JR各線を巡る旅の記録

22北海道(99年)3日目


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1999年5月1日
【新旭川】6:19発−(普通)→【名寄】7:55着、7:58発−(普通)→【幌延】10:14着、11:23発−(急行礼文)→【稚内】12:22着、22:13発−(急行利尻)(車中泊)

※今回の最大の目玉稚内へ行くもの。実際、日程を組むとき、朝起きることができればこの日程、きつかったら、旭川からいきなり急行礼文に乗ってもよいということにしておいた。実際は早く起きることができたので幌延まで普通列車に乗ることができた。稚内では宗谷岬へ行くバスにも接続している。

●宗谷本線(新旭川−稚内)

新旭川駅には6時10分頃到着した。発車が19分であるから余裕を持って到着できた。ホームに出て、しばらく待つ。他に乗客はいない。本線同士の分岐駅とあってやや構内は広いが、本線同士の分岐駅にしては寂しい。もっとも、本線同士といえば東釧路もそうでありあそこはここよりも構内は狭かったような気がする。

 列車が到着した。確か2両だった記憶がある。2両目に乗ったような気がする。

 新旭川を出て、田園地帯を走る。「田園地帯」と書いたのは、本州ならば明らかに田圃と書けるのだが、北海道の場合、稲作が行われていないところもあり、感覚的に水田と思ってもそうでないことがあるからである。この季節は、北陸あたりでは田植えが行われているが、このあたりはまだであるため、水田である確信が持てないため「田園地帯」ということばで逃げた。

 とにかく田園地帯を走り、時々駅に停車する。よく考えたら5月1日は土曜日であり、第1土曜日なので、高校生は登校する日なのである。また、本来なら自分も5月は土曜日は休みでないので本来なら出勤していた日である。とにかく、自分は家からかなり離れたところへ来ているが、世の中普通に動いている人も多いので、この列車も普通に動いている人たちを運んでいる。細かい駅で高校生たちが乗ってきて、士別で多く降りた。そしてまた細かい駅で乗ってきて、終点名寄で降りた。

 名寄は、つい数年前まで、深川から別れた深名線が合流する駅だった。左の窓からその線路のあとが見えないかと思っていたら、まだ年月が経っていないのできれいに線が「合流」してきた。ただしレールは剥がされている。また、かつて名寄本線が分岐していた。こちらは右の窓から見えるはずである。ただ、こちらの方は廃止されてから深名線よりも時間が経っているため、深名線ほどはっきりとしていなかった。この駅はこのようにかつては2つの線が分岐する駅だったが、今は単なる通過・乗換駅となってしまった。

 名寄は終点で、3分でこの先幌延まで行く普通列車に乗り換えなければならない。広い駅ではないのですぐに乗り換えることができた。座る席がないと困る。そのような心配をしていざ列車に乗ってみると、1両だけの列車に、自分の他あと2人しか乗っていない。このまま発車するのだろうかと思っていたら、そのまま発車してしまった。

 名寄から先は、左側の窓から天塩川が見える。川の流れといい、周りの木々といい、本州や四国・九州の各線に見られる「渓谷美」とは明らかに違う。内地の場合、例えば高山本線や伯備線、大糸線などに見られるように、杉が多く生えた山を、川が刻んだ谷の中をようやく線路と細い国道が走っているという状態である。こちらはかなり余裕がある谷で、余裕のある道路が並行している。木も、杉のように鋭い木ではなく、白樺のように「やさしい」木である。最近本州の「渓谷美」も見飽きていたので、これは新鮮である。川の流れも、本州なら、白波をたてて一生懸命に流れているが、こちらはどちらからどちらへ流れているかよく分からない。どうも地図を見ると進行方向に流れているようだが、それを列車の中から確証するのは無理である。このような川の流れを見ていると、時間の感覚が狂ってしまう。

 かつて美幸線が分岐していた美深で、他の乗客が降りてしまい、乗客は自分一人になってしまった。運転席を見ると事情か何かで2人いる。乗員2人に客人1人のすばらしい待遇である。無理して普通列車にして良かったと思う。おかげで、天塩川の景色を堪能することができた。

 確実に今まで来た「最北端」を更新している。宗谷本線も音威子府まではひたすら北を目指している。しかし乗客は1人しかいない。

 音威子府で5分ほど停車する。面倒なので外へは出なかった。すれ違った急行「宗谷」は、結構乗客が乗っている。また、夜行の急行「利尻」の折り返しだが、新塗色の列車の中に昔ながらの塗色の列車が混じっている。増結しているのであろう。

 音威子府から1人、乗客が乗ってきてほっとした。ゴールデンウィークの割に空いている。これが青春18きっぷの時期、特に夏だとかなり混んでいると思う。ゴールデンウィークの時期はやはり周遊きっぷ中心となるので、特急・急行に乗客が流れてしまうのだろう。この時期はまだ、緑が少なく花も少ないが、のんびりと普通列車に乗るには良い時期なのかもしれない。

 音威子府でかつて、天北線が分岐していた。ここで分かれて、太平洋側(というか、知床半島より北なのでオホーツク海側)へ出てから、稚内の一つ前、南稚内で再び合流していた。その線路が路盤だけ北へ向かって分岐していた。

 一方北へ向かう天北線に対して、こちら宗谷本線は西へ進路を変える。あくまで天塩川に忠実に進んでいる。天塩川が蛇行しているのでそれにあわせて進んでいる。そのため、西へ向かいつつも北へ向かい、南へ戻ったりしている。そのため、最北端の記録更新が一時的に途切れたりしている。そうしながらも、佐久からは再び北を目指す。そして、途中で一人だけいた他の乗客も降りてしまい再び一人になってしまった。

 時刻表上では普通列車が少ないことで、不便ではないのだろうかと心配していたが、乗客があまりにも少なすぎるのである。1人だけ乗っていて何か申し訳ない気になる。1人で乗っていることは、例えば家の近くのバスでも終点に近づくとあることだし、北陸本線でも、車両運用の関係で、昼の11時台に30分しか間隔があいていないのに6両で走るときなど、元々乗客の少ない区間では車両によっては1人になることがあり、このような状態になれていなくもない。しかし、今回は1両ではなく1編成に1人だけで、しかもその時間が長い。名寄−幌延間、2時間16分のうち半分以上が一人なのである。この宗谷本線から分岐していた路線が次々廃止されていった理由も分かる気がするが、乗客が少なくなった→本数を減らす→不便になる→乗客が減る→さらに本数が減る、といった悪循環に陥ったのも事実であろう。この線も、急行列車で救われていると思う。普通列車に乗っているだけでは、この線が夜行列車も走る線だとは思えない。

 今までは、2駅ほどとばしたとはいえ、各駅に停車したが、天塩中川から先は下中川をとばして2駅停車、2駅とばして、雄信内に停車、そして3駅とばして終点幌延に到着と、快速列車並の運転となる。ただし時刻表には「快速」の表示はない。

 名寄から2時間以上もつきあってきた天塩川と分かれて、終点幌延に着く。ここから先は普通列車を待っていると3時間もあとになるので、妥協して急行列車に乗ることにする。ただし、幌延着が10時14分で、急行礼文の発車が11時23分なので1時間以上ある。

 駅のホームにはトナカイの絵と、「北緯45度線上の町」と書かれていた。確かに北緯45度線はこの町を通っている。自分の住んでいるところが北緯36度36分36秒に限りなく近い場所であるから(ちなみに東経136度36分36秒でもある。この36が続く場所から徒歩5分ぐらいである。)かなり北へ来たものである。また、「トナカイの絵」というのは日本で唯一のトナカイの観光牧場があるらしい。

 乗客は1人だけだったので、他の乗客を追い越したり追い越されたりすることなく寂しく跨線橋を渡る。改札の職員に「1人だけ?」と聞かれる。

 さて、1時間以上もあるが、特に目当てはない。もう少し時間があればトナカイの牧場へ行っても良いが、それも1人だけというのは寂しい。そこへいって客は1人だけということも十分考えられるので、そうなるとどうして良いか困ってしまうし、時間もないので今回はパスすることにする。

 時刻表上は「幌延」は、みどりの窓口があり、ゴシック体で駅名が書かれており、また着時刻と発時刻も書かれており、かなりの待遇を受けている。しかし、駅前はなぜか寂しい。天気もどんよりとした曇りで、寂しさに輪をかけている。廃業した商店もある。駅前に小さな旅館もあるが、その造りにまたまた寂しさを感じてしまう。

 とりあえず、かつてここから分岐していた羽幌線の跡を見に行く。羽幌線はこの駅を出て日本海側に出てひたすら南下して留萌本線の留萌駅まで至る線であったが、この駅より北側で分岐していたので、北へ向かって歩く。

 多少町の中を歩き、踏切をわたったところで羽幌線の路盤が分岐していた。分岐してすぐの所に小さな橋があり、宗谷本線の方はもちろんその橋が残っていたが(なくなっていると列車は通れない。)羽幌線の方はなくなっていた。そのため、橋があったところの向こうの路盤が見えても、渡ることができない。そのため、森の中へ分かれていく羽幌線跡をしばらく眺めて、立ち去ることにした。

 そこの川に「不審な人を見つけたらすぐに警察に連絡してください」と書かれていた。こんなところでなくなった線路を見つめている人は明らかに不審であるが、幸いにも警察は来なかった。

そのあと、しばらく幌延駅前を歩く。客がいるのかどうか分からない店や、もう廃業して自動販売機だけになった店などがある。その中できちんとにぎやかに営業していて、客がきちんと入っているのが2件のパチンコ屋である。北海道ではどんな小さな町にもパチンコ屋はあるというがそのとおりであった。

 その他、役場や消防署など、町として必要な施設がひととおりそろっている。

 ひととおり駅前を散歩し終わったので駅へ戻ることにする。まだ時間はあるが、「トナカイ牧場」へ行くには時間が足りない。

 駅の中に観光パンフレットがあり、しばらく見る。あと、バスの時刻表の中に羽幌線の代替バスの時刻表があった。鉄道が廃止されるときに、代替バスが走るというのが条件になっており、しばらくは時刻表の鉄道の部分に掲載される。しかしそれは長続きせず、後ろの私鉄・バスの欄にいってしまい目立たなくなる。そのうち掲載がなくなってしまうものもある。しかし現地へ行ってみるときちんと走っているものである。JRを完乗したら、国鉄・JRから転換した第三セクターや転換バスに乗ってみたいものである。

 しばらく駅の待合室で過ごす。何人か人がいる。改札が始まってホームへ出ようとすると「寒いから(列車が来るまで)待ってなさい」といわれる。何のために改札を始めたのか。そして時間が来たのでホームへ出る。入ってきた「急行礼文」は2両編成であった。禁煙車と喫煙車があった。禁煙の方は、席が埋まっていたので喫煙の方へ行く。1時間ぐらいだから我慢することにする。

 結局ここからは俗人と同じ急行列車に乗るのだが、先ほどの1人で乗っていた普通列車と雰囲気が異なる。2両の座席が、2人掛けの座席に1人ないし2人ずつきちんと埋まっているのである。そうなると、普通列車で普通運賃だけの乗客を乗せるより急行で急行料金を取って乗客を乗せた方がJRとしても効率がよいであろう。というよりも、急行があって初めて普通列車も走らせることができると考えた方がよいのだろうか。普通列車の客だけを相手にしていたら、札幌近郊以外すべて廃止されてしまうだろう。現に普通列車だけの路線の多くが廃止されている。

 幌延からは景色も変わってくる。天塩川が沿ってこなくなり、かわりに左側の窓にはサロベツ原野を望むことができるようになる。原野そのものはそこへいってあるいて見るものだが、それを遠くに見ることができる。木がほとんどなく、何もない平原が続いている。

 幌延から稚内の間の唯一の停車駅豊富を過ぎてもその景色は続く。そしてしばらく過ぎると山の中へはいる。山といってもここまで来ると様子が変わってくる。函館あたりから旭川ぐらいはまだ針葉樹があたった。エゾマツ・トドマツの類だが、よくわからない。それより北、名寄から幌延あたりでは、白樺のような木がある。植物の知識があればそのあたりも楽しめるのだろうが、残念ながらその知識はない。そしてこのあたりまで来ると木がなくて、今まで松や白樺の下にあった熊笹だけとなってしまう。山なのだが、背の低い笹しか生えていないのである。そのため山の中といっても遠くまで見通せてしまう。抜海を過ぎるとその景色の向こうに日本海が見える。今まで見たこともない光景である。外国まで行かなくてもこのような景色を見ることができる。1日日程を増やして稚内まで足を延ばして良かったと思う。

 そのような景色を過ぎて、市街地に入り南稚内に着く。それからあまり速度を上げず稚内に到着した。ホームからは線路を渡るのだが、跨線橋はなく、線路の上を歩いて横切る。普通の駅なら小さい駅の造りなのだが、ここではこれより先行き止まりになるだけなのでこれでもよいのだろう。

●稚内市内にて

稚内着は12時22分で、その後、宗谷岬方面行きのバス(大岬行き)が13時発で多少時間がある。まず、駅からそのまま北へ歩いていき、線路の行き止まりの所へ行く。駅構内の端である。一応、もっとも北のレールを踏んでおく。それから戻って、食堂などに入ろうとするが、結局駅のそば屋でうどんを食べて昼食を済ませる。東日本なのでうどんのつゆは濃い。しょうゆ漬けのようである。うどんのつゆは西(関西)に限ると思っている。ちなみに日本海側のうどんのつゆの東西は石川県と富山県で分かれるらしいが実際調べたことがない。荷物はコインロッカーに預けておくことにする。コインロッカーは300円かかるため、預けるか否かは「300円分の価値があるか否か」で決めることにしている。今回は時間が長いので預けることにする。

 うどんを食べて、それからバスターミナルへ行く。小銭を用意するのが面倒なのであらかじめきっぷを買っておくと、1割引の2,430円で買うことができた。

 少し時間があるので、駅の窓口に行って、帰りの寝台券があるか確かめる。函館発金沢行きがないというので、青森発を確かめてもらったら、あった。金沢駅の駅員が言うようにキャンセルが出てきたのである。これで帰りはゆっくり横になって帰ることができる。

 今日はこれから、22時13分発の急行利尻という夜行列車に乗るのでそれまでは稚内市内で「観光」をすることにする。乗りつぶしの旅といっても最近は観光の時間も設けるようになってきた。とりあえずは宗谷岬へは行っておかねばならない。その後は宗谷岬滞在27分で戻ってくるか、3時間半滞在するか、そこへいって決めることにする。仮に27分で戻るとして、その後は稚内市内を観光して、ノシャップ岬へ行くことと、あとは日本最北端の温泉である「稚内温泉童夢(どーむ)」へ行ければと思う。

 宗谷岬方面(大岬)行きのバスに乗る。乗客は地元の人と、観光客も混じっている。しばらくは宗谷本線に沿って町の中を行く。途中で高校生か中学生かが乗ってくる。また、「南駅前」というバス停もある。南稚内駅前のことで、鹿児島で西鹿児島駅を「西駅」というのと似ている。日本の北と南で同じような略し方をしている。ちなみに金沢は西金沢は、そのあたりの地名も含めて「西金(にしかね)」と呼ぶ。東金沢はどうだったろうか。その略し方は名古屋駅をそのへんの地名も含めて「名駅」と呼ぶのと発想が似ているような気がするが。

 その「南駅」を過ぎて、しばらくすると左折する。国道238号線を走る。しばらく走り、市街地を抜けると、直線の道がずっと続く。2車線であるがとても広くとってある。また、木らしい木もないのでとても見通しがよい。

 その途中に稚内空港があり全日空機が停まっている。しかし、空港そのもののバス停には停まらない。(空港の前を経由しない。)あくまで宗谷岬への観光客よりも地元客重視なのだろうか。それとも飛行機に乗る人たちは、飛行機を降りてもすぐに宗谷岬へ向かわないのか。

 稚内空港を過ぎてさらに海沿いを走る。乗用車がどんどん追い越していく。その中に石川ナンバーがあった。

 海沿いで、時々集落がある。さらに進み、山が海まで迫っているところをしばらく走ると宗谷岬に到着した。

 岬というよりも、国道沿いのドライブインといった感じで、国道の途中におみやげ物屋が多くあるところがあり、そこに駐車場がやや広くとってあり、そこに「日本最北端の碑」一式があった。能登半島最北端の禄剛崎は、車から降りて山を登っていき、先端が崖になっていて、有難味があるが、どうもここは有難味に欠ける。

 といっても日本最北端なのだから、精一杯有り難がらねばならない。ちなみに、本当の日本最北端は前に見える白い島「弁天島」なのだが、これはこの際無視することにしよう。宗谷岬にバスが着いたのが13時50分で、金沢駅を出て49時間かかったことになる。家を出て約50時間である。

 「日本最北端の碑」より何メートルか北にある石を眺めたり、高いところへいったりして時間を過ごす。これならば20分少々で十分である。車で来る人も、観光バスで団体で来る人もそんなに長くここにいないようである。晴れたらサハリンが見えるらしいが曇っていて見えない。

 まだ時間があるので再び「日本最北端の地」へ行く。若い人の団体に写真のシャッター押しを頼まれる。

 そしてバス停へ行く。バスの待合室には所狭しと落書きが書かれている。自転車で来た人やらヒッチハイクできた人やら、そういう人がここをゴールとして、感激していろいろ書いている。そういう人たちに比べると、50時間少々で来てしまった自分は感激する資格もないかもしれない。せめて稚内駅から歩くべきだったか。レンタルサイクルがあって、風がこんなに強くなかったら稚内駅から自転車で来てもよかったが。逆にここをスタートとする旅もあるわけで、そういう人がここへ来たとしてもこの落書きの人たちのような感激があるのだろうか。

 日本の最も東・西・南・北のうち、東・西はそれほど感激する要素がないし、南となると、一般人がすぐに行けないところだったような気がする。もっとも、「日本最北端は択捉島」であると言ってしまっても始まらないので、ここでは日本の最北端に来たことに素直に喜ぶことにしよう。

バスが来た。さっき乗ったバスが終点「大岬」まで行って引き返してきたバスであり、さっき一緒に乗ってきた人たちも何人もいる。バスはさっき通った道を引き返し稚内駅へ到着した。

 稚内駅へ戻ってきたのが15時11分で、まだまだ時間がある。まずは稚内港へ行く。ここには「北防波堤ドーム」というものがある。防波堤に波よけがあるのだが、それがドームの半分を切ったように屋根の部分まであるのである。風の強さと波の高さを考えたらそういう造りになってしまったという。そういえば稚内へ来てから風が強い。北陸の冬のようである。このような防波堤ドームのようなものを毎日通勤で自転車を漕ぐ道(何も建物がなく吹きっさらしの部分がかなりある)につけてくれたら、大変有り難いのだが。雨にも風にも対応できる。ただし、壁のない部分から風が吹き付けてくるとその返しの風で大変そうである。

 防波堤ドームはかなり距離があり、一番向こうまで行こうとしたが遠そうなのでやめてしまった。その後、風にあおられながら北へ向かって歩くことにした。もう一つの岬である「ノシャップ岬」を目指すためである。(声問岬は除く)こちらはバスで行くこともでき、また、稚内市街地の端にあるという関係でバスの本数も多い。ただ、距離もそんなに長くないのでバスで行かずそのまま歩くことにした。

 風が強いのであえて海沿いは歩かず、バスの通る道を通ることにした。市街地なので建物は多い。右側に見える山は、あまり木がなく独特の雰囲気を醸し出している。そこへ行ってから1ヶ月半ほどしてこの文章を書いているが、その景色は今でも強く印象に残っていて、「稚内」というと、その景色を思い出してしまう。

 しばらく歩くと、その山は低くなってくる。さらに歩くと、バス停があり、道が大きくカーブしていた。そのカーブを曲がらずに、細い道を歩くとそこがノシャップ岬であった。水族館などもあり、また、おみやげ物屋もある。岬の部分は公園のようになっていて、宗谷岬よりも岬っぽい。ここは夕日がきれいで有名なところだが、あいにく曇っていて夕日を拝めそうにもない。そして依然として風が強い。そのため、しばらく海を眺めて早々に引き返すことにした。

 もとの道を戻り、さっきの通りへ出る。バスが待っていたが駅の方へ行くバスだったのでパスする。そのまま駅へ引き返さずに、駅のある方と反対のほう(つまり駅からすると山を挟んで反対側)に稚内温泉「童夢」(どーむ)というものがあり、日本最北端の温泉らしい。(ちなみに日本最北端の銭湯は礼文島にある)そこまで行きたいがバスまで時間があったので再び歩くことにした。

 駅からノシャップ岬までは散歩の延長で歩けたが、ここからは建物がない。海からの風をまともに受ける。しかも直接日本海に面しており、風がいっそう強い。雨が降ってきても傘を開けそうにない。「稚内西海岸」とはいうが、とにかく風の強いところである。

 とりあえず歩く。今までは両側に建物があったが、ここからは片方に昆布干し場のようなものがあったりするが、反対側は完全に何もないところである。何もないところがそのまま山へ続いている。しかも雲が厚く、日没も近いので薄暗い。「稚内市スポーツセンター」という建物があるが使われているのかどうか分からない建物である。このような強風は、北陸に住んでいれば冬いくらでも体験できるので、あまり珍しくない。霰(あられ)や雪がない分、むしろ歩きやすい。

 という強がりを考えつつ、うんざりしながら歩いていると街が見えてきた。その中に稚内温泉「童夢」(どーむ)があった。

 せっかく来たので1時間半ほど入浴する。途中日没があり、露天風呂等から見ることができるがその時だけ太陽が出ていた。これで3日連続日本海に沈む夕日を見ていることになる。新潟→小樽→稚内と、確実に北上している。明日は完全に太平洋側にいるのでこの記録は3日で崩れることになる。体を洗うところは一人分ずつ区切られていて、図書館の自習室のようである。こうすると一つおきに座らずに有効に場所を使うことができるのだろうか。あと、水風呂が異常に冷たい。普通の水風呂ならサウナに入らなくても普通の浴槽に入った後で5分ぐらい浸かっていることができるが、ここは10秒も無理である。上がると体中が赤くなっていて、感覚がない。温度計で測ると何度なのだろうか。まさか回転率を上げるためわざと冷たくしているわけでもないし、そのままの水道か井戸の水なのだろうか。

 帰りは素直にバスに乗ることにする。循環バスなのでどちら方面に乗っても一応稚内駅に着けるらしい。そのためノシャップ岬を通らないバスに乗る。出発して何もないところを通る。「○○前」というバス停が続く。○○には人の名字らしいものが入っている。(「田村前」等)暗くて見えないが、点在する家の前にそれぞれバス停を作り、しょうがないのでその人の名字をバス停にしてしまったのだろうか。

 そうしているうちに本当に稚内駅に行くのかどうか心配になってくる。しばらくして山の中に入り、市街地へ抜けた。そして市街地を走っているうちに駅へ着いた。ノシャップ岬を通るバスの方が早く駅に着けたと思う。

 そして、食事をするために駅前をうろつく。結局駅前にある定食屋に入る。最近野菜不足なので「野菜炒め定食」を食べる。

 それから、祖母の所へ行くためのおみやげを買ったり、明日会ういとこに電話をして、用事は終わる。8時半頃であるが発車までまだまだ時間がある。そこで、駅構内に飾ってある廃止された天北線の写真展を見ることにする。ちょうど廃止されて10年であり、それを記念(?)しての写真展らしい。各駅の写真や列車の写真、鉄道施設の写真などがある。手動式信号の写真もある。昔よく見た形なので懐かしい。

 寄せ書きのノートがある。感想が書かれているが、その中に書いた人のURLが書かれていたりする。最近は変わったものである。

 改札はまだだが、何人か改札口前に並び始めたので、それにつられて並ぶ。1時間ほど前だが特にすることがないので並んだ。

●急行「宗谷」(宗谷本線稚内−函館本線・根室本線滝川)

 待っていると22時頃から改札が始まる。ホームで待たず、改札口で待つところが、北海道らしい。今日は自由席を増結しているとのこと。増結している車両はクロスシートの車両である。4人掛けの所に1人ないし2人だけならゆっくり足を延ばして過ごすことができるが、3人以上になると、下手に足を延ばすことができない。そこで、増結ではない通常の車両(転換式シート)に行くことにした。

 夜行列車に乗るのは久しぶりである。最近はサウナ・健康ランド宿泊が多く夜行列車に乗っていなかった。結局翌日の居眠りが多くなってしまうからである。今回は日程の関係と、稚内市内での時間を多くとるためこの列車を利用した。

 この列車は座席車の他に寝台車もある。座席車は気動車であるが寝台車は客車である。夜行列車として使うときだけ間に寝台車を挟むのだ。ある程度改造はしているらしい。

 隣は誰も座らずに発車した。すぐ南稚内に着く。停車時間はやや長い。

 結局、ウトウトしていて音威子府あたりで隣に人が座った。真っ暗なところを走っているが、昼間、天塩川の景色を乗客一人だけで満喫したところを走っている。とても同じ線を走っている列車に思えないし、無理して思わないことにした。そうしてウトウトしていると急にドンという音がして停車した。鹿をひいてしまったらしい。よく列車にひかれた鹿を親戚から送ってもらって頂くことがあるのだが、こういうふうにしてひかれるのである。

 こうして、昼間来た道を南下していった。

 
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