JR各線を巡る旅の記録

15四国・九州(1996年8月)2日目


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2日目 1996年8月12日
 (ムーンライト高知)→【高知】7:22着、8:59発→【須崎】10:10着、10:43発→【多ノ郷】10:50頃着、11:00頃発→【窪川】11:46着、12:36発−(江川崎で長時間停車のため少し下車)→【宇和島】15:04着、15:20発→【八幡浜】16:40着以下、時刻不明→(フェリー)→【臼杵】→【佐伯】
 四国へ渡ったあと、阿波池田駅でホームに足をつけている。これで徳島県を訪れたことにして、そのあと高知県、愛媛県と通過し、無事四国全県を訪れたことになる。フェリーで休息をとった後、佐伯駅で初の駅寝となる。

●阿波池田−窪川(土讃線)

 阿波池田からは大歩危・小歩危といった急流地帯を走っているため景色はよい。といっても、指定席で逆側だったのであまりよく見えなかった。また、眠ってしまった部分もあり、土佐山田・後免といった駅は覚えているが、景色自体は記憶があまりない。そうしているうちに高知に到着した。

 さすが高知で、駅前には南国的な植物がある。観光をするにも時間が中途半端で、また時間も早い。とりあえず駅で朝食をとる。それからホームへ行く。非電化区間なので電線がなく、すっきりとしている。ホームの屋根も古く、また、ホームの数も少ない。高知駅自体は土讃線が通過するだけの駅で、乗換といっても県内しか関係ないので大きくする必要もないのであろう。駅の掃除をしているおばさんたちの口から土佐弁を聞くことができた。

 高知を出て、市街地から郊外になってくる。さっき阿波池田で伊野行きの列車があったが、その伊野を過ぎると山のなかになってくる。景色自体はさほど覚えていないが、山を越え、海に出てきて、多ノ郷、大間を過ぎて須崎に着く。

 須崎終点の列車である。そのあと、高知から来る列車を待たなくてはならない。時間も中途半端なので、観光というわけにも行かない。降りた駅を少しでも増やす目的で、このような場合、いったん戻って、その駅から乗るということをしているが、今回もそれを行うことにした。時刻表を見ていると多ノ郷までは何となく無事に戻れそうである。そこでいったん多ノ郷まで行くことにした。

 そういうことでもしないとこのような駅で降りることはない。駅前を少し歩くと丸形ポストがあった。最近見ないものである。そうしているうちに台風が近づいているので雨が降ってきた。じめじめとしている。

 多ノ郷から再び須崎を経て窪川の方へ行く。トンネルを通りながら海が見える。そして、山を越えると、集落が見えてきた。土佐久礼である。特急も停まる駅なので大きな町を想像していたが、あまり大きくない。

 土佐久礼から山を越え、しばらくすると窪川に着く。ここで予土線に乗り換えなくてはならない。

●窪川−北宇和島−宇和島−八幡浜(土佐くろしお鉄道・予土線・予讃線)

 窪川から次の若井までは土佐くろしお鉄道の路線である。そのため、青春18きっぷを使用している以上はその区間の運賃を払わなくてはならない。窪川駅で払おうとすると、降りた駅で払ってほしいということだったのでそうすることにする。

 列車はオールロングシートで、せっかくの四万十川をゆっくり見ることができない。まあ仕方がない。

 窪川を出て、四万十川沿いに山を登っていく。そして、若井駅を過ぎると、トンネルに入る。このトンネルはJRの路線で、トンネルを出たところに信号所があり、ここから土佐くろしお鉄道がループ線で分岐していくことになる。そうなると窪川から中村方面へ行くときは厳密にいうと土佐くろしお鉄道→JR予土線→土佐くろしお鉄道となるわけであるが、気にしなくてもよいのだろうか。

 トンネルを抜けたところで土佐くろしお鉄道が分岐していき、再びトンネルに入る。そして抜けたところから四万十川沿いに走る。イヤというほど四万十川を見ることができる。乗客を見ていても、オールを持ってきている人がいる。

 四万十川を時にはきちんと沿い、またトンネルなどで近道をしながら走っていく。途中、江川崎で少し長い停車があったため外へ出てみる。駅前が崖になっていて、そこにはきちんと川が流れていた。

 愛媛県に入り、松丸を過ぎると、川と別れ、谷を下っていき、北宇和島まで行く。ここで予土線は終わりで、いったん予讃線を通り宇和島まで行く。

 宇和島で一度外に出る。その時に土佐くろしお鉄道の運賃を請求される。宇和島から予讃線で八幡浜まで行く。ロングシートに座っていて、日差しが強くカーテンが掛かっていたことであまり外は分からなかった。とにかく、八幡浜まで着く。

●八幡浜駅−臼杵駅(徒歩とフェリー)

 八幡浜駅からそのまま町をまっすぐ歩いていくとフェリー乗り場まで行くことができるようである。途中、郵便局に寄り、大阪で買った古本などを家へ送る。これをしないと、あと何回か駅←→フェリー乗り場という徒歩をしなくてはならないのだが、これに耐えられないかもしれないからである。

 フェリー乗り場に着き、しばらく時間があるようだったが、そのままそこにいて、フェリーに乗る。2等船室で畳敷きである。ここで寝ておかないと、前後でゆっくり眠ることができないのである。気が付くと臼杵港入港直前であった。

 臼杵港に着いたときはすでに暗くなっていた。

 さて、臼杵港から臼杵駅までどのようにしていくかが問題である。一応、手元に地図はあるのだが、これも電子地図のプリントアウト版で、今どこにいてどこの方向に歩いていけばよいかが全く分からない。目印が少なすぎる。おまけに暗い。

 とりあえず、ここかなという道を歩いてみることにする。それと、銭湯もあればなおよいとしておこう。タウンページによると一応臼杵市内にあるらしい。歩いているのだが、全く感触がない。ずっと歩いていると案内図があり、ようやくどこにいるかが分かった。どうも駅から遠ざかっているようであった。途中商店街もあり、銭湯も見つかったのだが閉まっていた。延々と1時間ほど歩いていると、ようやく臼杵駅が見えた。さっと書き流しているが、真夏の台風が近づいているときに夜の知らない町を1時間も歩くというのは過酷かもしれない。とりあえず駅に着いたので良しとしよう。

 臼杵駅から、普通列車で行けるところまで行こうということで佐伯(さいき)まで行くことにする。佐伯できっぷが買えなくては困る。というのも、佐伯−宮崎間は学割が利いてしまう区間なので、事前に買っておかないと学割が利かなくなるからである。そのため臼杵駅で買っておく。

 家に電話をしておく。台風情報を仕入れておかなくてはならない。諫早で会うはずの父がまだ家にいる。こちらはすでに九州上陸しているというのに。しかも向こうの方が早く諫早に着いてしまうのである。早く移動しようと思えば日本はそんなに広くないのである。一応、台風の状況や家内行事との兼ね合いで、明日、長洲(熊本県)からフェリーで島原半島の多比良まで行く短絡コースをとるか、鳥栖・肥前山口経由の鉄道コースをとるか打ち合わせをする。台風が近づいているので少しでも早いほうがよかろうということでフェリーの短絡コースをとることにする。実際、この1日あとの佐伯から乗る「ドリームにちりん」はどこかで運転がストップしていた。1日ずれると、予定がずたずたになっていたのである。

●臼杵−佐伯(日豊本線)

 臼杵から普通列車で佐伯まで向かう。といっても真っ暗で、外の景色が分からない。一応トンネルを通ったり、山越えをしていることは分かった。とにかく、この区間は乗りつぶしから考えても中途半端に孤立している区間であるから、いずれ乗るであろう。

●佐伯駅

 佐伯駅に確か23時頃到着する。これから5時間後、宮崎行きの「ドリームにちりん」が来るまでここにいなくてはならない。23時台から4時台まで駅にいるのだから駅で宿泊したことになるであろう。

 トイレの手洗い場で歯を磨いたり、トイレで着替えをしたりして、生活らしきことをする。駅での宿泊をよくする人がいるが、自分の場合これが最初である。それから4年近く経っているが、その後はまだ2回目というものがない。健康ランドでの宿泊ということをするようになったからである。

 イスが長椅子で、きちんと寝ることができればよかったが、セパレートタイプで荷物を枕にして寄りかかって寝ることとなってしまった。プラスチックのイスで、寝心地はよいとはいえない。おそらく駅寝(STBというらしい)の中では寝にくい駅に属するのではないだろうか。といっても、夜行列車と違って揺れないので、夜行列車より寝やすかったというのが感想である。夜行列車に続いて2泊目なのでより寝やすかったのかもしれない。また、他に寝ている人がいなかったというのもよかった。

●佐伯−宮崎(日豊本線・夜行列車として)

 4時過ぎにドリームにちりんが佐伯駅に来る。そのため、それに乗る人が何人か来て目が覚めた。

 自由席も途中の大分・臼杵などで降りた人がいたらしく、座ることができた。その後は駅寝の続きをすることとなった。重岡−宗太郎間の「宗太郎越え」も何となく分かった。寝ていても急勾配というものは分かる場合があるのである。

 また、延岡あたりで少しずつ明るくなってきて、工業地帯が見えたような気がする。

 そうしているうちに宮崎に到着した。


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