち」に乗り、早めに水戸駅に着くことにした。体調もよいし、メモを取るためのテーブルまである。しっかりと外を見ておくことにする。

 いわきを出ると、市街地を走り、トンネルに入る。抜けると高層団地や新興住宅地を見ながら内郷を通過。そして山の中を走り、トンネルを抜けると家が多くなり湯本に到着する。国道6号線が並行する。新興住宅地や工場があり、そのうち水田となりトンネルに入る。そこを抜けると泉に停車。広い構内である。その後は山に入る。谷の中に水田がある。稲を干すはざかけの形は、磐越東線のいわきの少し前と違い、長い鉄棒のようである。そこを抜け、町が広がり、海の方には石油科学系の工場が見え、植田に到着。町がだんだん水田になってくる。そして勿来を通過。国道6号線に沿って走る。少し住宅地を走り海が見えるようになる。海と常磐線の間に国道6号線がある。砂浜であるが、進行方向の先は岩場になっている。山に入り、トンネルを通る。ここがどうやら福島県と茨城県の県境のようである。茨城県は、全部の県に足を踏み入れていなかったときに、46番目に足を踏み入れた県である。それから数えて2回目である。

 住宅地になり大津港を通過。住宅地を抜けると松林と海が見える。そしてトンネルを抜け、住宅地と海が見えるようになる。それもわずかで、内陸に入っていく。町になり磯原を通過。水田が広がる。海が近そうな広葉樹の林と、国道6号線が沿って、その後少しであるが海が見える。林を通り、住宅地になり南中郷を通過。水田の中を走るが少し海が見える。山に入っていく。抜けて、国道6号線沿いに住宅地と田を見る。住宅が多くなり、広い構内の高萩を通過。住宅地がとぎれ、海が見えるようになる。しかしすぐに内陸に入る。田が広がる。山に入り、抜けて住宅地。そして川尻。少し山であるが、新興住宅地を通る。そして山へ。抜けてまた住宅地になり小木津。新興住宅地である。再び山に入るが、抜けて住宅地になる。山の方へ向かって団地と新興住宅地が広がる。少し山を越え、左に工場、右に海を少し見て日立に停車する。

 その後は市街地を走り、そして海が見えるようになる。日立電鉄の駅が見える。そして日立の工場がたくさんあり、常陸多賀を通過。住宅地を通り、大甕。住宅地を走り、海の方に大きな建物を見る。久慈川を渡り、水田の中を走り、山に入る。抜けて住宅地で東海を通過。。このおよそ1ヶ月後に、ここで原子力事故があった。住宅地を抜け。田と畑の中を走り、新興住宅地になり、そして田の混ざった住宅地を走ると佐和を通過。少し住宅地がとぎれたが、増えてきて勝田に停車。その後は市街地を走り、水戸に到着した。

 この列車は、そのまま乗っていると、次の停車駅が上野になってしまう。上野は今回の目的地ではないのでここで降りなければならない。同じホームの反対側の線は、鹿島臨海鉄道のホームである。それに乗る乗客が待っていた。もしかすると、今度水戸駅へ来るときはこの線に乗るかもしれない。それは鹿島線の鹿島神宮−鹿島サッカースタジアム間の運転形態の関係で、いっそうのこと水戸まで来てしまおうという考えであるが、それについて詳しくは、そのときに書くことにする。

 水戸駅に来るのも2回目であり、そのときは駅前からバスにも乗っている。時間もあるので駅前に出てみる。いわきと違って記憶違いはしていなかった。記憶にある水戸駅であった。

 ここでおみやげを買うことにする。会社へのおみやげは、一応本州の外へ出たときか有休を取ったときだけにしているが、今回は「有給」ではなく「代休」である。だから、自分の基準では買わなくてもよいのだが、買うことにした。23人程度(実際何人か、改めて数えないと分からない。)というのは、おみやげを買う上で中途半端なのである。そのため、かなり選んだあげく、12個入り200円という、「水戸納豆スナック・梅味」というものを2つ買ってしまった。「うまい棒」のようなものである。軽くて、重さという面ではじゃまにはならないが、24個ともなると体積が大きくなる。しかもあまり丈夫でないので粉々にならないか心配である。結果から言うと、無事にもっていくことができた。味は何ともいえないものだった。あと、弁当を買う。いわゆる駅弁ではなく、どちらかというとコンビニ弁当に近い。これを食べる場所を探しているうちに列車に乗ってしまったので発車前に食べる。

●水郡線(水戸−上菅谷−常陸太田−上菅谷−安積永盛)

 水戸から郡山まで水郡線で戻ることにする。正確に言うと、郡山まで行かずその一つ前の安積永盛まで行く。その後は東北本線で小山まで行き、両毛線で足利まで行ったあと、そこの健康ランドで宿泊ということになっている。水戸から小山・足利まで行くには当然水郡線ではなく水戸線を利用した方がよい。といっても乗りつぶしを目的にしており、しかも周遊きっぷを有効に使うとなれば水郡線に乗ることになる。ただし、水戸線についてはダイヤが乱れたときの抜け道として考えていた。

 列車からホームを見ていると、上菅谷や、常陸太田から東京への特急の往復券だったか回数券だったかの広告があった。どこへ行ってもこの手のものがあるが、水戸駅でわざわざ水郡線の発車を待つ人向けにこのような広告を用意している。早めに乗っていたので、弁当を食べ終わって容器を捨てに行く時間まであった。また、この列車は常陸大宮までしか行かないので、あまり混んでいないようだった。

 水戸を出ると、市街地はすぐになくなり山を切り抜け、開けてきて常陸青柳。少し高くなり津田。山を越え開けて常陸津田・後台・下菅谷・中菅谷とつづく。このあたりは田と畑が混じるところもあるが、畑が多い。豆類が中心である。また、新興住宅地も混じっている。そのような中、上菅谷に着いてしまった。駅間距離が短い。

 上菅谷で降りて、常陸太田行きに乗り換える。この支線もあわせて水郡線を名乗っているので、水郡線の完乗を目指した以上は乗らなくてはならない。わずかな乗り換え時間で常陸太田行きに乗り移る。

 郡山へ向かう本線は森の中へ別れていく。こちらは田や畑の中を少しスピードを上げて走り、南酒出。畑を走り、田の広がっているところを少し高いところから見下ろし、額田。山の中を走っていたが、すぐ下に平野が見える。そこへ向けて下っていく。平野に出て久慈川を渡り、家が多いところで河合。広い田の中を走り谷河原。そして、前方に町が見えて常陸太田に到着する。この支線は完全なローカル線ではないようで、2両でそこそこの乗車率であった。駅前へ出る。向かい側には日立電鉄の常北太田駅がある。常磐線のいわき方面から来た場合はわざわざ水戸へまわり、上菅谷で乗り換えなくても、日立電鉄でよいのである。ただ、そのルートをとると、水郡線の水戸−上菅谷間が空白になるので今回はそのルートをとることができなかった。また、この1ヶ月後の東海村での放射能事故のとき、このあたりが危ないということでテレビで見たが、常磐線東海駅→水戸→上菅谷→常陸太田と考えれば遠いのだが、実は直線距離では東海村にかなり近いのである。

 時間的に中途半端だったので、特に名所旧跡を回らずに早めに折り返しの列車に乗り込む。高校生が多く乗ってくる。帰りの常陸太田・上菅谷間はあまり外を見ずに、少し居眠りをしながら乗っていた。

 上菅谷でまた短い停車時間の乗り換えである。確かに効率はよく作ってあるが、駅前を見てみる時間がない。郡山行きの列車に乗り換えると、オバチャンたちの団体が座席を占領しており、座る余裕がなかった。どうも2両そこそこで団体が乗ってくると座ることができない。かといって、ローカル線を支えている一部が団体客であるので、バスに乗れというわけにもいかない。仕方がないのでしばらく立っている。

 常陸鴻巣・瓜連・静と、ときどき田のことはあるが、主に畑の中を走っていく。上菅谷以前と違って新興住宅地はない。そのあと、高度を下げて、町の中へ入り常陸大宮。オバチャンたちの団体が降りる気配がないので、別の車両へ移る。その方が空いていれば座ることができる。そして、また高度を上げ、上がりきったところで開けたところに出て玉川村。下がっていき野上原。また下がっていき山方宿。ここでロングシート部分に座ることができた。住宅地を抜け、トンネルに入る。抜けると川に沿った広い谷に出る。その中で中舟生。谷が狭くなり、谷に川の占める割合が多くなる。川幅は広い。その中で下小川。 なお、この川は、野上原を過ぎ、山方宿までの間から並行しているが、常磐線や常陸太田までの支線で渡った久慈川である。

 川を渡る。田はなく、畑だけである。谷に川の占める割合がさらに大きくなる。河原では砂利をとっているところもある。そして西金。この字を見るとどうしても西金沢を思い出してしまうが、これは「さいがね」と読む。ここでロングシートではなくクロスシートの左側に座ることができた。しばらくは川と水郡線の間に竹などの林があり川は見えない。少し田があり川を渡る。また渡る。キャンプ場がある。そして上小川。また久慈川を渡りトンネルに入る。抜けて川に沿って走る。そしてまた久慈川を渡る。谷が広くなり田と家があり袋田。住宅地があり、川を渡り少し住宅地を走るが、そのうちに川と木だけの景色になる。町が見えてきてその中に入り常陸大子。ここで2両だった列車は1両になり、ワンマン運転になる。さっきオバチャンたちの軍団がいたので前に移ってきたがそれで正解だったのである。

 常陸大子を出ると山に入る。登ったところで田が少し広がる。家が多くあるが、駅はない。谷が狭くなったが、又広がり、下野宮。ここから次の矢祭山までのどこかが茨城県と福島県の県境である。山に入る。川を渡る。段差のある谷を走る。また川を渡り稲刈り中の田を走っているうちに矢祭山。駅前にはおみやげ物屋や、食堂がある。右側の川に釣り橋が架かっている。県境を超えてもまだ、並行する久慈川の流れる方向は変わらない。谷が狭くなる。その谷の中でやや家が多いところを見繕って、東館・南石井・磐城石井・磐城橘といった駅が続く。磐城橘はコミュニティープラザを兼ねているため大きめの駅となっている。最近この手の駅が増えてきた。また同じように近津・中豊と続く。近津という駅名を見ると近江今津・近江塩津を思い出してしまう。

 そして、少し段差のある谷になり、少し町になってきて磐城棚倉。乗客が増えてくる。山を登っていく。ここで山を登ることで、川の流れる方向が変わる。分水嶺というものである。分水嶺=県境とは限らない例であった。登り切ったところで田が広がり、磐城浅川。標高307mで、水郡線で最も標高が高いという看板がある。その後は水田の中を高度を下げながら走っていき里白石、山の中に入り、降りていく。その中で建物が多いところがあり磐城石川。このあたりから乗客がさらに増えてきて、自分のまわりにも乗客が増えてしまった。メモもあまり取ることができない。それよりも眠い。少しウトウトしたが、本格的に眠らなかった。おそらくこのあとは、水田の中を走っていたと思う。そして東北本線が合流して、昨日来た安積永盛に到着する。

●東北本線(安積永盛−小山)

 しばらくホームにいると、黒磯行きの普通列車が入ってきた。2両で、すべてロングシートである。どうも東北本線の黒磯以北はかなりロングシート車になってしまった。北陸本線は今のところ、古い車両ばかりであるが、このような形にはなって欲しくないものである。ロングシートであり、また、乗客も少なくないので外をじっくりと見ることができなかった。山の中や水田の中を、ときどき新幹線と並行しながら走っていた。特に寝ていたわけではないが、乗客が多くロングシートだとどうしてもこうなってしまう。

 黒磯で乗り換える。車両は何両だったか忘れたが、長くなった。一番前までいくとゆっくり座ることができた。やはりクロスシートに限る。

 黒磯を出て、新幹線に沿って走る。田の中を走り、そのうち林の中を走る。そして新幹線の駅でもある那須塩原。その後は田や畑の中を走る。畜産関係の施設もある。そして西那須野。町らしく、マンションもある。黒磯を出てずっとそうなのだが、揺れが激しい。車両と線路と速度の組み合わせで普通列車というものは時としてものすごい揺れになる。例えば草津線がそうである。そのため、メモの字も恐ろしい字になっている。

 西那須野を出ると田の中を走る。新幹線がオーバークロスして別れていく。町になり野崎。田の中を走り、山になり、住宅地になって矢板。その後は田の中を走ったが、このあたりから暗くなって外がよく見えない。せっかくクロスシートでしかも乗車率の低い車両になったのに、残念である。宝積寺で烏山線の列車を見る。この趣味をやめるか、あるいは廃止されない限り、いつか乗りに来るはずである。そして宇都宮でまた乗り換える。

 今度はもっと長くなってしまった。何両か数えるのも面倒である。大阪付近の新快速等は長いのは当たり前だと思っているが、その他では東京近郊に来るのは久しぶりである。そして、次に大きい名古屋付近ではJRの車両はかなり短くなっている。そのため、普通列車の長大編成を久しぶりに見た。ホームの端の方まで普通列車が連なっているのである。金沢駅ではホームの端の方は特急しか停まらない。

 駅も特に大きいわけではないが、だんだん東京に近づいているという感じがする。しかし、小山で東京を目指さずに、高崎への近道である両毛線に乗ることにする。 p

●小山−足利(両毛線)

 小山駅も新幹線の駅だけあって大きい。駅前へ出たり、自由通路を通っているうちによく分からなくなってしまった。とりあえず改札を通るが、両毛線のホームの案内がよく分からない。そして、かなり歩いて両毛線のホームにたどり着いた。東北本線や水戸線のホームからかなり離れているのである。ちょうど高岡駅の氷見線ホームをもう少し規模を大きくしたようなものである。

 列車はロングシートであった。まあ、夜なのでどちらでもよい。確かに夜で、外はよく分からない。栃木駅では東武鉄道のホームもあった。三重の津駅を通ったときも夜で、こんな感じだったと思う。佐野駅は少し古めの駅で、趣のある感じだった。

 そうしているうちに足利に着く。足利も佐野駅と同じように趣があった。

●足利市

 本来、駅の南口が開いていればよいのだが、営業時間外だったので北口に出る。そして南口に回るにはどうしたらよいかと思って歩いていると連絡地下道があったのでそこを歩く。 南口に出て、そのまままっすぐ歩く。車道は坂を上っていくが、歩道は少ししてから階段で上に上るようになっている。そして渡良瀬川を渡る。渡り終えると、河原にバイクが集結している。堤防を超えると東武鉄道の線路の上を渡る。しばらく歩き、地図通り曲がり、しばらく歩くと目的の健康ランドがあった。駅から歩いて15分とあるが、これは東武足利市駅と、JR足利駅どちらもそうであると書いてある。しかし、JRの方は渡良瀬川を渡るだけでも時間がかかり、急いでも20分はかかる。

 食事は面倒なので例によって健康ランドで済ませる。夜2時間、朝1時間入浴し、しかも足利駅7:04に間に合うように出る。


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