JR各線を巡る旅の記録

15四国・九州(1996年8月)3日目


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3日目 1996年8月13日
 【佐伯】4:30発→(ドリームにちりん)→【宮崎】6:36着、6:53発→【隼人】9:17着、9:24発→【吉松】10:24着、11:09発→【人吉】12:09着、12:18発→【八代】13:32着、13:40発→【熊本】14:18着、14:48発→【長洲】15:37着→(フェリー)→【多比良】→(島原鉄道)→【本諫早】
 佐伯駅で初の駅寝をした後、宮崎まで特急を使う。これは妥協である。しかし、きっちりと学割を用意していたりもする。そのあと、肥薩線経由で熊本へ行き、長洲からフェリーで島原半島の多比良まで行く。

●宮崎−隼人(日豊本線)

 宮崎駅に到着して、一応外へ出て、朝食を買う。外へ出てみると、台風が近づいているため雨が降っている。その天気と、南国的な植物がうまくマッチしている。そんなのんきなことを言っているのもあと数時間である。台風が着く前に諫早まで着かなくてはいけない。

 改めて青春18きっぷに日付を入れてもらい、西鹿児島行きの普通列車に乗る。このまま乗っていたら西鹿児島まで行くことができる。そのあと、鹿児島本線で熊本を目指してもいっこうに差し支えがないのだが、せっかくなので日本三大車窓の一つがある肥薩線を経由することにしたため、隼人で降りることになる。それでも鹿児島県に足を踏み入れることになるので、これで訪れたことのない県は岩手県と茨城県だけになる。(これも翌年3月に訪れている。)

 宮崎を出て市街地を走る。大淀川を渡り、また市街地になり南宮崎。ここで日南線が別れていき、その一つ目の駅でその当時最近できた宮崎空港線が分岐する。さっきの「ドリームにちりん」も宮崎空港行きであった。国鉄・JRが儲け損ねていたところの一つである。

 その後は、市街地から離れていく。どうも森の中を走っていたという記憶しかない。地図を見ても、等高線のところを走っているのでほぼ森の中で間違いないと思われる。

 都城近くでいったん市街地になり、都城で吉都線が別れていく。肥薩線の吉松で合流する。それに乗ってもよかったが、鹿児島県に少ししか入ることができず、徳島県に引き続き足を踏み入れたかどうか分からない訪れ方を避けるために隼人まで行くことにした。

 その後はまた森の中を走っていたと思う。駅名が大隅と付くようになって鹿児島県に入ったことが分かる。これで訪れていない県はあと2県となった。

 そして森を抜け国分で少し長めに泊まり、隼人で肥薩線に乗り換える。

●隼人−八代(肥薩線)

 この区間はきちんと外を見ていたはずであるが、やはり記憶が飛んでいる。4年近くも経てばそういうものである。とりあえず記憶と地図から文章を書いてみることにする。

 隼人を出ると、川沿いに登っていく。川沿いという記憶はあるが、その逆の方に鹿児島空港があったのである。これについては記憶がない。というよりも見えないのかもしれない。高度差はあるにせよ、鹿児島空港の近くを走っているのだからこれも宮崎同様儲け損なっているのかもしれない。

 高速道路に沿いながら登っていき、吉松で吉都線と合流する。

 吉松から人吉までがこの線のクライマックスといえる。吉松で乗り換えたのだが、ほとんど乗り換えた列車には人がいなかった。しかも一部の座席には畳がひいてある。

 吉松を出ると、坂を上っていき、スイッチバックの真幸。実はここでいったん宮崎県に戻っている。そしてトンネルをいくつも通る。この吉松から真幸・矢岳までの間のどれかのトンネルで、昔蒸気機関車が逆送して、それを止めようとした職員が殉職してしまったらしい。これを祀る碑があった。

 少し長いトンネルを抜け矢岳。ここから下っていき、しばらくするとループ線とスイッチバックがある大畑。このあたりがこの線のクライマックスであり、日本三大車窓(あと残りは?)の一つであるらしい。確かに景色がよい。但し、曇っていたため、あまり遠くが見えなかったがそれもよい味を出していたと思う。また、この駅は昔土砂崩れで埋まってしまったこともあるらしく、その跡が想像できそうであった。ループといっても、いつも通る敦賀−新疋田間のような高速通過ループではなく、ゆっくり走るので、面白かった。

 そして、下っていき、市街地を見下ろしたあと、さらに下っていき、人吉に到着する。

 人吉から乗り換えるのだが、乗り換えるべき列車は今までとうって変わって乗客が多くいた。そのため窓側に座ることができず、あまり外は見えなかった。

 しかし、川沿いを走っていて、渓谷が見えたということまでは分かった。この線もいろいろと特色があって面白い。

 渓谷が終わったかと思うと水田が広がり、八代に到着する。

●八代−長洲(鹿児島本線)

 八代では駅がどのようであったか思い出せないほど短時間での乗換だったと思うが、実際は8分ほど時間があった。乗り換えた列車はいつも北陸本線で乗っている普通列車と同じような列車で、ここまで来て北陸に戻ってきたような感じがした。

 八代から熊本までは今までと変わって水田の中を走っていたような記憶がある。それ以外に特に覚えている景色はない。

 熊本駅で、一度外へ出る。駅舎を見るが、今度はいつ来ることになるだろうと思っていたが、この2ヶ月後であった。

 熊本駅ホームで普通列車を待っていると、「銀水行き」という普通列車が多いことに気づく。「銀水」とはどこかと思っていたが、要は大牟田の次であった。熊本からは市街地を抜け谷を通り海沿いに出たはずであるが、この景色は特に覚えていない。そして、わりと短時間で長洲に到着した。

●長洲駅−多比良−本諫早(徒歩・フェリー・島原鉄道)

 長洲駅に到着して、フェリー乗り場まで歩くことにする。「歩く」といっても、すぐ着くのではなく、20〜30分ぐらいかかったと思う。平坦な町をまっすぐ歩いて、一ヶ所だけ曲がり、さらに歩くとフェリー乗り場があったと思う。同じ列車に乗っていた人でタクシーに乗った人がいたようだが、その人をフェリー乗り場で見かけたので、まあ歩いて損はしなかったと思う。

 フェリーは、八幡浜−臼杵間のような二等船室があるフェリーではなく、短距離のためほぼ座席であった。列車と違って一列が長い。コンサートホールや映画館のようである。長洲(熊本県玉名郡長洲町)−多比良(長崎県南高木郡国見町)は、直線距離ではかなり短い。フェリーに乗っていても、対岸を目指しているということがよく分かった。対岸の雲仙岳がだんだん近づいてきて、多比良に到着した。

 多比良に到着したのがほぼ17時頃だったと思う。港から島原鉄道の駅まではそれほどではなかった。今回の駅←→港徒歩シリーズが4回あったが、もちろん最短であった。今回、今までと違って駅を降りて知らない町を目的を持って歩く(あるいはさまよう)ということがよくあった。今回はフェリーに乗るということが目的であったが、このあと健康ランド等へ行くという目的でよく知らない町を歩く(あるいはさまよう)ということが多くなってくる。

 多比良駅から新しい気動車に乗る。きちんと車掌もいる。しばらくは海沿いに走るが、その後は国道と水田に沿って走る。だんだん薄暗くなってくる。そして、本諫早で降りる。諫早行きであるが、本諫早の方が市街地にあり、親戚の人が迎えに来るのに便利であるからである。


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