JR各線を巡る旅の記録

15四国・九州(1996年8月)7日目


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7日目・8日目
7日目 1996年8月17日
 【諫早】10:12発→(市布経由)→【長崎】10:40着、11:10発→(本川内経由)→【佐世保】13:51着、14:30発→【早岐】14:47着、15:08発→【肥前山口】16:05着、16:14発→【佐賀】16:29着、16:43発→【鳥栖】17:16着、17:58発→【博多】18:51着21:15発→(ムーンライト九州)
(※当時の記録がないため、当時の時刻表と記憶からの復元です。そのため上記の通りではないかもしれません。)
 家内行事(?)を終え、ムーンライト九州に乗るまでにどこを経由しようか、ということになったが、これが妥当なところであろう。小さい頃からよく乗っていた長崎本線をようやく完乗することができた。また、昔から意識の中にあった佐世保にも初めて列車で行くことができた。小さい頃から何度も通っていた鳥栖・佐賀・肥前山口駅も降りたのが初めてだったと思う。

8日目 1996年8月18日
 (ムーンライト九州)→【京都】着7:49以下、時刻不明→【大阪】→【大阪城公園】---(徒歩)---【森ノ宮】→【新今宮】→【JR難波】→(徒歩、地下鉄)→【大阪】12:15発→【近江今津】13:34着、14:29発→【余呉】15:00頃着、15:25頃発→【南今庄】16:20頃着、16:55頃発→【金沢】19:33着
(※当時の記録がないため、当時の時刻表と記憶からの復元です。そのため上記の通りではないかもしれません。)
 京都に着いてからいったん大阪へ戻る。これは時間調整である。大阪の日本橋電気街にはじめていった。ここでメモリを買った。

●諫早−(市布経由)−長崎−(本川内経由)−諫早(長崎本線)

 長崎本線の鳥栖から諫早までは特急でではあるが小さいときから何度も乗っている。しかし、諫早から長崎までは2つのルートがあるにせよ、どちらも乗ったことがなかった。この機会であるから、行きと帰りで別のルートをとることにし、長崎本線を完乗してしまうことにする。ちなみに、いったん長崎へ行くが、そのあと大村線経由で佐世保へ行き、そのまま博多まで行く。そして、快速「ムーンライト九州」で一気に京都まで行ってしまうというのが計画である。

 最初は特急などが通る市布経由である。電化されている方である。入ってきた列車は元寝台座席兼用特急列車の改造版である。本来は珍しいはずであるが、北陸本線でよく乗るのでとても親近感がある。ちなみに、この当時、九州・北陸・東北で走っていたが、この文章を書いているときは、九州と東北では完全に廃車されてしまったらしい。北陸では今なお現役で走っていて、無くなるという話は聞かない。

 諫早を出ると、トンネルをくぐったりしながら市街地を走る。そして、市街地のまま西諌早。高速道路と交差したり、国道に沿って走り、少し海を見てだんだん郊外になってきて、諫早市を出て喜々津。ここから、旧線(本川内経由)が別れて行くが、そちらは後で乗ることで新線(市布経由)に入っていく。

 新線というだけあって、旧線が不便だから作ったものである。当然、トンネルが多い。山のなかを走って、トンネルが多く、故に近道である。そのため、沿線人口もすくない。沿線人口では旧線の方が圧倒的に多い。そのため旧線が残っているのだと思う。トンネルをいくつも抜け、小さな駅にいくつか停まっているうちに、旧線と合流してしまった。そして、国道や路面電車が並行してしまい、浦上に到着。そのまま市街地を走り長崎に着いてしまった。この、浦上−長崎間は五稜郭−函館間に似ているが、これについては北海道(99年5月)に行ったときの記録に書いた。

 駅前に出て、歩道橋から車の往来を眺める。遠くを眺めると山のかなり上まで住宅地が続いている。さすが長崎市である。

 時間が近づいてきたので佐世保行きの普通列車に乗る。おそらく佐世保行きの普通列車だったと思うのだが、これは時刻表を見ての推定であり、もしかしたら諫早で乗り換えたかもしれない。

 長崎を出ると市街地を走って浦上に着く。原爆病院が駅のすぐ裏にある。特急も停まる駅であり、稚内と南稚内のような感じである。しばらく路面電車に並行し市街地を走って新線と別れていく。こちらはそのまま市街地を走り西浦上。だんだん郊外になってきて谷になる。そして高田・長与と過ぎる。みかん畑が多く、みかんの出荷場もあった記憶がある。そして、山が深くなり、スイッチバックのある本川内。長閑なところである。本川内を過ぎると山越えになる。トンネルを抜け、下り坂になり、谷を抜けると突然海沿いになる。山の中の町から、急に海沿いの町になるという、この展開は見事である。そして、海沿いに走り出すと、今度は恐ろしいくらい海に寄って走る。窓のすぐ下が海面である。大草を過ぎ、海沿いに走り、東園にいたっては、駅を降りても海しかないように思える。そしていくつか海沿いのトンネルを抜け、内陸に入り喜々津で新線と合流する。このように、旧線と新線では所要時間が違うが、景色ついては旧線の方がとても面白い。この2ヶ月後、長崎へ行くために諫早で敢えて乗り換えて旧線経由で長崎まで行ったが、面白さが全く違うからである。ただし、景色が面白いということは、運行上障害があるということである。

 だんだん市街地になり西諌早を過ぎて諫早に戻ってきた。ここからは、小さいときから何度も通っている長崎本線ではなく、大村線を経由して佐世保へ行き、そして博多へ向かう。長崎本線諫早−肥前山口間も特急で何度も通っているが、普通列車では通ったことがない。今度ゆっくり普通列車で通ってみたいところである。

●諫早−早岐−佐世保(大村線・佐世保線)

 諫早を出て、軽く山越えをして岩松。一瞬海が見えながら、市街地となり大村。割と歴史を感じさせる駅である。そして、諏訪・竹松と過ぎる。長崎空港が海上に浮かんでいるはずである。松原から海沿いになる。こちらも海のごく近くを走る。昔は肥前山口から現在の佐世保線を経て、早岐から現在の大村線を経て諫早へ向かうルートが「長崎本線」であった。そのため、地図をよく見ると、早岐・諫早駅の線路の形がそれらしくなっている。ということは、さっき通った長崎本線旧線と一連のものであったのである。そのため、先ほどの大草・東園あたりの景色とよく似ているのである。大村湾を経て、対岸が近く見え、瀬戸内海のようでもある。ときどき内陸に入りながらも基本的に海沿いで南風崎あたりまで行く。そのうち、海が川のようになり、川沿いになるのだが、対岸にハウステンボスが見えてくる。そして、ハウステンボス駅。その後は川沿いに走り、市街地となって早岐に到着する。

 早岐から、国道沿いに走り大塔。少し長く停まったが、インターチェンジが近くにあり印象的である。そして、また国道沿いに走り、日宇。市街地となってきて佐世保に到着する。

 佐世保駅では松浦鉄道の車両が小回りよく走っている。線路上は佐世保線に続いているが、第三セクター化され、別会社となった。

●佐世保−肥前山口(佐世保線)

 佐世保駅で皿うどんを食べて、列車に乗る。さっき見た景色を眺めながら早岐まで行く。早岐駅で多少時間をつぶし、肥前山口行きの普通列車に乗る。

 佐世保を出ると、山越えにかかったという印象が残っている。国道沿いなのだが、坂を上っていき、三河内に着いたという記憶がある。そこから山を越え、佐賀県に入り有田。そのまま山を国道沿いに走って武雄温泉だったと思う。武雄温泉は親戚がいる関係で多少駅の周りを注目して見る。そこからは谷を走ったと思う。おそらく水田があったと思うが、はっきりと覚えていない。

 そして、長崎本線の架線のある線路が、カーブで近づいてくる。こちらの方が支線なのだが、元本線であり、向こうの方が支線のように見える。そして肥前山口に到着する。

●肥前山口−鳥栖(長崎本線)

 肥前山口は、小さいときから特急「かもめ」と「みどり」が分割・併合をする駅として大きな駅という印象があった。しかし、実際に降りてみると、駅舎自体こぢんまりとしている。たしかに、町自体に用事はあまりないのだから、駅舎は大きくする必要もないのかもしれない。

 肥前山口からおそらく水田のなかを走り、牛津を過ぎ、唐津線が合流して久保田。そのあと、貨物駅の方が大きい鍋島を経て、高架となり、佐賀に着いた。

 佐賀では県庁所在地の駅ということで敬意を表したわけではないが、いったん外に出る。佐賀からは、水田のなかを走る。肥前山口より長崎・佐世保寄りはどちらにしても険しいが、このあたりはそれに対して平坦である。北陸本線のようなところである。そして、そうめんで有名な神崎を過ぎて、途中軽く山を越え鹿児島本線に合流して鳥栖に到着する。

●鳥栖−博多(鹿児島本線)

 鳥栖駅の周りを少し歩いてみる。この駅も、鹿児島本線と長崎本線が別れるということで、有名であるが、町自体はさほど大きくない。駅前も広くない。後で気づいたのだが、直江津駅によく似ている。駅の機能としてもよく似たものであるから、そうなるのであろう。しかし、この駅の近くには最近できたようなサッカー場があり、駅の周りでは少し異様である。そのための陸橋もあり、何となく駅前の右側と左側が不釣合いである。

 鳥栖から、普通列車で博多まで行く。列車自体は小郡行きで、もう本州である。鳥栖からは国道3号線に沿っており、車窓の多くを占めてしまう。国道沿いらしい店も並んでいる。原田で筑豊本線が別れていく。その後は二日市を過ぎてだんだんと市街地になっていく。駅も大都市近郊の形になっていく。そうしてだんだんと町が大きくなり博多に到着する。

 博多では駅の本屋で本を読んだりして過ごす。本当は、実費を払って博多南線に乗るつもりだったのだが、これはまたの機会にということにした。また、夕食はラーメンであったが、なぜか金沢でも食べることができる「くるまやラーメン」となってしまった。ただし、金沢や福井のよりもあっさりした味であった。また、O157の食中毒騒ぎで、貝割れ大根が無くなっていたのは全国共通のようであった。

●博多−京都(鹿児島・山陽・東海道本線)

 博多から何度か乗っている快速「ムーンライト九州」である。この列車は指定席をとることができると快適なのだが、自由席だと2年前のようなことになってしまう。

●京都−大阪(東海道本線)、大阪市内、大阪−金沢(東海道・湖西・北陸)

 翌日は、京都へ着いてからいったん大阪へ戻る。これは、少しでもゆっくり寝ていたかったためと、時間調整である。

 大阪から環状線で大阪城公園駅へ。ここから次の森ノ宮までは列車が速度を上げることなくすぐ着く駅間であったため、気になっていた。時間もあることだし、歩いてみることにした。公園沿いの歩道を歩くのだが、歩いているうちに何本もの列車に追い抜かれた。乗るのと歩くのではやはり違うようである。

 森ノ宮から再び大阪環状線に乗り、天王寺まで。そこから関西本線でJR難波まで行く。この路線は、JR難波が湊町駅だったときに乗ったことがあるが、その時とは違って今宮を過ぎると地下に潜ってしまった。その後、青春18きっぷや周遊券を持っているとき、梅田から難波まで行くときは経費節減のためこの駅を多く利用することになる。

 JR難波はバスターミナルや関西空港のチェックインの機能もあり、駅自体は大きいがホーム自体はあまり大きくない。駅を出て、地下道をそのまま歩き、ほとんどの店が開いていない「なんばウォーク」という地下街を歩く。そして、ちょうど良さそうなところで外へ出て、日本橋電気街へ行ってみることになる。ただし、そこへ行くためには最近は新今宮で降りた方が早いということに気づいたのだが、その時はよく分からなかった。

 そして、いくつかの店を回って電気街というのはどういうところなのかをつかむ。(?)とりあえず、メモリを買うことにした。  用事が終わると、初めて大阪の地下鉄に乗る。その後何回か大阪へ行っているうちに、このあたりの状況はよく分かったのだが、このときは、きちんと時刻表の路線図を見て、恵美須町から南森町まで行き、乗り換えて東梅田まで行く、ということを頭に入れて乗ったものであった。

 とにかく、恵美須町駅にいた30分後には大阪駅で新快速列車を待っていた。新快速列車が遅れていたということは覚えている。

 そこから、今回は珍しく湖西線経由で戻る。近江塩津駅で時間があったので、そのまま近江塩津で降りず、余呉まで行き、多少駅前を散歩する。そして、芦原温泉行きの列車に乗る。敦賀−芦原温泉間のどこかで乗換をしなくてはならないが、降りたことのない駅ということで南今庄にした。たしかに何もないところである。

 そのあとは、敦賀発の列車に乗り、金沢まで戻る。この列車は大学からの帰宅時に、少し早めに帰るときによく乗る列車である。勝手はよく分かっていたが、客層はいつもと違っていた。


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