JR各線を巡る旅の記録

29 東北沿岸部 4日目


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4日目・2000年8月16日
 【八戸】7:11発−(普通)→【久慈】9:03着、9:45発−(三陸鉄道北リアス線・山田線・三陸鉄道南リアス線経由・普通)→【盛】13:56着、14:44発−(普通)→【一ノ関】17:20着、18:02発−(普通)→【北上】18:41着
 八戸線と、大船渡線未乗区間である盛−気仙沼間をどうしよう、それぞれ往復するか、という計画を考えていたが、面倒なので一気に三陸鉄道まで乗ってしまうことにした。ひたすらリアス式海岸を眺めていた日。

●八戸駅まで

 今回は全6泊であるが、健康ランドでの宿泊は今日が最後である。残り3泊はカプセルホテルを予定している。広い風呂に入ることができるのは今日で最後である。少し長めに入っておく。

 だいたい昨日の時間から逆算して、少し余裕を持って出る。そして、昨日歩いた道を逆に歩く。この季節は、夜暗くても朝出発するときには明るいのでよい。これが冬になると、出発するときも暗くなるので困る。水田の中を歩き、単線が二つ並んでいる踏切を渡る。もう少し後にはここを列車で通るのである。その後は市街地を歩き、八戸駅に到着する。駅で昼食も含めて買っておく。

●八戸−久慈(八戸線)

 八戸駅では接続列車が遅れていて5分遅れて発車する。八戸駅を出て右側は市街地から住宅地になっていく。左側は東北本線を挟んで水田である。そのうち貨物駅が見えてくるが「八戸臨海鉄道株式会社」と書かれている。実際、地図を見るとそれらしき線路が2本ある。貨物駅の中で臨時停車をしてすれ違う。そのうち両側に水田を挟んで建物を眺める。踏切を渡る。昨日の夜、そしてさっき歩いて通った踏切である。単線の線路が並行している。八戸臨海鉄道の貨物線である。住宅が増えて長苗代。そのまま住宅地が続く。並行していた貨物線が別れていき馬淵川を渡る。そして、川を渡る直前にさらに単線の線路が分岐する。川の途中でその線路はこちらと向きを変えて別れていった。川を渡ると市街地で、高架になり1面2線の本八戸に到着する。能代−東能代と同様、本線から別れたこの駅が市の中心である。

 本八戸を出ると高架線路の隣に1線分の砂利が引かれている。市街地の中を高架線は走って行くわけであるが、この砂利の線も並行している。それがしばらく続く。そして別れていく。別れていくときも別の高架線になって別れている。レールがないのである。とにかくそういう線が別れて、高架のまま小中野。しばらく市街地を高架で走り、これが盛土に変わる。川を渡り、住宅が密集しているところを走り陸奥湊。さらに住宅が続く。そして白銀。乗っていた高校生がかなり降りていく。住宅地から水産施設へと景色の中心が変わり、港の前で鮫。ここまでの区間運転が多い。

 鮫を出ると住宅地から小さい舟の集まっている港になり、勾配を上っていく。海に出るが霧がかかっている。八戸水産科学館を見て、山の中へ。隙間で岩場の海を見る。そのような中でプレイピア白浜を通過し、しばらくして山から海を見下ろすところに、海との間に少しだけ住宅があり陸奥白浜。ここにも「白浜」という地名があった。陸奥白浜を出て高い松林の間に岩場を見、住宅があり種差。山を走ったり海を眺めたりする。ただし、海は濃い霧がかかっている。住宅が増え、大久喜。このあたりの畑の土の色はなぜか異様に黒い。そうして砂浜へ。いつの間にか低いところを走っていると思ったらすぐに山の中に入る。山の中であるが海が近そうなところで金浜。山を抜けて住宅地。海を見下ろす。さらに住宅が増え大蛇。林の中を走るが、住宅が途切れない。海を見下ろす。住宅が増え階上。住宅が途切れ、海がときどき見える。山の中に入っていく。このあたりで青森県から岩手県になる。これで青森県内のJR線を完乗したことになる。

 岩手県に入り、駅が近づいてきて少しだけ住宅があり角の浜。海と山、という景色だったが、水田や畑が少し広がり平内。あまり広くはないが田が広がる。住宅が増え、町になり種市。ここで反対方向の列車とすれ違う。

 種市を出ると、住宅が減る。田畑を挟んで海。そして山になる。山を抜け、田・畑・海という景色になり、少し住宅があって玉川。そして、田畑になったり山になったりしながら、住宅があって宿戸。駅前には小さな店がある。水田から、山になり、そうして砂浜が広がる。結構波が高いのに泳いでいる人が多いな、と思ったら波乗りの人たちであった。小さい港があり、何かを燃やしているようでなぜか消防車がいる。住宅や水産会社などがあり、陸中八木。小さい港が見え、そうして山になり、すぐに砂浜になって有家。前方には波のある砂浜があったが、岩場になる。そして低い木や草のある陸地となるが、やはり霧がかかっている。少し高くなり、小さい港を見下ろす。そのうち山になり、海を見下ろしながら陸中中野。木の向こうには海が見える。山からトンネルになる。抜けて細い川に沿う。それを渡り、水田。そうして山へ。山の中をゆっくりと走る。山の中で少し住宅があり侍浜。山の中を軽く降りていく。水田と住宅を見下ろして降りていく。降りていったところに住宅や田畑がある。そうして陸中夏井。平坦なところに水田と住宅。町になり川を渡って久慈に到着する。

 久慈駅の待合室で。自動販売機があったのだが、ペットボトルと缶が並んでいた。ペットボトルは150円、缶は120円である。その境界のペットボトル、なぜか120円と表示されていた。120円を入れると、ランプがついたので押してみるとペットボトルが出てきた。なんか得した気分。

●久慈−宮古(三陸鉄道 北リアス線)

 JRの駅である久慈駅。ここからJRの盛駅まで行く。1本の列車なのだが、三陸鉄道→JR山田線→三陸鉄道という経路をとる。持っているきっぷは「青春18きっぷ」。当然、三陸鉄道部分は別にきっぷを求めなくてはならない。窓口で、三陸鉄道部分だけ欲しいということをいうと、宮古までの硬券。釜石から盛までの、昔あった手書きの車内補充券のようなきっぷが出てきた。珍しい。きっぷを集めているわけではないが、何となくうれしくなってきた。

 しばらく待合室で待ってから、改札が始まりホームへ。入ってきた列車はそのまま引き上げられていき、しばらく待ってから、列車が入ってくる。2両連結であるが、宮古の少し前まで1両だけの扱いになるとのこと。列車自体は三陸鉄道の列車。日本初の第三セクター、なのだが、そういうだけあって少し古くなってきている。座席であるがどこかで見たことがあるような…。北陸本線の近郊型車両。全く同じ座席である。色も形も座り心地も。そういえば同じような時期のような気がする。おかげで、よそに来た、というよりも何となく自分の生活圏に戻ってきたような感じである。ワンマン運転であるが、アナウンスは運転手が行う。三陸鉄道ができた当時は、バスのようなワンマン放送をするという発想がなかったのかどうなのか。それと、海側のクロスシートをふやしているというところがありがたい。アナウンスを効いていると、「○○、××、▽▽方面、○×、□□経由、盛行き」と言っている。駅名が全く分からなかったのだが、結構珍しい放送であった。

 前のボックスシートに若い女性2人組が。会話を聴いていると面白い。「盛」を「さかり」とは読まず、「もり」と読んでいる。そしてそれを、「盛岡」のことだと思っているようで。この列車は盛岡行きと解釈している。どうなるのやら。とりあえず、その人たちは宮古で降りていった。おそらく、無事盛岡に着いたに違いない。

 三陸鉄道に入ってから、やはり敷設された時代の違いか、さっきの八戸線とは全く違う感じである。一生懸命山を登ったり、海のそばを走ったり、ということがない。快適というか、面白みがないというか。とりあえず、面倒なところはトンネルで、下まで降りるのが面倒ならそのまま上を走って、という感じである。

 久慈を出ると町から山へ。トンネルを抜け、右側に住宅を見下ろし陸中宇部。山を下り、水田が広がる。海が見えかけて陸中野田。駅ごとにキャッチフレーズがついていて、それを運転手はわざわざ言っている。陸中野田の後は水田、そして山へ。トンネルを通り、山の間で少しだけ海が見える。木の陰から海を見下ろすところで野田玉川。その後は山とトンネルを繰り返す。「次のトンネルを抜けると橋梁です」みたいな放送があって、トンネルを抜けると、高い橋から海や川、港を見下ろしていた。三陸鉄道といえば…という景色で、ときどき写真で見るところである。そうして、海や小さい港、漁協を見下ろすところで堀内。山や岩のある海岸を、要領よく通りながら、白井海岸を過ぎる。そうして、水田や家のあるところに降りてきて、建物が多くなり、普代に到着する。

 普代を出ると、海に面した山が霧に囲まれている。小さい川を本格的な鉄橋で渡る。長いトンネルをいくつも通る。隙間に山や水田がある。住宅があって、湾の中の町。小さい港があり田野畑。山をトンネルで通る。隙間に海がある。湾の奥に町があり、島越。依然としてトンネルが多い。田と家のある、山と山との間を通る。乗客が多くなってきたので、後ろの車両、あと数駅で開放なのだが、融通を利かせて、このあたりで開放となった。そして小本。岩泉へ行くバスの接続案内をしている。鉄橋を通る。トンネルが多い。水田が広がり、摂待。山と山との間に住宅があり、水田がある。一時的にトンネルが少なくなる。佐羽根を過ぎると、トンネルが多い山の中になり、一の渡。トンネルを抜け、町に降りていき、宮古に到着する。盛岡行きのバスの接続案内があった。

●宮古−釜石(山田線)

 ここから釜石まで、三陸鉄道の列車でJRの線路を走ることになる。なお、明日も実はこの区間、通ることになるのだが、今日のうちに詳しく景色を見ておくことにする。

 宮古を出て市街地を走る。川を渡り住宅地。カーブしてトンネルへ。抜けて住宅があり磯鶏。それから谷へ。山を抜け、海沿いに集落がある。海との間に堤防があるが、かなり湾の奥にあり、津浪を心配してのことだろう。水門もある。そうして住宅がある程度あり、津軽石。町を抜けて住宅へ。谷に入っていき、住宅が少なくなる。山に霧がかかっている。谷の中に川があるようであるが林に覆われていてよく分からない。そういうところを道路と並行する。谷が広くなり、住宅が増え豊間根。このあたりの家はトタン屋根だけではなく、瓦屋根の家もある。かなり南下してきたということのようだ。谷が狭くなり、水田と住宅がある。そうして霧が晴れてきたようだ。谷が狭くなり、登っていく。山になってそうして下りになる。少し田が広がるがトンネルへ。抜けてから山の中を、トンネルをいくつか通りながら下っていく。前方に海が見えてくる。トンネルを抜けて、高速道路建設中の高い高架橋が見えてくる。町になって陸中山田に到着。

 陸中山田を過ぎると、町から湾がちらりと見える。海苔か何かの養殖をしている様子。山に入り、抜けて集落と湾。ここにも建設中の高速道路高架橋が見える。そうして織笠。トンネルに入り、抜けて穏やかな湾。こういう景色が繰り返される。そうして山へ。少し湾が見えたが、それから離れ、広い谷に住宅があり、岩手船越。湾を見下ろす。奥に港がある。少し木にじゃまされながら湾と並行する。山へ入っていく。ときどき海が見える。空の半分くらいが青空で、きれいである。朝の霧はもうない。霧の海が趣があってきれい、ということもあるのだが、それは上級者向きの考え。やはり海には青空が似合う。海と山を繰り返す。砂浜を見下ろす。下がってきて住宅があり、浪板海岸。そして登っていき、今まで見た湾を見返す。どうも駅ごとにこのようなパターンが繰り返されている。注意深く景色を見ていると、次の景色が何となく予測できてしまう。ただし、こうやって駅ごとに集落に降りていく、というパターンは三陸鉄道にはない。「国鉄」の景色である。そうして集落を見下ろす。瓦屋根の家が多くなってくる。その中の少し高いところで吉里吉里。

 吉里吉里を出ると、山の中へ。越えて湾と多くの家がある。今回の集落は今までより大きい。川を渡り、大槌。多くの乗客が乗ってくる。山に入っていき、トンネル。抜けてまた湾が広がっている。いつもはその湾の奥に集落があるのだが、今回は集落ではなく、田畑が広がっている。そうしてしばらく進み、建物が増えてきて鵜住居。読み方と感じを並べてみて思わず笑ってしまう。このあたりは湾の海岸線沿いよりも少し内陸に集落を作ったようである。作ったのか、チリ沖地震で流されたのかは不明であるが。山に入っていき、越えて、谷から集落が始まる。谷かと思ったら、かなり奥まった湾である。集落と湾を見下ろすところで両石。トンネルに遮られながらも、しばらく湾と並行して走る。水門があり、そこから谷になっている。山に入っていき、降りる。集落だけでなく、製鉄所も見えてきた。町になってくる。そうして釜石に到着する。

●釜石−盛(三陸鉄道 南リアス線)

 まだまだ同じ列車に乗っている。何しろ、久慈発盛行き。ひたすらリアス式海岸を眺めているのだが、線路の敷設時期によって、景色が全く違う。

 広い構内の釜石駅を出発する。急行「陸中」の車両が停まっている。中の座席は特急のようである。外見は普通列車なのだが、一時期、特急「秋田リレー」号として使われていたものであろう。「特急」と称して、外見が普通列車のような列車が走っている写真を見たことがあるのだが、まさか普通列車を特急として使っているわけでもなし、専用車両はどこへ?と思っていたら、こういう使われ方をしていた。

 「日本唯一」という表示のある「橋上市場」がある。鉄鋼関係の建物が多いが、かなり寂しくなっている。港や町を見ながら、トンネルへ。抜けていきなり湾の奥に町が広がっていて平田。同じような景色を繰り返し、川を渡る。水門がある。集落の規模は先ほどより少なく、唐丹。北リアス線で放送されていた駅ごとのキャッチフレーズは、この南リアス線では聴けなかった。トンネルへ入っていき、抜けて湾のようだが、住宅は少なく駅がない。すぐトンネルへ。長いトンネルを抜け、海を見下ろし、短いトンネル。集落の上の方で吉浜。

 吉浜を出ると、集落と水田、そうして港がある。水田があり、その先に松林や防波堤、そしてその向こうに砂浜がある。それらを見下ろし、すぐにトンネルへ。すぐ抜けて、谷を見ながら走り、トンネルへ。抜けて湾と集落。これを高架で見下ろして三陸。湾との間に松林がある。その奥に青い海がある。そうしてリアス式海岸の両岸が見え、トンネル。抜けて小さい港と水産会社。湾の向こうには向こう岸が見える。三陸鉄道にしては短いトンネルの間にちらりと海岸を見る。抜けて、湾との間に少しの住宅と水田。海の色が青い。このあたりの住宅の庭には浮きなどの漁具がおいてある。そうして甫嶺。段々になった水田、赤い瓦の家、松林と青い海を見ていると、トンネルへ。抜けて湾を見る。向こう岸も見える。短いトンネルを通り、また同じような景色が繰り返される。トンネルを抜け、今度は狭い湾と集落。浜と集落、海と小さな港を見下ろして小石浜。トンネルを抜け、海と集落。海の色は陸に近づくと薄くなっている。もう一回同じ景色が繰り返され、同じように集落。駅があるのかと思ったらその集落は通過し、そのまま道に並行して走っていくと、さらに大きな集落があり、綾里。集落が谷の中まで続いている。大きな集落というよりは町である。山からトンネルへ。トンネルを抜け、谷を抜けると広い町が広がっている。その入口らしきところで陸前赤崎。長めのトンネル。単線非電化の路線をオーバークロスするがこの路線はすでに廃止されているようだ。川を渡り、町に入っていき、盛に到着する。

●盛−一ノ関(気仙沼線)

 しばらく駅前を歩いたりしたが、しばらくして列車に乗り込む。いつもはワンマン運転であるこの列車、今日は車掌が乗務するとのこと。しかも3両。

 盛を出ると、市街地を走る。瓦屋根の家が多い。そのまま市街地を走り、大船渡。市街地を走り、それから漁港の設備が続く。リアス式海岸の向こう岸が見える。目の前に座っているご老人の方のお話によると、以前はもっと陸地があったらしい。かなり埋没したらしい。そうして下船渡。海を見下ろしながら、海に沿って走る。何かを養殖しているようである。ゴミも浮いている。家が密集したところを見下ろし、細浦。集落を抜けて谷へ。少し住宅がある。このあたりまで来ると、8割方、瓦屋根である。谷を抜け、住宅と湾になるが駅がなく通過する。山の上から海を見下ろし、山を抜け湾と集落になる。内陸に入り、小友。水田があり、その向こうには堤防がある。おそらくその向こうには海、そうして向こう岸が見えるのだろう。海は海苔の養殖をしているようである。しばらくは湾に沿って走る。住宅や水田、林があり、住宅が増えてきて脇ノ沢。少し湾に沿って走るが、内陸に入り建物が増える。と思ったら、左側に水田が広がり、右側は町になる。その中で陸前高田に到着。

 陸前高田を出ると、谷に入っていく。そうして川に沿う。川に沿って林があるため、川面は分からない。そのうち、川面が見えるようになる。川を含む広い谷に入る。トンネルを抜け、水田、少し住宅があり竹駒。水田と住宅のある谷を走る。段差はない。その中で陸前矢作。田畑のある谷を走るが、狭くなる。そうして山の中へ。しばらく山の中を走るが、抜けて田のある谷になる。その中で上鹿折。水田と住宅のある谷を走る。住宅が増えてくる。そうして鹿折唐桑。ホームには人が多くいたが、その多くは見送りに来た人のようであった。町を見ながら山へ。トンネルを抜け、気仙沼に到着。気仙沼では快速列車が隣にあり、増結されているようであった。

 気仙沼から一ノ関までは、逆方向だが一度乗ったことがある。ただしその時は高校生などが多く、ロングシートだったこともあり、あまり外を見ていなかった。ただし、この線の形上、太陽の向きがどんどん変わっていったことは覚えている。とりあえず今日は詳しく見ておくことにする。

 気仙沼を出ると、水田と家のある広い谷を通る。そうして川のみの渓谷のような狭い谷になる。広くなり、水田と住宅があり、新月。水田と住宅のある起伏のある谷を走る。住宅が増え折壁。町を抜け、再び起伏のある谷を走り、矢越。谷が狭くなっていき小梨。さらに狭くなりトンネルへ。少し広くなり、町になり千厩。町を見下ろし、大きく右折する。太陽は左になる。水田と家のある谷から、狭くなり山の中になる。少し広がり町になる。駅に入るとき、曲がったらしく、太陽は前方へ。そうして摺沢。政治力で大きく曲げられた路線であるが、この駅の乗降客は多い。線形の恩恵は受けているようである。

 摺沢を出ると、谷が狭くなり、高くなり、水田と住宅のある谷を見下ろすようになる。しばらくしてまわりも高くなる。団地と少しの住宅があり、柴宿。まわりの土地と共に下っていく。左に町を見下ろすが、そこまで下っていき、猊鼻渓。山に向かってセメント採石工場がある。その中で陸中松川。広い谷を走り、セメント採石場が終わる。川もあり、水田と住宅。トンネルを抜け、また同じ谷を走る。向こうの山を削っているが、セメントではなく粘土が採れているようである。そうして岩ノ下。トンネルを抜け、同じような谷を走り陸中門崎。谷が狭くなる。トンネルを抜け、広くなったが川を渡り山へ。その後、水田と住宅のある谷を下る。そうして真滝。狭い谷を下る。次第に住宅が増え、町になり一ノ関に到着する。

 

●一ノ関−北上(東北本線)

 どうやら一ノ関で夕食ということが、前回に引き続き、今回もそうなる運命のようである。時間もあるので、食べておく。記録では「カレーセット」というものを食べているのだが、カレーライスとラーメンだったかどうか覚えていない。

 一ノ関から、カプセルホテルのある北上まで、行くことにする。一ノ関市街地を抜けると、基本的に水田の中を走る。海側に山があるが、曇っている。北上川に沿って走るが、しばらくは堤防しか見えない。平泉を過ぎると川面が少しだけ見えるようになる。陸中折居のあたりは水田と住宅なのだが、富山の砺波平野あたりの散居村のような景色が広がる。そうして水沢。

 水沢あたりから、暗くなって外が見えない。

●北上市内

 北上駅を降りる。そうして、駅前からしばらく歩くと、目的のカプセルホテルはすぐに見つかる。中に入る。奥の方に小さい窓口があり、そこがフロントのようだった。建物が少し古いが、ちゃんとカッターシャツを着た、髪の毛の茶色いお兄さんが、丁寧な口調で応対してくれる。とりあえず荷物を置き、外出する。これができるかどうかが健康ランドとカプセルホテルの違いである。「銭湯図鑑」という本に載っているコインランドリーを目指して歩く。とりあえず、一旦駅前に行き、そこを起点に歩いてみるが、着いてみるとカプセルホテルのすぐ目の前だった。着いたのはいいが、営業はしていないようだった。しょうがないので、とりあえず戻る。花火大会らしく、北上駅をバックに花火が見える。あまり広くない、普通の風呂がある。4人ほどでいっぱいになる。誰もいないので洗濯物をいくつか洗ってみる。カプセルの中や、ロッカーで干してみる。これで乾いていればいいのだが、結果を先にいうと、ほとんど乾かなかった。翌日の釜石線接続の悪さに感謝することになるのだが、これは明日の話。

 


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