JR各線を巡る旅の記録

30 可部線・宮島航路・加古川線 3日目


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3日目・2000年9月11日
【岡山】7:44発−(普通)→【姫路】9:07着、9:22発−(普通)→【加古川】9:38着、10:10発−(普通)→【谷川】11:34着、11:45発−(普通)→【篠山口】12:02着、12:08発−(丹波路快速)→【尼崎】13:03着、13:09発−(新快速)→【近江今津】14:32着、14:43発−(普通)→【近江塩津】15:02着、15:32発−(普通)→【福井】16:57着、17:05発−(普通、小松−金沢間快速)→【金沢】18:36着
 こちらも何度か乗ろうとしてなかなか乗ることができなかった加古川線。その後は以前乗った福知山線であるが、その時は当然なかった「丹波路快速」に乗る。近江塩津の駅はいつの間にきれいな駅舎になっていたのでしょうか。


●岡山−加古川(山陽本線)

 ということで、3年弱前に泊まったサウナ、今回はカプセルホテルに泊まることになった。よく考えなくても今日は普通の月曜日。今日が振替で休日を取った日である。当然、世間は普通に動いている。

 例によって、ちょっと早めに起きて、朝風呂を浴びる。そして外へ出るが雨が降っている。実はこの雨、東海道本線や東海道新幹線を運休にして、多くの乗客を列車に取り残すことになった、あるいは東海地方に洪水をもたらすことになった雨であった。そういうこととは知らず、これから加古川線経由で家に帰るのであった…。

 岡山駅で列車を待つ。そうして入ってくる。通勤時間帯ではあるが、ラッシュの流れとは逆行するし、ちょうど18きっぷシーズンも終わったため、あまり混んでいない。ただ、時間になっても列車は発車しない。窓ガラスが割れたとのこと。応急処置をしてから発車するとのこと。

 多少遅れて発車する。雨の影響でガラスが曇っている。よく分かっている区間でもあり、そんなに外を見ていた記憶がないのだが、4分遅れて姫路に到着した。そのまま乗り継ごうと思っていた新快速は、間に合わないことはなかったのだが、その後そんなに時間が足りなかったわけでもなく、急ぐ必要もなかったので、普通列車まで待つ。

 新快速ではなく、普通列車に乗るのだが、間に3駅停車するだけであり、先を急がないので特に問題はない。それよりも空いているということがよかった。そうして、いつもは新快速でさっと通過する御着・曽根・宝殿に停車しながら加古川に到着する。

 加古川駅は高架化のために仮ホームであった。駅舎も仮である。自動改札にきっぷを通してみると、はじかれてしまった。八本松→金沢というきっぷを、このあたりで自動改札に通すとはじかれるらしい。とりあえず駅員のいる改札を通る。これでは18きっぷとあまり変わらない。たまにも自動改札をさっと通りたいものである。

 駅前のコンビニで、パン、おにぎりなどを買う。雨も降っているので、駅前の散歩はほとんどできなかった。そうして、加古川線の仮設ホームへ行く。JR西日本お得意の、改修した列車であった。新車の気分である。

●加古川−谷川(加古川線)

 とりあえず、区間運転の厄神行き列車があるが、それには乗らずに谷川行きの列車に乗ることにする。

 加古川を出ると、すぐに急カーブで東海道本線と別れていく。住宅地であるが、田畑やマンションが混じっている。新しい住宅が多くなってきて、スピードが落ちていき、古い住宅が多くなってきたところで日岡。左側は少し山になってくるが、次第に住宅が広がる。右側は川の堤防に沿っている。次第に両側が住宅になってくる。低い団地が多くなり、神野。その後は住宅が少なくなってくる。堰き止めている川に少し沿うが、そのうち間に水田が現れる。そして両側が水田になり、離れて住宅がある。住宅が多くなり厄神。

 厄神を出ると、さっき堰き止めていた関係でかなり幅が広くなっている川を、カーブして渡る。そして住宅が多くなったが、すぐに水田が多くなる。右側は川であるが、堤防しか見えない。そして少し高いところを走るようになり、右側に川が見えるようになる。高いところになったので川面が見え始める。そのうち、少し低いところになり、市場。古い家の多いところである。そして、左側は岩も混じる山で、右側は川になる。そのうち左側の山、右側の川が遠のき、水田と住宅になって小野町。そして、水田と住宅の中を走るが、少し山が迫ってきて、右側は川になる。支流を渡る。住宅が増えてきて粟生。隣にレールバスが停車している。

 粟生を過ぎると、水田と住宅の中を走る。川が少し遠いようである。そうしているうちに河合西。そして水田と住宅の中を走る。右の方の住宅は多いようだが、左側は減ってくる。そうして、水田の中を割とゆっくり走る。青野ヶ原を過ぎると、右側も住宅が減ってくる。林も混じってくる。全体的に少しずつ高度が上がっているようである。両側が木になり、その後左側が川と水田になる。道路標識によると「滝野町」に入ったようである。住宅が増えだし、社町。クボタの会社が駅裏にある。

 社町を出ると、右側は住宅が多いものの、左側はすぐに住宅が減ってしまう。左側の山の上には大きい工場がある。そうして墓の分譲地。道路がオーバークロスする。住宅が減ってくる。少し離れて川があり、林が河川敷に並んでいる。何となく、高徳線でよく見た景色である。そのうち、住宅が増え出す。新しい住宅やアパートも多くなり、滝野。その後は住宅が続く。新しい住宅も多い。住宅が少なくなりかけたところで滝。そして、住宅が完全に少なくなる。右側は川で、林が混じるが、そのうち間に水田が入ってくる。右側は少し山が迫ってくる。右側は住宅で、川を挟んできれいな小さい山が見える。そのうち両側が広がり、水田が混じった住宅から、そのうち住宅の方が多くなってくる。そうして西脇市に到着する。

 西脇市を出ると、住宅地の中を走るが、そのうち歩道のようなものが別れていく。おそらく、以前あった支線の跡であろう。川を渡ると前方に市街地。その市街地に向かって以前、支線があったのである。住宅のある中で新西脇。その後も川を挟んで市街地がある。そうして右側に山、左側に住宅地。その後は右側の山が少し離れ、住宅が混じる。左側も住宅地であるが、その向こうにあった市街地は途切れたようである。工場もあり比延。住宅が少なくなる。右側は段差のある水田。左側は川であるが、高度差がないため、川面は見えない。森の中に少しだけ入り、抜けて川の見えるところで日本へそ公園。駅前にそれらしき建物が見えるし、東経・北緯何度という看板もあるのだが、さて、という感じのところである。そうして川に沿う。いかにも中流という感じの流れである。しかしすぐに離れていく。田が広がってきているが、両側の山がそれぞれ近づいている。若干の住宅がある。ときどき段差があることもある。そうして、住宅が少し増え黒田庄。住宅地の中を走る。左側の山は雲が低い。右側はすぐに山が迫ってくる。左側は住宅が少なくなり水田が広がる。そのうち右側も水田が広がる。しばらくして右側に山が近づいてくる。住宅が少し増え、本黒田。一つだけ団地がある。両側が水田になるが、そのうち、左側は川で、それに沿って林が並ぶ。コンクリート製品工場が見えるが、両側に木が並びはじめる。林の中に入ったようである。林を抜けて、住宅が多くなり、船町口。少し高くなり川を見下ろす感じになるが、木がじゃまで川面が見えない。右側は列車に木の枝があたり、パタパタ言い出す。雨のせいであろう。そのうち、川がきれいに見えるようになるが、すぐに木にじゃまをされる。住宅が少ないが、工場があり久下村。両側が水田で、少し離れて住宅がある。川を渡り、山に近づき大カーブ。福知山線が近づいてきて谷川に到着する。

 このように加古川線、比較的地味な路線であった。

●谷川−尼崎(福知山線)

 少しだけ時間があり、外へ出てもよいのだが、何しろややこしいきっぷ。当然、改札では素通りになるかめんどくさいかのどちらかなので、そのままホームにいることにした。雨が降っていて、低い雲がかかっている。快晴とはまた違った風情のある景色である。

 とりあえず、ここから「丹波路快速」が走っている篠山口まで普通列車で行かなくてはいけない。入ってきた普通列車は、かつて新快速として使われていた列車である。新快速から、大阪−篠山口の快速に使われ、今では福知山−篠山口の普通列車となっているようである。

 この区間はかなり前に一度乗っているが、詳しく見ていないので、ここで詳しく見ておくことにする。

 谷川を出ると、水田の中を通る。住宅もあるがこのあたりの屋根はかなり立派である。川に沿って走る。右側の山は雲が低い。福知山線に入った瞬間に、何となく景色が変わっている。山が高くなっている。そう思っているうちに、谷が狭くなる。左側は山に貼り付いて走る。右側は木と川のある谷を見下ろす。かなり深い谷である。そのような中で水田と住宅が混じることもあるし、かと思ったら、福知山方面を向かって流れている川に岩が混じることもある。少し住宅があり、材木工場もあり下滝。  下滝を出ると、少し広い谷に水田と住宅がある。谷底は水田になったり住宅になったり、林になったりする。そうしてトンネル。加古川線ではなかったトンネルである。抜けると川と道だけの狭い谷になる。トンネルを抜け、川を渡る。渓谷的な川になっている。再び川を渡り、しばらくして谷が広がる。堰き止められた川になってしまう。広くなった谷に水田と住宅がある。それを見下ろしていたが、そこに降りていくようになる。その途中で住宅や田畑のあるところで丹波大山。さらに下っていき、水田と住宅、そして町になってきて篠山口に到着する。

 篠山口駅は、10年前通ったときと印象が変わっていた。橋上駅であり、自動改札もある。駅名標の色が黄色になっている。ここから「丹波路快速」に乗り換えるのだが、三田までは各駅停車である。

 篠山口を出ると、やや広い谷に水田と住宅があり南矢代。そして水田と住宅なのだが、住宅は先ほどよりも多くなる。両側が山になったがそれを抜けて古市。水田がある広くない谷を走る。採石場があるが、それに雲がかかっている。そのまま広くない谷に水田と住宅があり草野。高い橋脚の高速道路がトンネル上でオーバークロスしている。トンネルを抜け、同じような景色が広がり藍本。同じように住宅と水田であるが、途中段差ができてきた。それもなくなり、住宅が多くなるが、再び水田が多くなる。また住宅が多くなり、相野。再び同じような景色である。右側は段差が出てくるが、左側は段差がない。住宅が増え広野。今度は水田の段差がなくなる。前方に町が見えてくる。列車の車庫が広がる。そうして町になってきて新三田。

 新三田を出ると水田を挟んで大きな団地などがある。再び水田が広がるが、見える景色は今までとは違って市街地の建物である。建物が増えてきて、町になり三田。その後は水田と住宅であるが、川に沿った谷になる。工場があり、道場を通過。谷が狭くなるが、高架になる。トンネルをいくつも通る。隙間に渓谷的な景色が見える。以前はきれいな渓谷だったのだろう。10年前に乗ったときにはすでにこの新線に切り替えられていた。その時は廃線跡が見えたのだが、今日は快速で飛ばしているため、気づかないのか、廃線跡が見えにくくなったのか。トンネルの途中で武田尾駅が始まる。出口が近いので、北陸本線筒石駅のような感じではない。武田尾も通過する。トンネルを抜け、いくつかトンネルを通り、トンネルの途中から西宮名塩。今回ちょっと気になった駅なのだが、山の中にあるという感覚なのに、快速は停車する。新興住宅地のようであるが、とりあえず気になった。トンネルを抜け、山に向かって住宅地が広がり、生瀬を通過。団地が多くなり、さらに、山に向かって住宅が広がる。家が増えて町になり宝塚。阪急の駅が見えるが、おしゃれである。

 宝塚を出ると、住宅地で、新しい家が多い。高架になっていき、中山寺を通過。高架で住宅地を見下ろす。田畑が混じる。阪急電車の車庫がある。住宅が多くなり川西池田。住宅と工場が多くなってきて北伊丹を通過。同じように住宅と工場、そして畑も混じる。そのうち、町になってくる。マンションが多くなる。そうして伊丹。その後は団地や工場も混じる町になってきて、猪名寺・塚口を通過して尼崎に到着する。

 本当は大阪まで行ってもいいのだが、いつも大阪から新快速に乗るときであっても、わざわざ尼崎まで来るほどである。当然のことながら、尼崎で乗り換えることにする。

●尼崎−金沢(東海道本線・湖西線・北陸本線)

 尼崎では例によって大阪寄り、ホームの一番前まで歩く。そこまで屋根がなく、雨で少し濡れる。「京都方面近江今津行き」の新快速に乗る。湖西線経由で帰るのも久しぶりである。

 大阪までは例によって立っていたが、大阪からは座ることができる。その後はいつも通り、京都まで行き、山科を経て湖西線に入る。湖西線に入るとだんだん乗客が減ってくる。速度も快適であるが、そのうち各駅停車になる。しかしこの駅間距離と、あまり揺れないということ、それと適度な疲れ具合のため、湖西線経由の新快速では必ず居眠りをしてしまう。今日も例外ではない。

 近江今津から北陸本線の普通列車に乗る。帰ってきたという感じである。そうして近江塩津まで行く。

 近江塩津ではかなり時間がある。本当は尼崎でもう1本後に乗り、長浜経由でも同じ結果になったようである。ということなので時間が余っているのである。この駅は少し高いところにあり、ホームから階段を下りていくと、トンネルになっている。そしてそれを歩くと、無人駅の駅舎…、と思っていたら、きれいな駅舎になっていた。当然、JRが作ったわけでもなく、切符の販売も含めてすべて地元自治体の負担、という感じであるが、いつの間にこういう駅になっていたのか。無人駅の小さな古い駅舎だったのは10年前の話で、それから何度もこの駅を通っているが、駅舎まで降りていったのはそれ以来初めてである。列車からは見えないので気づかなかっただけのようだ。

 その後は、いつものように福井で乗り換えて金沢まで。雨が降っているが、合羽はない。とりあえず、自転車で会社まで行く。平日であるので、当然誰かいる…、と思ったら3人くらい残っていた。家までおみやげを持って帰るのは面倒なのでそのままおいておき、そうして多少濡れながら家に帰ったのであった。今日のこの雨が、場所によっては大変なことになった、ということを知ったのはその後であった。


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