JR各線を巡る旅の記録

29 東北沿岸部 3日目


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3日目・2000年8月15日
 【新青森】8:11発−(普通)→【青森】8:19着、9:40発−(快速しもきた)→【下北】11:17着、11:29発−(下北交通 普通)→【大畑】11:59着、13:30発−(下北交通 普通)→【下北】14:00着、14:10発−(快速しもきた)→【大湊】14:15着、15:36発−(普通)→【野辺地】16:36着、16:47発−(普通)→【二戸】18:50着、18:55発−(普通)→【八戸】19:42着
 大湊線の乗車が目的だが、廃止が決まっている下北交通にも乗っておく。その後、八戸−二戸間を意味もなく往復しているが、これは乗りつぶしの為だけの行為。

●新青森までと新青森−青森(奥羽本線)、青森駅付近にて

 今日は昨日よりもゆっくりできる。大湊線に乗るだけなら新青森駅に8:54までに行けばよい。ただし、朝食とおみやげのことを考えて新青森8:11発の列車でひとまず青森駅に行くことにする。少し長めに入浴して、出発する。ここから新青森駅までの道も覚えているので大丈夫である。この時間帯にこの駅へ向かったことがあるような記憶がある。1年数ヶ月前に、今回の健康ランドに泊まって、新青森駅から青森駅へ向かった列車と全く同じなのである。それならば臨時の快速海峡1号に接続しているはずだ、と思ったら本当にその列車の案内をしていた。当時とダイヤが大幅に変わっていなければ、今日中に函館本線山線経由で札幌まで行けるはずである。ただし、一部特急を使わなければならない。思わず乗り換えそうになったが、1年数ヶ月前と同じ事になるのでやめておく。今回は大湊線に乗り、明日には青森県内のJR線を完乗する予定である。

 昨日と同じように長い通路を通って改札を通る。朝食を食べなければならないし、おみやげも買っておかなくてはならない。ここで買っておくとあとはおみやげのことを考えずにすむ。そう思って駅前の「市場」の中に入ってみた。

 朝早いためか、金沢の近江町市場ほど活気がない。おみやげを売っているゾーンと魚介類・生鮮食料品を売っているゾーンがあるようである。その一角にうどん・そば屋があったのでうどんを食べる。つゆは東日本にしては薄い。というよりも、関西・北陸よりも若干濃いかなという程度で、十分薄味として通用する。東日本に行くと必ず濃いだしとは限らないようである。うどんを食べたあと、いくつかのおみやげ屋をまわる。その中で、「南部せんべい」が何種類もあるところがあった。呼び込みをしていないのだが、手に取ってみてみると、それぞれのせんべいの違いを丁寧に教えてくれた。大衆向けに作っているもの、高級感指向のものなどいろいろあるようである。一応、家からも要求があったので、何種類か買っておく。これを持って歩いていては大変なので、ここで送ってしまうことにする。

 少し早めに青森駅へ戻る。これから乗る大湊線大湊駅、下北交通大畑駅で時間があるようなので、昼食は用意する必要がない。なお、今日の予定であるが当初の予定と大幅に見直したところである。当初はもう一本早い大湊線の列車に乗り、さっと戻ってきて、一旦盛岡まで行き八戸まで引き返すというもので、八戸−盛岡往復は乗りつぶしだけの行為である。しかし、これなら盛岡で2時間弱も待たなくてはならないというロスが発生する。それならば、東北本線の乗りつぶしを二戸までにする代わりに青森出発を遅くして、さらに廃止が近い下北交通も入れておくということにした。なお、盛岡(実際は厨川)−二戸間は空白として残ってしまうが、是非とも第三セクター化される前に花輪線などに乗りに来た際にこの区間も往復しておかねばと思っている。

●青森−野辺地(東北本線)

 ホームで多少待たされた。この快速列車は青森駅発で、そのまま野辺地から大湊線に乗り入れるという便利な列車である。ただし、快速列車ということで混んでいる。そこでこの区間は簡単にしかメモをとることができない。このまま、大湊線に入り下北まで、快速停車駅のみを意識したメモであることをお許し願いたい。

 青森を出て住宅地を走る。少しの間高架になる。青森駅自体は今の形だと高架化できないが、市街地は高架化したいらしく、駅を出てからしばらくして高架になる。下には線路跡が見える。住宅から水田になりしばらく続く。右側は水田ときれいな山が見える。八甲田山である。山、そしてトンネルを越えて海沿いに出て温泉地になる。浅虫温泉である。特急停車駅にしては小さな駅である。しばらく海沿いを走る。非冷房車なので強い風が入ってくる。大湊線は新型車と旧型車両方走っているようである。途中漁村的なところもある。山に入る。夏泊半島の付け根を走っている。山を抜け小湊。しばらくして再び海沿いを走る。しばらく海沿いを走り、大湊線が近づき野辺地に到着する。

●野辺地−下北(大湊線)

 先ほど書いたように、下北まで快速列車だけを意識した記録になる。ただし、かえりについては普通列車なので、そこでさらに詳しく書くことにして、行きはさらっと概要だけ書いておくことにする。ちなみに野辺地で進行方向が変わることに気づかなかったため、下北まで海とは反対側の景色を見ることになる。かえりは海沿いに座っている。それも考慮していただければと思う。

 野辺地を出て、右側は町から住宅地になる。ときどき住宅地が途切れながらも続いている。左側は住宅地を挟んで海である。津軽線のような景色である。そのうち右側は水田や畑。左側は山になり海を見下ろす。山の切れ目から海を見たり住宅地を見ていたが山を越える。そして、右側は水田・畑。左側はその水田・畑に住宅があり、その向こうに海がある。そのうち松中心の山に入る。薄い霧がかかっている。松の他に広葉樹が混じっている。そして右側が低い松、左側が砂浜の海が続く。そのうち、両方が松・広葉樹・杉の混じった林になるが、右側が水田・畑、左側が住宅、農地そして木々となる。そして右側に畑が広がり、向こう側に低い山が連なる。その山に低い雲がかかっている。畑の他に水田や牧草地も混じっている。今まで見たことのない、何ともいえないよい景色である。確かに海側の景色もよいが、山側の景色もよい。かえって山側に座ってよかったと思う。そのうち住宅が増え陸奥横浜に到着する。

 陸奥横浜を出ると住宅を抜け、さっきと同じように畑とその向こうに低い山という景色になる。トウモロコシ畑も所々に広がる。このあたりの田・畑は山に向かって段差がある。それがまた良い雰囲気を出している。少し住宅が混じったが、水田と畑になる。所々林がある。そのうち木の割合が増えてくる。その木々を抜け、住宅が多くなり駅を通過する。住宅を抜け、水田・畑・木々・住宅が混じる。木々が増えたり減ったりする。住宅が増えて、その他の建物も増え、下北に到着する。

●下北−大畑−下北(下北交通)

 この下北交通線はもと国鉄大畑線であった。当然本州最北端の国鉄線であったが、半島を通る支線のそのまた支線にあたるためどうしても業績が思わしくなく、早々と1985年に国鉄が手放した。普通はこのような場合、第三セクターという形をとるのだが、ここと、もう一つ黒石線は民間の会社に移管された。黒石線の方はすでに廃止されているが、この大畑線の方も来年の3月あたりに廃止されるらしい。そのため、国鉄・JR転換線についてはJR線を完乗してから乗りつぶしをはじめようと思っていたが、その時ではすでに遅いため今回のることにしたのである。

 下北駅は何となく北海道の駅という感じがする。それだけ北海道に近いのである。一応、「気候帯」という考え方では津軽海峡が境界線になっている。「温帯」と「寒帯」では線でひいたように全く違うものになっているのかというとそうではなく、やはりその境界付近で少しずつ移り変わっているようである。

 ホームは同じホームを半分付近で鎖によって区切り、一応両者の乗客を区別している。列車はかなり古くなっていて良い雰囲気である。入り口には「手動」と書かれている。きっぷを買わなくてはいけないが、列車の中できっぷを売る人が売り歩いている。久しぶりに硬券を見た。スタンプも鋏も入れられず、日付印だけはある。これは回収されてしまうのだが、両矢印であるということを利用して、使い回しているような気がする。乗客も徐々に多くなってきてそのうち、立ち客も出るようになってきた。いつもこれだけの乗客が乗るなら廃止ということもなかっただろうと思うが、そうではないようである。

 下北を出て、海老川・田名部と過ぎるが、むつ市の市街地を通っている。さらに、「むつバスターミナル」も近いため、乗降客が多い。だいぶ乗客の数も落ち着いてきた。田名部を出ると山の中に入る。上っていき、沼があり、そして下っていく。山の中に少し住宅がある。このあたりもむつ市内のようである。そういうところで樺山。乗降客がいないためドアは開かない。線路沿いに黄色い花がある。月見草ではなく、一時期北陸で騒いだ外来の花のようである。これによってススキが少なくなってしまったのだが、ある一時期を境に全くなくなってしまうという不思議な花である。さらに少しずつ下っていく。田のあるところもあるが、基本的に山の中である。そして陸奥関根。さらに下っていく。住宅があり、前方に海が見える。半島を横断して反対側の海沿いに出たようである。そうなると海に沿って走り出す。川代、正津川と、海沿いに集落がある。そして老いた駅員が一人いる大畑に到着する。

 大畑では1時間半もある。まずは駅の周りを一回りする。特にこの線については延長して線路を引く用意がないようである。線路の先端よりさらに先から駅の裏に回り、しばらく線路沿いに歩く。下北交通のバスの車庫がある。踏切を渡り、駅の方を眺める。ホームには女性が2人座っている。大湊線でクロスシート向かい側に座っていた人で、しきりにガイドブックを見ていたようである。特に話をしたわけではない。さっきホームできっぷを見せるとどうやら恐山に行く切符で、途中で降りなければならないものをここまで来てしまったらしい。改札を通ることができないため、ホームに座っているようである。

 その後、駅前まで来たがまだ時間はある。本州最北端の大間崎に行く時間はないが、中途半端に時間はある。そのまま駅前の道をまっすぐ行き、商店街を歩く。そして適当に歩き、昼食を食べる食堂を意識しながら、港の近くの橋まで来る。弱い風に当たって、引き返す。さっき決めていた食堂に入る。普通の食堂である。カウンターには身内らしい人と、常連客が座っていて、狭いテーブル席には観光客らしい家族が座っている。本当は大畑へ来ると「いかすみラーメン」を頼むのが筋らしいが、カレーライスを頼んだ。一人でいろいろなメニューをこなしていて、調理器具が家庭用である。カウンターで見ていると面白い。ただし、いかすみラーメンが優先されて、カレーライスが後だったので多少待たされた。タマネギ、ピーマンが大きく入っているカレーであった。「大盛りにしておきました」と、少し多く出してくれた。見た目だけでの判断か。

 食べ終わって、大畑駅へ戻る。しばらく待って列車に乗る。駅の向かい側には車庫があり、同じような列車がもう1両入っている。同時に走ることはないようだが、保守などを考えると2両必要であるようである。列車は油のしみこんだ木造の床である。クロスシートの窓側席の壁には頭をおくための柔らかい部分がある。座高の差によって多少、人により適正な位置にあるとは思えないが、なかなかよい設備だと思う。さらに2重窓ということで、北海道に近いということを感じる。

 そしてさっきと同じ景色を見ながら、下北まで戻る。

●下北−大湊−野辺地(大湊線)

 下北駅のホームはさっきも見たようにあまり広くないホームを縦に2つ分けしている。鎖を使って分けているが、JR側の方は新しいホームで、下北交通側は古くなっている。ここから大湊まで行かないと当然大湊線は完乗にならない。しばらく待っていると来るはずなので待っている。その列車で引き返してもよいのだが、そうなると野辺地駅での待ち時間が長くなる。大湊で時間をつぶして、次の列車に乗っても結局、野辺地から八戸方面へ行く列車は同じなのである。それならば大湊で時間をつぶすことにする。

 そうなると時間はある。そこで、下北から大湊までは歩いても大したことがない。本州最北端のJR線「駅間徒歩」もおしゃれなのだが、おとといから昨日にかけての森岳での健康ランドへの徒歩でかなり足がおかしくなっている。今日も八戸駅から健康ランドまでの徒歩が控えている。ここは素直に列車に乗ることにした。

 入ってきた列車は新型の気動車で、窓が開かない冷房車である。なぜか窓が汚れている。下北を出て、前方に恐山らしき山が見えてくる。大きい川を渡る。左側が市街地で、右側が木である。その向こうには海が見える。と、警報を鳴らして列車が徐行する。どうやら線路上をかもしかが走っていたようである。ほぼ全員がそちらの方を見る。何か走っている物陰が見えた。そうしているうちに大湊に到着する。

 大湊では時間がある。適当に駅の周りを一回りする。港らしきところへも行ってみる。静かでよいところである。あまり歩くとさっきも書いたとおり足に響くのだが、結構歩いてしまった。郵便局でお金をおろす。資金不足になったわけではないが、一応、今日のきっぷの分のお金をおろしておく。あまり歩くこともできないので(といってもかなり歩いたが)その後はおとなしく駅の待合室にいることにする。

 帰りの列車は古い方の気動車で、窓が開くものである。昼間はずっと快速列車が走っているのだが、この列車は普通列車である。さっきの教訓から海側に座ることにして、詳しく外を見ておくことにする。いつもは帰りの列車というものはメモをとらずにフヌケのようにぼーっとしているものだが、今回はかえりもメモをとっている。

 下北まではさっきと同じで、下北を出ると松林の中を走り赤川。松林の中を走る。左側に少し建物があり金ヶ沢。同じような景色で、松林にときどき畑や田が混じる。そのうち、起伏のある田・畑に林が混じるという景色になる。高いところからときどき海を見下ろしながら近川。行き違い設備が撤去されている。ホームには草が生えている。そして、木が多くなってくる。杉が混じることがあるが、松中心である。木がなくなり、高台の畑から海を見下ろす。そのうち、林や畑、田が混じる。杉林を抜けて畑の中に住宅があり有畑。海を見下ろす田・林を繰り返す。このあたりは山側の方が景色がよい。山側の景色については行きのときに見たとおりである。建物が増え陸奥横浜。下り列車とすれ違う。向こうは新型の気動車で、窓を開けることができない気動車と、窓を開けずにはいられない気動車がすれ違ったのである。

 陸奥横浜を出ると、住宅地を挟んで海になる。そのうちに畑と松林になる。そして山側にある牧草地の続きが海側にも広がる。堆肥のにおいがする。これも窓を開ける列車の特色であろう。水田・畑・林がありときどき農家がある。林の中で吹越。山を抜け、低い松と砂浜が広がる海である。このあたりから海のすぐそばを走るようになる。まともに海が広がる区間はさほど長くないようである。この線は左右どちらに乗っても損はしないという線のようである。砂浜に低い松が多くある。天然で生えているものだけでなく、人工的に植えて、保護のためにしきりをしてあるところもある。その他にはまなす、笹など。そして山の中に入る。薄い霧がかかっていて、冷たい空気も入ってくる。山を抜け、下に海と同じくらいの高さに水田が広がっているところを見下ろす。そしてそこへ降りていく。同じ高さになり、住宅が増え有戸。草地の中を走り、道・畑を挟んで海がある。そして木が少し混じり、松林となってくる。一瞬、住宅を挟んで海となる。津軽線的な景色である。松林から杉林へとなり、雑木林になる。ときどき海が見える。住宅が少し出てきて、それを挟んで海。住宅が増え北野辺地。内陸部に入っていく。林が多く混じった田、畑となり、少し山の中を通り、東北本線が合流し野辺地に到着する。

●野辺地−二戸−八戸(東北本線)

 例によってロングシート車である。少し色が違い、壁の一部も木目調であるが、やはり安そうな列車である。途中の駅では押しボタンを押さなければドアが開かないということを知らずに、違うドアまで走っている人もいた。ロングシート車であるが故にメモはとりにくい。概略だけでも簡単にメモをしただけである。

 野辺地を出て、千曳では完全に山の中である。その後で小川原湖が見えるはずだが、霧のため見えなかった。三沢・向山・下田・陸奥市川と駅周辺だけが町である。その他は霧のかかった幻想的な景色であった。上下線が別れているところもある。こちら側は盛土で、あちら側は高架と、技術的に進歩してから増設されたということが分かるような並びである。八戸駅周辺では貨物駅の工事が行われていた。新幹線の工事である。

 八戸駅での停車時間は長い。車内を見渡すと、青春18きっぷで旅をしている人らしき人が多い。会話を聴いていると、静岡から来て、ちょっとだけ北海道に足を踏み入れ、帰る人など。また、別の人は携帯電話がかかってきて、どうやらアルバイトをしている人のようで、「今旅行中なので、その日は行けません」とのこと。かける人はまさか八戸までかけたとは思わないだろう。

 八戸から二戸まで、単純な往復をする。八戸到着時刻が少し早かったことと、今回、八戸から盛岡まで東北本線に乗る機会がないため、乗りつぶし上、盛岡の次である厨川から八戸まで空白になってしまう。今度の機会に花輪線に乗ったとしても、好摩から八戸まで空白である。そのため、もともとは八戸−盛岡を往復することを考えていたが、ロスが大きすぎた。そこで、下北交通に乗ることにより、少し時間を繰り下げ、割と接続のよい八戸−二戸間だけにしておくことにした。次回花輪線等に乗りに来たときに好摩−二戸間を往復しておくことにしよう。それともう一つ理由があり、「県別のJR線完乗」問題で、この区間を乗っておくことにより、明日八戸線に乗れば青森県のJR線に完乗できるのである。そういう、乗りつぶしだけの理由でこの区間を往復することになった。

 八戸を出ると基本的には山と水田である。八戸からは新幹線工事が始まる。北陸新幹線(長野までの部分開業)と同様、従来の新幹線よりも安く作ってあるという感じである。そういえば石川・富山県内の北陸新幹線建設中の高架を見ても安そうである。そういう造りは今後の新幹線の主流になるらしい。北高岩駅のあたりではダイナミックな橋が横切っている。安く作ってあると言ってもさすが新幹線である。各駅の周りには住宅がある。特に剣吉のあたりは他より多い。金田一温泉は温泉的な建物は目立たない。また、金田一温泉から斗米のあたりは住宅地が続いていた。そして、二戸で降りる。

 戻りの列車は八戸線から乗り入れてきた気動車で、当然クロスシートである。明るければ外の景色を詳しくメモできるのだが、暗くなっており、ほとんど見えなかった。新幹線のダイナミックな橋だけはライトアップされていてきれいであった。そうして八戸に到着した。

●八戸で

 八戸駅は新幹線工事のためプレハブの駅舎であった。実際、町の中心部はここではなく本八戸であるから、駅前を歩いても町自体の大きさはよく分からない。食事は今回、健康ランドで済ませることにしてとりあえず歩く。駅前の道路から右に曲がり、ひたすら歩く。地図を頼りに、一ヶ所だけ間違えずに曲がると、後は大丈夫なようである。ただし、水田の中の暗い道になってしまい、かといって交通量は多く、歩道も中途半端なので多少心配ではあったが、柘植や森岳のようにどこか分からないような山の中を歩くという不安だけはない。八戸線をまたぐはずだが、どういう形の立体交差なのだろうと思っていtら、何のことはない、踏切であった。ちょうど八戸線の気動車が走っていった。明日ここを通るのである。踏切を渡るときに気づいたのだが、複線になっている。少し離れて複線である。これは八戸線が複線なのではなく、八戸臨海鉄道という貨物線の線路であった。

 その後しばらく歩くと健康ランドの明かりが見えてきて、宿泊地に着くことができた。今日までが健康ランドで、明日以降3泊カプセルホテルとなる。広くて数の多い風呂にはいることができるのは今日で終わりである。少し長めに入る。ここの水風呂は冷たいと聞いていたが若干冷たいかな、という程度であった。それよりも、露天風呂に水風呂があった。これは面白い。真冬などとても面白いだろう。(笑)といっても、冬なら、お湯になっているのかも知れない。打たせ湯も水で、面白かった。

 食事は例によって舞台のある、広い畳の部屋で、ロッカーキー番号だけ伝えると明日精算となる仕組みである。家族連れが多い。旅をしていて、誰かと一緒の方がよいなと思うときは、このときである。何となく1人だと浮いた気分になる。

 今日もリクライニングシートではなくマットレスで寝る。映画を上映している部屋であるが、11時になると上映が終わるらしいので、しばらく映画の音声が聞こえるところで休んでいた。昨日の青森よりもマットレスとマットレスの間が広いため、隣の人の足は飛んでこなかった。割と楽に寝ることができた。


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