JR各線を巡る旅の記録

29 東北沿岸部 1日目


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1日目・2000年8月13日
【金沢】5:35発−(石動まで快速、その後は普通)→【富山】6:27着、6:30発−(普通)→【直江津】8:36着、9:13発−(普通)→【長岡】10:49着、11:23発−(普通)→【新津】12:05着、12:20発−(普通)→【新発田】12:53着、12:57発−(普通)→【村上】13:33着、13:41発−(普通)→【酒田】16:02着、17:10発−(普通)→【秋田】18:56着、19:44発−(普通)→【森岳】20:37着
 「普通列車でどこまで行けるか」の実践になりつつある最近の旅。今回は北の限界を目指す。そのまま乗っていたら限界の大館まで行くことができるが、翌日の乗り換えと宿(健康ランド)の関係上、森岳まで。今回もそれほど苦痛にならなかった。

●金沢−直江津(北陸本線)

 今回も、1年弱前の「飯山線」同様、金沢5:35発の普通列車での出発となった。その時にも書いたが、この列車には2回乗り遅れていた。今回はどうなるかと思ったが、きちんと目が覚め、余裕を持って家を出ることが出来た。自転車がパンクしない限り間に合う。

 何度も書いているが、金沢駅の自転車置場が開くのは6時である。そのため、少し離れたところに停めなくてはならない。一旦、高架の下を通り、東口(表)に出る。バス乗り場ではこの時間にもかかわらず、列が出来ていた。どこかへ行く高速バスらしいが、今から東京にでも行くのだろうかと思っていた。自転車を置いて、再びそこを通ると、白山へ行くバスであった。どおりで、客層がよく分からないものであった。

 駅の中にあるコンビニで朝食を買う。どういう訳か混んでいる。よく見るとまだ営業開始時刻ではない。それなのに混んでいる。改札の前も同様である。この1時間弱後の6時26分発長浜行きの普通列車でかつてよく通学をしていたが、その時はもっとひっそりとしていた。時期が時期だけに仕方がない。

 昨日買った「青春18きっぷ」に日付を押してもらい、ホームへ。今回から普通列車の「方面案内」を意識することにしたため、少し忙しい。そうしているうちに発車する。

 特にこの区間については変わったことがない。津幡駅と石動駅のホームにうどん・そば屋さんがあったということにはじめて気が付いたぐらいで、特に変わったことがなく高岡をすぎる。やはりこの駅の発車メロディーは「金沢支社標準曲」になっていた。富山駅も同様で、昔の曲ではなかった。

 黒部駅で特急「はくたか」が追い越していく。その時にすれ違った普通列車に電光掲示板のような行先表示器が付いていた。まだ使われてはいないようである。4月ぐらいにNIFTYのフォーラムで話題になっていたが、実物は初めてみた。ということは、この旧急行列車のこの車両はこの後何年も使うということである。乗ると落ち着く列車でありうれしい限りであるが、全国的には岡山・広島・北陸は普通列車に新車が入らないということでかなり同情されている地区でもある。

 越中宮崎をすぎて、しばらくして境川を渡る。その時の山側の景色は結構好きなのだが、夏の晴れた日はさほど面白い景色ではないということに気づいた。雨の日や霧の日、冬などが結構よいらしい。その後は親不知あたりも例によって山側を眺めて、直江津に着く。

●直江津−新津(信越本線)

 前回、直江津駅での乗換で、多少時間があり、その間に高田まで行くと乗るべき列車に楽に座ることができる、ということに後から気づいた。ということで今回は一旦高田まで行こうと決めていた。しかし、兼ねてから工事中であったこの直江津駅であるが、どうやら橋上駅舎が完成したらしい。これは見ておかねばならない。ということで今回は前回の教訓を生かさず、直江津駅で時間を過ごすことにした。

 この駅はJR東日本の駅である。しかし、国鉄時代からさほど手を加えていないし、JR東日本新潟支社が行っている線区別の統一色のため、ホームや架線の支柱の一部が水色であった。ということから何となくJR西日本の駅のような感じがして、親しみのある駅であった。ところが、新しくできた橋上駅に向かって跨線橋を上ったあたりからこの「親しみ」が消えてきた。いかにもJR東日本の駅です!という感じの造り・配色であった。そう思うとすべてがそのように見えてくる。エスカレータ、跨線橋の窓が大きな丸い窓であること、改札内でないとトイレがないということ等々。

 それはそうと、少し見て回る。駅前広場から駅までの上り階段の脇にエスカレータがある。途中、段状ではなく平面(歩く歩道のようなもの)になっている部分があり、気を付けるようにという音声がある。変わった造りである。駅前はさほど変わっていない。これはお約束であろう。再び登り、駅の方へ。エレベータもある。そして「自転車は押してください」という案内もある。この橋上駅の跨線橋は自転車も通行できるらしい。ただし、エレベータを使わなければならない仕組みとなっている。このあたりはレンタサイクルとの兼ね合いもあるようである。

 裏口の「北口」はどうにか広場を造りました、という感じで、発展は今からという感じであった。基本的に線路のある部分はさほど手を加えていないため、北口へ行くには距離がある。同様にホームへ戻ったが、これは今までどおりであった。北陸本線美川駅もそうであるが、橋上駅の場合、ホームは全く今までどおりというパターンが多い。ただし、今回からこの駅に自動放送が登場している。新潟地区としては珍しい。

 そして列車が来る。工事が完成したため、前回と停車位置が違っていた。跨線橋への階段より前にも停まるようである。ここから先は宮内まで何度か乗っているため、特に詳しくは見ない。柿崎と米山の間で佐渡島がきれいに見えていた。また、笠島・鯨波のあたりでは海水浴客が多くいた。柏崎からは内陸部に入り、山越えをしてしばらくすると宮内へ。宮内から、団地・住宅が続き市街地になってくる。そして広い貨物駅が広がるが、不要になったような土地も広がっている。新幹線が合流してきて長岡に到着する。

 長岡で時間があるのははじめてである。駅舎の前へ出て、駅を眺めた後、駅の中を歩く。かつての北陸方面新幹線乗換駅であり、町の規模もそこそこあるため駅舎は広い。二階がコンコースで、三階が新幹線、一階が在来線である。よくある形である。うどん屋さんも少し広いものがあった。最近自分の中でブームになっている冷やしうどんを食べる。見ていると「うどんvsそば」という読み物が貼ってあった。栄養のあるのがそばで、カロリーの高いのがうどんらしい。

 しばらくして、列車に乗る。どうもさっき乗ってきた列車そのものらしい。進行方向窓側の席に座ることが出来たが、すぐに中年夫婦が隣に乗ってきた。きれいな標準語をしゃべる人々であった。

 長岡を出て、市街地から住宅地、そして水田へと変わってくる。水田になったところで北長岡を通過。基本的に右側は水田が広がっているが左側には住宅地が混じっている。新幹線も並行している。そういうところで集落があり押切を通過。そのあと町になってくる。町と言っても住宅が多い。その中で見附に停車。そのあとは水田の中を走り、住宅があって帯織を通過。水田の広がっているところで東光寺を通過。住宅が増えてきて三条。住宅地から市街地になってきて町の中で東三条。弥彦線の分岐駅だけあって、こちらの方がにぎやかである。そのあとは右側に山が迫ってきて、左側は水田が広がり保内を通過。そのあと、町になってきて加茂に停車。その後はときどき起伏のあるところを走っていた。古津を通過して家が増え町になってきて新津に停車する。隣に非冷房の古い気動車が停まっていた。これに乗り換えることができるのかと思っていたが、新型の気動車であった。

●新津−秋田(羽越本線)

 今から乗る新津−新発田間は、今まで何度か乗ることを試みてきたがなかなか乗ることができなかった区間である。どうしても遠回りである新潟方面白新線経由の方が接続できる、というパターンであり、何度かここで羽越本線が別れていくのを恨めしく眺めていた。深夜に寝台車で通過したことが何度かあったが、これは自分のルール上「乗りつぶし」としていない。ということであったが、どうやらダイヤの改善があったらしく、割とこの区間が乗りやすくなったようである。今回も、新潟方面白新線経由よりもこちらの方が早く新発田以遠に行くことができるようであった。ようやく今回、この区間に乗ることができる。

 車両は2両の新型気動車で、ワンマンである。どういう訳かこの区間は気動車が多い。新津を出て信越本線と別れる。何度も恨めしく眺めてきた線路の上を通っているのである。そして住宅地を走る。気が付くと盛土の上を走っていて、住宅地を見下ろしている。そして新潟県のもう一つの大河、阿賀野川を渡る。この川は磐越西線からたっぷりと見ることができるが、残念ながら喜多方−新津間に乗ったときは夜間であった。いずれ乗らなくてはならない。今日はどの川も濁っている。さっき渡った信濃川もそうであった。河川敷に畑や水田が広がっている。その上に鉄橋があり、そこを走っているので異様であった。田畑の上空を飛んでいるようである。鉄橋を渡ったあとは右側が水田、左側が工場であったが住宅地になり京ヶ瀬。跨線橋のある駅だが、ローカル駅の感じがする。その後は水田が広がる。集落が所々にある。という文を今まで何度となく書いてきているが、このあたりの「水田の広がり」は、今まで見てきた広がりとは違う。すごい規模で広がっている。住宅が広がり、町になってきて水原。やや大きい駅で多くの人が降りる。町を抜け左から先に水田となって、続いて右側が水田になる。集落があり神山。農協関係の倉庫や「ライスセンター」がある。小さな待合室のあるだけの駅である。その後は水田が広がる。少しだけニュータウンが造成中のようである。右側は水田が広がり、左側は集落がある。その中で月岡。小さい駅だが5〜6人降りていった。そしてまた水田の中を走る。左側に少し低い山が迫る。集落があり中浦。すれ違い設備は撤去されていた。跨線橋もあったが駅の表と裏の自由通路として利用されているようである。そしてこの後は基本的に水田の中であるが山が迫ってきたためときどき林が混じっている。その林が消えて水田が広がったが、町の中に入っていって新発田に到着する。

 新発田駅では地下道を渡る。まだ乗るべき列車は来ていないようであった。確か同時刻に到着するのだが、定刻運転でも最大45秒の差はある。まあ、多少遅れているのかも知れない。入ってきた列車はロングシート車であった。新潟方面でも区間を絞ってロングシート車が走っている。加速がよいのはいいが、どうしても外を見ることが難しい。

 新津を出て住宅地を通り加治川を渡り水田が広がる。右側は山が近づいている。集落があり加治。そして水田が広がるが右側は山。国道7号線が並行している。少し町になり金塚。しばらく水田の中を走る。そして左側は水田と建物が混じるが右側は町になってくる。貨物駅の広い中条に着く。しばらく町が続き、材木工場や鋼工場がある。胎内川を渡り水田が広がる。平木田をすぎて少し林も混じるが水田が広がる。そして坂町。多くの人が降りて米坂線に乗り換えていく。結果的に帰りは米坂線を通ることになったがこれはまた7日目のところで。町を抜け水田。荒川を渡り再び水田。そして平林。すれ違う列車はロングシートであるのに2両ワンマンである。最近は本線でも当たり前のようにワンマン車が走っている。水田があったが町になってきて岩船町。水田が広がり、山に入りかけたがそうではなく町になってきて村上に到着する。

 村上は富山で言うと泊のような駅で、平野部に別れを告げる駅である。そしてそれ以降は山が海まで来ているところをようやく通っている、という感じになる。泊の場合は乗換がなくさっと通過してしまうが、村上の場合は多くの場合乗換になる。しかも気動車である。電源が直流から交流になるため、その区間を通るには交直流用電車を走らせなくてはならない。しかし、お金がかかるということからか、幸いにも村上−酒田間はクロスシートの気動車に乗る機会が多い。その前後はロングシート車であるのに。これもいつまで続くのだろうか。

 この区間を乗るのは夜行列車を含めなければ3回目である。いずれも北海道へ行くときで、1回目は普通列車で、しかも今回と同じ気動車であった。2回目は特急白鳥でさっと通った感じであったが、日本海に沈む夕日を見ながら夕食(車販の弁当)を食べるという楽しみがあった。いずれも海側の座席に座っている。そこで今回は気分を変えて山側に座ってみようと思う、と書けば格好がよいが、実際は座席争奪戦に敗れただけであった。しかも、漫画の本が置いてあったのでここには座ってはいけないのだな、と思ったのだが、単に折り返し列車の乗客の忘れ物だったらしい。その後にそこに別の団体が座った。そこで座っておけばよかったと思う。まあ、2回ともきちんと外を見ているので今回は山側でもよいかも知れない。特に複線と単線の入り乱れる区間で、しかも無理やり付け足して複線にしているので、その反対側の線路を見るのも面白いかも知れない。乗った気動車は非冷房車であった。窓を全開にすることができる。今回はこれ以降、非冷房の気動車に何回か乗ることになる。

 村上を出ると三面川を渡り、そして海沿いを走る。さっきの水田と全く景色が変わってしまう。右側のボックス席にはオバチャンの団体がいる。さっきまでお菓子を食べたりして、外の景色などには全くお構いなしだったが、海が見えた瞬間に外の景色に釘付けになっていた。ただしそれも長くは持たず、しばらくして全員居眠りをしていた。次の間島に着く頃には完全に海沿いの路線になってしまっている。ここまでが複線。前2回ここを通ったときは5月で、その時はこのあたりは寂しい漁村という感じであったが、今回は海水浴シーズンでとても賑わっている。越後早川をすぎて複線になり、海と反対側には、段状になった田・畑もある。海側の景色で、海まで岩が張り出していたら山側も岩である、というように対応しているのが面白い。海側が砂浜があり余裕のあるところは、山側は田・畑、あるいは木のある山であるのに、岩が張り出しているところは木のない山で草だけがようやく生えているという状態である。たまにこの「笹川流れ」のあたりも、山側を見てみるのも面白いかも知れない。トンネルをいくつもぬけながら桑川で単線となり、今川、越後寒川と過ぎていく。越後寒川を過ぎると複線となり、線路が並んでいる。特急「いなほ」とすれ違う。トンネルを抜けると、今まで並んでいた線が別れて、反対側の線が山の中に入ってしまう。用地の関係でこのあたりは複線であっても単線のようなところが多い。トンネルを抜け、久しぶりに少し町らしくなり勝木。単線になる。新しいトンネルが見えるが塞がれている。いずれここも複線になるのであろう。しばらくして広いところに出る。材木などがおいてある。勝木よりも町らしいところに出てきて府屋。

 府屋を出ると複線になる。山と山の間に住宅がある。なだらかな山である。と思って反対側に目をやると思った通り砂浜であった。反対側の線がこちらよりも高いところを通り、トンネルに入ることもある。家が増えてくる。海側を見ると、海が太陽の光を反射していて、きれいに光っている。そうして鼠ヶ関。山形県に入った。このあたりの水田には稲刈りの後のはざかけのために使うのだと思うが、何本も木が立っている。立派な木ではなく、どちらかというと枯れた木に近い。どうも、「あの世」という感じがする景色である。次の小岩川から単線になる。勝木を過ぎたときと同じように新しいトンネルが造られているようである。急カーブで谷に入る。窓が開いているため、強い風が入ってくる。トンネルを抜け、川を渡る。やはり強い風が入る。建物が増えてきて、あつみ温泉。1年数ヶ月前にここを特急で通ったときは小さな駅というイメージであったが、普通列車で来ると大きな駅である。

 あつみ温泉を出ると、複線になる。海側に建物が多いが、そのうち岩場とトンネルを繰り返す。そして五十川。前方に山が迫り、思った通りトンネルに入る。冷たい空気が入ってくる。ときどき海が見えるがトンネルの多いところである。そして小波渡。高いところから海を見下ろし、トンネルへ。トンネルを2つほど通ると住宅がある。海沿いから内陸部へと、ルートを変えるところである。そうして三瀬。住宅地であったが、水田になり山へと変わる。トンネルを抜けて勾配を下り、庄内平野が見えてくる。そこへ向けてさらに降りていく。さっきまで見下ろしていた水田と同じ高さになり羽前水沢。駅の裏には化学工場がある。その後は両側に水田の広がるよい景色になる。川を渡り、住宅が増えてきて羽前大山。ここから単線になる。右側には月山他出羽三山が見える。ということを言っていたのが先ほどの右側の席にいるオバチャンの団体で、いつの間にか目を覚まして、出羽三山を眺めているようだった。水田が広がりそのうち山形自動車道がオーバークロスしていく。さらに水田の中を走っていたが、建物が増えてきて市街地になってきた。そして鶴岡。久しぶりにデパートなどの建物を見ることができた。

 鶴岡から多く乗客が乗ってくる。町からだんだんと水田・畑になってくる。赤川という川を渡る。名前の通り、一般的な川よりも若干、粘土などの関係で赤い。家が増えてきて藤島。水田が広がる。左側にコンクリート工場、農家などがあったが、そのうちに両側が水田になる。住宅が現れてきて西袋。水田が広がる。風が強くて稲穂が揺れている。「稲穂の波」という言葉や曲があるが、まさしくその通りである。波のようになってこちらに押し寄せてくるようである。住宅が増えて町になり余目。この駅の駅名板であるが、隣の駅名の表示で「にしぶくろ」「みなみの」、これは羽越本線と陸羽西線なのでよい。しかし反対側。「きたあまるめ」「さごし」。これは同じ方向の駅である。それに気づくまで、自分の知らない線があったのかと思ったが、時刻表を見てようやく納得できた。

 余目を出て、市街地から水田へと景色は変わる。あまり住宅が増えずに北余目。水田の中を走り最上川を渡る。さらに水田の中を走るが、町になってきて砂越。右側が水田、左側が農家などが見える。あまり住宅が増えずに東酒田。そして建物が増えてきて、町になる。このあたりの住宅はトタン屋根と瓦屋根の両方あるようである。そして市街地になって酒田に到着する。

 酒田で52分も待ち時間がある。このあたりをもう少し改善していただければ普通列車で金沢から青森まで日着が可能になるのである。とりあえず、一度降りている駅であるが、外へ出てみる。中規模の市街地で、特に大きく変わったことはない。まっすぐ商店街を歩き、適当なところで引き返す。駅前に戻ってきたところで右に曲がる。ダイエーだったかのデパートのそばにバスターミナルがあるようである。という景色を記憶していたのだが、帰ってきてこの景色はどこの駅だったか、思い出せなくなっていた。降りた駅を思い出してみて、それと待ち時間、そして地図と照合してみてここであったと思い出したのだが、こういうように適当に駅前を歩くということだけで時間をつぶすと、印象が薄くなる。5月に行った宮崎県の都城駅前と少しごっちゃになっている節がある。

 少し早めにホームへ行くことにする。早めに行くと言ってもどうせ、ロングシート車なのだから、ボックス席の進行方向窓側、海側、ということをねらう必要もない。座ることができればそれでよいのである。そういうことで、ロングシートはよけいな気を使わなくても済むのかも知れない。ホームで待っていると、到着メロディーが流れてきた。JR東日本では珍しい。そして、思った通りロングシート車が入ってきた。これは、客車列車の置き換えとして、突然ロングシート車になったもので、落差は大きい。中に入ってみると「価格半分・寿命半分」ということがよく伺い知れる造りである。トイレなどに入ってみても分かるが、天井・壁、外等、いろいろなところが「きゃしゃ」なのである。ただし、この電車化によって、普通列車での移動可能距離が伸びたということは事実である。

 連結部に近い、3人掛けのところに座る。今回気づいたのだが、この場所なら割とくつろげるのである。絶対的に対面する人も少ないし、壁にへばりつくように座れば、身を置くこともできるし、片側にしか人が来ない。そのまま隣2席が空けば、身を横にして景色を見ることができるし、仮にそうならなくても、向かい側の窓、ドアから景色が見える。ということで、今回しばらくこの形の列車をよく利用することになるのだが、極力連結部の近くに座ることにした。

 酒田を出ると貨物線と別れる。市街地から水田へと変わってくる。水田の中で本楯。駅の裏は水田で、送電線もある。海の方にも低い山があり、その向こうにも送電線がある。そして、水田の中を走る。水田に沿って防音壁の壁のない、支柱だけのようなものがある。おそらくこれは稲刈りの後のはざかけであろう。近代的になったものである。仮にそうだとすれば、乾燥機を使ってはざかけを省略するのではなく、稲を干すこと自体近代化したということで、面白い方向である。川を渡り、水田の中を走る。メモをしていると、この列車がかなり揺れているということが分かる。それだけスピードが出ている。そうして南鳥海。右前方にきれいな形をした山が見える。それが鳥海山である。頂上には雲の塊が見える。水田の中を走り少し町になり遊佐。水田が広がっていたが、低い山に挟まれるようになる。鳥海山は後ろに見える。その中で吹浦。この駅は見覚えがある。以前、急行「きたぐに」、普通列車、急行「よねしろ」、特急「たざわ」等を乗り換えて北海道へ行った際、この区間は客車列車で通った。その時、ここでかなり停車時間があった。気が付くと特急列車だけでなく、貨物列車にさえこの駅で追い抜かれていたのである。当時の時刻表からこの駅のその時の停車時間を推定してみると25分。今回はさっと通り過ぎてしまう。客車列車から電車になって、旅情がなくなったとはいえ、運送改善にはかなり貢献しているのである。

 吹浦からかなり海に近づいたようである。小さな船が見える。そしてトンネル。それを抜けると海に出る。岩場である。夕日にはまだ早い時間帯である。林の中に狭いホームがあり女鹿。その後は高いところから海を見下ろしたり、山の中に入ったり、ということを繰り返す。その中で山形県から秋田県に入ったようである。小砂川を過ぎても同じようであった。そして砂浜を見下ろして下っていく。その途中の林の中で上浜。そこを過ぎて少し内陸に入る。少しだけ海と離れて走ることになる。少し建物が増えて象潟。前はここでも長時間停まったため、駅前に出た記憶があるが、今日はさっと発車してしまう。

 象潟を出て、道路・林を挟んで金浦。そして、少し内陸に入り田と森の中を走る。工場と家が増え仁賀保。海と少し離れて走る。海を見下ろすところの松林の中を走ったが、山の中へ入る。そこを抜け住宅と松の中を走り、建物が増え西目。住宅が増える。建物が増え羽後本荘。

 羽後本荘を出ると住宅地から水田になる。海との間に山があるようである。そして羽後岩谷。町が立てたようなきれいな駅舎である。水田から山の中になりトンネルへ。抜けると山の中で折渡。木の板でできた狭いホームである。と書くと、何となくローカル線の趣があるが、このあたりの普通列車は、編成が短くてこの羽後本荘−秋田間はあまり座ることができないようである。その後は田の広がるやや広い谷を通り羽後亀田。そして再び海沿いに出る。ようやく夕日の時間のようである。もうすぐ海に沈みそうな太陽が見える。ときどき松林にじゃまをされるが、その隙間から、断続的に夕日が見える。海を見下ろし、間に住宅がある。そのようなところで道川。道川を出て、夕日が8割方沈む。そして18:35頃に完全に沈んでしまった。さっきと同じように海と松林を見ながら家が増えてきて下浜。しばらくはさっきと同じような景色であったが、そのうち内陸部に入ったようである。桂根を通過し、新屋。水田の中を走る。雄物川を渡ると家が増えてくる。左側は夕日の名残で赤い空であるが、右側は月の明かりが出てきた。屋根の色は分かるくらいの明るさである。そして羽後牛島。市街地になり秋田に到着する。

●秋田−森岳(奥羽本線)

 秋田駅は新幹線(在来線直通で新幹線車両が乗り入れてくるもの)の開業で、以前とは違う駅になっている。といっても、以前の記憶もさほどないので、はじめて降りた駅のようである。橋上駅になっていて、橋を上りしばらく歩くと改札口がある。新幹線は在来線と同じ線路を走るのだが、乗車する上では厳密に分けてあるようで、自動改札を通らなくてはならなくなっている。ここで少し時間があるので夕食を食べておく。

 駅の中のデパートでラーメンを食べる。どうもこの駅とデパートの間の通路が、裏口・通用口のようなものも開放しているようで、「ここを通るとレストラン街に行くことができます」という扉を開けて、少し階段を上下すると、レストラン街のはずれに出てきたりとか、きちんと覚えると面白い駅のようである。

 秋田からは先ほどと同じロングシート車に乗る。大館行きで、金沢から普通列車を乗り換えて北方面、日本海側で最も遠くへ行ける列車の最後である。そこで、そのまま大館へ行くと面白いのだが、健康ランドという宿泊場所の関係で、東能代の2駅前、森岳で降りてしまうことにする。暗くなっていて外は見えない。水田の広がっているきれいなところであるらしいが、それ故暗くなると全く見えない。今回ここへ来るのが最後というわけではないので、次回以降に期待することにして、森岳に到着する。

●森岳駅から

 秋田市内には2つ、健康ランドの情報があった。いずれも駅から遠いようである。明日五能線に乗るという予定があり、それに遅れると面白くない。それなら少しでも東能代に近づいておくとよいのである。そこで森岳温泉(秋田県山本郡山本町)に健康ランドがあるというので、そちらにすることにした。森岳温泉まで3キロ程度。十分歩くことができる、そう思っていた。

 とりあえず、駅に出て、公衆電話から家に電話をしておく。携帯電話を持っていないので、緊急連絡の有無の確認のため、必要である。ここで「何もない」と分かると、翌日電話するまでの24時間、旅を続けることができるのである。それから、プリントアウトした地図を見て、歩く。商店の多いところを抜け、道路に出る。まっすぐいっても良さそうだが、ここでは右に曲がっておく。地図通りに川等がある。そういう展開なら安心できる。しばらく住宅地の中を歩く。小学校の前では盆踊りか何かで太鼓の音が聞こえる。それだけ人通りもあり、安心できる。そして、しばらく歩くと地図にあるとおり、駐在所があったので右に曲がる。ちゃんと「森岳温泉」という看板もあり、安心できる。しばらく歩くと、住宅が少なくなり、水田のような、山のようなところになってきた。どうもこの展開はどこかで見たものである。去年12月の、柘植駅から健康ランドまで歩いた、あの景色ににてきた。そういえば、先ほどの住宅地の景色もそれらしかった。そしてしばらく歩いて、水田の中で、別の道と合流する。まさに柘植での景色そのものだった。そしてしばらく歩くと森岳温泉の入り口のようであった。もうすぐである。しかし、地図上分かっているのは森岳温泉入口までのルートであり、ここからは全く分からない。おそらくあまり広くなさそうな温泉地だから、すぐに着くであろう。

 いきなり、車の多く止まっているところがあった。もう着いたのだろうか。ここは公衆浴場のようなところで、宿泊施設もなさそうである。そこの前を通り、山を登っていく。道は立派なのだが、車の往来はほとんどない。かなり上まで来たのだが、健康ランドどころか他の宿も全く見えない。道を間違えたと判断し、下山(?)する。戻ってきて、右(駅の方から正しく来れば左)に曲がり、しばらく歩くと温泉街であった。あまり広くないが、宿や飲食店など、いかにも温泉街という感じである。健康ランドが見つからなかったら多少お金を払ってここでもよいかも知れない。とりえあえず、まっすぐ歩くと、温泉街のはずれにまで来た。そして暗いところにある看板を見ると、目的とする健康ランドの看板である。どうやらこの奥にあるらしい。まっすぐ行くと、暗くてよく分からないが、建物がある。まさか、つぶれてしまったのだろうか。それはないということにして左に曲がる。山を下りていくような感じで、何もなさそうである。そこで引き返し、さっきの看板があるところを右に曲がる。宿の横を歩き(風呂の中が見える。誰もいなかったが。)何軒かの住宅もある。さっきよりましである。突き当たりに小さな看板であるがその健康ランドの案内もある。そして上を見上げると、山の上にそれらしい建物もある。もしかしてあの上まで上らなくてはならないのだろうか。とにかく道路を歩く。降りてくる車もあり、間違えていないようである。そして登りになる。歩行者用にショートカットを作ってくれればよいのだが、それもないようで、車道に沿って歩いていく。そして健康ランドに到着することができた。ここまでして安い宿に泊まる必要があるのかと思ったが、2,000円で済むのでまあよいであろう。

 健康ランドといっても、普段泊まるようなところとはひと味違うようである。人も少ない。受付で「もう14人もいて、席は17しかないからもしかすると仮眠室で寝ることができなく、最悪ロビーで寝なくてはならないかも知れない」と言われたが、ロビーでも寝ることができればそれでよい。とりあえず風呂に入る。温泉であるが、それだけのことで、当然サウナや薬風呂もあるが、普通の健康ランドを期待すると、はずれてしまうだろう。そのうち人がいなくなってしまった。大丈夫なのだろうかと思って入っていたが、そのうち係員が来て、電気を半分消してしまった。ここの風呂は10時までのようであり、個人的にそれ以上入っていただけの話である。上がって、ロッカー室の横の仮眠室に行くと、2〜3席余っていたのでそこで寝ることができた。10時にはみんな眠りに入ってしまうという、本当に「健康」ランドであった。  

 
 
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