泊駅の付録として、泊駅〜越中宮崎駅まで、城山経由での徒歩をご紹介しました。今回は越中宮崎駅が起点となりますが、山へ登らず、そのまま海沿いを進んで泊駅を目指します。その途中で、線路付け替えによる廃線跡とトンネルの出口がありました。そこで、日を改めて、越中宮崎駅から廃線跡と思われる道を伝っていき、トンネルの入口まで行ってみることにしました。その様子を途中に挟んで、越中宮崎駅から泊駅の様子をご紹介します。
駅前の様子。右側に新しい施設、ヒスイテラスがあります。
しばらく進むと踏切の方向へ進む別れ道があります。それと、振り返って見たところ。左に曲がってしまうと踏切で、泊の方向へ向かう道はここで二手に分かれることになります。今回は右側へ進みます。後日改めて左側へ進みますが、それはこの先でご紹介します。
国道8号線からの道で踏切があります。今回はこちらへ進みません。
進んで行きます。旅館などの前も通ります。
水準点がありました。
今回は宮崎漁港へ出る道へ出ます。
漁港の中からの道が合流するところ。
漁港の出入口。
集落の中からの道が合流します。
ふと見ると廃トンネルがあります。
そして、何となく線路っぽい路盤があります。
そこを進むと、現在のあいの風とやま鉄道の線路のトンネルが見えてきました。
そうして、現在のあいの風とやま鉄道の線路の横に出てきます。ここに合流する前に見えた線路跡は何となく北陸本線の旧線跡に見えますが、この廃トンネルの反対側と、越中宮崎駅からトンネルまでのルートを確認してみたくなりました。実際はそのまま泊駅へ歩いているのですが、後日、5月4日に改めて越中宮崎駅から廃線跡を見ていますので、一旦、その様子をご紹介します。
越中宮崎駅から歩いて、駅の方向を振り返ったところ。
当ページ2枚目の画像で、1月14日は右へ進んでいますが、5月4日は左へ進みます。何となくこれが廃線跡のような雰囲気です。
そこから見た駅の方向。線路は山側へカーブしていますが、カーブせずに直進で進むとこの道路になります。
そういうことで、おそらく廃線跡と思われる道を進みます。
さらに進みます。
振り返って見たところ。
少し雰囲気が変わりましたが進みます。
この先車両通り抜け出来ませんという標識。
このあたりは墓地や寺院などがあります。
さらに進みます。
何となく行き止まりのように見えてきました。
廃トンネルの入口らしきものが見えます。
トンネル近くから振り返ったところ。かつてはこのまま一直線で越中宮崎駅へ向かっていったのだと思います。
トンネルの出入口。
トンネルのレンガ積みの様子。
そのトンネルの横は石段になっています。
その石段からトンネルを見おろしたところ。
古くなった駐車禁止の標識と廃トンネル入口、石段、神社など。ということで、この時は実際はそのまま越中宮崎駅へ引き返していますが、ここではこのトンネルの向こうへ戻ることにします。
廃線跡と合流した現線路の横。
線路からも見える風景と線路。1966年10月の文字も見えます。
線路脇に何らかのコンクリート建造物があり、そこから水が出ています。
脇子八幡宮はここと違う場所にありますが、その旧跡の石碑があります。
海沿いをしばらく進みます。
少し雰囲気が変わってきました。
そのあたりを通過する列車。
振り返って見たところ。
しばらく進むとこのあたりの山が接している海岸ではなく、平野部の、おそらく黒部川が運んできた砂が作ったものと思われる海岸線が見えてきました。
振り返って線路を見たところ。
第6北陸街道踏切。この踏切を通って泊の町の中に入っていくのが北陸街道に沿ったルートのようです。
松林の海岸線。雰囲気としてはこのまま生地の富山湾入口までひとまとまりの海岸線だと思います。この海岸の雰囲気が変わるところは、笹川の河口に当たります。
笹川の上流の方向。
笹川を渡るところ。
笹川の河口。
越中宮崎側の振り返ったところ。穏やかな海岸線ですが、山が海まで接していて、この先とは明らかに違う海岸線です。
笹川を渡る橋の欄干。
海岸線から松林に守られて、穏やかな水田のそばを通ります。
海岸の方向を見たところ。
そのまま海岸線を通るわけではないのでこのあたりから泊の町の方向へ進みます。左へ。
町の方向へ。
おそらく旧北国街道と思われる道へ入ってきました。なお、この通りは泊駅付録2(泊の町を歩いて宮崎城趾経由越中宮崎駅へ)の回でもあるいていて、その時と泊駅までのルートは重複します。
さらに進みます。
五叉路のところに出てきました。泊駅の方向へ進路を変えます。
泊駅が近づいてきました。
泊駅が見えてきました。
泊駅前へ。
乗ろうとしていた列車が見えてきました。特に泊の町の中に入って多少、雑になっているのはこの列車に乗るために少し急いだからでもあります。