JR各線を巡る旅の記録

15四国・九州(1996年8月)1日目


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1日目 1996年8月11日
【金沢】発9:30→【福井】着10:56着、11:15発→【長浜】12:59着、13:10発→【大阪】14:44着、夕方発。以下時刻不明→【大正】→【大阪】→【高槻】→【京都】23:25発→(ムーンライト高知)
(※金沢発から大阪着までは、当時の「計画」としてパソコンの中に残っていたものであり、この通りだったかどうかは分かりません。)
 金沢から大阪へ行くもの。大阪市内を「金沢で不足しているものの補完」としてよく訪れるようになったものの第1回目。また、旅行中に銭湯へ行くということがこの回から始まった。このときは本屋で住宅地図を見て…という形だったが、後に「駅前銭湯図鑑」という本を手に入れることとなるが、その前の形。

●金沢−大阪(北陸・東海道本線)

 この区間については何度も乗っているため、ここでは改めて書かない。ただし、本当に何度も乗っている区間というものは、4年も経つと、このときはどんな感じだったかということが全く記憶から抜けているのである。一応、当時の「計画」から見て9時30分金沢駅発の列車に乗ったのではないかということが推測できるが、実際は違うかもしれない。もしかしたら湖西線経由を行っているかもしれない。

 今回は、大阪に着いてから乗ったことのない路線を乗るのではなく、大阪市内に滞在することにした。できれば銭湯に入りたいと思って、京都を過ぎてから駅の近くにそれらしき煙突がないか探していた。工場の煙突と区別がつかないものである。この数ヶ月後に「駅前銭湯図鑑」という有り難い本を手に入れることとなるが、当時はそれもなかった。そうしているうちに大阪に着く。

●大阪で

 このWebサイトではなるべく鉄道の旅中心に書いているが、たまにはそれてしまうこともある。これもその一例である。

 大阪駅に着いて、まずは御堂筋口のエスカレータの歩道橋へ行く。よく「探偵ナイトスクープ」というテレビ番組でインタビューが行われているところである。わざわざエスカレータを登ったり降りたりするのだから相当田舎者だと思われても仕方がない。その後、古本屋のある「かっぱ横町」へ行ってみようと思った。大阪駅を降りて、阪急梅田駅の近くにあるらしいことは聞いていたが、それ以上のことは知らない。とりあえず阪急梅田駅に行く。そして、少し歩いていると、それがあった。

 そして、いくつか本を買い、また紀伊国屋梅田店にも行く。金沢にない大きさの本屋で、金沢でようやく手に入る本が平積みになっている。ただし、人が多すぎてゆっくりできない。本の種類自体は金沢の方が確かに少ないが、ゆっくりできる分だけ金沢の方がよいのかもしれない。

 また、よくMBSラジオを聴くが、その放送局も近くにあったので前まで行って来た。

 次に銭湯へ行きたいと思う。京都から大阪の間で、それらしきものを発見できなかった。環状線の駅を見てみると、どうも大正駅の近くにあるかもしれないと思った。これは勘というより偏見に近いのかもしれない。とりあえず、紀伊国屋で住宅地図を見てみると確かにあった。そこでそれを覚えて環状線で大正駅まで行く。覚えたとおりに歩くとちゃんと銭湯があり助かった。

 そして大阪駅へ戻り、いったん京都まで戻る。そのまま大阪駅にいてもいいが、夜遅いため、時間をつぶすことができないからである。時間があったので各駅停車の列車でいったん高槻まで行き、それから再び各駅停車で京都まで行く。

●京都−阿波池田(東海道・山陽本線・宇野線・備讃線・予讃線・土讃線)

 京都から乗る列車は、ムーンライト高知であるが、この列車はムーンライト山陽(広島行)とムーンライト松山(松山行)、そしてムーンライト高知(高知行)が併結されている。それぞれ、岡山と多度津で切り離されることになっている。

 車両自体はもちろん客車である。座席は一昔前の特急の座席で、少しだけリクライニングができるというものであった。発電器の関係で暗かったが、すぐに電気が付くだろうと思っていた。非常灯のみがついていた。

 しかし、京都を出ても電気が付かない。車内放送によると何かのトラブルで、そのまま大阪駅まで行ってしまうらしい。本を読む予定もなかったので、暗くても、事故さえ起こらなければよい。むしろ外の景色がよく見えてよい。このような機会はおそらく二度とないだろう。夜は外の景色がほとんど見えないが、列車が暗いと夜景というものがきれいに見えるのである。

 京都と大阪の間の夜景を楽しみながら新大阪を経て大阪に着く。ここで一応電灯がついた。どうせならそのまま暗くてもよかったのである。日没後走る列車は1両くらいこのような車両を用意してくれてもよいかもしれないが、まあ、非実用的であろう。

 このあと、神戸あたりで寝てしまって、何となく岡山駅での切り離しで目を覚ましたが、すぐに寝てしまった。気が付くと夜の瀬戸大橋を渡っており、四国へ向かっていることが分かった。そして、再び気が付くと多度津駅であった。

 明るくなって佃駅を過ぎる。全県に足を踏み入れることを目標に、今回はとんでもないところを回って諫早まで行こうとしているが、徳島県も一応通る。降りたり観光をしなくても、列車に乗ってさえいれば徳島県を訪れたことになるが、それでは寂しいので阿波池田に到着したときにホームに足をつけておくことにした。実際本当に足をつけるだけだったが、一応徳島県を訪れたこととした。

 また、阿波池田以降、高知までは明るいときに走っている。阿波池田−高知間を乗りつぶし上「乗車」したことにしないと、またここへ来なくてはならなくなる。夜行列車では原則乗りつぶしをしたことにしないが、暗くなる前、あるいは明るくなってから居眠りをしなかった場合は例外的に乗りつぶしと認めることにする、というのは1993年に北海道へ行ったときに決めたことだった。ここでそれを適用することにするが、どうも居眠りをしてしまいそうになる。そこで例外2として、夜行列車であっても暗くなる前にホームに降りた場合はそれより前、明るくなってからホームへ降りた場合はそれより後を乗りつぶしたとみなすことができる、という規定をここで作ってしまうことにする。これで阿波池田−高知間は乗りつぶしたことにしてしまった。これが例外2誕生の経緯である。


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