JR各線を巡る旅の記録

41 最後に首都圏その1 2日目 要約


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2日目(2002年9月22日)
 【桶川】7:27発−(普通)→【上野】8:10着、8:27発−(普通)→【我孫子】9:03着、9:15発−(普通)→【成田】9:58着、10:27発−(快速)→【成田空港】10:39着、11:00発−(普通)→【佐倉】11:25着、11:49発−(普通)→【成東】12:17着、12:37発−(普通)→【大網】12:51着、13:00発−(普通)→【蘇我】13:19着、13:26発−(普通)→【南船橋】13:46着、14:07発−(普通)→【西船橋】14:13着、14:15発−(普通)→【新浦安】14:24着、14:40発−(普通)→【府中本町】16:04着、16:07発−(普通)→【立川】16:18頃着、16:20発−(普通)→【八王子】16:35着、17:05発−(普通)→【高麗川】17:51着、18:11発−(普通)→【川越】18:32着、18:34発−(普通)→【大宮】18:54着、19:02発−(普通)→【桶川】19:17着

 ということで、この日乗った区間の多くが、「新規乗車」となってしまう日。結構面白い路線も多かった。

●桶川−上野(高崎線・大宮線)

 いつものように、朝、早めに起きて風呂に入る。そうして、精算をし、昨日歩いた道を戻る。やはり町の中にある健康ランドというのは楽である。

 途中、朝食をコンビニで買い、食べずに列車へ。だんだんと建物が高くなってきて、大宮。その後、さいたま新都心。こういう形になって、明るいうちにここを通るのは初めてである。赤羽から、昨年、実は初めて乗ったという尾久経由の東北本線。車両区が広がっていて、何となく尾久駅は独特な雰囲気だった。そうして、再び、「京浜東北線」の列車が見えるようになってきて、しばらくすると上野に到着する。到着して、ホームを歩くが、長い編成の列車がどんどん入ってくる。本当に東京に来たという感じがした。

●上野−我孫子(常磐線)

 「快速列車」という、緑色の電車に乗ってもよかったのだが、せっかくなので、「快速列車」よりも停車駅の少ない「普通列車」というものに乗ることにする。おかげで、クロスシートのある車両。何となく今回、クロスシートにあたる確率が高い。それにしても、塗色はともかく、中身をみると、姫路−岡山間を3両で走っている列車と大差ないのだが、編成の長いこと…。(注:交直流とかそういう違いは分かっています。)

 上野を出て市街地。日暮里で乗客が多く乗る。若いアベックが「田舎席に座ろう」と言ってクロスシートに座る。「田舎席」というらしい。カーブして東北本線から別れる。線路名称的には、この後、岩沼で再びこの路線は合流するのだが、常磐線はともかく、東北本線に関しては私の頭の中でこの日暮里−岩沼間は繋がっていない。

 ビルや住宅・マンションの間を縫うように走っていく。北千住を過ぎ、さらにビルを抜け、江戸川を渡る。その後は住宅中心だが畑も混じり出す。ビルが増え松戸。時々畑が混じるが基本的に住宅地。少しだけ山が混じる。そうして市街地になり柏。住宅地を見ながら、また市街地になり、我孫子に到着する。

●我孫子−成田(成田線)

 ホームに駅員も多く、何となくそわそわした感じのする我孫子駅。成田線は常磐線で走っているものと同じ、緑色のロングシート車だった。

 我孫子を出て、住宅地が続くが、少し畑が混じる。その後は、住宅地と畑が混じる。今までの忙しそうな路線ではなく、落ち着く感じがする。木下を過ぎ、畑と住宅から、少し山が混じり、そして水田も広がる。下総松崎を過ぎてから、少し山を越え、水田と住宅。前方に町が見え、その中に入っていき、成田に到着する。

●成田−成田空港−佐倉(成田線)

 成田駅で少し時間があるので、外へ出る。駅前を少しウロウロし、もう少し遠くへ行ってみる。空港の町、というイメージが強かったが、駅前を歩いてみると、成田山のお膝元、という印象が強くなった。

 列車を待っていると、長い編成の列車が入ってくる。乗客もほとんど降りてしまっている。この形の列車は、どちらかの端の方へ行くとクロスシート、ということを知っていたので、とりあえず、クロスシート車へ行く。この椅子の堅さには慣れない。

 堀割を抜け、成田の町を迂回するようにして走る。佐原方面へ行く線路と別れ、近づいてきた高架に登っていく。新幹線として設計されていたこともあり、それを在来線として活用している、ということで、登っていって高架に入る様子が、何となく高速道路のインターチェンジから、本線に入っていく様子に似ていた。

 その後は、高架を快走していく。トンネルと山を繰り返して、そのうち地下に入り、空港第二ビルを経て成田空港に到着する。

 一旦降りて、改札を通る。外に出るのは面倒だと言うことを聞いていたが、実は改札を出ると、どうしても検問を通らなければならない造りである。単にここで戻ればよいのだが、改札を通ってしまった以上は、検問を通らなければならない。といっても、愛想の良い警備員。「ご出発ですか」と。「いえ、ここで帰ります」と。運転免許証を見て、「わざわざ遠いところから…」と。ところで、住所地の「石川県」と、本籍地(今は変更したが、免許証の上では古いまま)の「長崎県」、どちらを見て、「遠い」と言ったのやら…。

 そのまま上に上がるのも面倒だったので、検問を出たところで文字通りUターン。入り口の改札を通り、同じ列車に乗る。何となく改札の雰囲気、JR難波駅に似ている。

 同じ線路を戻り、成田へ。そのまま乗換なしで、先へ進む。住宅地に畑が混じり、少し山を越え、酒々井。そして、山の中に入り、低い山との間に田が広がる。住宅がほとんどない。総武本線と合流し、しばらく併走した後、住宅が増え佐倉に着く。

●佐倉−成東(総武本線)

 橋上駅の佐倉駅を少しウロウロした後、ホームへ。列車が入ってきて乗る。さっきと同じところを通る。本当に首都圏なのかと思うくらい、長閑なところである。ちょっと慌ただしいところを通るであろうと覚悟してきたのだが、かえって和やかなところを通っている。成田線と別れ、少し山へ。その後は、水田中心。榎戸を過ぎ、住宅が増えてきて、八街。再び、少し山になる。茶畑も混じる。住宅が増え、町になってきて成東に着く。少し時間があるので駅の外に出てみる。

●成東−大網(東金線)

 我孫子以来、ずっと未乗区間の「新規乗車」が続いているが、さらに続く。しかも、首都圏にいるにもかかわらず、和やかなところがさらに続く。

 成東を出て、すぐに総武本線と別れ、水田と住宅、そして林が中心となる。所々、住宅が密集していたり、水田が広がったりする。東金は線名になったところでもあり、その前後は市街地であった。再び水田と住宅が中心であるが、外房線が近づいてきたと思ったら合流することなく、中途半端なところで大網に到着。外房線から(へ)の直通列車でない限り、合流するということにはならないようである。

●大網−蘇我(外房線)

 鹿児島本線の直方駅を何となく思い出してしまう構内であるが、とりあえず連絡通路のようなところを通り、外房線のホームへ。ホームが長い。その長いホームにたくさんの人がいる。ようやく、首都圏にいることを思い出した。

 大網を出て、盛り土の上を水田を見下ろしつつ山へ入りトンネルへ。山を抜けたところで土気。発車してすぐに町になる。その後は住宅地と畑。町になってきて蘇我に到着する。

●蘇我−南船橋−西船橋−市川塩浜−新浦安(京葉線)

 蘇我駅は去年も訪れている。ということでそのまま乗り換えるだけとした。京葉線の、銀色と赤色の列車に乗る。発車を待っていると、小さな子供が、その親に対してダダをこねていた。どうやら、こちらの電車ではなく、向かいに停まっている青色の電車に乗りたいらしい。あっちの方が速そうということ。私としては銀色の方が速そうなイメージがあるのだが…。どうやら、最近の子は銀色の電車に見飽きて、青色とかの方が新鮮に映るらしい。ちなみに、石川県内のJR線には、銀色の電車は走っていない…。

 昨年も詳しく見ているので、ここから南船橋までの景色に関しては省略するが、見ていて楽しい路線であることには違いない。

 そうして、昨年乗ろうとして乗れなかった、南船橋−西船橋−市川塩浜の「三角形」のうち二辺を乗ることとする。

 南船橋で少し時間がある。昼食として冷やしうどん。暖かいものだと、うどんなら関西と関東のだしを選べるらしい。冷やしなので関係なかったが、私なら迷わず関西にしていた。「関東と関西どちらになさいますか?」という問いかけで、ある人が「どうちがうんですか」と。「関東がしょうゆ味で、関西が塩味です」と。「じゃーしょうゆ味の方」。ラーメンであるまいし、この説明もどうかと思うが、場所と的確さを考えると、そういう結論になってきたのだろう。まあ、実際に店員としてそこで働いているわけでもないので、文句は言わないこととする。

 そうして、しばらく待つ。Webサイトの掲示板に書き込みをする。ここでの書き込みが、この後の動きを若干、左右することになるのだった。武蔵野線の列車で、一旦西船橋へ。高速道路をオーバークロスするのが大変面白かった。西船橋に着くと、すでに市川塩浜方面の東京へいく列車が来ていた。階段を下り隣のホームへ。この駅、着いたらすぐに発車するという形でもないようで、とりあえず間に合った。再び高速道路を上から眺め、市川塩浜へ。降りようと思ったが、時間もあるようなので、新浦安まで行ってしまうことにする。

●新浦安−府中本町(京葉線・武蔵野線)

 さっき通ったところを戻り、市川塩浜から三度、高速道路を上から眺める。今回、高速道路を眺める機会が多かったが、実はこことは違う場所で、高速道路をオーバークロスしているところが今回のルートにある。北越急行である。

 余談はおいといて、さっきも通った西船橋を過ぎ、住宅地が多いが、それよりも堀割・山という景色が目立つ。段差のあるところに住宅、その中を掘って線路を引いたようである。もともと貨物線であることもあり、そういう特徴もあるようである。

 ホームも何となく特徴があり、どちらかというと、大阪環状線に近い。そういう雰囲気のある駅が続く。新松戸を過ぎると山や堀割がなくなり、住宅と団地が続く。三郷を過ぎると、貨物線の跡が広がり、反対側の線路との間に広い草地が多くなる。「三郷」を「みさと」と読むというのは、今回初めて知った。富山地方鉄道に「越中三郷」(えっちゅうさんごう)という駅があり、ずっと「さんごう」と読むと思っていた。

 吉川あたりでも貨物駅が広がり、南越谷付近で水田・畑の混じる住宅地。そのうち、ビルも増えてくる。ビルが増えたところで、東北本線・埼京線などと交差する。

 その後は市街地を通るが、トンネルも多くなる。と、このあたりで、Webサイト上、あるいはオフ会のようなものでお世話になっている「野洲さん」からメールが入る。どうも、南船橋にいる書き込みを見て、近くならば…、ということ。といっても私、船橋どころか、今は東京都心からもどんどん離れている。とりあえず、景色を見つつ、メールに返信して、ということを続けていた。

 新座を過ぎて貨物駅が広がる。東所沢から堀割、そしてトンネルが多くなる。かと思ったら、西国分寺あたりでは市街地。結構面白い路線である。

 そうして府中本町に到着。ここで、とりあえず南武線に乗り換える。

●府中本町−立川−八王子−高麗川−川越−大宮−桶川(南武線・中央本線・八高線・川越線・高崎線)

 府中本町から、住宅地を走る。畑も所々混じるが、基本的に住宅地のまま、立川へ。

 そしてここから、どういうルートをとるか迷ったが、一旦八王子へ。本当は時間があったら、このまま八高線で高崎まで出て、沼田あたりで宿泊、と思っていたのだが、もう暗くなる。野洲さんとは大宮で待ち合わせ、ということにして、ここから八高線・川越線経由で大宮まで行くこととした。しかし、なぜかこの駅で、待ち時間ができてしまった。さっき、中央本線でこの駅に到着するとき、八高線の列車がちょうど発車するところだったのであった。

 しばらく待ち、高麗川行きに乗る。住宅地の中を走り、拝島へ。その後だんだん暗くなってきて、そのうち外が見えなくなる。そうして高麗川に着く。ちょっと外へ出て、ホームへ。向かいには高崎行きの気動車が停まっているが、これに乗ったところで、景色がよいとされている路線を、真っ暗なところで乗らなければならなくなる。というか、今から川越線を乗るわけであるが、この路線も真っ暗なときに乗る羽目になってしまった。まあ、後でゆっくり乗ることにしよう。

 川越線を暗い中、進んでいく。ロングシートの座席がちょうど埋まる程度。停まる駅もさほど大きくなさそうである。そうして、川越。意外と大きそうな駅である。結局、ここで野洲さんと合流する。そうして、そのまま、すぐある列車に乗る。乗車率はかなり高い。座ることなく大宮に着く。

 さて、ここから。そろそろ私も今夜の宿を気にしなければならない時間。結局お会いしたのに、どうしようということになるのだが、もう、ここまで来たら、昨日泊まった健康ランドが近いことに気づく。しかも、この健康ランド、4時間など、短時間ならスーパー銭湯のような値段になるという料金体系。結局、それを利用して、野洲さんを巻き込んでしまうことにした。

 桶川駅で、少し待っているとその健康ランドへ行く無料バスも出るところであったし、雨も降っているのでそれで行くことにする。ちょっと入浴した後、夕食。昨日は一人でビールを飲むのも…、と思っていたのだが、今日は話し相手もいるし、まあ、相手が飲む人であろうがなかろうが、一人で寂しく飲むのとは違う。ということで、生ビル大を飲んでしまった。

 しばらくロビーで話をした後、時間も時間であるので、ここでお別れ。私は昨日に引き続き、カプセルルームで寝ることとなった。


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