2日目・2000年8月14日
【森岳】6:35発−(普通)→【東能代】6:51着、7:57発−(普通・五能線経由)→【弘前】12:43着、13:08発−(普通)→【青森】13:52着、15:43発−(普通)→【三厩】17:11着、17:39発−(普通)→【蟹田】18:20着、18:57発−(普通)→【青森】19:39着、20:16発−(普通)→【新青森】20:21着
念願の五能線乗車。数少ない直通列車で。今回の旅のハイライト。それと津軽線の未乗区間である中小国から三厩まで。北海道へ行くときに通るところで、北海道へ行く気分にもなる。
今日は五能線に乗ることがメインである。できれば全線直通の、東能代発7:57に乗りたい。そう考えると、森岳発7:27(東能代着7:37)で、割と余裕を持って乗ることができそうである。しかし、この健康ランドから森岳駅まで、余裕がなくて乗り遅れても困る。それに、せっかく五能線に乗るのだから、早めに行って窓側の席を確保したい。そうなるともう1本前である森岳発6:35(東能代着6:51)に乗ることにしよう。万が一乗り遅れても次の列車がある。そうなるとここを5時半とまでは行かないが、5:45ぐらいには出発しなくてはならない。
そう思って、一応ある程度入浴することを考え、5時過ぎに起きた。貼り紙その他によると、6時頃から入浴できるようであるが、現に入っている人もいたし、お湯も沸いていた。とりあえず入ることにする。先に入っていた人は上がってしまったので、一人だけになった。夜と違って明るい。露天風呂から、水田と山の景色がきれいに見える。高いところにあるだけある。そのために歩く距離は長い。
上がると、「風呂にはいることができるのでしょうか?」と聞いてくる人がいたが、「よく分かりませんが、とりあえず入れましたよ」と言っておいた。そして、服を着て、出発することにする。昨日来た道を下っていく。振り返るとさっきの風呂場が見える。一応露天風呂に網が張ってあるのだが、きちんと見える。
山を下り、しばらく歩き、森岳温泉の旅館街に来る。ここまでで15分もかかっている。最初の計算ではこのあたりまで歩けば、目的の健康ランドがあるはずであったので、予定より片道15分も余計に歩いている。そして、温泉街を後にして、しばらく歩くと水田の中である。右側には沼もある。12月の柘植のときと違うのは、駅へ向かう方は明るいということである。これで行き帰りとも暗ければかなり不安になる。
昨日歩いた住宅地の中を歩く。新聞配達の人が何人かいる。そういう時間帯なのである。しばらく歩き、駅へ向かう道へ曲がり、さらに歩くと駅に着く。全部で45分かかった。往復90分以上歩いている。安いビジネスホテルに泊まるなら、十分元が取れるかも知れない。駅員のいる時間は6:40からであった。ぎりぎりまで粘ってみたが、営業時間前なので窓口は開かなかった。青春18切符の日付は東能代で入れてもらうことにする。待合室にいると、高校生が何人か来た。8月14日であるが、練習のある部活はあるのである。
当然入ってきた列車はロングシート車である。秋田発が5:45という始発列車である。空いているのかと思ったら結構混んでいた。どうにか座るところがあった。基本的に景色は山と水田で、ときどきある住宅はトタン屋根であった。混んでいることだし、メモはとらなかった。
乗客を見回すと、ほとんどの人が眠ってる。秋田を出発して、ちょうどよい時間なのかも知れない。ことごとく眠っている。下手な夜行列車よりも睡眠率(?)が高い。部活へ向かう高校生も、ドアと座席の壁に背中を付けて、べたりと座り眠っている。それも2人ずつ並んで、4人向かい合わせに座って寝ている。その部分だけクロスシートになったようである。また、よく見ると、昨日新津−村上間で見た人もいる。このように、ロングシートは人間を観察するには面白い列車なのかも知れない。逆に自分も見られているということである。
ここで寝てしまうと、東能代はすぐなので、乗り越してしまう。それよりも、10分程度で着く列車では眠ることができない。外の水田と山、中の眠っている人たちを見ているうちに東能代に着いてしまった。
東能代では時間がある。外へ出てみる。駅前を少し歩く。北海道のように、まっすぐで家の数・店の数には不釣り合いの広い道である。北海道が近いということが分かる。実際の市街地は五能線で次の駅である能代である。ここは単に奥羽本線の駅であるだけで、市街地ではない。駅前には、秋田新幹線を延長して、能代・山本(駅名でいうと森岳)の利便を!という意味の看板がある。
と書いてきたが、この町で降りるのははじめてであるが、実は重要なこととして、能代は母方の祖父が生まれ育った町である。つまり、自分の血の4分の1はここから来ている。そう思うと全くよそ者ではない。
駅へ戻り、キヨスクを見るが、パンは売っていない。駅前にもコンビニらしきものがなかったので、まともな食料は調達できない。とりあえず、ラスクという、パンを乾燥させたようなお菓子を少し多めに買っておき、弘前まで持たせることにする。その他にも昨日酒田駅のコンビニで買っておいたお菓子もある。まあ、大丈夫だろう。お茶だけは補給しておくことにする。
少し早めにホームへ行く。しばらく待っていると、5両連結の列車が入ってきた。さっきの時間に、東能代着の寝台特急「あけぼの」や、次に秋田方面から来る普通列車の時刻などをチェックしておき、それよりも折り返しの乗るべき列車の到着が早いということを確認していたが、5両なら間違いなく好きなところに座ることができる。と思ったら、隣の能代で1両切り離し、その後向能代から鰺ヶ沢まで2両が回送扱いとなり、実質2両だったのである。一度座った座席も切り離されることを知り、移動する。海側の座席に座ることができたが、混んでいなくてよかった。列車は、非冷房車で、窓を開けることになる。これはよかった。なお、この後、非冷房車にも多く乗ることになる。オールロングシート車と、非冷房の気動車に多く乗ったのが今回の旅であった。
このあと、五能線を直通する快速「リゾートしらかみ」という列車がある。指定席をとると乗ることもできたかも知れないが、普通の列車に乗っておきたかった。それに、指定席ということは「不自由席」ということである。兼ねてから乗りたかった線だけに、普通の列車で、好きな座席に座りたいものである。
さて、今回、この線の中で、JR線完乗率70%を迎える。きちんと分母、分子を計算していないが、今のところの計算で、50%を紀勢本線の海の見えるところ(古座−紀伊田原)、60%を芸備線の備後庄原駅の少し前、谷から盆地に出てきた景色の広がるところで迎えている。それぞれ8月である。1年に10%ずつ乗りつぶしていることになるが、今回は旅をはじめて早々に達成することにある。今回は五能線の中でこの10%台の乗車率達成を迎えることになる。計算上は岩館と大間越の間である。このあたりも意識してみておくことにする。
東能代を出発して、奥羽本線と別れる。住宅地や水田がある。少し離れて国道があり、店がある。そして市街地になってくる。SATYもある。やはりこちらの方が町である。そうして能代。2面2線で、本線の駅という感じではないが、周りは町のようである。能代を出て、市街地を走っているが、米代川を渡る。渡ってすぐに森になるが、抜けて住宅があり向能代。山を抜けて水田があり北能代。貨車を使った待合室である。水田の中を走り鳥形。水田から松林になり、住宅地になり沢目。行き違い設備が撤去されている。水田の向こうに海があるようである。両側が水田で、右側にきれいな形をした低い山がある。住宅があり東八森。水田を挟んでしばらく住宅地が続く。そのうち高くなり海に出る。ようやく海に出た。これから海沿いの五能線を堪能することができる。後方に男鹿半島が見える。展望台がある。窓が開いているため、潮の香りが入ってくる。少し海を見ていたが、間に林が挟まりながら住宅を見下ろし八森。2面3線だった跡があるが、今は1面1線の駅になっている。起伏あり住宅地が続く。海が見えながら滝ノ間。その後は住宅がなくなり、高くなる。海を見下ろす。ただし海と線路の間には林がある。そして秋田白神。駅前にはハタハタ館という温泉などがある。秋田白神を出ると高くなり少し山に入る。抜けて海沿いの集落を見下ろす。前方にきれいな山が見える。白神岳である。集落を陸橋の上から見下ろす。しばらくして住宅が増え岩館。駅が高いところにあり、そこと海との間に森があり、その中に家がある。別荘地のようなたたずまいである。駅舎は大きくないが有人駅のようであった。この駅は新しい駅ではないが、海沿いの駅という感じを出していて、イカ釣船のランプが屋根から下がっている。
岩館を出て、山の上から海を見下ろす。キロ表示を見ると、どうやらこのあたりが、自分のJR完乗70%を迎えた地点のようである。今回も都合よく、景色のよいところで10%台の完乗率を達成することとなった。景色の方は、ときどき山にじゃまされながらも、きれいな海が見える。トンネルもいくつかある。この中で秋田県から青森県になったようである。そうして岩場を見下ろす。間にじゃまな山や木がない。その後はレールをきしませながら坂を下っていく。坂だけを見ていると広島の瀬野−八本松のようであるが、こちらは海が見える。しばらく下っていき、海に近い高さになると砂浜・岩場・トンネルを繰り返す。集落があり、またトンネルをくぐる。抜けてもまだ集落が続いており、大間越に到着。海との間に狭い田のあるところに駅がある。ここからしばらくは穏やかな海を見ながら走る。砂浜の横を走り、集落があり陸奥黒崎。海との間に松林や水田がありながら松神。同じように水田・砂浜を見ながら十二湖。松林の前にある駅で、海水浴客が多く降りていく。
十二湖を出ると、右にカーブして、今まで見てきた海岸を眺める。つまり、小さな半島のようになっているところを通る。岩場になってきてトンネルへ。抜けると、前方に砂浜があり、その向こうに集落がある。海のにおいの他に、砂のにおいも車内に入ってくる。そして、海との間に松林が入るが、そうなると松のにおいが車内に入ってくる。非冷房車で窓を開けるということはこのような楽しみもある。そうしてさっき前方に見えた集落に入っていき、川を渡る。普通、川の河口になると、かなり濁っているのだが、ここの川はとても澄んでいる。川底がはっきりと見える。そうして町らしくなった集落の中で陸奥岩崎。ここでなかなか発車しない。案内によると、この先の艫作駅で自動車が線路に転落したということ。安全が確認されるまで発車しないということで、たばこを吸いたい人は外へ出ている。一方私は、時刻表を見ながら明日の日程を考えていた。それにしてもなかなか発車しない。まあ、これだけ空いていて、外へも自由に出ることができるなら、多少長く停まっていても構わない。これが、かなり混んだ新幹線の中で、しかも駅と駅の間で外へも出られないという状況なら、いやである。結局、9:25に到着して、9:44頃発車した。
陸奥岩崎を出ると市街地を抜けトンネルへ。集落を見下ろす。小さな漁港がある。そしてだんだんと高度が上がっていく。後方に今まで走ってきたところと、その後ろには白神岳をはじめとする山々が見える。このあたりは本格的な半島になっていて、そこを走っているのである。そして海との間に杉があるところを走り、そのようなところで陸奥沢辺。そして、海からはさほど遠くないが山の中を走る。木は松ではなく杉である。左側にはきれいな山が見える。そして山の上から海を見下ろす。前方に灯台が見え艫作。パトカーが停まっていて、レッカー車もある。さっき陸奥岩崎で足止めを喰らった原因の現場である。灯台の横を通り、田が少しある。山を越え海を見下ろす。狭い田がある。岩場の海を見下ろし横磯。駅を出てすぐに漁港を見下ろす。前方にはっきりではないが北海道が見える。岩場が広がる。少し山を越え、下に湾がありそこに町があり、その町へ降りていく。トンネルをいくつもくぐる。トンネルとトンネルの間には住宅がある。さらに降りていく。湾の奥で、港もある。町になってくる。このあたりの家はトタン屋根で、煙突がある。北海道の家のようである。そうして深浦に到着する。駅前に岩場がある。かなりの乗客の入れ替えがあった。
深浦を出ると、砂浜を抜け岩場になる。このあたりは黒い岩ではなく赤い岩である。形も他より大きい。そういうものが独立してゴロゴロとある。海も驚くほど透明である。少し山を抜け、テトラポットの海岸と砂浜の海岸が交互に現れる。防風の網があり、その中で広戸。そして、テトラポットや砂浜の海岸から岩の海岸になる。その後は少しだけ内陸に入る。ただし、海は見える。間に水田が挟まっているだけである。そして川を渡る。ここも澄んだ川で、川底の岩が何色もあるということが分かるという透明度である。海と水田の見えるところで追良瀬。すぐに前方に岩場が見える。トンネルへ。抜けると砂浜である。カーブであったので前方の陸の部分が見えるが、笹だけの低い山である。北海道の稚内近くの景色に似ている。テトラポットの海岸があり、その中で驫木。名前からしてかなり荒い海の近くにあるような感じであるが、今日は穏やかである。1面1線のホームの向かいにある、海を背にしたワンマンカー乗り場案内の立て札が斜めになっているということから冬の海の荒れ方が想像できる。
驫木を出てテトラポットの海岸を走っていくと、カジメかアオサの海草のにおいがする。そして海との間に小さな月見草が咲いている。秋は近いようである。テトラポットの海岸から狭い砂浜になり、その中で風合瀬。このあたりの駅名はこの時期の穏やかな海ではなく、冬の荒い海から付けられた駅名(地名)という感じがする。今は海水浴客が見える。海水浴のできる狭い湾があり、その終わりの部分が岬のようになっている。無線か何かのアンテナがある。その湾の終わりあたりから勾配を上る。岬の部分の内側を越え、テトラポットの海岸を通る。少し住宅があり、水産会社があるが駅はなく通過する。そのままテトラポットの海岸を走り、少し住宅があり大戸瀬。そのままテトラポットの海岸が続くが、岩場になりトンネルへ。抜けると少し住宅がある。そして今度は灰色の岩場になる。コンクリートで広げたような岩場である。これが千畳敷と呼ばれているもので、その岩場を見ていると千畳敷駅に到着した。この駅は駅前に突然、岩がある。その後はトンネルを抜け岩場を見る。海に沈んだ千畳敷があり、そして岩の色は灰色から黒になっていく。このあたりから、穏やかな海ではなく少し波のある海になってきた。風も車内に入ってくる。岩場から港になる。海沿いには小さな倉庫が隙間なく並んでいて、風をよけるためのような感じがする。住宅が増えてきて北金ヶ沢。海から離れ、水田になる。海沿いに住宅がある。そして、水田を挟み海が見える。住宅が増える。海に近づき陸奥柳田。水田を挟み海を見下ろす。その後、海との間にあるものが、松林、住宅地、松林と変わって行くが、そのうち海が見えなくなる。松林を抜けると川を渡り海沿いになる。山側に、3つこぶがありまん中が大きい山が見える。そして山側に住宅が増え陸奥赤石。海と道に沿った土産物屋を見下ろす。そしてかなり高いところから海や水産会社を見下ろす。山の中へ入っていき、そこを抜けると町の中へ降りていき鰺ヶ沢。到着予定時刻が11:00だったが、11:03で、先ほどの遅れはほとんど取り返したようである。この駅の発車予定時刻が11:25である。また、後ろ2両もこの駅で回送扱いが終わり、客扱いをする。この車両も少し乗客が多くなってきた。後ろ2両を覗くともっと空いているようだったのでそこへ移動する。今までは海沿いの右側であったが、この駅を少し過ぎると海は見えなくなるようである。代わりに左側に岩木山が見えるようになるようなので、ここから左側に座ることにする。
鰺ヶ沢を出ると、町を走るが抜けて少し海を見る。海沿いに大きな建物があるが山に入っていき、すぐ抜けると最後の海が見える。そしてカーブをして内陸に入る。津軽半島の付け根を通ることになる。水田の中を走り、そして岩木山が見え始める。しかし前の山の陰で頂上だけになったが、それすら消えてしまった。しかし、再び見えた。完全な形になった。完全な形で見えるところで鳴沢。水田の中を走り、軽く山になる。リンゴ畑が見え始める。岩木山は完全な姿である。そして越水。1面1線の駅であるが、跨線橋がある。豆畑、トウモロコシ畑があり、そしてリンゴ畑になる。左側に水田が広がったと思ったらリンゴ畑になる。そして左右リンゴ畑になった。そのうち左側に水田が広がる。右側は畑や水田・家である。岩木山も相変わらず見える。両側に住宅が増え陸奥森田。緑色の駅舎である。旧国名がつかない森田駅は福井にあるが、そちらはピンク色。森田駅は何色かで塗りたいらしい。水田が広がり中田。そして水田が広がるが、後方に岩木山がある。建物が少し増え木造。町が建てたらしい大きな駅舎である。駅前には歯医者がある。岩木山の形がさっきと違った形になる。水田を走り、町になってくるが再び水田になる。川を渡りすぐ町になり、しばらくして五所川原。広い構内の駅である。津軽鉄道が停まっているが、普通の第三セクターのような車両であった。多くの乗客が乗ってくる。
五所川原を出ると、市街地から住宅地になり、川を渡り、水田と畑になる。道路沿いのため店は多い。しかしそのうち両側が水田になり、前方に岩木山が見えてくる。住宅地が増え陸奥鶴田。岩木山がきれいに見える。水田の中を走る。正面に岩木山が見える。そうして鶴泊。水田の中を走る。建物が増え板柳。反対方向の列車が遅れているため、こちらも8分ほど遅れる。リンゴの出荷場がある。このあたりから本格的にリンゴ畑が増えてくる。左右にリンゴ畑が広がり、向こう側には岩木山が見える。リンゴ畑の中で林崎。リンゴにすでに白い実ができている。リンゴ畑の中だったが、住宅が急に増えてきて藤崎。駅前にリンゴの冷蔵庫や果汁にするための加工場がある。住宅地を抜け、リンゴ畑の中を走る。そして川部。本来青森方向へ行くにはここで降りて、弘前から来る列車を待たなくてはならないが、待ち時間が長く、結局弘前まで行っても同じことである。そこで、普通列車等が乗り放題であるという切符に甘えてそのまま弘前まで行ってしまう。
川部を出るときは方向が変わる。川を渡り、リンゴ畑の中を走る。岩木山が形を変えて見える。水田になり、少し住宅が混じる。リンゴ畑があり撫牛子を通過。工場や住宅、リンゴ畑の混じる景色から市街地になってきて弘前に到着する。 弘前まで来ても少し時間がある。といってもそれほどあるわけではない。昼食を食べておかなくてはならない。一旦外へ出て、駅舎の中にあるうどん屋でうどんを食べる。普通に食べていたが、客と店員がなにやら話をしている。もちろん津軽弁でしゃべっているが、何となく意味は分かる。それが自分の頭の中で認識されるときにはなぜか石川弁になっている。当然、記憶の中でも石川弁になっている。その話の内容は、おにぎりが柔らかいということを言っている。まあ、気にするほどでもないが、柔らかいと思ったので一応いっておくぐらいである。店員は、そういうことは言っていただいてありがたいということである。この人(別の店員)が炊いているが、この前注意したばかりであるということ。別の客にも柔らかくないか聞いたが、その人は確かに柔らかいが、自分は柔らかい方が好きであるということ。以上が会話の要旨である。
弘前からの列車は例によってロングシート車で、4両であった。弘前駅の停車位置の関係で後ろほど混んでいる。そのまま後ろにいた方が青森駅でも便利だが、空いていた方がよいので、前の方に行く。川部まではさっき見た景色なので、川部から。川部駅ではさっき五能線の列車を降りた人たちが乗ってくる。普通に切符を買うとそういうことになるので仕方がない。しばらくは水田の中を走る。離れて建物がある。ここでも、昨日の鶴岡あたりで見た「稲穂の波」が見えた。北常盤を過ぎてさらに水田の中を走ったが、左側に低い山が迫ってくる。そして浪岡。少し山になってくる。リンゴ畑の中を走り、低い山と山の間になる。水田、住宅などがある。そして大釈迦を過ぎて山の中に入っていく。トンネルを抜け、山の中であったが、水田のある谷になり、住宅のある谷へと下っていく。その中で鶴ヶ坂。谷を下っていき、その谷が広くなり住宅が増え津軽新城。住宅が続く。林や畑が混じり新青森。この駅で健康ランドへ行くために1年数ヶ月前に降りているが、実は今日、その同じ健康ランドに泊まる。ただ、今から津軽線を往復してからの話である。新青森を過ぎて、市街地になっていき、津軽線・東北本線と合流して青森駅に入っていく。
今回は、前回の九州とは違って余裕のあるところが多い。というよりも、接続が悪いだけであるが、ここで1時間51分もある。快速「海峡」で蟹田まで行っておくという手もあるが、青森市内で時間をつぶすことにする。とりあえず駅の表へ行く。この駅は改札までの距離が長い。昔の青函連絡船乗換駅であったときの名残でもあるが、通勤・通学などで慌てているときは大変であろう。そういえば、1年数ヶ月間の北海道へ行ったときも青森でかなり時間があった。その時は銭湯へ行っているのだが、その銭湯は今日は定休日のようである。駅の近くの銭湯が載っている「駅前銭湯図鑑」によると、その近くにコインランドリーがあるらしい。計算上、今日洗濯をしておかないと、着替えができない日ができるはずであるから、ちょうどよい。
前回歩いた駅前の道を歩き、そこへ行こうとするが、細い道にある関係で迷ってしまう。国道沿いに出てきてしまった。そこからまた入っていくとたどり着いた。どうやら駅からこの国道をめがけて歩いてきて、しばらく国道を歩いた後曲がった方が分かりやすいようである。コインランドリーで洗濯をすることははじめてである。何しろ、大学のときは遠距離通学をしてしまった関係で、一人暮らしの経験がない。洗濯の方法ならどうにか分かるのだが、洗剤の入手方法が分からない。狭いコインランドリーで、洗剤はこちらでと書いてあるがその先でどうやって洗剤を入手するのか分かりにくい。そこで、近くのコンビニまで行き、小分けされた洗剤を買う。意外と安い。
洗濯機に着替えとタオルを入れて洗濯をはじめるが、今から30分くらいかかるらしい。とりあえず、洗濯は洗濯機に任せて、駅前まで戻る。駅横のデパートでおみやげを物色するが、どうもしっくりこない。アスパムという、観光物産館まで歩いてもよいが洗濯の関係で少し無理が出てくる。それに、昨夜と今朝、森岳で少し歩いた関係で足も痛い。水ぶくれが出来かけている。明日の朝も青森市内で少し時間があるので、適当に見ておき、コインランドリーに戻る。
少し余裕を持って戻ってきたため、まだ9分ほど時間があった。そのあたりを一回りして、戻ってくるとあと4分である。しばらく待っていると脱水まで終わった洗濯物が出てきた。そして横の乾燥機に入れる。ガス式と呼ばれるもので、そのような音がする。中で洗濯物が回っている。短パンの紐が本体に引っ張られて回っている。見ていると目が回ってくる。10分で終わるようなので待っているが、そのあとは冷やすためにさらに時間がかかるようである。結局、もう10分してようやく終わった。
そのあと、駅まで戻り、少しおみやげを見たあと津軽線の列車があるホームまで行く。本数が少なく、2両しかないため、かなりの乗客で、結局、クロスシートの進行方向逆の通路側という席であった。
とりあえず、非冷房車である。汗の量は多いのだが、クーラがなくても生きていけるし、むしろ天然の風の方がよいのでこれはよい。
青森を出て東北本線、そして奥羽本線と別れ気がつくと車両区の中を走っている。水田があり住宅があり油川。前回北海道へ行くときも思ったのだが、この線は住宅や水田との間に防音の為かどうか鉄の網がある。油川で立ち客がいなくなる。水田の中を通り、右側が住宅地になり津軽宮田。同じようにして奥内。左側に住宅があり、防音網がある。右側は住宅であるがその向こうに海が見える。そしてさらに向こうに下北半島の山々が見える。右側に住宅が増え左堰。右側は同じように住宅・海で左側が水田、ときどき住宅も混じる。そういうところを走りながら後潟、中沢と過ぎる。左側の山に濃い雲がかかっている。両側が住宅になり蓬田。行き違いの設備は撤去されている。同じようにして郷沢。陸奥湾は荒れているようである。ドラえもん列車とすれ違う。右側の住宅が減り、海に沿って走る。住宅が混じるときもある。住宅が増え、左側が杉などのある山の縁を走るが、水田に戻る。そうして瀬辺地。山の中に入っていく。抜けて右側は海との間に水田。左側は住宅地から山裾になる。右側は海に沿い、砂浜になる。波が立っている。両側が住宅地になる。ただし密度は低い。そうして蟹田に到着。
蟹田の町を抜ける。やはり防音網があった。蟹田町役場があり「青函トンネルにカートレインを」と書かれている。このあたりとしてはその方が便利なのだろう。谷に入っていく。両側が水田になる。そして中小国。水田の中で、右側には少し家がある。駅の裏では老夫婦が畑作業をしている。一応、JR東日本とJR北海道の境界駅である。さらに、海峡線の分岐駅である。しかしひっそりとした小さな駅である。もっとも、境界駅としての役割は蟹田にあるようであるが。
中小国を出てもまだ海峡線は別れない。単線のままである。水田の広がる広い谷を走り、両側が住宅地になる。それが抜けたところでようやく海峡線が分岐していく。右側に複線の線路が現れ、高架になって別れていく。新幹線のようである。向こうから見ると、貧弱な非電化単線が別れていくのであるが…。その別れたところで大平。水田の中だったが、短いトンネルを通り山の中へ。いくつかトンネルを通る。田のある谷に出てくる。海峡線が近づいてきて津軽二股。見上げるとすぐそこに海峡線の津軽今別駅がある。海峡線に乗っているとこの駅まではすぐという感じであったが、津軽線ではここまでかなり距離があったように思える。海峡線がオーバークロスして山の中に入っていく。新幹線のようである。水田の中を走り、住宅があり大川平。水田の中を走る。川が並行して流れているが、木が連なって生えているため川面が見えない。国道がオーバークロスする。住宅があり今別。津軽二股駅にすぐそこにあった津軽今別駅と混同しやすいが、こちらは今別の町の中にある今別駅である。右側は住宅地を挟んで少し海が見える。そのまま住宅が続き、津軽浜名。海の見える駅である。しばらく海沿いを走る。後方に海岸線が続いている。トンネルを抜けてなお海沿いを走る。狭い砂浜である。前方に町が見えてくる。内陸に入り、その町のはずれで三厩に到着する。
ここで28分という中途半端な時間がある。当然、竜飛岬に行くこともできないし、かといって散歩をするにも荷物が重たい。結局駅の前を少しうろうろする。写真を撮っている人が多く、うっかりするとその前を通りがちである。気を付けなくてはならない。しばらくして、乗ってきた列車に再び乗る。来るときはメモをとりながら来たので、かえりはゆっくりすることにする。どうもメモをとるようになってから、メモをとらない折り返しの列車などでは完全に脳の回転が停止しているようである。(念のため、本当に停止したら大変なことになりますよ。あくまでそういう言い回し。)
結局、見たような景色を見ながら、また、だんだん暗くなりながら蟹田に着く。今回は蟹田止まりで、蟹田から乗り換えなくてはならない。蟹田でも少し時間があるが、駅前を少し歩いただけで待合室に戻る。ここで、明日の切符を買っておく。今回は6泊7日で、すべて青春18きっぷでまかなおうとすると、2日分不足するか、3日分余ってしまう。そこで、それとよく似た切符で「あおもりホリデーパス」という、青森県内のJR(+α)が1日乗り放題で2,650円という切符を買うことにする。もう1日分はこれの岩手県版を買ったのだが、これは後述。これらの切符は、自由席特急券を買うと特急に乗ることができるという点が18きっぷとは違う。
蟹田駅での案内放送を聞いていると、「3番線に、北海道方面快速海峡…」という放送であった。最近「方面案内」を意識して聞くようになったが、これは面白い。青森でも使うことのできないこの「北海道方面」である。厳密にいうと、あと本州に2駅あるが、おおよそこの駅で使うことのできる、そのものズバリの「方面案内」である。
時間が近づいたのでホームへ行く。乗る列車は思った通り、ロングシート車であった。3人掛けのところに座る。外も完全に暗くなっているので、明日以降の予定を時刻表で見ながら、少し酔いそうになりながら青森まで到着する。
青森に19:39に到着する。そのあと、弘前方面の普通列車は20:16にあり、その後は21:51である。新青森は近いのだが、JRで行くとなるとそうなる。夕食は健康ランドででもよいのだが、少し時間があるのであらかじめ食べておきたい。しかし、ゆっくりどれがよいか物色していると時間がかかる。そこで、前回北海道からの帰りに食べたラーメンを食べることにする。確か煮干しだしで、変わっていたような気がする。場所は確か駅の横のデパートの最上階であった。行ってみると本当にあり、確かに見覚えがあった。その時と同じところに座り、同じ「炒飯セット」を注文した。
食べ終わると、レジの人がちょうど電話中であった。電話をしながらの対応で、全く言葉を交わすことなくレジの表示と動作だけで「800円です」「はい」「ちょうどですね。有難うございました。」「あっ、レシートをください」「はいどうぞ」という会話をしていたようである。
少し時間があったので家に電話をし、駅のホームへ行く。そして、新青森まで行く。この駅を降りても道は分かるので、そのまま、1年数ヶ月前に通った道を通り、その時泊まった健康ランドへ行く。風呂もそのままであった。
ここでの仮眠室で。前回はリクライニングシートだったのだが、今回行ってマットレスがあることが分かった。そのうえ今回は混雑する時期でもあるので、和室にマットレスをひいた部屋を多く用意していた。今回は常時あるマットレスの部屋(時間帯によっては映画を上映する部屋)にしたのだが、隣との隙間が狭い。隣の人は寝るときに右側に傾いてしまう人らしく、こちらまで足が飛んできて寝にくかった。しばらく我慢していたが、ウトウトすると足が飛んでくるので、少し場所を移動したのだった。