JR各線を巡る旅の記録

22北海道(99年)4日目


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1999年5月2日
(急行利尻)→【滝川】4:29着、5:45発−(普通)→【新得】8:44着、8:50発−(特急スーパーおおぞら1号)→【釧路】10:51着(祖母宅宿泊)

 ※単に稚内から釧路へ行くなら札幌で乗り換えた方が楽である。しかし今回は乗っていなかった根室本線(滝川−新得間)に乗るために強行日程となった。当初はゆっくり寝るために札幌まで行き、滝川へ戻ってからこのルートをとることを考えていたが、いとこ(釧路で待ち合わせ)の日程の関係上、早く行った方が都合がよいということでこうすることにした。夜行列車内の宿泊や、5時前からの行動は久しぶりである。

●根室本線(滝川−釧路)

 急行宗谷の滝川着は4時29分であった。4時台であるがだいぶ明るい。4時台に列車を降りたのは8年前の大垣発東京行きの夜行以来である。

 これから5時45分までかなり時間がある。待合室で休んで、できれば仮眠をとれればと思う。幸いにも待合室はあいていて、誰もいない。

 朝食をここでとって調達しておかなければならない。新得では6分ほどしかなく、そこで調達できなければ釧路着10時51分まで朝食にありつけないことになる。そう思って駅前にコンビニがないか探してみる。この時間はコンビニしかやっていないと思われる。しばらく駅前をうろうろしたが、なかった。何本か道を歩けばあったと思うが、荷物が重くて、またそんなに歩きたくもなかったのであきらめることにした。あとは、歯を磨いたり、飲み物だけは調達する。JR北海道は駅のホーム・待合室の自動販売機に500mlのペットボトルの飲み物があるので重宝する。これを手に入れるにはコンビニまで行かないと行けない。今はどうか知らないが、JR東海や東日本は250mlの缶の自動販売機しか見あたらない。京都駅などは新幹線はJR東海、在来線はJR西日本なので、新幹線の所では250mlの缶しか手に入らない。その点、JR西日本などは駅のホームでも街の自動販売機並のものは入手できる。

 しばらく待合室にいると何人かのおばちゃんたちが来た。その他何人かの人たちが来て駅はにぎやかになった。こんな朝早くから何事だろうと思っていると、理由が分かった。5時12分発の特急「オホーツク10号」、つまり網走発の夜行列車に乗る人たちである。網走発では夜行列車であるが、このあたりでは早朝の列車になっているのである。たしかにその後の「ライラック2号」では、札幌着が1時間15分後になってしまうし、一番早い普通列車では札幌着1時間36分後になってしまう。札幌だけなら無理して6時30分に着く必要がないかもしれないが、その後飛行機で遠方に行くにはよい時刻なのかもしれない。さっき気づかなかったが、急行宗谷にもそういう客は何人もいたのかもしれない。

 再び待合室は静けさを取り戻した。東の方から入ってくる陽がまぶしい。結局仮眠をとることなく、5時45分発の帯広行き普通列車(ただし新得で下車する)に乗り込むこととなった。

 早朝にも関わらず、何人か乗客がいる。早朝であるが、とても明るい。この季節から夏あたりまではこのような旅は時間を有効に利用できる。

 滝川を出てしばらくは町の中を走る。それからは北海道らしいところを走っていた記憶があるが、あまり印象には残っていない。というよりも朝早かったので居眠りをしていたと思われる。

 この区間は、石勝線が開通するまでは釧路−札幌間のメインルートであったが、石勝線開通により、滝川−新得間は特急街道(?)からはずれてしまった。個人的にこの区間は、16年ほど前(小学校3年)のときに、「急行狩勝」(たしか釧路発滝川経由の札幌行きで、グリーン車もあったような気がする。現在は同名で旭川−富良野線経由−帯広の快速として運転されている。)で通ったが、もちろん外の景色の記憶はない。

 気がつくと富良野であった。ラベンダー畑等々は富良野線に乗ったときということでここでは特に意識していなかった。

 しばらくして山の中に入る。そしてダムが見え、しばらくその横を走る。このダムの建設で根室本線は路線付け替えになった。つまりこのダムに旧根室本線が沈んでいるのである。そこで、新線と旧線の分かれ目、つまり旧線がダムに沈んで行くところはないかしらと思っていたが、あるはずがなかった。水位の変化で当然変形しているはずであるし、だいいちそのようなところをほっておくはずがない。

 しばらくダムを見ながら進んでいく。そしていよいよ狩勝峠越えである。トンネルの中に入るが、確かその中か前後で石勝線と合流する。分岐駅は新得であるが、新得まではあと30分以上かかる。

 トンネルを抜けると地図でも分かるようにヘアピンカーブである。道路のヘアピンカーブはどうしても車に酔ってしまうイメージしかなく、例えば安房峠(今はトンネルで抜けることができる。高山と松本の間)の地図を見ただけで気持ちが悪くなってしまう。しかし、鉄道では連続ヘアピンカーブがあるわけでもなく、勾配もカーブも道路より緩やかであるから安心して景色を楽しむことができる。ヘアピンカーブだけあって、大きく曲がっているのが分かるし、さっき走ってきたところも分かる。ずいぶん下ってきたものだと思う。

 そうしているうちに新得に到着する。新得では6分あるので、一応駅前へ出て駅を見ておく。そして売店に戻ると、弁当があったので購入する。時刻表には駅弁の表示がないが、あるものは仕方がない。というよりもその時は見ていなかったので駅弁の表示のない駅だとは思っていなかった。弁当の名前は忘れたが、十勝平野でとれたカボチャ、野菜などの天ぷら、米等が入った弁当で、製造元は帯広になっていた。今まで食べた駅弁(ただし、時刻表に載っていないし、駅弁販売駅ではないので「駅弁」と呼べないかもしれない。)の中で一番良かったと思う。(実際食べたのは列車の中である。)

 しばらくすると特急「スーパーおおぞら1号」が入ってきた。札幌と釧路を3時間台で結んでしまう驚異の列車である。むろん、列車のみならず、線路の改良も行われている。釧路で待ち合わせをしているいとこの話によると、オートマチック車らしいが、そのあたりはよく分からない。ただ、スーパー北斗と同じように、気動車という感じがしない。サンダーバードと変わらない。また、これもスーパー北斗と同じだが、カーブでは不自然に内側に傾く。

 山を抜けると十勝平野を走る。弁当の中身がとれた平野である。北海道らしい景色が続く。

 そして、町の中を走り、高架上を走って帯広に着く。高架駅で、なんとなく佐賀駅に似ている。士幌線と広尾線の跡は、駅そのものが変わってしまったのと、町中であるため確認できなかった。それからしばらく走り、ワイン城が見えて池田に着く。北海道で唯一第三セクターとして生き残った池北線(北海道ちほく高原鉄道)がある。本州などは結局廃止されても第三セクターとして生き残った路線が多かったが、北海道はほとんどなくなってしまった。

 しばらくして、浦幌をすぎて海沿いを走る。隣を走っている国道38号線はなぜか混んでいた。

 また、しばらくすると10時51分、釧路に到着した。

(ここから翌朝上尾幌発8時43分までの記述は省略させていただきます。)


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