1999年5月4日及び5日
【上幌向】7:23発−(普通)→【札幌】8:06着、8:31発−(特急スーパー北斗6号)→【長万部】10:38着−(普通 渡島砂原・仁山経由)→【函館】13:43着、14:12発−(快速海峡8号)→【青森】16:41着、19:42発(特急日本海4号)→【金沢】6:20着
※寝台券がとれなければ、新潟まで昼間の列車で行き、急行きたぐにで金沢着2時台と考えていたが、幸いに寝台券がとれたのでそれは免れた。あとは、函館から寝台券がとれればよかったのだが、そこまでは無理であった。どうにか普通列車で渡島砂原を経由することで函館本線に完乗できたが、他はできなかった。
翌朝、上幌向7時23分発の普通列車で札幌へ向かう。時間帯の関係で、札幌へ向かう普通列車が多く出ている。駅に着くまで、どの列車に乗るかはっきり決めていなかった。
その列車は、きのうの「いしかりライナー」とはうって変わって新型の列車である。オールロングシートである。北海道では普通列車といえどもすべての列車にデッキをつけるのが原則だったはずだが、ここまでくると本州を走っている通勤電車と同じである。ドアだけがどういう訳か2枚扉ではなく1枚扉である。あと、車内の塗色も黄色などの原色が使われている。当然ドアの上には電光掲示板がある。気がついたところはそれくらいである。
札幌へ向かう通勤電車で、いつもなら混んでいるはずであるが、あいにく祝日なので空いている。ロングシートなのでくわしく外を見ていなかった。それより今日の行動を考えていた。札幌へ向かうにつれちょうどよい混み具合になり札幌8時6分に到着する。
スーパー北斗6号の発車は8時31分であり、少し早いかと思いつつホームへ行くとすでに到着していた。他の北海道内の駅ならまだ、「改札前」ということになるが、札幌の場合は列車別に改札をしていないので着いたらすぐに乗ることができる。
席も余裕がある。とりあえず自分の席を確保して朝食を買う。定番となった駅弁+500mlのお茶ペットボトルである。北海道内のスーパー北斗やおおぞらなどは、始発駅停車中、テープで列車名や途中到着駅を案内している。日本語と英語が交互に出てくる。英語でいうとどうして日本の地名まで英語なまりになってしまうのが不思議である。英語で話しているのにそこだけきれいな日本語になっていたら違和感を感じるのが、それとも英語を話す人が聞き取りにくいのか、よく分からないが、たしかにアメリカの地名を現地の発音で話されると分かりにくいということはある。
ようやく時間が来て発車する。北海道内で今回乗った特急はすべてスーパーが付いているものだった。そのため、普通列車とあまりに違う列車で、別世界のように感じた。あと、最初違和感のあった振り子式にも徐々に慣れてきた。とりあえず、この列車で北海道内の特急は最後である。この列車で長万部まで行く。
市街地を高架で走り新札幌に着く。金沢と高架になった時期は同じであるし、駅の造りもよく似ている。(もちろん、ホームの数や駅の規模は違うが)しかし、高架化さえている距離は全く違う。いくつもの駅を高架で走っている。
新札幌から、昨日見た景色を見ながら南千歳着。そして、しばらく走ると沼ノ端で室蘭本線と合流するが、こちらが千歳線から室蘭本線となってしまう。そして苫小牧着。このあたりまでは札幌近郊を走っている普通列車が来ている。
苫小牧から太平洋沿いに走る。そして、登別をへて東室蘭である。室蘭行きの路線(こちらも室蘭本線)が分かれて、工業地帯の中へ消えていく。こちらは少し山の中へ入っていく。しばらくして本当に海沿いを走る。内浦湾に沿って走る。伊達紋別、洞爺を経て少し山越えをして長万部に着く。特急だとあわただしく過ぎていく。
今回は長万部で降りる。行きでも、ここで降りて乗り換えたので、併せるとスーパー北斗全区間に乗ったことにはなる。4分で接続する普通列車に乗り換える。
普通列車に乗り換える。森まではさっきのスーパー北斗と同じ線路を走るが、こちらは1両だけのワンマンカーである。
やはり同じ線でも列車によって景色が全く違ってみえる。特急だとアウトラインをつかむという感じがするが、普通列車だとゆっくり見ていくという状態である。特急でこの区間を走ったときは海沿いを駆け抜けていくという感じだったが、普通列車だとそうではなく、漁村を一つ一つ訪ねているという感じである。駅一つ一つがこのように漁村だったとは特急列車からは全く気づかなかった。網も積まれていて本当に漁村である。
漁村を訪ねながら森まで来る。ここから特急は山沿いを走るが、この列車は海沿いを走る。その海沿いの区間に乗るためにわざわざこの列車に乗り換えたのである。そうでなければ室蘭本線に乗っていた。といっても、今までの延長で漁村を訪ねているのには変わりない。そのうち、渡島沼尻あたりから、山沿いを走り出す。そして、大沼でさっき分かれた線路と合流する。ここから再び分かれることになる。こちらは特急でも上りと下りで別々の路線を走っているため、前回(6年前)と併せるとどちらも乗っていることになるのでどちらでもよい。
その分かれた線が合流する七飯から、乗客が増えてきた。そして、大中山でまた乗ってきてその次の桔梗でさらに増えた。立っている人も多い。そして五稜郭を経て函館に到着した。
行きで函館をある程度見物したので今回は改札を通らず、そのまま快速海峡号のホームへ向かうことにする。函館着13時43分で、発が14時12分であるから時間はある。
海峡号のホームへ行くと、まだ列車は到着していなかったが、乗車しようという客は多くいた。12両編成らしいので、ホームの先端の方の自由席を目指すと、まだ空いていた。禁煙席の自由席の乗車口で待つことにする。前にはほとんど先客はいなかった。
しばらくして列車が入ってくる。乗客が降りてくる。しばらくは清掃で乗車できないということ。このあたりも快速というよりも特急の扱いである。
しばらくして、まだ乗車してもよいという案内がないが、別の乗車口でもう乗車しているようなのでためらいながらも乗車する。そして、来るときとは反対側、つまり海が見える方の座席に座る。
まだ時間があるので弁当を購入する。それを食べているうちに発車した。
来るときとは違い、定期列車なので12両フル編成である。12両といっても、いつも12両というわけではなく、ドラえもんの映画を見せる「ドラえもんカー」を含めて12両なのである。来るときと同様、ドラえもんの声での案内もある。また、来るときとは違い、乗客も多い。当然、小さい子どもの絶対数も多くなるし、時間帯や曜日の関係で小さい子どもの比率も高くなっている。今の小さい子どもたちは自分たちの時よりもドラえもんに対する比重が軽いと思うのだが、やはり人気があるようで、「ドラえもんカー」へ向かったり、そこから帰ってくる家族連れで落ち着きがない。ひっきりなしに人間の往来があるのである。
12両編成となると、途中の停車駅でホームにかからないところが多く出てくる。以前はローカル線でもよくホームにかからないという案内放送があったが、最近は編成が短くなったのでそのようなことをほとんど聞かなくなっていた。ただ、この12両編成は途中までは江差線、また、途中からは津軽線というローカル線を走っているためそのようなことがおこってしまう。
津軽海峡を眺めながら列車は進んでいく。来るときは北海道らしい景色の始まりだったが、帰りとなっては本州らしさも混じっている。やはり稚内・根室あたりと比べると本州らしい景色になってしまう。
青函トンネルに入り、例によって位置表示板が作動する。この列車は吉岡海底駅に停車するため、今回はいつもと様相が違う。
真っ暗なところでスピードを落とし停車をする。海底駅見学者は専用車両に乗車するため、一般車両では特に動きはない。ただし、それと入れ替わりに乗車してくる団体があった。その団体は、どうも乗車する車両と、着席する車両が違うらしく、団体がぞろぞろと歩いていった。かなりの人数である。どうもこの列車は落ち着きがない。
それから発車して、海底の下を走り始める。やはり、後半では居眠りをしてしまう。どうもこのトンネルを完全に起きて通過するのは難しい。
本州に入り、再びローカル線を走る。そして、また津軽海峡を眺めながら走り、田園地帯を走り、町中へ入りしばらくすると青森に到着した。
青森到着は16時41分であり、特急日本海4号の青森発は19時42分である。3時間もある。それよりも、海峡号を降りて、その向かいのホームでは日本海2号が発車するところだった。この列車は金沢着が朝の3時台なので最初から乗ろうとしなかった列車である。日本海4号が金沢に着くのが朝の6時20分なので、これだけ考えても3時間の差はある。
青森駅の改札を出て、まずは銭湯へ行くことにする。この旅9回目の入浴となる。「駅前銭湯図鑑」という、便利な本があり、どこかへ行くときは持ち歩いているが、それにしたがって町中を歩き、駅から一番近い銭湯へ行く。全く普通の銭湯であり、水風呂もないのでそんなに長く入らず普通に出てくる。
それから、いったん駅へ戻り、昔の青函連絡船乗船場、いまの旧青函連絡船の八甲田丸を展示してあるところへ行く。入場料がかかるが、そろそろ閉まりそうな時間だったので、中に入らなかった。その先に、3両ほどの列車を動かないようにしてから、休憩所のようにしているところがあった。もう「営業時間」が終わっており入ってはいけなかったので、入らなかった。
そして、「青森ベイブリッジ」をゆっくりと見てみることにする。この橋は青森駅のホームの上を通っており、かなり大きい。また、夜になるとライトアップされかなり印象的だった6年前の記憶もある。
橋の下に階段の入口があった。建物のようになっていて、浮浪者や旅行者(?)が寝泊まりできそうであった。その階段を上り、建物的に3階か4階になったところで出口があった。そこは歩道になっていて、車道には車が走っていた。
その橋を向こう岸まで渡る。雨が降っていて傘をささなければならない。実際歩いてみると、少し高いところを歩いているに過ぎなかった。この橋は下から眺めるのがよいらしい。
そして、渡り終わってしばらく歩いたところで降りる。そのまま歩いていくと車にあわせた坂を下ることになるのでかなり遠くまで行かないと地上に行けない。しばらく歩くと「アスパム青森」という、三角の大きな建物があった。観光物産館であり、早い話がお土産屋である。
そこで北海道でほとんど買わなかった家へのお土産を買う。リンゴのお菓子が多い。買ったあと、今度は橋の上まで行かず、橋の下にある歩行者用の木製の橋(「青森ラブリッジ」というらしい)を歩いて駅まで戻った。
その後、駅の横のショッピングビルに入り、チャーハンとラーメンのセットを食べる。ラーメンは煮干しでだしをとっており、親しみやすいが変わった味だった。そこでのテレビのニュースによると、花見の話題をやっていた。
そして、駅まで戻る。多少時間があるが、ホームにいることにした。自由席でもないので並ぶ必要がないが、どうしても乗車位置に並びそうになってしまう。
日本海4号の青森着が19時18分で、発が19時42分である。ずいぶん停車時間が長いが、その間の作業も長い。まず、列車が到着すると、これまで函館から引っ張ってきた機関車が切り離される。その後、進行方向が変わるので今まで後ろだったところに別の機関車がつけられると思われる。一方切り離された機関車は休む間もなく、いったん単独でそのまま前進する。そして、ホームの向こうまで行き、今度は一番向こうに停まっている寝台車の所まで行く。そしてその寝台車をこちらのホームまで引っ張ってきて見事寝台車の増結ということになる。そしてようやく寝台車に乗ることができるのである。
寝台車に乗るのは6年ぶりである。その間に寝台車の状況も多少なりとも変わっているが、この列車は国鉄時代そのままである。席のシートは張り替えてあるものの、6年前どころか小学校、あるいは保育所に通っていた頃の寝台車と同じである。
客室に入った瞬間にもわっとした空気が漂っていた。普段は使われていない車両なのか、単に古くなっただけなのか、気管の弱い人なら発作を起こしかねない。
指定された寝台へ行き、寝る準備をする。キャンセル待ちで買った割に、下段を確保することができた。6,300円も払っているのだから寝なくてはならない。
歯を磨き、寝る体制を整え、検札を待つ。そして、検札を受けたところでもう寝てもよい状態となる。ただ、8時9時では寝られるはずもなく、結局、寝台を真っ暗にして、カーテンを閉めて外の景色を見る。こうすると座席車と違い、夜景を楽しむことができる。途中で来るときに乗った「白鳥」とすれ違うはずだが、それを確認できなかった。
目を覚ますと魚津あたりだった。それからウトウトしながら富山を過ぎ、高岡かあたりで完全に寝台から離れて、通路の補助席に座っていた。車掌さんが起こしに来てくれた。この列車は加賀温泉までは車内放送がないための配慮であろう。
そして、石動を過ぎ、倶利伽羅トンネルをへて、倶利伽羅・津幡を通過、金沢市内に入り森本・東金沢を通過して金沢に到着した。